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二章
十一話 不仲の兄
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「好き? あなたが、伊吹さんを? ふふっ、そんな分かりきってる事を今更……」
翠は夏鈴を見下すように笑った。
「言わなきゃ負けるって思ったの。私、あなたみたいな人大嫌い」
「俺も嫌いですよ。まぁ、伊吹さん以外の人間、皆嫌いなんですけどね」
「何、この人……おかしいんじゃないの?」
バッと、怒りに任せて翠の手が上がった。そのまま殴るわけにもいかず、宙で浮かせままその手をどうするべきか判断がつかなくなる。
「翠、手を下ろせ」
伊吹が止める声。遠くにいた店員がこちらに駆け寄る姿、全てがスローモーションで視界に映る。
「どうしました!?」
緊迫している店員の顔。伊吹は一度翠を睨むと夏鈴の手を繋いで、店員の元へ歩いていった。
「お騒がせしてすみませんでした。俺達、もう出ますから。会計をお願いします」
「は……はい」
去っていく伊吹の背を見つめたまま翠は動けない。伊吹が店から出て行ってから、トボトボと帰り支度をして店を出た。
何がいけなかったのか、どうして伊吹が睨んできたのか、翠には分からない。
ただ、出来る事なら時間を巻き戻したいと、冷静になった頭で後悔する事しか出来ない。
「伊吹さん……伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん……」
何度も伊吹の名前を呼んだ。だが、返事は返ってこない。当たり前だ、夏鈴と共に翠の前を去っていった。
その最後の姿が脳裏から離れない。
「伊吹……」
その時、翠の背後から翠を呼ぶ声がした。
「……翠? 翠じゃないか!?」
振り向いて後悔した。
「……兄さん」
兄は真面目そうに皺一つ無い、上等なスーツを着て翠に近寄ってきた。
髪も綺麗に切り揃えられており、掛けている眼鏡も高級品だ。一流企業に勤める真面目なサラリーマンである。
顔立ちは翠によく似ているが、兄の方が人間味のない硬い表情をしている。
この世で両親に次いで嫌いな人間だ。
「アパートにいなかったから探してたんだ。意地張ってないで家に帰りなさい」
「体裁の為? それとも、あの親に俺を説得したら何かご褒美でも貰えるって言われたか?」
「……」
「否定しないんだな。俺は俺の人生を生きる。お前らみたいにはならない」
「……篠伊吹……か?」
兄はポツリと呟いた。怒りが脳を直撃する。翠を支配する激情は、逃げ場がなく兄にダイレクトにぶつけられた。
「伊吹さんがなんだよ!?」
「お前は少し冷静になれ。執心している篠伊吹という男がどんな人物か知っているのか?」
「当たり前だ。俺が、今一番伊吹さんの近くにいるんだから!」
「篠伊吹とSMをやっているそうだな?」
「そこまで知ってるのかよ?」
「ああ。篠伊吹と、男娼をしている佐々木瑞希とお前の三人でやっていると聞いた。くだらないな。
お前が素直に家に帰るなら篠伊吹には何もしない。だが、応じないのならば……」
凄みながら脅す兄に、翠は吹き出すように笑った。
「ぷっ……はは……あはははっ! 何言ってんだ、お前本当に伊吹さんの事調べたのかよ?
伊吹さんを狙ったら危なくなるのはお前だよ」
「何?」
「本当、伊吹さんの言った通りだ」
ラブピーチは伊吹を守る城だと、以前伊吹が話していた。そのお陰で、伊吹には一番の強い味方である瑞希と深い関係という事すら、兄が探偵に依頼したであろう調査に引っ掛からない。
伊吹に何か起きて、瑞希が動かないわけがないのだ。こうなると強い味方だ。
「何が言いたい?」
「お前には関係ないね。伊吹さんに何をしようが、俺は家に帰るつもりはない。
ただ、用心するんだな。伊吹さんに何かすれば、立場が悪くなるのはお前だよ」
兄を見下して嘲笑う。誰が見ても翠が悪役だ。翠は自分の立場など気にかける様子もなく、兄を呪うかのように笑っている。
「どうせハッタリだろう」
兄はそれ以上翠に話す事はなく、来た道を戻っていった。
翠はすぐに瑞希に電話をかけた。
コール音が長く感じる。翠は瑞希が乱交パーティーとSM以外の時間、何をしているか知らない。
風俗店で働いているらしいが、それだけだ。
「もしもーし。翠くーん?」
瑞希の呑気な声。翠はすぐに今あった事を話そうとした。
「もしもし。瑞希さん、実は……」
「ちょっと待って。さっき伊吹から聞いたんだけど、翠君ドン引きするレベルの嫉妬見せてきて、伊吹が逃げたってホント?」
翠は一瞬キョトンとした。何故それを瑞希が知っているのか。伊吹は以前、乱交パーティーのルールがある為、外で瑞希とは会わないと言っていた。
「ど、どうして、それを……?」
「ライン。伊吹からヘルプのメールきたの。これからラブピーチ行くんだけど。翠君も来る?」
「でも……俺は伊吹さんに……」
「一度落ち着いて伊吹と話しなよ」
「はい、そうします。でも瑞希さんに話したい内容はそれじゃないんです」
「そうなの?」
「はい。実は、伊吹さんが危険なんです!」
「分かった。伊吹が当事者なら、その話聞いた方がいいと思うよ。とりあえずこっちにおいで」
「分かりました」
電話を切ると、翠はその足でラブピーチへと走っていった。
───────────────────
※伊吹が翠との約束を忘れている(今後忘れる)事
①一章十八話
翠にキスしたくなったら伊吹さんからして下さいと言われている事。→完全に記憶の彼方。
②一章二十一話
初のSMショー。本番が無事成功したら好きなプレイをしていいと言ったのに、刺された為なくなった。→言ったことすら覚えていない。
🆕③二章九話
ボーリングが終わったら(おそらく)ラブホでヤろうと翠が提案。→伊吹は既に忘れているが、翠が覚えているので問題なし。
🆕④二章十話
ボーリングで負けた方が夜ご飯奢る。→伊吹は忘れているが、翠が(ry。
因みに、伊吹君は大学で心配かけたお詫びに飲み代出すと言った事も忘れてます。
伊吹君は忘れっぽいので、約束事をあまりしない方がいいですね。
どうしても約束をする場合、書面に残すか、忘れていたらしつこく言ってあげるか……。
翠は夏鈴を見下すように笑った。
「言わなきゃ負けるって思ったの。私、あなたみたいな人大嫌い」
「俺も嫌いですよ。まぁ、伊吹さん以外の人間、皆嫌いなんですけどね」
「何、この人……おかしいんじゃないの?」
バッと、怒りに任せて翠の手が上がった。そのまま殴るわけにもいかず、宙で浮かせままその手をどうするべきか判断がつかなくなる。
「翠、手を下ろせ」
伊吹が止める声。遠くにいた店員がこちらに駆け寄る姿、全てがスローモーションで視界に映る。
「どうしました!?」
緊迫している店員の顔。伊吹は一度翠を睨むと夏鈴の手を繋いで、店員の元へ歩いていった。
「お騒がせしてすみませんでした。俺達、もう出ますから。会計をお願いします」
「は……はい」
去っていく伊吹の背を見つめたまま翠は動けない。伊吹が店から出て行ってから、トボトボと帰り支度をして店を出た。
何がいけなかったのか、どうして伊吹が睨んできたのか、翠には分からない。
ただ、出来る事なら時間を巻き戻したいと、冷静になった頭で後悔する事しか出来ない。
「伊吹さん……伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん、伊吹さん……」
何度も伊吹の名前を呼んだ。だが、返事は返ってこない。当たり前だ、夏鈴と共に翠の前を去っていった。
その最後の姿が脳裏から離れない。
「伊吹……」
その時、翠の背後から翠を呼ぶ声がした。
「……翠? 翠じゃないか!?」
振り向いて後悔した。
「……兄さん」
兄は真面目そうに皺一つ無い、上等なスーツを着て翠に近寄ってきた。
髪も綺麗に切り揃えられており、掛けている眼鏡も高級品だ。一流企業に勤める真面目なサラリーマンである。
顔立ちは翠によく似ているが、兄の方が人間味のない硬い表情をしている。
この世で両親に次いで嫌いな人間だ。
「アパートにいなかったから探してたんだ。意地張ってないで家に帰りなさい」
「体裁の為? それとも、あの親に俺を説得したら何かご褒美でも貰えるって言われたか?」
「……」
「否定しないんだな。俺は俺の人生を生きる。お前らみたいにはならない」
「……篠伊吹……か?」
兄はポツリと呟いた。怒りが脳を直撃する。翠を支配する激情は、逃げ場がなく兄にダイレクトにぶつけられた。
「伊吹さんがなんだよ!?」
「お前は少し冷静になれ。執心している篠伊吹という男がどんな人物か知っているのか?」
「当たり前だ。俺が、今一番伊吹さんの近くにいるんだから!」
「篠伊吹とSMをやっているそうだな?」
「そこまで知ってるのかよ?」
「ああ。篠伊吹と、男娼をしている佐々木瑞希とお前の三人でやっていると聞いた。くだらないな。
お前が素直に家に帰るなら篠伊吹には何もしない。だが、応じないのならば……」
凄みながら脅す兄に、翠は吹き出すように笑った。
「ぷっ……はは……あはははっ! 何言ってんだ、お前本当に伊吹さんの事調べたのかよ?
伊吹さんを狙ったら危なくなるのはお前だよ」
「何?」
「本当、伊吹さんの言った通りだ」
ラブピーチは伊吹を守る城だと、以前伊吹が話していた。そのお陰で、伊吹には一番の強い味方である瑞希と深い関係という事すら、兄が探偵に依頼したであろう調査に引っ掛からない。
伊吹に何か起きて、瑞希が動かないわけがないのだ。こうなると強い味方だ。
「何が言いたい?」
「お前には関係ないね。伊吹さんに何をしようが、俺は家に帰るつもりはない。
ただ、用心するんだな。伊吹さんに何かすれば、立場が悪くなるのはお前だよ」
兄を見下して嘲笑う。誰が見ても翠が悪役だ。翠は自分の立場など気にかける様子もなく、兄を呪うかのように笑っている。
「どうせハッタリだろう」
兄はそれ以上翠に話す事はなく、来た道を戻っていった。
翠はすぐに瑞希に電話をかけた。
コール音が長く感じる。翠は瑞希が乱交パーティーとSM以外の時間、何をしているか知らない。
風俗店で働いているらしいが、それだけだ。
「もしもーし。翠くーん?」
瑞希の呑気な声。翠はすぐに今あった事を話そうとした。
「もしもし。瑞希さん、実は……」
「ちょっと待って。さっき伊吹から聞いたんだけど、翠君ドン引きするレベルの嫉妬見せてきて、伊吹が逃げたってホント?」
翠は一瞬キョトンとした。何故それを瑞希が知っているのか。伊吹は以前、乱交パーティーのルールがある為、外で瑞希とは会わないと言っていた。
「ど、どうして、それを……?」
「ライン。伊吹からヘルプのメールきたの。これからラブピーチ行くんだけど。翠君も来る?」
「でも……俺は伊吹さんに……」
「一度落ち着いて伊吹と話しなよ」
「はい、そうします。でも瑞希さんに話したい内容はそれじゃないんです」
「そうなの?」
「はい。実は、伊吹さんが危険なんです!」
「分かった。伊吹が当事者なら、その話聞いた方がいいと思うよ。とりあえずこっちにおいで」
「分かりました」
電話を切ると、翠はその足でラブピーチへと走っていった。
───────────────────
※伊吹が翠との約束を忘れている(今後忘れる)事
①一章十八話
翠にキスしたくなったら伊吹さんからして下さいと言われている事。→完全に記憶の彼方。
②一章二十一話
初のSMショー。本番が無事成功したら好きなプレイをしていいと言ったのに、刺された為なくなった。→言ったことすら覚えていない。
🆕③二章九話
ボーリングが終わったら(おそらく)ラブホでヤろうと翠が提案。→伊吹は既に忘れているが、翠が覚えているので問題なし。
🆕④二章十話
ボーリングで負けた方が夜ご飯奢る。→伊吹は忘れているが、翠が(ry。
因みに、伊吹君は大学で心配かけたお詫びに飲み代出すと言った事も忘れてます。
伊吹君は忘れっぽいので、約束事をあまりしない方がいいですね。
どうしても約束をする場合、書面に残すか、忘れていたらしつこく言ってあげるか……。
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