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二章
十五話 何も出来ない
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翠は、伊吹の身体から男性器を抜き、ティッシュに射精した。性器は血塗れだ。伊吹は腸壁からの出血が多い事を示している。
後悔した。伊吹が望んだとはいえ、気絶してしまう程の痛みを与えてしまった。
瑞希であればこんな事にはならなかっただろうと、翠は忌々しい邪魔者を頭に思い浮かべた。
現に、ベッドには伊吹の腹部の傷跡や尻穴から流れた血で汚れてしまっている。翠は自分がやり過ぎたのだと悟った。特に腹部の傷は開いてしまっており、血がドクドクと流れている。
狼狽した翠は、すぐに瑞希に電話をした。
「もしもし、瑞希さん?」
「翠君! どうしたの?」
「伊吹さんが、気絶してしまって……救急車呼んだ方がいいんですかね?」
「どういう状態?」
明るかった瑞希の声は、すぐに真面目な声に切り替わった。
「痛くしてあげようと思って頑張ったんですけど、やり過ぎてしまって。
脇腹の傷とアナルから血が流れてます。特に脇腹から……血が、止まらなくて……」
「まだ近くにいるからすぐ戻るね! その間、翠君は店長呼んで。その後の事は店長に任せるように」
「はい」
翠は言われた通り、部屋の電話から内線で店長を呼んだ。店長は、翠に救急車を呼ぶよう指示を出し、慣れている手つきで伊吹の傷の応急処置を始めた。
店長は厳ついヤクザのような強面の男だ。一発殴られるかもしれないと身構えていたが、真面目な顔で正論を言われた。
「翠さん、いくら伊吹さんが求めたからといって、言われるがまま痛めつけたらいけません。
それでもし伊吹さんが死んだら、翠さん殺人者になってしまうんですよ?」
「すみません」
「その言葉は後で伊吹さんに言ってあげてください」
店長は徹頭徹尾、大人の対応をしていた。怒るでもなく、それでいて厳しく翠を諭した。
翠は店長の指示に従う以外何も出来ない。
ただ悔しさが募る。もし瑞希ならこんな事は起こらなかったであろう。
自分の未熟さ、無力さが悔やまれる。
救急車より先に瑞希が到着した。応急処置は終わっているので何もする事はないが、瑞希は翠の肩を支えて部屋の隅で救急車を待った。
「……うぅ」
伊吹は時折呻いていたが、意識が戻ったわけではない。悪夢を見ているかのように苦しそうだ。
じきに救急車がやってきた。付き添いに店長が伊吹と共に救急車に乗る。
翠と瑞希はタクシーに乗って病院に向かった。
「大丈夫?」
翠を心配するように瑞希が問う。
「俺の責任です。俺が、俺が……伊吹さんを……」
「誰にも失敗はあるよ。次気を付ければいい。こんな事で伊吹は怒らないよ」
「こんな事って……!」
翠は涙を溜めながら、怒り顔を瑞希に向けた。
「こんな事だよ。SMをしている人はこういう事故も自己責任だと理解してやってる。
Sだけが悪いわけじゃない。今回起きた事は、伊吹の責任でもあるんだ」
「伊吹さんは悪くない」
「伊吹も悪いんだよ。どうせ、もっと痛くしてぇってねだられたんでしょ?
翠君は次Sやる時はそこを自制して、相手のペースに乗せられないようにする事だよ」
瑞希はプロのSだ。その言葉には経験者の重みがある。
「俺、Sやらない方がいいですかね?」
「やりたいの?」
「伊吹さんが喜んでくれるなら……」
「じゃあ、僕の弟子にでもなる? あはは、君のプライドが許さないよねぇ」
翠は答えず、悔しげに唇を噛んだ。瑞希に教えを乞う事はプライドが傷付く行為だ。
伊吹と付き合うにあたって、邪魔な存在なのが瑞希である。嫌いであり、いずれは伊吹から離そうとしている相手に教わる事は出来ない。
病院に着いて、待合所で伊吹の手術が終わるのを翠と瑞希と店長の三人で待った。
しばらくして手術が終わり、伊吹は病室へと運ばれていった。翠達三人は、五十代くらいに見える初老の医者に話があると言われ、カンファレンスルームに移動する。
「篠さんのまだ傷口はまだ完全には塞がれていません。少し開いてしまった状態だったので、麻酔をして再度縫合の処置をしました。
それと、直腸に傷がありましたので、薬を塗りました。処方する塗り薬を塗って、安静にしていれば一、二週間程で治ります。それまで、アナルセックスは絶対禁止です。
脇腹は前に一ヶ月は安静にと言ったのですが。今回は二ヶ月安静にして下さい」
「はい、すみませんでした」
店長が謝る。
「意識が戻り次第、退院という事で。何か質問は?」
全員が首を横に振った。医者からの今後に関する説明や、様々な書類の記入等を終えて、三人は病院を後にした。
もう夜中だ。タクシーを呼んで、三人で乗る。後部座席に翠と瑞希が、助手席に店長が座った。
「そういえば、前は警察沙汰になったりして大変だったのに、今回は何も聞かれませんでしたね?」
医者の話を聞いていて違和感を覚えていた翠が、瑞希と店長に問う。
すぐに答えたのは瑞希だ。
「ああ。前回は店長から病院に警察を呼ぶように頼んだからね。あの病院はワケありの患者も診てるんだよ。
裏社会の人とかね。普通の病院に行ったら即警察呼ばれるような怪我をした人に、何も聞かずに治療してくれる」
「前回警察呼んだんですよね? まずくないんですか?」
「警察も分かってて目を瞑ってんだよ。上手くバランス取ってる。だからこっちが警察沙汰にしなきゃ、あんな感じだよ」
「大丈夫なんでしょうか?」
「最近はなかったけど、伊吹はたまに僕以外の人とSMやって病院送りになってるから、先生も分かってるんだよ。
だから翠君は余計な事気にしなくていいよ。罪悪感とか感じる必要もない。いつもの事だから」
瑞希が淡々と説明する様は、大人でしかなかった。
今まで翠から見て瑞希は二歳年上の大人だが、中学生のような童顔のせいでいまいち敬う事は出来なかった。
今回の一件で、少し瑞希への見る目が変わったのだった。
後悔した。伊吹が望んだとはいえ、気絶してしまう程の痛みを与えてしまった。
瑞希であればこんな事にはならなかっただろうと、翠は忌々しい邪魔者を頭に思い浮かべた。
現に、ベッドには伊吹の腹部の傷跡や尻穴から流れた血で汚れてしまっている。翠は自分がやり過ぎたのだと悟った。特に腹部の傷は開いてしまっており、血がドクドクと流れている。
狼狽した翠は、すぐに瑞希に電話をした。
「もしもし、瑞希さん?」
「翠君! どうしたの?」
「伊吹さんが、気絶してしまって……救急車呼んだ方がいいんですかね?」
「どういう状態?」
明るかった瑞希の声は、すぐに真面目な声に切り替わった。
「痛くしてあげようと思って頑張ったんですけど、やり過ぎてしまって。
脇腹の傷とアナルから血が流れてます。特に脇腹から……血が、止まらなくて……」
「まだ近くにいるからすぐ戻るね! その間、翠君は店長呼んで。その後の事は店長に任せるように」
「はい」
翠は言われた通り、部屋の電話から内線で店長を呼んだ。店長は、翠に救急車を呼ぶよう指示を出し、慣れている手つきで伊吹の傷の応急処置を始めた。
店長は厳ついヤクザのような強面の男だ。一発殴られるかもしれないと身構えていたが、真面目な顔で正論を言われた。
「翠さん、いくら伊吹さんが求めたからといって、言われるがまま痛めつけたらいけません。
それでもし伊吹さんが死んだら、翠さん殺人者になってしまうんですよ?」
「すみません」
「その言葉は後で伊吹さんに言ってあげてください」
店長は徹頭徹尾、大人の対応をしていた。怒るでもなく、それでいて厳しく翠を諭した。
翠は店長の指示に従う以外何も出来ない。
ただ悔しさが募る。もし瑞希ならこんな事は起こらなかったであろう。
自分の未熟さ、無力さが悔やまれる。
救急車より先に瑞希が到着した。応急処置は終わっているので何もする事はないが、瑞希は翠の肩を支えて部屋の隅で救急車を待った。
「……うぅ」
伊吹は時折呻いていたが、意識が戻ったわけではない。悪夢を見ているかのように苦しそうだ。
じきに救急車がやってきた。付き添いに店長が伊吹と共に救急車に乗る。
翠と瑞希はタクシーに乗って病院に向かった。
「大丈夫?」
翠を心配するように瑞希が問う。
「俺の責任です。俺が、俺が……伊吹さんを……」
「誰にも失敗はあるよ。次気を付ければいい。こんな事で伊吹は怒らないよ」
「こんな事って……!」
翠は涙を溜めながら、怒り顔を瑞希に向けた。
「こんな事だよ。SMをしている人はこういう事故も自己責任だと理解してやってる。
Sだけが悪いわけじゃない。今回起きた事は、伊吹の責任でもあるんだ」
「伊吹さんは悪くない」
「伊吹も悪いんだよ。どうせ、もっと痛くしてぇってねだられたんでしょ?
翠君は次Sやる時はそこを自制して、相手のペースに乗せられないようにする事だよ」
瑞希はプロのSだ。その言葉には経験者の重みがある。
「俺、Sやらない方がいいですかね?」
「やりたいの?」
「伊吹さんが喜んでくれるなら……」
「じゃあ、僕の弟子にでもなる? あはは、君のプライドが許さないよねぇ」
翠は答えず、悔しげに唇を噛んだ。瑞希に教えを乞う事はプライドが傷付く行為だ。
伊吹と付き合うにあたって、邪魔な存在なのが瑞希である。嫌いであり、いずれは伊吹から離そうとしている相手に教わる事は出来ない。
病院に着いて、待合所で伊吹の手術が終わるのを翠と瑞希と店長の三人で待った。
しばらくして手術が終わり、伊吹は病室へと運ばれていった。翠達三人は、五十代くらいに見える初老の医者に話があると言われ、カンファレンスルームに移動する。
「篠さんのまだ傷口はまだ完全には塞がれていません。少し開いてしまった状態だったので、麻酔をして再度縫合の処置をしました。
それと、直腸に傷がありましたので、薬を塗りました。処方する塗り薬を塗って、安静にしていれば一、二週間程で治ります。それまで、アナルセックスは絶対禁止です。
脇腹は前に一ヶ月は安静にと言ったのですが。今回は二ヶ月安静にして下さい」
「はい、すみませんでした」
店長が謝る。
「意識が戻り次第、退院という事で。何か質問は?」
全員が首を横に振った。医者からの今後に関する説明や、様々な書類の記入等を終えて、三人は病院を後にした。
もう夜中だ。タクシーを呼んで、三人で乗る。後部座席に翠と瑞希が、助手席に店長が座った。
「そういえば、前は警察沙汰になったりして大変だったのに、今回は何も聞かれませんでしたね?」
医者の話を聞いていて違和感を覚えていた翠が、瑞希と店長に問う。
すぐに答えたのは瑞希だ。
「ああ。前回は店長から病院に警察を呼ぶように頼んだからね。あの病院はワケありの患者も診てるんだよ。
裏社会の人とかね。普通の病院に行ったら即警察呼ばれるような怪我をした人に、何も聞かずに治療してくれる」
「前回警察呼んだんですよね? まずくないんですか?」
「警察も分かってて目を瞑ってんだよ。上手くバランス取ってる。だからこっちが警察沙汰にしなきゃ、あんな感じだよ」
「大丈夫なんでしょうか?」
「最近はなかったけど、伊吹はたまに僕以外の人とSMやって病院送りになってるから、先生も分かってるんだよ。
だから翠君は余計な事気にしなくていいよ。罪悪感とか感じる必要もない。いつもの事だから」
瑞希が淡々と説明する様は、大人でしかなかった。
今まで翠から見て瑞希は二歳年上の大人だが、中学生のような童顔のせいでいまいち敬う事は出来なかった。
今回の一件で、少し瑞希への見る目が変わったのだった。
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