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二章
四話
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情報を整理して、変装したまま一度司法局へ向かった。
弁護士の身分証を見せるだけで、局員に頼んで局長に会う事が出来た。
法務局の局長は、大きな事件の裁判の時に裁判長を兼任する。
外で一般人に紛れればただのおじさんにしか見えない五十代の男性だ。白髪混じりの髪は額から後退していて頭部に光の反射が見える。
フリードを見つめ、にっこりと優しそうな笑顔を向けてきた。
彼に「どうぞ」応接室に案内される。二人きりで話を聞いてもらえるらしい。
フリードは自分の都合通りに事が運び、安堵した。
「私は弁護士のゴードンと申します」
「初めましてゴードン弁護士。私に御用と聞きました。ご用件は?」
「サーシュ侯爵夫人の件、死刑判決だけはしないでもらえますか。
この事件は裏に大きな陰謀が隠されています」
「そう言われましても……」
「証拠があります」
侯爵家の使用人から話を聞いた者の証言をまとめたものだ。
侯爵家の一年の財務表と共に、侯爵夫人の自由に使える金銭の収支も一緒に渡し、麻薬を買えない状態であった事を説明した。
局長はそれらを見て少し悩んだ様子を見せた。
「殺害の証拠は揃っているんですよ。処刑以外は考えられないのが司法局の総意です」
「もし処刑してしまえば、本当は罪のない命をあなた方が殺す事になるかもしれません。取り返しがつかなくなれば困るのもあなた方ではないでしょうか」
と、フリードは金の入った袋を局長に渡した。賄賂だ。クレイル公国なら金さえ払えば命が助かる国だったが、法治国家であるヘイリア帝国には通用しない。
だがそれでも、これに賭けるしか他に方法が思いつかない。
「私は司法に仕える身。全ては受け取れません。ですが、裁判にて被告を死刑にするのは妥当でないと判断すればそれに応じた判決を下します。
全ては法の導くままに」
と言いながら、局長は中でも一番価値の低いコインを一枚手に取り、フリードに返した。その程度では一回の食費分くらいにしかならない。
それでも受け取ったという事は、ある程度は味方をしてくれると思って良いだろう。
「サーシュ侯爵夫人の弁護は私が務めたいと思います」
「そうですね。今サーシュ侯爵夫人の弁護をしたいという弁護士はいません。あなたにお願いします」
さすがのフリードもクレイル公国の法律ならいざ知らず、大国であるヘイリア帝国の法律は一般常識レベルしか知らない。
過去に必要だからと取らされた弁護士資格だが……。
(裁判までの間にヘイリア帝国の法律や判例を頭に入れなければ)
証拠が揃っていた為、裁判は十日後と最短だ。それまでの間にフリードは国立図書館で法律の勉強に勤しんだ。
その間、スパイの本分である情報収集が出来なかったのは痛い。
庶民の間で広まった噂を取りこぼす事になったのだが、この時のフリードはまだ気付いていなかった。
そして裁判が開かれた。
フリードは変装して弁護人席に座り、侯爵夫人を見つめた。一度弁護士として接見したが、その時も侯爵夫人は薬の副作用に苦しみ、話し合いは出来なかった。
侯爵夫人は被告として中央の椅子に座っている。先日よりも落ち着いた様子だが、目は死人のように暗く、本当に生者なのかと思う程顔が白い。
「憎かったんです。マ……ルブロスティン公爵夫人は私の夫と不倫をしていました。
許せなくて、殺しました」
親友だった頃の呼び方をしようとしたのだろうか。公で呼ばれている呼び方をした声は機械のように感情を感じさせない。
裁判官の一人が侯爵夫人に尋ねる。
「夫の不倫に苦しみ麻薬を常用し、気が狂って公爵夫人を殺したという事ですか?」
「……麻薬は知りません」
ここでフリードが手を挙げた。
「司法局長。ここに、侯爵夫人が麻薬を買える筈がなかった事が分かる証拠があります」
最初に司法局長に提示した書類だ。麻薬は侯爵夫人を陥れる為に誰かが購入したもので、侯爵夫人は知らずに服毒させられたと、説明した。
勿論、検察官に「麻薬を自ら服用した証拠は不十分となったが、殺害した事実に変わりはない」と反論される。
お互いが主張しあった末、公爵夫人殺害の罪のみが認められ、終身刑を言い渡された。
心神耗弱状態だったという主張が通り、死刑判決は免れたのだ。
局長の計らいもあり、侯爵夫人は心身共に正常ではない為、牢獄内にある病院へと送られる事となった。
だが、問題が一つ起こった。不倫をしたとされるサーシュ侯爵が逮捕されてしまったのだ。
不倫相手のルブロスティン公爵夫人は殺されている為、真偽を問う事が出来ない。
侯爵は無罪を主張しているが……。
フリードは、次にサーシュ侯爵の弁護をする事となった。侯爵から再度依頼されたのだ。
そうでなくとも、サーシュ侯爵はウェルディスの支えとなる忠臣でもある。フリードとしても有罪は避けたい。
侯爵家の使用人達に証言を得たいが、侯爵が逮捕されてしまったお陰で使用人達の殆どが退職してしまっていた。
執事も心労が祟って倒れてしまい、息子夫婦の家に引き取られた。屋敷に残っている使用人以外にも話を聞きたいのだが、探すのに手間取る。
それでもたった一人を除き、全員を見付ける事が出来た。
それぞれの家まで向かい、一人一人話を聞きに行った。話を聞くと侯爵が不倫していたとすれば矛盾する点がいくつかあった。
侯爵が率いる軍隊の訓練だけでなく、書類を扱う雑務は多岐にわたり不倫などしている暇はなかったという証言ばかりだ。
それは侯爵の補佐をしていた執事もはっきりと否定していた。
「ご主人様は誓ってそのような事はなさいません! 私がずっと一緒にいましたから、証言出来ます」
もしどこかの時間で抜け出したとしても、物理的、時間的に不可能だと証明出来ると執事は断言した。
ある程度体調が戻ってきた執事と、他の使用人だった元メイド二人に裁判で証言してもらうよう約束した。
次はルブロスティン公爵家だ。
屋敷の裏門から出てきたところを狙う。口が軽そうな使用人を狙い、口止めに謝礼を渡しつつ情報を得ようとしたが、誰一人として口を噤んでいる。
箝口令でも敷かれているようだ。
(何かを知っている。そんな顔だ。けど、拷問にかけるわけにもいかないしな)
ルブロスティン公爵家を調べようとするが、堅牢な壁に阻まれて何一つ情報が得られない。
警備兵は帝国軍の者でないにせよ、公爵家で雇われている武人達だ。彼らの目を盗んで屋敷の敷地内に入る事は不可能である。
弁護士だと言って赴いてもも「こちらは被害者だ」の一点張りで話は出来そうになかった。
公爵も外出時は常に護衛が一緒におり、近寄ろうものなら剣で斬られそうな勢いである。
(クソ。このまま侯爵を有罪にさせてたまるか)
そこである事に気付いた。毎日公爵家の裏口を見ていたが、一人どことなくサーシュ侯爵家で見掛けたメイドに似た人物がいた。
たった一人見つけられなかった退職したメイドだ。侯爵家に話を聞きに行った時にやけにフリードを物陰から見ていた人物でもある。
髪型や化粧は違うが顔は同じだ。
(話せば確実に分かる事だ)
「あの!」
フリードは近寄って声をかける。振り向いた彼女の顔が強ばった。青ざめた顔だ。
瞬き一回にも満たない一瞬の出来事だ。彼女はすぐにニッコリとした笑顔に変わった。
「はい? どうされましたか?」
声と反応がフリードの中で一致した。彼女は侯爵家にいたメイドだ。
公爵がスパイを送り込んでいたのだと確信する。
「お久しぶりですね」
「え……と?」
「とぼけないでくださいよ。元サーシュ侯爵家のメイドさん? いや、公爵の雇ったスパイか?」
「いえ、サーシュ侯爵様に仕えていたのは私の双子の妹で」
「いいえあなた本人です。以前サーシュ侯爵家に話を聞きに行った俺に熱烈な視線を向けていたでしょう?」
フリードははっきりと言い放つ。
「どうして」
「変装に力を入れるべきでしたね」
「チッ!」
メイドは舌打ちをすると高くジャンプをして、近くの塀を乗り越えて街中へと走っていった。当然フリードは追いかける。
この辺の地理に明るいのだろう、迷わず路地裏をすばしっこく走っていく。プロであると判断し、フリードはスピードを上げてついていった。
(誘い込まれてる? 先回り……は厳しいか)
彼女とは対極に、フリードはこの辺の地理はあまり詳しくない。
地図は頭に入っているが、実際通るのでは全く感覚が違う。
どうしても捕まえなくてはならないのに、追いつけない。誘われているとしたら罠だ。
と言っても、何が起きようがその時最善の行動を取るだけだが。
何度目かの角を曲がった時だった。メイドは謎の男によって地面に伏すように押し倒されていた。
弁護士の身分証を見せるだけで、局員に頼んで局長に会う事が出来た。
法務局の局長は、大きな事件の裁判の時に裁判長を兼任する。
外で一般人に紛れればただのおじさんにしか見えない五十代の男性だ。白髪混じりの髪は額から後退していて頭部に光の反射が見える。
フリードを見つめ、にっこりと優しそうな笑顔を向けてきた。
彼に「どうぞ」応接室に案内される。二人きりで話を聞いてもらえるらしい。
フリードは自分の都合通りに事が運び、安堵した。
「私は弁護士のゴードンと申します」
「初めましてゴードン弁護士。私に御用と聞きました。ご用件は?」
「サーシュ侯爵夫人の件、死刑判決だけはしないでもらえますか。
この事件は裏に大きな陰謀が隠されています」
「そう言われましても……」
「証拠があります」
侯爵家の使用人から話を聞いた者の証言をまとめたものだ。
侯爵家の一年の財務表と共に、侯爵夫人の自由に使える金銭の収支も一緒に渡し、麻薬を買えない状態であった事を説明した。
局長はそれらを見て少し悩んだ様子を見せた。
「殺害の証拠は揃っているんですよ。処刑以外は考えられないのが司法局の総意です」
「もし処刑してしまえば、本当は罪のない命をあなた方が殺す事になるかもしれません。取り返しがつかなくなれば困るのもあなた方ではないでしょうか」
と、フリードは金の入った袋を局長に渡した。賄賂だ。クレイル公国なら金さえ払えば命が助かる国だったが、法治国家であるヘイリア帝国には通用しない。
だがそれでも、これに賭けるしか他に方法が思いつかない。
「私は司法に仕える身。全ては受け取れません。ですが、裁判にて被告を死刑にするのは妥当でないと判断すればそれに応じた判決を下します。
全ては法の導くままに」
と言いながら、局長は中でも一番価値の低いコインを一枚手に取り、フリードに返した。その程度では一回の食費分くらいにしかならない。
それでも受け取ったという事は、ある程度は味方をしてくれると思って良いだろう。
「サーシュ侯爵夫人の弁護は私が務めたいと思います」
「そうですね。今サーシュ侯爵夫人の弁護をしたいという弁護士はいません。あなたにお願いします」
さすがのフリードもクレイル公国の法律ならいざ知らず、大国であるヘイリア帝国の法律は一般常識レベルしか知らない。
過去に必要だからと取らされた弁護士資格だが……。
(裁判までの間にヘイリア帝国の法律や判例を頭に入れなければ)
証拠が揃っていた為、裁判は十日後と最短だ。それまでの間にフリードは国立図書館で法律の勉強に勤しんだ。
その間、スパイの本分である情報収集が出来なかったのは痛い。
庶民の間で広まった噂を取りこぼす事になったのだが、この時のフリードはまだ気付いていなかった。
そして裁判が開かれた。
フリードは変装して弁護人席に座り、侯爵夫人を見つめた。一度弁護士として接見したが、その時も侯爵夫人は薬の副作用に苦しみ、話し合いは出来なかった。
侯爵夫人は被告として中央の椅子に座っている。先日よりも落ち着いた様子だが、目は死人のように暗く、本当に生者なのかと思う程顔が白い。
「憎かったんです。マ……ルブロスティン公爵夫人は私の夫と不倫をしていました。
許せなくて、殺しました」
親友だった頃の呼び方をしようとしたのだろうか。公で呼ばれている呼び方をした声は機械のように感情を感じさせない。
裁判官の一人が侯爵夫人に尋ねる。
「夫の不倫に苦しみ麻薬を常用し、気が狂って公爵夫人を殺したという事ですか?」
「……麻薬は知りません」
ここでフリードが手を挙げた。
「司法局長。ここに、侯爵夫人が麻薬を買える筈がなかった事が分かる証拠があります」
最初に司法局長に提示した書類だ。麻薬は侯爵夫人を陥れる為に誰かが購入したもので、侯爵夫人は知らずに服毒させられたと、説明した。
勿論、検察官に「麻薬を自ら服用した証拠は不十分となったが、殺害した事実に変わりはない」と反論される。
お互いが主張しあった末、公爵夫人殺害の罪のみが認められ、終身刑を言い渡された。
心神耗弱状態だったという主張が通り、死刑判決は免れたのだ。
局長の計らいもあり、侯爵夫人は心身共に正常ではない為、牢獄内にある病院へと送られる事となった。
だが、問題が一つ起こった。不倫をしたとされるサーシュ侯爵が逮捕されてしまったのだ。
不倫相手のルブロスティン公爵夫人は殺されている為、真偽を問う事が出来ない。
侯爵は無罪を主張しているが……。
フリードは、次にサーシュ侯爵の弁護をする事となった。侯爵から再度依頼されたのだ。
そうでなくとも、サーシュ侯爵はウェルディスの支えとなる忠臣でもある。フリードとしても有罪は避けたい。
侯爵家の使用人達に証言を得たいが、侯爵が逮捕されてしまったお陰で使用人達の殆どが退職してしまっていた。
執事も心労が祟って倒れてしまい、息子夫婦の家に引き取られた。屋敷に残っている使用人以外にも話を聞きたいのだが、探すのに手間取る。
それでもたった一人を除き、全員を見付ける事が出来た。
それぞれの家まで向かい、一人一人話を聞きに行った。話を聞くと侯爵が不倫していたとすれば矛盾する点がいくつかあった。
侯爵が率いる軍隊の訓練だけでなく、書類を扱う雑務は多岐にわたり不倫などしている暇はなかったという証言ばかりだ。
それは侯爵の補佐をしていた執事もはっきりと否定していた。
「ご主人様は誓ってそのような事はなさいません! 私がずっと一緒にいましたから、証言出来ます」
もしどこかの時間で抜け出したとしても、物理的、時間的に不可能だと証明出来ると執事は断言した。
ある程度体調が戻ってきた執事と、他の使用人だった元メイド二人に裁判で証言してもらうよう約束した。
次はルブロスティン公爵家だ。
屋敷の裏門から出てきたところを狙う。口が軽そうな使用人を狙い、口止めに謝礼を渡しつつ情報を得ようとしたが、誰一人として口を噤んでいる。
箝口令でも敷かれているようだ。
(何かを知っている。そんな顔だ。けど、拷問にかけるわけにもいかないしな)
ルブロスティン公爵家を調べようとするが、堅牢な壁に阻まれて何一つ情報が得られない。
警備兵は帝国軍の者でないにせよ、公爵家で雇われている武人達だ。彼らの目を盗んで屋敷の敷地内に入る事は不可能である。
弁護士だと言って赴いてもも「こちらは被害者だ」の一点張りで話は出来そうになかった。
公爵も外出時は常に護衛が一緒におり、近寄ろうものなら剣で斬られそうな勢いである。
(クソ。このまま侯爵を有罪にさせてたまるか)
そこである事に気付いた。毎日公爵家の裏口を見ていたが、一人どことなくサーシュ侯爵家で見掛けたメイドに似た人物がいた。
たった一人見つけられなかった退職したメイドだ。侯爵家に話を聞きに行った時にやけにフリードを物陰から見ていた人物でもある。
髪型や化粧は違うが顔は同じだ。
(話せば確実に分かる事だ)
「あの!」
フリードは近寄って声をかける。振り向いた彼女の顔が強ばった。青ざめた顔だ。
瞬き一回にも満たない一瞬の出来事だ。彼女はすぐにニッコリとした笑顔に変わった。
「はい? どうされましたか?」
声と反応がフリードの中で一致した。彼女は侯爵家にいたメイドだ。
公爵がスパイを送り込んでいたのだと確信する。
「お久しぶりですね」
「え……と?」
「とぼけないでくださいよ。元サーシュ侯爵家のメイドさん? いや、公爵の雇ったスパイか?」
「いえ、サーシュ侯爵様に仕えていたのは私の双子の妹で」
「いいえあなた本人です。以前サーシュ侯爵家に話を聞きに行った俺に熱烈な視線を向けていたでしょう?」
フリードははっきりと言い放つ。
「どうして」
「変装に力を入れるべきでしたね」
「チッ!」
メイドは舌打ちをすると高くジャンプをして、近くの塀を乗り越えて街中へと走っていった。当然フリードは追いかける。
この辺の地理に明るいのだろう、迷わず路地裏をすばしっこく走っていく。プロであると判断し、フリードはスピードを上げてついていった。
(誘い込まれてる? 先回り……は厳しいか)
彼女とは対極に、フリードはこの辺の地理はあまり詳しくない。
地図は頭に入っているが、実際通るのでは全く感覚が違う。
どうしても捕まえなくてはならないのに、追いつけない。誘われているとしたら罠だ。
と言っても、何が起きようがその時最善の行動を取るだけだが。
何度目かの角を曲がった時だった。メイドは謎の男によって地面に伏すように押し倒されていた。
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