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一章
二十二話 足の怪我
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呼び声に翠は振り向いた。瑞希の知り合いだろうと思い、それなら軽く挨拶だけして一人で帰ろうと思ったのだが。
「あ? なんだよ?」
そう言い返したのは瑞希だった。翠は驚く。のほほんとした喋り口調が特徴であった瑞希が、今は素行の悪いヤンキーのような喋り方で相手を睨みつけている。
相手はというと、翠と同じくらいの高い身長で、薄い茶髪は根元が黒く、いかにも悪そうな見た目をしている。
「瑞希、お前どこほっつき歩いてんだ。早く来い」
男はズカズカと瑞希の前に立つと、瑞希の手首を握って無理矢理引っ張った。
「あ、ちょっ……!」
「瑞希さんっ!」
その拍子に右足首を捻って転ぶ瑞希だが、手首を掴まれている為、上半身が浮いたまま地面に足だけ引きずられている。
「何すんだ、この……!」
瑞希は躊躇う事なく相手の手の甲に噛み付いた。
「いっ!!」
男の手は瑞希の手首を離し、そのまま顔をはたいた。瑞希は地面に両手をついて倒れ込む。
すぐに翠が瑞希に近寄って身体を起こした。
「大丈夫ですか、瑞希さん」
「うん。大丈夫」
「お前、瑞希の浮気相手かよ?」
男は倒れた瑞希には目もくれず、翠を睨み付けていた。
「違いますけど。あなたは瑞希さんのなんなんですか?」
「俺はこいつの彼氏だよ」
それに瑞希が反論する。
「違っ……。一晩寝ただけだろ、いつ僕がお前と付き合う事になったんだよ? って何度言えば分かるんだよ」
「俺の事好きって言っただろうが!」
「そんなもんリップサービスだろ。はぁ~……」
「瑞希さんのストーカーですか? 次瑞希さんに近寄れば伊吹さんが許しませんよ」
と、伊吹の名前を出してみた。
大学での伊吹はクールな経営者という良い印象を持たれているが、ネットでの情報ではこの辺の界隈じゃ関わりたくない人物として広まっているらしい。
「い、い、伊吹って……仕返しの為ならなんでもするドSの伊吹か!?」
翠はポカーンとして硬直した。ネットでは一応他人のプライバシーだからと詳しい事は聞けなかったのだ。
翠自身がルール違反の罰を与えられた時の事を思い出した。
「はい、そうですよ。実は俺も伊吹さんに酷い罰を受けたんですよ」
「はぁ!? お前ピンピンしてるじゃねぇかよ」
「人前で大便させられたり、乳首に何本も針刺されたんですよ。伊吹さんはそういう事を平気でする人ですよ」
「はぁぁぁっ!? あの男……そこまですんのかよ……」
男の声が段々と小さくなっていく。
「伊吹さんの事知ってるなら、分かりますよね? 伊吹さんの一番の親友である瑞希さんにこんな事したら……乳首に針どころじゃ済まないですよ?」
「伊吹の親友!? 瑞希が!? も、もう俺に関わらないでくれ!」
と、男は去っていった。
「それはこっちのセリフだっ。いたた……」
去っていく男を睨んでいる瑞希だったが、足を押えて蹲っている。翠は瑞希を道路端の花壇のレンガの上に座らせた。
「大丈夫ですか?」
「多分軽い捻挫だから大丈夫。それよりよく伊吹の名前出したな」
「ネットで、伊吹さんの悪い噂流れてたので利用しました」
「うわー、悪い彼氏だね」
「伊吹さんには悪い事をしました」
「そういうの気にしない人だから大丈夫だよ。ていうか、伊吹って知らない人から見てドSだと思われてんだ。ドMなのにね」
「俺もドSだと思ってましたから」
ルール違反の罰として、SMショーでされた事を思えばドSと思われても仕方のないように思えた。
「仕返しの為ならなんでもするのは僕なのにね。付き添ってただけの伊吹の名前だけが広まっちゃったか」
「ええっ、そうなんですか!?」
三人でSMをし始めたから分かる事だが、確かにドSなのは瑞希の方だ。瑞希の方が人の身体の扱いに慣れている。
「僕は、僕に危害を加える人には容赦しないよ。落ち着いた頃にアイツに報復に行かなきゃ。今日された事を利子つけてお返ししなきゃね」
「そういう事やめましょうよ。そういう悪意って巡り巡って瑞希さんの元に戻ってきますよ?」
「別にいいよ。自業自得だし」
瑞希は冷めきった目をしていた。きっとこれが本当の瑞希なのだ。
自分を大事に出来ないのだと翠には分かった。過去の自分と重ねて共感する部分を感じた。
「ダメです! 瑞希さんがあの人に報復しないって確証が持てるまで今日から瑞希さんを見張ってますからね!?」
「翠君は伊吹とイチャラブしてなよ~」
「瑞希さんが気になって出来ないですよ!」
「うるさいなぁ。とにかく、この事は僕と翠君だけの秘密。翠君は何も見なかった事にしてね」
瑞希はそう言いながら立ち上がった。足が痛いのか、少しよろけた。
「本番明後日ですよ。伊吹さんに相談した方が良くないですか?」
その瞬間、瑞希はギロっと翠を睨み付ける。
「この事、伊吹に絶対言うなよ」
いつもは想像つかないような低い声だ。翠の背中を冷や汗が伝う。
「どうして……」
だが、すぐにいつものにっこりとした優しい笑顔に戻る。
「心配かけたくないしねぇ。そんなに痛くないから大丈夫だよ。今回は翠君に免じて? 報復とか怖い事もしないって約束するし。
だーいじょうぶ! 心配しないでね。じゃあね~」
と、普通に立ち上がって走ってその場から立ち去ったのだった。その後ろ姿を見つめながら翠は呟いた。
「大丈夫かなぁ……」
その翌日。土曜日は授業がなく、夜のSMショーの練習もない。
伊吹をデートに誘いたいが、授業の後に乱交パーティーの準備等で忙しいので土曜は会えないのだ。
当然、出禁となっている翠が乱交パーティーに関われる筈もなく、暇潰しに街をうろついていた。
翠が住んでいるアパート周辺は、閑静な落ち着いた住宅街だ。
大学へはそこからバスで通っており、大学からラブピーチまで徒歩三十分程度だ。
大学がない日中は住宅地から駅まで続いている商店街でブラブラと散歩しているのだが、裏路地を歩いていると開店前の飲み屋の前で会話が聞こえてきた。
「ミズキちゃん、足どうしたの?」
「ちょっと転んじゃって……」
「あんまり無理しちゃだめよ~」
「うん! 大丈夫~」
ミズキという呼び名に瑞希を想像した翠は足を止めてみると、オカマと思われる女性服姿の細身の男性と瑞希が立ち話をしていた。
「明日はSMショーなんでしょ? 今日は安静にしなきゃ。私も見に行くんだからァ」
「楽しみにしててね。翠君すっごく可愛くてイジメがいあるんだ~」
「翠君ね。前にやったルール違反者の制裁SMショーで見たわ。気骨のあるカッコイイ子よねぇ。
あんな子がドS二人にいじめられちゃうなんて、今から興奮しちゃうわ」
「あはは~、一人は最悪のドMなんですけどね」
「伊吹君は自殺願望あるからねぇ、Sになってる方が安全よぉ」
昼間から何の話だと、塀の陰に隠れて二人の会話を盗み聞きしていたのだが。
「ねぇ、そこで盗み聞きしてるの誰?」
──と瑞希が、翠が隠れている所を向いてきた。翠は観念して二人の前に姿を現した。
「すみません、瑞希さん」
「なぁんだ。翠君、盗み聞きは良くないよ~? まぁ僕達の仲だから許してあげるね」
瑞希はニコッといつものように安心させるようや笑顔を翠に向けた。
「あらぁあなたが翠君ね、瑞希ちゃんってば明日本番なのに足くじいたんですって」
言われて瑞希の右足を見ると、普通に靴を履いているものの、包帯が巻かれていた。
「瑞希さん、明日無理じゃないですか?」
「無理でもやるの。いい? 伊吹に言ったら……」
やはり瑞希の目は昨日の夜のように、ギロリと睨んできた。その様子が非捕食者が捕食者を前に緊張しているように見えた。
瑞希に対して湧き上がる保護欲が、伊吹との関係を変えてしまうという事を翠は想像すらしていなかったのだった。
「あ? なんだよ?」
そう言い返したのは瑞希だった。翠は驚く。のほほんとした喋り口調が特徴であった瑞希が、今は素行の悪いヤンキーのような喋り方で相手を睨みつけている。
相手はというと、翠と同じくらいの高い身長で、薄い茶髪は根元が黒く、いかにも悪そうな見た目をしている。
「瑞希、お前どこほっつき歩いてんだ。早く来い」
男はズカズカと瑞希の前に立つと、瑞希の手首を握って無理矢理引っ張った。
「あ、ちょっ……!」
「瑞希さんっ!」
その拍子に右足首を捻って転ぶ瑞希だが、手首を掴まれている為、上半身が浮いたまま地面に足だけ引きずられている。
「何すんだ、この……!」
瑞希は躊躇う事なく相手の手の甲に噛み付いた。
「いっ!!」
男の手は瑞希の手首を離し、そのまま顔をはたいた。瑞希は地面に両手をついて倒れ込む。
すぐに翠が瑞希に近寄って身体を起こした。
「大丈夫ですか、瑞希さん」
「うん。大丈夫」
「お前、瑞希の浮気相手かよ?」
男は倒れた瑞希には目もくれず、翠を睨み付けていた。
「違いますけど。あなたは瑞希さんのなんなんですか?」
「俺はこいつの彼氏だよ」
それに瑞希が反論する。
「違っ……。一晩寝ただけだろ、いつ僕がお前と付き合う事になったんだよ? って何度言えば分かるんだよ」
「俺の事好きって言っただろうが!」
「そんなもんリップサービスだろ。はぁ~……」
「瑞希さんのストーカーですか? 次瑞希さんに近寄れば伊吹さんが許しませんよ」
と、伊吹の名前を出してみた。
大学での伊吹はクールな経営者という良い印象を持たれているが、ネットでの情報ではこの辺の界隈じゃ関わりたくない人物として広まっているらしい。
「い、い、伊吹って……仕返しの為ならなんでもするドSの伊吹か!?」
翠はポカーンとして硬直した。ネットでは一応他人のプライバシーだからと詳しい事は聞けなかったのだ。
翠自身がルール違反の罰を与えられた時の事を思い出した。
「はい、そうですよ。実は俺も伊吹さんに酷い罰を受けたんですよ」
「はぁ!? お前ピンピンしてるじゃねぇかよ」
「人前で大便させられたり、乳首に何本も針刺されたんですよ。伊吹さんはそういう事を平気でする人ですよ」
「はぁぁぁっ!? あの男……そこまですんのかよ……」
男の声が段々と小さくなっていく。
「伊吹さんの事知ってるなら、分かりますよね? 伊吹さんの一番の親友である瑞希さんにこんな事したら……乳首に針どころじゃ済まないですよ?」
「伊吹の親友!? 瑞希が!? も、もう俺に関わらないでくれ!」
と、男は去っていった。
「それはこっちのセリフだっ。いたた……」
去っていく男を睨んでいる瑞希だったが、足を押えて蹲っている。翠は瑞希を道路端の花壇のレンガの上に座らせた。
「大丈夫ですか?」
「多分軽い捻挫だから大丈夫。それよりよく伊吹の名前出したな」
「ネットで、伊吹さんの悪い噂流れてたので利用しました」
「うわー、悪い彼氏だね」
「伊吹さんには悪い事をしました」
「そういうの気にしない人だから大丈夫だよ。ていうか、伊吹って知らない人から見てドSだと思われてんだ。ドMなのにね」
「俺もドSだと思ってましたから」
ルール違反の罰として、SMショーでされた事を思えばドSと思われても仕方のないように思えた。
「仕返しの為ならなんでもするのは僕なのにね。付き添ってただけの伊吹の名前だけが広まっちゃったか」
「ええっ、そうなんですか!?」
三人でSMをし始めたから分かる事だが、確かにドSなのは瑞希の方だ。瑞希の方が人の身体の扱いに慣れている。
「僕は、僕に危害を加える人には容赦しないよ。落ち着いた頃にアイツに報復に行かなきゃ。今日された事を利子つけてお返ししなきゃね」
「そういう事やめましょうよ。そういう悪意って巡り巡って瑞希さんの元に戻ってきますよ?」
「別にいいよ。自業自得だし」
瑞希は冷めきった目をしていた。きっとこれが本当の瑞希なのだ。
自分を大事に出来ないのだと翠には分かった。過去の自分と重ねて共感する部分を感じた。
「ダメです! 瑞希さんがあの人に報復しないって確証が持てるまで今日から瑞希さんを見張ってますからね!?」
「翠君は伊吹とイチャラブしてなよ~」
「瑞希さんが気になって出来ないですよ!」
「うるさいなぁ。とにかく、この事は僕と翠君だけの秘密。翠君は何も見なかった事にしてね」
瑞希はそう言いながら立ち上がった。足が痛いのか、少しよろけた。
「本番明後日ですよ。伊吹さんに相談した方が良くないですか?」
その瞬間、瑞希はギロっと翠を睨み付ける。
「この事、伊吹に絶対言うなよ」
いつもは想像つかないような低い声だ。翠の背中を冷や汗が伝う。
「どうして……」
だが、すぐにいつものにっこりとした優しい笑顔に戻る。
「心配かけたくないしねぇ。そんなに痛くないから大丈夫だよ。今回は翠君に免じて? 報復とか怖い事もしないって約束するし。
だーいじょうぶ! 心配しないでね。じゃあね~」
と、普通に立ち上がって走ってその場から立ち去ったのだった。その後ろ姿を見つめながら翠は呟いた。
「大丈夫かなぁ……」
その翌日。土曜日は授業がなく、夜のSMショーの練習もない。
伊吹をデートに誘いたいが、授業の後に乱交パーティーの準備等で忙しいので土曜は会えないのだ。
当然、出禁となっている翠が乱交パーティーに関われる筈もなく、暇潰しに街をうろついていた。
翠が住んでいるアパート周辺は、閑静な落ち着いた住宅街だ。
大学へはそこからバスで通っており、大学からラブピーチまで徒歩三十分程度だ。
大学がない日中は住宅地から駅まで続いている商店街でブラブラと散歩しているのだが、裏路地を歩いていると開店前の飲み屋の前で会話が聞こえてきた。
「ミズキちゃん、足どうしたの?」
「ちょっと転んじゃって……」
「あんまり無理しちゃだめよ~」
「うん! 大丈夫~」
ミズキという呼び名に瑞希を想像した翠は足を止めてみると、オカマと思われる女性服姿の細身の男性と瑞希が立ち話をしていた。
「明日はSMショーなんでしょ? 今日は安静にしなきゃ。私も見に行くんだからァ」
「楽しみにしててね。翠君すっごく可愛くてイジメがいあるんだ~」
「翠君ね。前にやったルール違反者の制裁SMショーで見たわ。気骨のあるカッコイイ子よねぇ。
あんな子がドS二人にいじめられちゃうなんて、今から興奮しちゃうわ」
「あはは~、一人は最悪のドMなんですけどね」
「伊吹君は自殺願望あるからねぇ、Sになってる方が安全よぉ」
昼間から何の話だと、塀の陰に隠れて二人の会話を盗み聞きしていたのだが。
「ねぇ、そこで盗み聞きしてるの誰?」
──と瑞希が、翠が隠れている所を向いてきた。翠は観念して二人の前に姿を現した。
「すみません、瑞希さん」
「なぁんだ。翠君、盗み聞きは良くないよ~? まぁ僕達の仲だから許してあげるね」
瑞希はニコッといつものように安心させるようや笑顔を翠に向けた。
「あらぁあなたが翠君ね、瑞希ちゃんってば明日本番なのに足くじいたんですって」
言われて瑞希の右足を見ると、普通に靴を履いているものの、包帯が巻かれていた。
「瑞希さん、明日無理じゃないですか?」
「無理でもやるの。いい? 伊吹に言ったら……」
やはり瑞希の目は昨日の夜のように、ギロリと睨んできた。その様子が非捕食者が捕食者を前に緊張しているように見えた。
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