離宮の愛人

眠りん

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三章

二十二話

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 フリードはじっとイリーナを見つめた。今頭の中に巡っているのは、彼女が何故フリードにその話をしてきたのか? である。
 そういう内容であれば、ウェルディスに直接言えば良いだろう。フリードに言ったところで、ウェルディスやサマエルからの指示がなければ動くことすら出来ない。

 そんなフリードの考えはすぐにイリーナに見抜かれた。

「何故、フリードにこの話をしたのか、気にされてますね?」

「はい」

「それは、わたくしの話を最後まで聞いていただけたら分かります。
 私は神のお告げの事を陛下にお話しました。すると、陛下は最近、クレイルから脅迫を受けていると仰ったのです」

「クレイルから……まぁ予想はつきますが。私の事ですか?」

「はい。ヘイリアでクレイルの元スパイだったフリードが、陛下の愛人になった事は、既にクレイルの大公に伝わっています」

「前ルブロスティン公爵がクレイルと繋がっていましたからね。いずれはそうなると思っていましたが……」

 数日前、ウェルディスの様子がおかしかった事を思い出す。
 アグリルを護衛にしたいと頼んだ時、「僕がフリードを守れたら」と言っていた。

(もしかしたらウェルの奴、かなり前から脅迫受けてたんじゃねぇの?)

 フリードは少し考え込み、イリーナに問いかけた。

「大方、クレイルの大公が私を返すよう言ってるんでしょう?それとも私を殺せ、ですか?」

「そうです。返すか、返せないなら公開処刑をするようにと言ってきております。
 陛下は何度も拒否しておりました。クレイルはヘイリアの属国ですもの、従う必要はありませんから。
 ですが、どうやってか知りませんが、クレイルはルーベリアと手を組んだようで。
 要求を飲めないなら、クレイルとルーベリア、同時に攻め込むと……」

「ルーベリアと手を組めば、ヘイリアを滅ぼすのも現実的となってくるわけですか」

「ええ、クレイルも後には引けないでしょうね」

 だとすると、現在、ヘイリア帝国は未曾有の危機に瀕している事になる。
 クレイル公国だけなら敵ではなかったが、ルーベリア帝国はヘイリア帝国よりも国力は上だ。

 両国が同時に攻めてきたら、ヘイリア帝国は無事では済まないだろう。
 ルーベリア帝国という大きな後ろ盾を得たクレイル公国は、下手したらもうヘイリア帝国に従う必要がなくなってしまう。

 フリードはクレイル大公の目的を知っていた。
 ヘイリア帝国とクレイル公国を一つの国にして、クレイル大公が皇帝の座につく事だ。

 今回の事で、大公の望みが叶ってしまうかもしれない。
 だが、イリーナの前でそれを言うのをためらい、別の内容を口に出した。

「普通なら、ルーベリアがヘイリアに戦争を引き起こすなんて有り得ない事です。自分の娘を送った国に戦争仕掛ける事になりますから。
 ですが、さっきの話で納得しました。
 ルーベリア皇帝は、イリーナがどうなろうと関係ないという事なのでしょうね」

「そうですね。私は実子として認められていませんでしたから。
 だから堂々とヘイリアを攻めようとしているのです」

 イリーナは悔しげに唇を噛んだ。フリードにはこの状態を解決する糸口があったので、イリーナに話した。

「この状況を打破する策を思いつきました。
 私はクレイルに帰り、大公を説得しましょう。それなら大公も戦争まではしないでしょうし、陛下も俺がいるクレイルに温情を下さるかもしれません。
 このままの平和が保たれるかと思います。
 私は大公陛下にも気に入られていましたし、問題ありません」

 フリードは堂々と嘘をついた。自信のある演技をすれば、イリーナも騙せるだろうと思ったのだ。
 実際のところクレイルに帰れば待っているのは死だ。
 ヘイリア帝国で受けた拷問よりも酷い目に遭わされ、情報を全て吐いてから殺されるのは確実だ。

 クレイル大公が、一度逃げ出したスパイに帰る居場所を与えるわけがない。
 それは覚悟の上だ。フリードは何も喋らずに死ぬ自信がある。

「それも無理でしょうね。フリードがここにいられるのは、クレイルの極秘情報とヘイリアの極秘情報を全て知ってしまっているからです。
 クレイルに返す事は、大臣達や、名だたる貴族の面々が許しませんよ」

「それなら公開処刑をすればいいですよ。簡単な話です」

「そんな事、陛下が許すとお思いですか?」

「なら自害しましょう。私はもう棄教しております。信仰を放棄しているので、自害を禁ずる教えも関係ありません。
 死体をクレイル大公に送り返せば、ヘイリアの平和は守られます。
 ご安心を、死ぬ場所はなるべく迷惑のかからない場所を選びます」

 フリードは、再度後ろから圧を感じたが、一切無視して話を進める。
 だが、肝心のイリーナが困惑した様子で、フリードの話を止めた。

「まぁまぁ、落ち着いてください。フリードが陛下思いである事はとても良い事なのですが、自分を蔑ろにし過ぎです」

「そうですか? 私にとっては当然の事です」

「いいえ。それは、とても悲しい事です。フリードは今まで人に与え続けていますよね。
 クレイルでは大公に、ヘイリアでは陛下に──。それではフリードの心は貧しくなる一方です」

 イリーナの言葉の意味が分からず、フリードは口を噤んだ。
 心が貧しくなったからなんだというのか。これから死ぬ身だ。イリーナには関係ない話だろう。

 だが、フリードの内心を知ってか、イリーナは続ける。

「フリードは、陛下から何かを与えてもらう事を、悪い事だと思っていませんか?
 自分自身を価値のない人間だと思っていませんか?」

「ええ、私は陛下の臣下ですから。
 陛下は私を救って下さいました。陛下の為に全てを捧げるのは、当然の事。
 私自身に価値などありません」

「価値のない生き物など、この世に存在しません。
 フリードは他人の事になると、自分の事のように考えてくれますが、自分に無頓着過ぎると思います。
 あなたが人の為を思って行動出来るのは、あなたに心があるからなんですよ?」

 イリーナの言葉にフリードは黙った。

(ウェルと出会って俺は変わった。今俺が自分で考えて行動出来るのは、俺自身の意思があるからだ。
 ウェルディスの愛人だから、相応しい人間にならなければと常に考えて行動しているが、それは自分を蔑ろにしている事と変わらないのか──?)

 フリードが反応出来ずにいると、イリーナは再度問いかけた。

「フリードの本当の心はどう思っていますか? 陛下の為に死ぬのがあなたの望みですか?」

「俺は……」

 答えられない。ウェルディスは心を持たない道具だった『フレッサ』を変え、『フリード』として生まれ変わらせてくれた。

 フリードになってからは、自分の気持ちに正直に振る舞うようになった。
 ウェルディスに甘えもするし、我儘を言う事もある。

 だが、肝心な時は、全てをウェルディス第一に考え、自分を犠牲にするのは厭わない。
 それが幸せな事だと思おうとしていた。

(俺は、本当の俺は、ウェルの為に死ぬ事をどう思ってるんだ……?)

「フリードが死んだら私が嫌です! ねぇ、アグリル卿もそう思いますよね?」

 イリーナなアグリルに話を振ると、

「もちろんであります!」

 とアグリルは叫ぶような大声で言った。

「今、フリードはまだ自分の本心が分からないんだと思います。ですから、フリードがどうしたいのか決まるまで、私の故郷に身を隠して下さい」

「え……?」

「私から大臣の皆様には話してあります。サマエルの誰かに同行してもらうと説明して、ようやく納得していただきました。
 フリードはそこで、自分の心と向き合って下さい。
 サマエルには戦争を阻止する為の任務が与えられる事になっています。戦争が始まるまで約三ヶ月。死ぬか生きるか決めて下さい」

 イリーナは厳しい目をフリードに向けた。
 本来、ウェルディスから聞くであろう話だが、イリーナが自分の意思でフリードに直接話したいと、ウェルディスに申し出たのだろう。

 そんなイリーナの真剣な態様に、その提案を断る理由が見付からなかった。

「かしこまりました。皇后陛下の仰せのままに」

 フリードは立ち上がって敬礼をした。顔を上げると、イリーナは優しく微笑んでいた。





 フリードとアグリルがいなくなった応接室に、イリーナと侍女のレオナの二人が残った。
 レオナはルーベリアの城にいた頃からの付き合いだ。
 イリーナよりも五歳程年上の大人の女性で、かなりの美人だ。イリーナは密かに嫉妬していた。

 ルーベリアの城に、レオナの双子の姉を残しており、姉からルーベリアの情報が定期的に送られてくる。
 なので、イリーナがヘイリア帝国に来て以降の、ルーベリア帝国の動向は、サマエルのボスよりも詳しいのだ。

 クレイル大公がお忍びでルーベリアの城にやってきた事や、ルーベリア皇帝がウェルディスを目の敵にしている事など。
 そして、ヘイリア帝国に攻め込む日時の予定まで知らされていた。

 イリーナが動かないでいると、今までただの一言も声を発しなかったレオナが、

「陛下、あの事は伝えなくて宜しかったのですか?」

 と、無感情に問い掛けてきた。イリーナは溜息をついて、

「どうしても言えなかったよ。仕方ないよね、フリードがあそこまで自分を道具として見てるなんて思わなかったから。
 きっと私の村に行けば、考えも変わると思う。彼に足りないのは心の豊かさ。

 陛下からの愛しか知らないだろうから、他人からの無償の愛を受けるべき。
 村にはフリードに優しくしてって伝えてあるから、大丈夫だと思う。
 本当は、一つ任務を頼みたかったのだけれど……」

「そうですね。村で身を潜めて下さいと言っているのに、そのついでに首都に行って起こっている不可解な事件を解決して欲しいなんて、普通言えませんよ」

 レオナはやれやれと呆れた様子だ。

「そうよね。本当はどさくさに紛れて頼んでしまおうかとも思ったんだけど、言わなくて良かった……のかなぁ?」

「そうですとも。その件はルーベリアで解決するでしょうから。フリード様に頼むのはお門違いというものです。
 ご自身が皇后という立場だからと、職権乱用はいけません」

「そうよね。でも、フリードなら頼めば受けてくれると思うの。
 冷たそうに見えて優しい人だから」

「その優しさにつけ込んで、厄介事に巻き込むのはどうかと思いますよ」

 イリーナはレオナからの賛同が欲しかった。遠回しに、やっぱり今からフリードに頼もうかな? と言っているのだが、レオナは否定的だ。

「もう、レオナは私とフリード、どっちの味方なのよ?」

「もちろん……皇后陛下でございます」

 ニコッと笑みを浮かべるレオナ。その真意は計り知れない。
 唯一、レオナとその姉だけは、表情や動作で感情を読み取れない相手だ。

「本当にー?」

 イリーナは頬を膨らませた。そして、レオナの言う通り、その後もフリードに頼み事はしなかった。
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