離宮の愛人

眠りん

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二章

十六話

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 まだ星が煌々と輝く深夜にルブロスティン公爵家に到着したフリードは、裏口の扉に立っていた。
 扉の両端には警備兵が二人立っており、厳つい目でフリードに視線を向けた。
 フリードは、下男としておかしくないようにと、一般市民が着る荒い素材の生地の服を身に付けている。

「初めまして。使用人として参りましたフリードと申します。ここで待たせていただきますね」

 フリードが言うが、警備兵は二人とも無言のままだ。
 立ってしばらくして、執事が扉を開いた。
 老齢の男だ。グレーの髪に、口髭を生やしている。金縁のモノクルに執事服、礼儀正しい物腰は正しく公爵家の執事であると納得させるものがある。
 彼はフリードの顔を見ると、驚いたように口を開いた。

「お早いお着きですね!?」

「ええ」

 仕事開始は日の入りの刻だが、今は深夜である。
 何故なら、本当に日の入りの刻になってからたどり着こうものなら、礼儀もなっていない上に、やる気もないという評価をされるからだ。

 ヘイリアの貴族に仕える執事は、使用人が来るまでに四度裏口の扉を開く風習がある。一度目はいなくて当たり前、二度目にいたら合格、三度目は及第点、四度目は落第点だ。

 それで仕事へのやる気を図っているのだ。落第判定されてしまうと仕事がやりづらくなり、仕事で信頼を取り戻すのに下手したら十数年かかってしまう。出世街道から外れてしまうのだ。
 一度目に立っている使用人は稀である為、執事は驚いた。

「今日から下男となるフリードです。よろしくお願い致します。どうぞフリードとお呼びください」

「私は執事のギルセンと申します。ではこちらへ」

 ギルセンは優しい笑顔を見せた。フリードへの好感が高まっているのが分かる。

「まずはフリードさんの部屋に案内します。それからそこで屋敷内でのルール、仕事説明をさせていただきますね」

「はい」

「フリードさんの出身はどちらですか?」

 ギルセンからは新人への気配りを感じられた。緊張しているであろう相手に雑談をして、気を緩めさせてくれようとしている。

「クレイルです」

「ほう! 行った事はありませんが、ここより気温が低く、高地だと聞いた事があります」

「その通りです。高地である為、いつも気温が低いです。木も生えていませんし、農作物も育つ種類が限られているので、出稼ぎに出る者や傭兵になる人が多いんですよ。
 こちらは暖かくて住みやすい国ですね。来て正解でした」

「そうでしょう。今までも使用人として働いてこられたのですか?」

「はい。クレイルの貴族の屋敷を転々としておりました」

「きっと可愛がられていたのでしょうね。まるで使用人をしていたとは思えない綺麗な顔をしていらっしゃる」

「生まれつきですよ」

 見た目の良い使用人は例え男性でも屋敷の者から可愛がられる事がある。それこそ、令息の性的な相手を求められる事もあり、断る事は職を失う事に繋がる。
 執事はそんな闇の部分を想像したのだろう。フリードを不憫そうな顔で見た。

(ウェル以外に身体を要求された事なんてないけどな。ザハード国王には拒否されたし)


 使用人棟へと入り、二階の一部屋に案内された。

「こちらがフリードさんの部屋です」

 中に入ると、ガランとした空間にベッドと、机と椅子、クローゼットがあった。
 ギルセンはクローゼットを開く。

「ここに仕事着があります。朝の日の入りの刻には着替えて屋敷の裏口に集合して下さい。毎朝、朝礼があります」

「はい」

「屋敷のルールですが……」

 説明を聞き終え、「では後ほど」とギルセンは部屋から出て行った。
 日の入りまでまだ時間がある。フリードはベッドに入って休み、日の入りには仕事着である白いシャツと黒い半ズボンに着替えて屋敷の裏口へと向かった。

 執事が前に立ち、その隣にフリードが立つ。二人を囲むように他の使用人達がズラリとバラバラに並んだ。
 ルベルトを探そうと思っていたが、一目見て分かった。
 一番若い、少年と言っても良い年頃の男の子が一人。この中で一番みすぼらしい格好で、一番後ろに隠れるようにして俯いた状態で立っている。

(どう見ても、令息に愛されているようには見えないな。
 どちらかというと犯罪者の息子だとか言われていじめられてそうな……)

「フリードと申します。よろしくお願い致します」

 フリードの思った通りだった。いや、予想はしていたが、そうでなければいいと思っていた事だった。
 公爵からの命令により、ギルセンですらルベルトに救いの手を差し伸べる事は叶わなかったそうだ。

 握手をしてすぐに気付く。手の甲が傷だらけだ。治りかけの傷や、カサブタが付いている傷、その上から新しい傷も出来ている。
 普段から虐待を受けているのは明白だ。

 フリードが仕事を教えると言うと、侯爵令息だったとは思えないオドオドとした態度でフリードに付いてきた。

(俺の事は平民だと思っているだろうに、元貴族とはいえ侯爵令息が俺にへりくだるなんて。
 それになんだあの傷? ギルセンさん……じゃなさそうだし。他の使用人達がターバイン君を見る顔は、憐れみの感情が強い気がする)

 一緒にいればその内分かる事だと、仕事を優先させた。
 効率の良い掃除の仕方を教える。フリードの掃除スキルはプロレベルだ。速さだけでなく正確性も備えている。
 全てはスパイ活動を円滑にする為の技術だ。
 ルベルトは付いてくるのは厳しいにも関わらず、一生懸命仕事に取り組んでいた。

(努力家で真面目なんだな)

 フリードは彼に好感を抱いた。教えればすぐに吸収するし、フリードの説明に感心したり喜ぶ様子は誰が見ても可愛いと思うだろう。
 素直に懐いてくれる後輩のようだ。可愛くない筈がない。

 午前中の時点でルベルトに好感度が上がってきていたが、反対にイグナートの好感度は一気に下がった。
 昼食時にイグナートがフリードを呼びつけ、ルベルトに対して暴力振るって良いと勧めてきたのだ。

(手の甲の傷の原因は坊っちゃまか。帝国軍を纏めている公爵のご子息が卑怯な真似をするもんだな)

 つまり公爵が言っていた、イグナートとルベルトが恋人同士という話は嘘だと確信した。

「それは承知致しかねます。お坊ちゃま、ルブロスティン公爵家の品位を落とす行為はお控え下さい」

 新人の使用人にそんな事を言われれば、イグナートが怒るのは当然だ。案の定言い返してくる。

「なんだと!? お前、俺を誰だと思っていやがる!? お前なんかクビだ!」

「不服があるならお父上にどうぞ。坊っちゃまに私を解雇する権限はありませんから」

 まるで喧嘩を売ったような言い方だ。フリードにはウェルディスという盾があるので、公爵本人であればまだしも、侯爵令息の不躾な態度を注意した程度で解雇など出来るわけがない。

 内心「言ってやった」と歓声を上げていたが、それでも不快感は胸に残る。
 何故ルベルトはやられっぱなしなのか。
 真剣に仕事をしても不真面目にしても、傷付けられる事には変わりないのなら、不真面目にした方がマシだろう。

 ルベルトには敬語をやめた。「君は貴族だろう? 平民だと思っている相手にこんな口調をされて悔しくないのか。プライドが傷つかないのか」そんな気持ちを込めたが、彼は特に気にした様子は一瞬たりとも見せなかった。
 まるでそう扱われるのが当然だと思っているようで歯痒い。

(君は代々皇帝陛下を支えてきた名門貴族、誇り高きサーシュ侯爵家の息子なんだぞ)





 フリードが公爵家に入った日の夜。イグナートは父親に呼ばれた。
 秘密の話は書斎を使う。ここに呼ばれたという事は重要な話があるという事だ。

 窓が一つだけあり、星々の光では薄暗い為普段はランプを使うのだが、誰にも聞かれたくない話の時は使わない。

「お呼びですか、お父様」

「ああ、イグナート。どうだ? ターバインの息子を好きに出来て気は晴れたか?」

「はい。アイツを引き取ってくださってありがとうございます」

 昔は親友だったが、今は犯罪者の息子だ。母親を殺された恨みを直接犯人にぶつけられないのなら、ルベルトにぶつける事は正義だ。
 恨みをぶつける相手は元サーシュ侯爵でも良かったが、犯人である夫人と血が繋がっているルベルトを懲らしめる事で、間接的に夫人を罰しているつもりになっている。

(何も知らずに俺の親友面をしていた罪だ。俺が罰するのは当然の事!)

「いいや。私も外で犯罪者の息子の面倒を見ている聖人だと敬われるようになった。私にとっても都合が良かったのだ」

「そうでしたか。それで、話というのは?」

「新しく入った使用人、フリードの事だ」

 イグナートの脳裏に昼の出来事が思い起こされる。
 使用人の分際で主人の息子を見下したのだ。鞭打ちをした上でクビにする以外考えられない。

「あっ! アイツ! クビにして下さい。俺に対して凄く生意気なんですよ。
 俺に対する冒涜は、公爵家そのものへの冒涜ですよ」

「それは出来ない。イグナート、お前にも話しておく。フリードは皇帝の愛人だ」

「──なんですって!?」

「それを知っているのは、私と執事、そしてお前だけだ。
 フリードが離宮で暇しているから働かせて欲しいと言われた。皇帝からは『フリードは僕の愛人だという事を忘れるな』と念を押されている。
 下手に奴をクビにしたら私の立場が危うくなる。何故なら皇帝の愛人は私よりも立場が上になるからだ」

「そんな! では俺もアイツに何も言えないという事ですか!」

「当たり前だ。奴は使用人であって使用人ではない。変に絡むな。何か言われても言い返すな。
 分かったな? 飽きたら辞めるそうだから、それまで辛抱しろ」

 イグナートは唖然とした。ルベルトを罰するという正義の執行が出来なくなりそうな、そんな予感がした。
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