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番外編
①家族の形
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伊吹が物心つく頃には家庭は壊れていた。
父親は外資系企業の課長という立場だ。表向きには一流企業のサラリーマンで、仕事と家族を両立させているように見えていたが、家の中では違った。
怒鳴ったり物を壊すなど、大きな音は絶対立てずに妻を殴るようなDV男だ。
伊吹が物心ついた時には、父親は母親の細かい不手際を指摘して殴るのが普通で、母親は父親が殴り飽きるまで謝り続けるものだと認識していた。
伊吹も殴られた事は何度かあるが、子供だからか母親程ではなかった。
どうすると父親が殴らないのかを客観的に見ていた伊吹は、自分は殴られないように父親に気に入られる人間になる努力をした。
その為に犠牲になったのが母親だ。伊吹は母親が殴られるように仕向ける事によって、父親を避けていたのだ。
そんな歪な家庭が終わりを迎えたのは、伊吹が七歳の頃だった。
家を出る前日の夜、夜中に目を覚まして二階の寝室から一階の台所へと降りた伊吹が、ダイニングテーブルで泣いている母親を見た。
母親の泣いている姿は見慣れていた。いつもの事だった。
「お母さん……寝ないの?」
「伊吹、どうしたの?」
「ちょっと喉が渇いちゃって」
「じゃあ麦茶持ってくるわね、待ってて」
母親はすぐにコップに麦茶を入れて伊吹に渡してから、こんな質問をした。
「ねぇ伊吹。伊吹はお父さんとお母さん、どっちが好き?」
答えは「お母さん」に決まっていた。だが、幼いながらに父親の目を気にする事が当たり前となっていた伊吹は、父親のいない時でもその厳しい目が気になった。
もし、「お母さん」と答えた事が知られたら殴られるかもしれない、という恐怖があった。
「どっちも」
「そう。……あなたは私の味方だと思ってた。そうよね、あの人も子供は可愛いからそんなに殴らないだろうし」
「お母さん?」
伊吹はその言葉の意味が分からなかった。大人になって、あの言葉の意味が分かるようになった。
母親は絶対的な味方を求めていたのだ。自分だけを味方してくれる仲間を──。
結果、母親は伊吹を置いて家を出ていってしまった。伊吹は父親との生活が始まったのだ。
その頃、父親は部長に昇格し、外で遊ぶ事も増えて家には寝に帰るのみとなっていた為、あまり父親と顔を合わせる事はなくなった。
家の事は家政婦がいたので、特に生活に困る事はなく、放課後や休日は友達と遊んで過ごす事が多かった。暴力に怯える事のない自由な生活を送っていた。
ただ一つ困ったのは、親も参加する行事の時だ。遠足や授業参観、運動会、バザー等の行事の時は伊吹は一人になってしまう。必然的に担任教師と一緒にいることが多くなった。
伊吹は母親を思い出しては寂しさを抱えていた。母親から伊吹に連絡を取る事は一度もない。伊吹は母親がどこに行ったのかすら知らなかった。
小学三年生に上がり、クラス替えでクラスメイトになった瑞希と友達になった。たまたま隣の席になり、伊吹から話し掛けたのだ。
「なぁ、お前瑞希っていうの? 女みてーな名前」
と、伊吹が瑞希の名前を馬鹿にした事から始まった。
「僕ね、よく女の子みたいって言われるの」
伊吹はドキッとした。確かに瑞希は見た目も女の子に見える。服が男児用のデザインだから男だと分かったものの、ランドセルもブルーなのでボーイッシュな女の子に見えてもおかしくなかった。
「ご、ごめん。気にしてた?」
「うん。僕、女の子って言われるの嫌なんだ。だから男らしくなるんだぁ」
「男らしく? 絶対無理だよ。どこからどう見ても可愛いのに」
すると、瑞希がふふんと勝気な笑みを見せた。
「あのねぇ。女の子はいじめられたら泣く子多いでしょ? 僕はいじめられたら、いじめっ子に仕返ししてやるんだよ」
「君にそんな事が出来るの?」
「二年生の時、今も同じクラスの石井君に教科書に落書きされたから、石井君の教科書破って窓から飛ばしたんだ。
そしたらね、石井君泣きながら外に教科書追いかけて行ったよ。ばかだよねぇ、破ったんだから追いかけても意味ないのに」
瑞希はそう言いながらゲラゲラ笑っていた。その声が石井にも聞こえたらしい、石井は瑞希を見るとビクビクと身を縮ませた。
その様子を見た伊吹も一緒になって笑う。
「石井君ってアイツ? こっち見てるよ。めっちゃ怖がってんじゃん」
「でしょ~。他にもね、芳賀君に殴られたからバットで殴ってやったでしょ~。大泣きしてやんの。あははは」
「やべぇ、瑞希って怖い奴じゃん」
「田沼君に転ばされたから、階段から突き落としてやったよ。全治一ヶ月だって。
お母さんが田沼君に必死に謝ってさ、めっちゃ怒られたけど、先に悪い事したのあっちだもんねー」
「瑞希も悪いだろ!」
そんな瑞希だったが、伊吹は気に入って特に仲良くするようになったのだ。
お互いの家を行き来するようにもなり、瑞希の母親が伊吹が父子家庭と聞くと特に優しく接してきた。
それから、 学校で親が混ざるような行事の時は、瑞希とその家族が伊吹を家族同然に迎えていたので、一人の寂しさもなくなったのだった。
───────────────────
この話を投稿した時、間違えて投稿中の別作品にこの話を載せてパニックになっていた今日この頃です。
本当は前回、次から番外編ですよって書こうと思っていたのを忘れていました。
いつも変なミスをやらかしたり、忘れっぽかったりです。
今回から少し長めの番外編が続きます。その後二章です。
伊吹と瑞希の関係性や、木嶋が事件を起こすに至る大元の事件の話などを書きます。
二章からまた景色が変わって見えてくると思うので、お付き合いいただけたら嬉しいです。
父親は外資系企業の課長という立場だ。表向きには一流企業のサラリーマンで、仕事と家族を両立させているように見えていたが、家の中では違った。
怒鳴ったり物を壊すなど、大きな音は絶対立てずに妻を殴るようなDV男だ。
伊吹が物心ついた時には、父親は母親の細かい不手際を指摘して殴るのが普通で、母親は父親が殴り飽きるまで謝り続けるものだと認識していた。
伊吹も殴られた事は何度かあるが、子供だからか母親程ではなかった。
どうすると父親が殴らないのかを客観的に見ていた伊吹は、自分は殴られないように父親に気に入られる人間になる努力をした。
その為に犠牲になったのが母親だ。伊吹は母親が殴られるように仕向ける事によって、父親を避けていたのだ。
そんな歪な家庭が終わりを迎えたのは、伊吹が七歳の頃だった。
家を出る前日の夜、夜中に目を覚まして二階の寝室から一階の台所へと降りた伊吹が、ダイニングテーブルで泣いている母親を見た。
母親の泣いている姿は見慣れていた。いつもの事だった。
「お母さん……寝ないの?」
「伊吹、どうしたの?」
「ちょっと喉が渇いちゃって」
「じゃあ麦茶持ってくるわね、待ってて」
母親はすぐにコップに麦茶を入れて伊吹に渡してから、こんな質問をした。
「ねぇ伊吹。伊吹はお父さんとお母さん、どっちが好き?」
答えは「お母さん」に決まっていた。だが、幼いながらに父親の目を気にする事が当たり前となっていた伊吹は、父親のいない時でもその厳しい目が気になった。
もし、「お母さん」と答えた事が知られたら殴られるかもしれない、という恐怖があった。
「どっちも」
「そう。……あなたは私の味方だと思ってた。そうよね、あの人も子供は可愛いからそんなに殴らないだろうし」
「お母さん?」
伊吹はその言葉の意味が分からなかった。大人になって、あの言葉の意味が分かるようになった。
母親は絶対的な味方を求めていたのだ。自分だけを味方してくれる仲間を──。
結果、母親は伊吹を置いて家を出ていってしまった。伊吹は父親との生活が始まったのだ。
その頃、父親は部長に昇格し、外で遊ぶ事も増えて家には寝に帰るのみとなっていた為、あまり父親と顔を合わせる事はなくなった。
家の事は家政婦がいたので、特に生活に困る事はなく、放課後や休日は友達と遊んで過ごす事が多かった。暴力に怯える事のない自由な生活を送っていた。
ただ一つ困ったのは、親も参加する行事の時だ。遠足や授業参観、運動会、バザー等の行事の時は伊吹は一人になってしまう。必然的に担任教師と一緒にいることが多くなった。
伊吹は母親を思い出しては寂しさを抱えていた。母親から伊吹に連絡を取る事は一度もない。伊吹は母親がどこに行ったのかすら知らなかった。
小学三年生に上がり、クラス替えでクラスメイトになった瑞希と友達になった。たまたま隣の席になり、伊吹から話し掛けたのだ。
「なぁ、お前瑞希っていうの? 女みてーな名前」
と、伊吹が瑞希の名前を馬鹿にした事から始まった。
「僕ね、よく女の子みたいって言われるの」
伊吹はドキッとした。確かに瑞希は見た目も女の子に見える。服が男児用のデザインだから男だと分かったものの、ランドセルもブルーなのでボーイッシュな女の子に見えてもおかしくなかった。
「ご、ごめん。気にしてた?」
「うん。僕、女の子って言われるの嫌なんだ。だから男らしくなるんだぁ」
「男らしく? 絶対無理だよ。どこからどう見ても可愛いのに」
すると、瑞希がふふんと勝気な笑みを見せた。
「あのねぇ。女の子はいじめられたら泣く子多いでしょ? 僕はいじめられたら、いじめっ子に仕返ししてやるんだよ」
「君にそんな事が出来るの?」
「二年生の時、今も同じクラスの石井君に教科書に落書きされたから、石井君の教科書破って窓から飛ばしたんだ。
そしたらね、石井君泣きながら外に教科書追いかけて行ったよ。ばかだよねぇ、破ったんだから追いかけても意味ないのに」
瑞希はそう言いながらゲラゲラ笑っていた。その声が石井にも聞こえたらしい、石井は瑞希を見るとビクビクと身を縮ませた。
その様子を見た伊吹も一緒になって笑う。
「石井君ってアイツ? こっち見てるよ。めっちゃ怖がってんじゃん」
「でしょ~。他にもね、芳賀君に殴られたからバットで殴ってやったでしょ~。大泣きしてやんの。あははは」
「やべぇ、瑞希って怖い奴じゃん」
「田沼君に転ばされたから、階段から突き落としてやったよ。全治一ヶ月だって。
お母さんが田沼君に必死に謝ってさ、めっちゃ怒られたけど、先に悪い事したのあっちだもんねー」
「瑞希も悪いだろ!」
そんな瑞希だったが、伊吹は気に入って特に仲良くするようになったのだ。
お互いの家を行き来するようにもなり、瑞希の母親が伊吹が父子家庭と聞くと特に優しく接してきた。
それから、 学校で親が混ざるような行事の時は、瑞希とその家族が伊吹を家族同然に迎えていたので、一人の寂しさもなくなったのだった。
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この話を投稿した時、間違えて投稿中の別作品にこの話を載せてパニックになっていた今日この頃です。
本当は前回、次から番外編ですよって書こうと思っていたのを忘れていました。
いつも変なミスをやらかしたり、忘れっぽかったりです。
今回から少し長めの番外編が続きます。その後二章です。
伊吹と瑞希の関係性や、木嶋が事件を起こすに至る大元の事件の話などを書きます。
二章からまた景色が変わって見えてくると思うので、お付き合いいただけたら嬉しいです。
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