離宮の愛人

眠りん

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三章

十話

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 イグナートは一ヶ月の謹慎を終え、既に夏休みを明けたウェストテリア学院に戻ってきた。
 今までは新学期に、学院の門でルベルトと待ち合わせをし、一緒に寮に戻っていた。

(これからは一人……か)

 寮へ入ると、共同生活をしている他の生徒たちがイグナートに注目した。
 いつもなら公爵家の次男である彼に擦り寄る者は多く、ご機嫌伺いにおべっかを使いに寄ってきたのだが、もう近寄ろうとする者は誰一人いなかった。

 一緒にルベルトをいじめていた者二人もそうだ。気まずそうに、視線を合わせず遠ざかって行った。
 それはそうか、とイグナートは納得した。

 父親の罪が明らかになり、同時にルベルトにしてしまった罪も明らかになった。
 今はルベルトに同情する声が多い。兄、アナスタが「ルベルトの罪を軽減させる為の署名」まで行っているのだから、イグナートへの非難の声は大きいものだ。

 誰とも絡まないように過ごしていたが、学院で過ごしているだけで自分への悪い噂話は、自然と耳に入ってしまう。

「ルベルト様を虐める為にわざわざ引き取ったんだって」

「男娼扱いしてたらしい。侯爵様の息子によくそんな事出来たよなぁ、さすが公爵令息様だよな」

「いくら母親を殺した息子だからって、そこまでするか? しかも殺人事件の黒幕は自分の父親だって……」

 たまたま聞いてしまった話だが、それだけ噂が広まっているという事だ。
 今はこの話題で持ち切りだ。

(もしこの者達の中にルベルトがいたとしたら、話に興味すら持たなかったんだろうな)

 ルベルトはいつもそうだった。皇帝の醜聞が出回った時も、あまり興味なさそうに話題をすり替えていた。

(思えば、俺がルベルトに惹かれるようになった時もそうだったな……)

 幼少期の事だ。イグナートと同世代のある伯爵令嬢が、礼儀作法を教えても上手く出来ず、勉学も身につかず、周りの令嬢達とも上手く人間関係を築けなかった事があった。

 周囲の者達は、そんな令嬢を見下し、劣等生だと嘲笑っていた。彼女が近付こうとすると「あなたに私達の話が理解出来ると思えないわ」と嫌味を言う者もいた。

 誰もが彼女の悪口を言った。イグナートも不快に感じながらも「あぁそうだな」と頷いていた。
 だが、ルベルトだけは……。

「それよりさぁ、パーティーで出てくる料理が気になりませんか? 皆さんの好物ってなんですか?」

 と、言い始めたのだ。
 それで伯爵令嬢が周りに溶け込めたかというと、そうではなかったが、ルベルトが別の話題を出すから段々と彼女への悪口の回数は減っていった。
 きっと、彼女は少しは救われただろう。

(あれから、俺は人の悪口が嫌いになったんだっけ。ルベルトの考え方に近付きたくて)

 ルベルトはイグナートを「正義感が強い」と言うが、それは間違いだ。
 ルベルトに認められたくて、正義感が強いように振舞っていただけだった。それを今まで忘れていた。

(フリードさんと出会わなければ、きっと忘れたままだったかもしれない)

 大事にしていた親友にしてしまった罪を認め、他者からの悪意ある視線も受け入れ、イグナートは一人で過ごすようになった。
 二人で過ごした場所に行っては、彼との思い出に浸った。

(ルベルト……会いたい)


 それから数ヶ月が経った。二期の試験も終わり、一ヶ月の長期休暇となった。
 殆どの生徒は、この休暇中に卒業後の進路を決める。殆どの者は既に決まっているので、最終確認みたいなものだ。

 結婚をする者、皇城や他の貴族の家に仕える者、騎士を目指す者は訓練学校に進む事になり、家業を継ぐ者もいる。

 イグナートも、騎士の訓練学校に進む事が決まっていた。本来ならば、ルベルトも一緒に進む筈だった。
 ──だが。


 イグナートは自宅へ帰るとすぐに、兄、アナスタと話をした。
 今、アナスタは帝国騎士団の第七隊長だ。いずれは、陞爵しょうしゃくしたダーズリン侯爵の後に帝国騎士団の総長になるだろうと期待されている。

「お兄様、俺、訓練学校には進まない事に決めました」

「……そうか」

 アナスタは静かに頷いた。
 反対されるものだと思っていただけに、拍子抜けだ。ルブロスティン公爵家は代々、男子は全員騎士となっている。
 今はいないが、過去には皇帝を護る近衛兵の中にも、ルブロスティン公爵家出身の者が何人もいた。

「反対されないのですね?」

「イグ、お前は行かない事に決めたと言ったな? 人が決断した事を、俺が止めても意味がないだろ。
 幸い、イグは次男だしな。もし俺が死んだら公爵家を継いでもらうが、そうならない限りは自由にすればいいさ」

「ありがとうございます」

「学校には行かず、どうするつもりだ?」

「それは──」





 フリードは任務を終えてから、離宮にこもるようになった。暗殺依頼も済み、サーシュ侯爵も爵位が戻った。
 とりあえずだが、フリードの仕事は終わったのだ。

 あれから毎日、夜になるとウェルディスが離宮へやってきて、イチャイチャと熱い夜を過ごしている。
 平和で、事件などは一切起こらない。
 時折、裏警察にルブロスティン公爵とクレイル公国の密書が見つかったかどうか確認していたが、公爵の別荘を全て見ても見つからなかったそうだ。
 読んだらすぐに燃やしていたのだろう。これで皇帝暗殺計画の捜査は一旦打ち切りとなった。

 やる事がなくなってしまった。
 スパイの時の癖で、離宮で働く者達の個人情報を得ようと、話すようになった。
 そのお陰か、殆どの者と打ち解けて仲良くなった。
 談笑しながら掃除をしたり、料理は苦手なのでシェフに教わりながら下ごしらえを手伝ったり、庭師に教わりながら庭の手入れをするようになった。

 最初こそ「フリード様! そのような事をされては……!」と止められたが、ウェルディスのお陰で、使用人全員が受け入れざるを得なくなった。

「フリードがしたいなら使用人と働くといい。
 僕に君を止められる筈もないし、ここはフリードの離宮だ。決定権は君にあるよ」

 と、使用人達の前でフリードに優しく言ったのだ。フリードは愛人である事を利用し、使用人全員にお願いをした。

「今後、俺が手伝う時は受け入れるようにして欲しい。邪魔だったらその時は手を出さないから言って欲しい」

 そう言ったところで、誰がフリードに邪魔だと言えるだろうか。
 お陰で出来る事の範囲が広がった。今後のスパイ活動も幅が広がる事だろう。

 そんな折、イグナートから手紙が届いた。学院では孤立した事、元気で生活している事、もうそろそろ卒業が迫っているという事。
 フリードはすぐに返信をした。離宮に招待する、と──。


 その三日後にイグナートはやってきた。

「お久しぶりです、フリード兄様! お、お美しいですね!?」

 会うやいなや、フリードの姿を見て目を丸くした。
 今までは使用人の服だったが、今は皇帝の愛人らしく、豪華ではないが、デザイン性のある上質な服とジャケットを身にまとっている。
 元々の美しいと言われる顔の造形も相まって、身分が高い人物にしか見えない。

「イグナートも、前より逞しくなったな。若いと成長が早くて見ていて清々しいよ」

「フリード兄様と俺、歳そんなに変わらないですよね?」

「そんな事ないと思うよ。まぁそんな事はどうでもいい。庭にテーブルと椅子を用意したんだ。
 茶会でもしようか」

「はい!」

 フリードはイグナートを連れて、中庭へと連れて行った。周りは庭師に教えてもらいながら育てている花々が並び、目を喜ばせてくれる。
 まるでここだけ時間が止まってしまったかのような別世界だ。

 中央に白い丸テーブルがあり、椅子が二つ向かい合うように置かれている。
 椅子に座ると、イグナートが目を細めて感服していた。

「綺麗ですね……」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも正門近くの庭に比べればまだまだ」

「まさか……フリード兄様が植えたのですか?」

「ああ。綺麗だと思って貰えたなら、それは庭師の教え方が上手いという事だ」

 フリードはうんうんと頷いた。彼を雇ったのはウェルディスだ。
 再度心の中でウェルディスと庭師に感謝をする。

「へぇ、皇族なのに珍しいですね」

「元は平民だよ」

「実はただの平民じゃないですよね? 裏警察をまとめていたわけですし」

「ふふ。どうだろうね? 俺はその時その時で、大事だと思える人の為になる事がしたいだけ」

「じゃあもしかして、庭いじりも、陛下の為ですか?」

「ああ。直接的には関係ないかもしれないけれど、巡り巡って陛下の役に立つかもしれない」

 フリードが言うと、イグナートは子供のようにしおらしくなり、俯いてしまった。
 静かになったタイミングを図って、侍女がお茶と菓子をテーブルに置いた。

「イグナート?」

「フリード兄様が羨ましいです。俺はもうルベルトに何もしてやれないですから」

 フリードは答えられなかった。
 無理に話をすり替えようとするが……。

「……学院生活は? 孤立してるって書いてたな、辛いだろう? 大丈夫か?」

「はい。自分でしてしまった事ですから。俺、ルベルトにした事を本当に後悔しています。
 その為に、ルベルトを探したいと思ってるんです」

 イグナートの目は真剣そのもので、フリードは何も言えずに、ただ彼を見つめた。
 そして、続けた。

「俺、ルベルトにきちんと訴えてもらいたいんです」
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