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一話 愛する彼氏
しおりを挟む雑多なビルが立ち並ぶ、とある歓楽街。その店は隠れる様にして存在している。
二階建てのゲームセンターと飲み屋が何店舗か入っている五階建ての総合ビルの間、人一人が通れる隙間には地下へと降りる階段があった。
階段は少し薄暗い。天井の豆電球一つと、店舗からの電灯のお陰で空間を視認出来るレベルだ。
一番下まで降りると、すぐに木の扉。
顔の位置がはめごろしのガラス窓となっているので、店内の様子は窺える。
彼は、ガチャ……と扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
店内にはバーテンダーが一人と、客が疎らにいる。バーに七席、テーブル席が六席程の狭い空間だ。
落ち着いた雰囲気の薄暗いオレンジ色の電灯と、ヒーリングミュージックに心を落ち着かせ、彼は迷わずバーテンダーの前に座った。
バーテンダーは、若い男だ。ダークブラウンの髪は涼しげにふわふわしていて、温かみを感じさせる。
カクテルを作る動作には無駄がなく、優雅だ。テーブル席の客にカクテルを置きに行き、戻ってきたタイミングで彼は注文した。
「俺、ギムレットね」
「はいはい」
バーテンダーは苦笑しながら作り始めた。カクテルグラスとシェイカーを出し、砂時計のような形のメジャーカップにジンを入れ、シェイカーに注ぎ、ライムジュースを取り出した。
「なんだよ冷たいな」
彼が口を尖らせる。
「諭、バイト見つかったの?」
「いや、まだ」
「飲んでる場合?」
「なんだよ。わざわざ会いに来たんだろぉ?」
「家でも会えるのに」
「陽翔がバーテンやってるところ好きだから、店がいいの」
彼が言うと、バーテンダーは頬を染めて無言になった。満更でもないようだ。「好き」の単語に反応したのは明らかだ。
彼、朝井諭はバーテンである櫻陽翔と恋人同士だ。同棲している。
陽翔はシェイカーを両手で持ち、上下にリズミカルに振る。諭はこの姿を見るのが好きだ。
シェイカーからグラスを注ぎ、諭の前に差し出した。
「はい、ギムレット」
「ありがと」
その後すぐに陽翔は他の客に声を掛けられて、会話を始めた。子供のような邪念の一切ない笑顔の陽翔。
諭は彼のそんな姿を眺めていた。
「相変わらず櫻が好きなんだな」
バーの中から諭に話しかけてきたのは、店長である森川だ。このバーの店長であり、諭の従兄だ。
三十代後半で、落ち着いた雰囲気の男性だ。穏やかな笑みに、心地良い声質。見た者を安心させる。
客からの人気は高い。
「そりゃあそうだよ! 初めて出会ったんだ。天使のような愛らしい笑顔、女神のような優しい心、サキュバスのように俺を魅了してやまないエロい身体。
俺は陽翔の全てが好き。本気で愛してる」
「でも、諭って浮気性でしょ?」
「陽翔への愛があれば浮気なんてしようとも思わないよ。そりゃあ老若男女、相手が人間なら誰とでも寝れるし。
今まではよく浮気しては殴られたり、泣かれたりして長続きしてなかったけどさ。
もう三ヶ月だよ。陽翔と付き合って。他の人間が目に入らなったね。
陽翔が本物の愛っていうのを俺に教えてくれたんだ!」
「それならいいんだけどさ。うちの櫻が悲しむようなら、俺が守らなきゃな~なんて思ってたから」
「絶対ないね!」
諭の声は大きく、周りに聞こえている。客達は聞く度に陽翔を見ては、奇異の目を向けた。
事情を知っている常連客はクスクスと笑っているが、知らない者は驚いている。
勿論それは本人にも聞こえており、顔を赤くして恥ずかしそうに諭を叱る。
「もう、諭! それ飲んだら帰ってよ! こんなところでそんな話するなんて!」
「俺の彼氏、怒っても可愛いんだよな」
「諭!」
顔を膨らませているが全く怖くない。陽翔は声も柔らかく、本気で怒れない性格という事もあり、昔から舐められる事が多かった。
陽翔自身、自覚している為あまり怒る事もない。なので諭と喧嘩した事は一度もない。
陽翔の怒りの限界に達する前に、諭は席を立った。愛する彼氏に嫌われたくないのが一番大きい理由だ。
「分かったよ。じゃあ家で待ってるな」
諭は会計をした後に、陽翔に投げキスをして家へと帰った。バーから家までは歩いて二十分だ。歓楽街を過ぎて、暗い道路を越えると、住宅街だ。
諭と陽翔が共に住んでいるのは、住宅街に並ぶように建っている二階建てのアパートである。少し古さは感じるものの、室内は広めで1DKでも余裕で二人暮しが出来る。
陽翔が社会人になったタイミングで家を出て、職場近くを選んで一人暮らしを始めたのだが、付き合ってから諭が転がり込んだ。
諭が通っている大学に近いので、家賃節約の為に陽翔との同棲は都合が良かった。
陽翔の仕事が終わるのは深夜一時だ。諭は陽翔の為に夜ご飯を作る。店のまかないもあるのだが、仕事から帰ってきたら疲れているだろうから、と軽食を用意している。
そして、寝る前にお風呂を沸かして風呂フタを被せて先に眠る。もし冷めてしまっても追い炊きすればいいように。
寂しさは勿論ある。朝起きれば陽翔はいるが、眠っている彼を起こさないように起き上がり、朝ご飯を作って、大学に登校するのだ。
会える時間といえば、陽翔がバーで働いている時に客として店に入る時間だけである。
陽翔の休日は不定期で、学生の諭とは合わない事が多い。
「陽翔……お休み」
誰にも聞こえない就寝の挨拶をポツリと呟いて目を瞑った。
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