離宮の愛人

眠りん

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三章

九話

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「マルガルタ。そなたは自身の欲望を優先するあまり、前公爵の甘言に惑わされ、帝国では重罪となる姦通をしたと聞く。
 これに偽りはないな?」

 ウェルディスの問いに、マルガルタは口を震わせていた。
 普段温厚で優しいウェルディスだが、公の場では厳しい面も見せる。何度か見た事のあるフリードでさえ緊張感に身体が強ばっている。
 前を見ると、アナスタも顔色を悪くしていた。恐怖というより畏怖の念を感じさせる。

 マルガルタはただ頷けばいいだけだ。だが、今にも違った事を言いたそうに口を開こうとしている。

(マルガルタ嬢、頷くんだ。ここでもし自分可愛さに否定などしたら、ウェルが処刑せざるを得なくなる)

 フリードは頷くよう目で訴える。対照的に、隣に座るボスは怠そうにボーッとしているが。

「は……はい。ですが……」

「言い訳は無用だ。マルガルタ、そなたは前公爵と密会し、不貞を働いた。その事実のみで判断する」

「申し訳ありません。偽りはありません」

 フリードの心配は杞憂に終わった。何か言いたくても言えない。言わせない雰囲気がある。
 マルガルタは言い終えると俯いた。怯えているのだろう、カタカタと震えている。
 裏裁判とはいえ、裁判である事には変わらない。アナスタが手を挙げ、ウェルディスが許可する。

「マルガルタさん。あなたは、前ルブロスティン公爵から『近々妻が亡くなるから、その後で結婚しよう。裕福な暮らしをさせてやる』と言われたそうですね?」

「は、はい。そう言われました」

「それを受け入れたのは何故ですか?」

「父が、私を適当な貴族の男性と結婚させようとしたからですわ。私……父が紹介する男性、どの方も気に入らなかったんです。
 どうにか逃れようと思っていた時に、前公爵様から誘われて、受け入れました」

「公爵夫人が亡くなる事を知っていたのに、殺された時黙っていたんですね?」

「申し訳ありません。自分を守るあまり、事の重大さに気付いておりませんでした」

「そうですか。私としては、陛下に死刑を求刑したいところです」

 アナスタは溜息を吐きながら言った。マルガルタは更に怯え、両手で自分の身体を抱くように、自身の両腕を掴んだ。

「弁護人の意見はどうでしょう?」

 アナスタがフリードに視線を向けた。フリードはウェルディスに発言の許可をもらい、マルガルタに優しく話しかけた。

「マルガルタさん。こちらでも調べたところ、あなたのお父上が結婚をさせようとリストに上げていた貴族の男性達は、あなたの見立て通りろくでもない人物でした。
 貴族とは名ばかりで、家督を継がない末っ子が多く、仕事も適当にこなして飲み歩くような者です」

「そうですわ。女性なら誰だってそんな方と結婚したくありません。でも、私は女で、父に逆らえない弱い立場です。
 どんな悪魔の誘いだって、そこから逃れられるなら乗ってしまうでしょう?」

「……お父上は、一代で今の大商人の地位を築き上げました。成功をする為には普通のやり方は通用しないでしょう。
 貴族に取り入り、彼らに甘い汁を吸わせながら、自分も儲けて規模を拡大させたのですよ。
 そして、成功の裏で交わされた密約がありましてね」

 マルガルタを司法局へ連れて行った後、カーラッカ家当主に挨拶に戻ったフリードは、全てを話した。
 そして、このままではマルガルタが死刑になるだろうという事も。

 カーラッカは全てを話したのだ。娘にすら話していなかった重要な事実を……。

 マルガルタは察したのだろう。

「まさか……?」

「そうです。マルガルタさん、あなたは幼少期から結婚が決まっていました。カーラッカ家に生まれた女性は全員です。
 妹君が三人いますね? 全員、お父様が決めた相手と結婚する契約になっていますよ」

「そんな!お兄様達は、成人すると家を出て自分で商売を始めていましたが……まさか裏でそんな話になっていたなんて」

「よくある話です。そんなあなたの状態を知った前にルブロスティン公爵があなたを狙ったのでしょう。
 若いだけではなく、見た目も美しい。貴族に憧れていながら、貴族のように育てられた女性ですから、前公爵にとって都合が良かったと思いますよ」

 マルガルタは裕福な家で、甘やかされて育った。
 きちんとした教育を受けていれば、知らないわけがないのだ。この国では人身売買のように女性が望まない男性と結婚させられる事があると──。

 前公爵はマルガルタのそういった無知な一面を利用しようとしたのだ。亡き公爵夫人のように聡明な人物ではなく、利用しやすい世間知らずなお嬢様が必要だったのだ。自分の欲望の為に。

「酷い……酷いわ」

 マルガルタは泣き出してしまった。

「陛下、彼女は成人と言えど未熟です。世間を知らず、簡単に人の言葉に騙されてしまう子供と同じなのです。
 知らない事は悪ですが、彼女だけの責任と言えるでしょうか?
 何も知らない方が利用しやすいと、甘やかされて育てられ、望まない結婚を強いられようとしていました。
 今回の不倫の件は、彼女が物事の分別が出来ていれば起こらなかった事でしょう。
 それに、彼女のお陰でルブロスティン公爵家とサーシュ侯爵家の事件解決を早く進めることが出来た事もまた事実。
 穏便な判決を下される事を願います」

 ウェルディスは厳しい顔でフリードを見つめた。今は恋人同士ではなく、皇帝と弁護士という立場だ。
 フリードの言葉を愛人が願い出たおねだりではなく、あくまでも弁護士の弁論と捉えて判断を下さなければならない。

 アナスタとフリードのマルガルタとの答弁は続き、ウェルディスは結論を出した。

「被告を、有罪とする。司法取引があった事を鑑みても、通常であれば死刑を免れない重罪である。
 よって無罪にする事は出来ない。だが、彼女の不遇な立場も考慮し……半年間自宅で謹慎するように」

 マルガルタは涙を浮かべた。その感情は歓びか、それとも後悔か。
 死刑にならなかった事を安堵しているのは確かだろう。


 裁判が終わって、マルガルタは牢屋へと移された。判決が下されたからすぐに帰されるわけではない。全ては事務処理等が終わってからだ。
 フリードはマルガルタと自由に話せるチャンスだと、牢屋まで会いに行った。鉄格子ごしでの対面だ。
 彼女は汚く質素なワンピースを着ており、顔色はあまり良くない。

「フリード様。ありがとうございました。今回の件で目が覚めました」

「辛いだろうが、半年の間は大人しくしているといい。謹慎が終わったら、城まで俺を訪ねてきて欲しい。
 マルガルタさんが来たら離宮に通すよう言っておくから」

「今度は何のご用ですの?」

「裁判をするだろう? 父親が見合いを勧めてきた貴族の男とは結婚しないと。
 精神的苦痛で慰謝料請求するんだ」

 フリードが自信ありげに言うと、マルガルタは吹き出して笑った。

「ふふっ。でも、言ったでしょう? 私、お金持ってないんですのよ」

「大丈夫。成功報酬として後払いでいい。慰謝料請求した内の三割をもらう形でいいか?」

「それで良いんですの? 大した額にならないと思いますけれど」

 ヘイリア帝国では弁護士に依頼する際、前金として多額のお金を払わなければならない。
 成功した際は、成功報酬として更に料金を支払う事になる。
 だから庶民が弁護士に依頼をするのはハードルが高い為、自分で法律を勉強して弁護士なしで裁判に臨む事がよくあるが……。
 フリードはそもそもヘイリア帝国の弁護士ではないから、関係ない話だ。

「ヘイリア帝国に住む人達は、みな皇帝陛下の子供達だと聞いた」

「……え? えぇ、そういう言い方もしますわね。皇帝は国父であると。だから私達国民は、皇帝陛下を敬い、陛下は私達を見守っておられるのだと」

 帝国民であれば子供の頃に学校で習う。常識的な考え方で、その考えがあるからこそ、皇帝への敬意を忘れる事はない。

「ヘイリア帝国ではそういう考え方があるんだと俺は最初驚いた。
 俺の祖国を治める大公陛下は、国民を使える人間かそうでないかで判断していたから…」

「まぁ、酷い大公様ですね。国民あってこその国ですのに」

「まぁヘイリア帝国がそういう考えに変わったのも、ここ最近の話だが。
 利用されるだけの道具だった俺を、皇帝陛下が変えてくれたんだ。
 帝国民は陛下の子供なんだろう? それなら、困っている者が目の前にいたら助けるのは当然の事。
 無料で安請け合いをすると、責任がなくなってしまうから、成功報酬の三割で良いと言った」

「うーん。有難いお話ですが、前科がある私と結婚したい男性なんていない筈だから、裁判も弁護士も必要ないと思いますわ」

「いや。非公開の裏裁判だから、厳密には君は犯罪者扱いにはならない。君がやりたい様に生きていいんだよ」

「本当ですの? 私……大罪を犯してしまったのに」

 マルガルタの目には涙があふれて、今にもこぼれ落ちそうだ。フリードはハンカチを彼女に渡した。

「ありがとう、フリードさん。謹慎が明けたら、きっと連絡させていただきますわ」

 逮捕されてからずっと暗かったマルガルタは、久しぶりに笑顔を見せた。初めて会った時のような幼い笑顔ではなく、大人の女性としての魅力を兼ね備えたものだった。
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