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一章
二十五話 不満
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伊吹は救急車に乗せられた。その間、一緒に救急車に乗った翠と瑞希の事ばかりを見ていた。
木嶋は警察に捕まっていたが、伊吹は木嶋の事など意に介していない。
翠が伊吹だけを見ている。今の伊吹にとってそれが重要な事だった。
「伊吹さん、なんで……伊吹さんなら避けられたんじゃないですか?」
「そうだよ。何ボーッとしてんだよ。伊吹のバカ」
翠も瑞希も泣きそうな顔をしている。
「ご……ごめん。瑞希……用事があるんじゃ……いづっ」
「無理に話すなよ! 僕の用事なんかどうだっていいよ。伊吹……伊吹ぃ……」
「良かったじゃん。瑞希お前……ずっと、俺に、報復したかったん、だろ」
「そんなのどうでもいいよ。それに報復は僕がしなきゃ意味ないだろ」
病院に運ばれてからも意識はハッキリしていたが、麻酔を打たれると意識を手放した。
幸い傷は浅く、数針縫う程度で手術は終わり、数日の入院となった。
病室は大部屋のベッドが余ってなかった為、個室を利用する事になった。
目が覚めてからが大変であった。刑事が事情聴取に来たのだが、木嶋の事を覚えていないので、刺された理由も分からないと言うしかなかった。
木嶋との関係は瑞希が全部説明したらしい。
「本当に覚えていないんです。同じ学年だったと瑞希から聞きましたけど、違うクラスだったみたいですし」
厳つい顔をしている刑事二人の質問に、伊吹は分からないまま答えていった。
「何か恨まれるような事をした覚えは?」
「そんなの……沢山ありすぎて、いつ誰に襲われてもおかしくないです。瑞希か、もしくは木嶋って人から聞いていないですか?」
「佐々木さんからは、高校時代木嶋さんからイジメを受けていたと聞いています。当時、その報復として、佐々木さんとあなたとで仕返しをしたと聞いています。
一方、木嶋さんも同じ様な供述をしていましたが、篠さんよりも特に佐々木さんに恨みを持っていたそうです」
「瑞希に……?」
伊吹は眉をひそめた。高校時代、瑞希とはクラスが違った事、ある裏切り行為をした事などの要因から、伊吹は瑞希と距離を取っていた。
再び関わるようになったのは高校三年生の時、同じクラスになってからである。
三年前の話なのに覚えていないのが不思議だ。
「うーん。やっぱり覚えていないですね」
その後も伊吹は聞かれた事を答えていった。刑事達が帰る頃には疲れきっていた。
刑事と入れ替わるように病室に入ってきたのは翠だ。
「伊吹さん!」
心配そうな顔をする翠に対して込み上げてきた感情は怒りだった。伊吹でも理由の分からない苛立ち。
こんな事は初めてだった。今までどんな事があっても怒りの感情で自分が見えなくなった事など一度もなかった。
「……翠、俺の事はいいから帰れよ」
「そんなわけにはいきません! やっぱり痛いんですよね?」
「それなりに」
「俺が代わってあげられたら……」
翠が涙を浮かべて悔しがっている。それすら伊吹にとって苛立ちを募らせるものでしかなかった。
「……くせに」
気付いたら声に出していた。小声過ぎて翠にはよく聞こえていなかったようだ。
「今、何か言いましたか?」
「いや。刑事と話して疲れたんだ。もう寝たい、帰ってくれ」
「分かりました。また明日も来ますね」
翠は聞き分けが良く、すぐに帰っていった。
それを見届けてから眠ろうと目を瞑る。本当なら自分を守るように身を丸めて眠りたいが、腹部が痛くて動けない。
『俺より先に瑞希を助けに行ったくせに』
そんな不満を抱えている自分自身が信じられなかった。
それから退院するまで翠が毎日見舞いにやってきた。世間話をする程度で、伊吹は翠に興味がないというような冷たい態度を取っていた。
退院日は次の緊縛イベントの二日前だ。伊吹は翠と瑞希をラブピーチの七階に呼んだ。
「ごめんな、こんな事になっちまって。日曜のイベントは、練習してる暇ないから流れだけやって、本番をしようと思う」
伊吹が説明すると、翠と瑞希は揃いも揃って伊吹に説教を始めた。
「何言ってるんですか! 伊吹さん刺されたんですよ? SMなんて出来るわけないじゃないですか!」
「伊吹がバカなのは知ってたけど、自分の身体の調子も分からないバカだと思わなかったよ。次の日曜は僕と翠君だけで出るから、伊吹はまだ休んでて」
だが、伊吹は納得がいかない。それに加えて翠と瑞希が二人きりになると思うとイライラが募った。言いようのない怒りが込み上げてくる。
その感情を表に出す訳にはいかない。努めて平静を装い、素直な態度を示した。
「二人がそう言うなら……分かったよ。次回は二人に任せる。報酬は一割増しってところでいいか?」
「報酬なんて! 伊吹さんはお金の事なんて気にしないでいいんですよ」
「一応、流れは二人で決めたからさ。今日だけ練習させてもらえたら本番はちゃんとやるよ。安心してね」
「二人とも……ありがとう。でも、俺……近くのビジホ泊まるわ。この部屋は二人で好きに使ってくれ。
何かあったら連絡くれればいいから。帰る時は内線で店長か副店長呼んでな。じゃ」
「伊吹!?」
「伊吹さんっ」
伊吹は淡々と説明すると荷物を持ってラブピーチを出た。二人の声が後ろから聞こえた気がしたが、聞きたくなかった。
逃げるように、よく利用しているビジネスホテルへと駆け込んだのだった。
この怒りの理由が分からない。どうしても、翠と瑞希と三人で一緒にいたくなかった。
おかしな感情が胸の中で渦になって、飲み込まれそうだった。
木嶋は警察に捕まっていたが、伊吹は木嶋の事など意に介していない。
翠が伊吹だけを見ている。今の伊吹にとってそれが重要な事だった。
「伊吹さん、なんで……伊吹さんなら避けられたんじゃないですか?」
「そうだよ。何ボーッとしてんだよ。伊吹のバカ」
翠も瑞希も泣きそうな顔をしている。
「ご……ごめん。瑞希……用事があるんじゃ……いづっ」
「無理に話すなよ! 僕の用事なんかどうだっていいよ。伊吹……伊吹ぃ……」
「良かったじゃん。瑞希お前……ずっと、俺に、報復したかったん、だろ」
「そんなのどうでもいいよ。それに報復は僕がしなきゃ意味ないだろ」
病院に運ばれてからも意識はハッキリしていたが、麻酔を打たれると意識を手放した。
幸い傷は浅く、数針縫う程度で手術は終わり、数日の入院となった。
病室は大部屋のベッドが余ってなかった為、個室を利用する事になった。
目が覚めてからが大変であった。刑事が事情聴取に来たのだが、木嶋の事を覚えていないので、刺された理由も分からないと言うしかなかった。
木嶋との関係は瑞希が全部説明したらしい。
「本当に覚えていないんです。同じ学年だったと瑞希から聞きましたけど、違うクラスだったみたいですし」
厳つい顔をしている刑事二人の質問に、伊吹は分からないまま答えていった。
「何か恨まれるような事をした覚えは?」
「そんなの……沢山ありすぎて、いつ誰に襲われてもおかしくないです。瑞希か、もしくは木嶋って人から聞いていないですか?」
「佐々木さんからは、高校時代木嶋さんからイジメを受けていたと聞いています。当時、その報復として、佐々木さんとあなたとで仕返しをしたと聞いています。
一方、木嶋さんも同じ様な供述をしていましたが、篠さんよりも特に佐々木さんに恨みを持っていたそうです」
「瑞希に……?」
伊吹は眉をひそめた。高校時代、瑞希とはクラスが違った事、ある裏切り行為をした事などの要因から、伊吹は瑞希と距離を取っていた。
再び関わるようになったのは高校三年生の時、同じクラスになってからである。
三年前の話なのに覚えていないのが不思議だ。
「うーん。やっぱり覚えていないですね」
その後も伊吹は聞かれた事を答えていった。刑事達が帰る頃には疲れきっていた。
刑事と入れ替わるように病室に入ってきたのは翠だ。
「伊吹さん!」
心配そうな顔をする翠に対して込み上げてきた感情は怒りだった。伊吹でも理由の分からない苛立ち。
こんな事は初めてだった。今までどんな事があっても怒りの感情で自分が見えなくなった事など一度もなかった。
「……翠、俺の事はいいから帰れよ」
「そんなわけにはいきません! やっぱり痛いんですよね?」
「それなりに」
「俺が代わってあげられたら……」
翠が涙を浮かべて悔しがっている。それすら伊吹にとって苛立ちを募らせるものでしかなかった。
「……くせに」
気付いたら声に出していた。小声過ぎて翠にはよく聞こえていなかったようだ。
「今、何か言いましたか?」
「いや。刑事と話して疲れたんだ。もう寝たい、帰ってくれ」
「分かりました。また明日も来ますね」
翠は聞き分けが良く、すぐに帰っていった。
それを見届けてから眠ろうと目を瞑る。本当なら自分を守るように身を丸めて眠りたいが、腹部が痛くて動けない。
『俺より先に瑞希を助けに行ったくせに』
そんな不満を抱えている自分自身が信じられなかった。
それから退院するまで翠が毎日見舞いにやってきた。世間話をする程度で、伊吹は翠に興味がないというような冷たい態度を取っていた。
退院日は次の緊縛イベントの二日前だ。伊吹は翠と瑞希をラブピーチの七階に呼んだ。
「ごめんな、こんな事になっちまって。日曜のイベントは、練習してる暇ないから流れだけやって、本番をしようと思う」
伊吹が説明すると、翠と瑞希は揃いも揃って伊吹に説教を始めた。
「何言ってるんですか! 伊吹さん刺されたんですよ? SMなんて出来るわけないじゃないですか!」
「伊吹がバカなのは知ってたけど、自分の身体の調子も分からないバカだと思わなかったよ。次の日曜は僕と翠君だけで出るから、伊吹はまだ休んでて」
だが、伊吹は納得がいかない。それに加えて翠と瑞希が二人きりになると思うとイライラが募った。言いようのない怒りが込み上げてくる。
その感情を表に出す訳にはいかない。努めて平静を装い、素直な態度を示した。
「二人がそう言うなら……分かったよ。次回は二人に任せる。報酬は一割増しってところでいいか?」
「報酬なんて! 伊吹さんはお金の事なんて気にしないでいいんですよ」
「一応、流れは二人で決めたからさ。今日だけ練習させてもらえたら本番はちゃんとやるよ。安心してね」
「二人とも……ありがとう。でも、俺……近くのビジホ泊まるわ。この部屋は二人で好きに使ってくれ。
何かあったら連絡くれればいいから。帰る時は内線で店長か副店長呼んでな。じゃ」
「伊吹!?」
「伊吹さんっ」
伊吹は淡々と説明すると荷物を持ってラブピーチを出た。二人の声が後ろから聞こえた気がしたが、聞きたくなかった。
逃げるように、よく利用しているビジネスホテルへと駆け込んだのだった。
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