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一章
五話
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ルベルトは疲弊していた。毎日の慣れない業務、ミスをする度に手の甲に受ける鞭、イグナートやその友人達からの性暴力。
それでも一番辛いのは味方が誰一人おらず、辛さを吐き出せない事だ。
それでも、ルベルトはそれが当然なのだと自分に言い聞かせていた。こんな日々が生涯続くのだから今から慣れなくては、と──。
「フリードと申します。よろしくお願い致します」
新しい使用人が入った。綺麗な顔をした男だ。
角度によっては女性に見えなくもない。
黒い髪も一本一本が艶やかで痛みがない。貴族の身分だろうと思えるが、貴族が使用人として雇われる筈がない。
業務が始まる前に使用人棟の玄関に、使用人達とフリードが集まった。迎えた使用人達は全員が困惑した様子だ。
新しい使用人が来る事は分かっていたが、使用人として相応しくない程の綺麗な男が来るとは思っていなかった。
「……俺は、ルベルト・ターバインという者の仕事を手伝う為に雇われました。ターバイン君は誰ですか?」
フリードは綺麗な顔で微笑んでいるが、闇のように黒い目は死んだように視界に何も映していないように見える。まるで人形のようだ。
「はい、私です」
ルベルトは恐る恐る手を挙げた。周りの使用人達は、皆が公爵家に仕えている為か優遇されており、着ている服も上等の布を使っている。
だが、ルベルトだけは違う。平民でもここまで悪質な生地の服は着ていない。使い古され、捨てるしかないボロい布を身にまとっているのだ。
(俺だけ何か違うって思うだろう。聞かれたらどう答えたら……?)
「初めまして、フリードです。よろしくお願いします」
だがフリードはそんな姿のルベルトを見ても態度を変えず、握手をしようと右手を差し出してきたのだ。
「よ、よろしくお願いします」
「一通りの仕事は出来ると思いますが、ここでのやり方、物の場所など教えていただけると幸いです」
「はい……と言っても、私はあまり詳しくありませんし、教えられる事は少ないです」
「何故? 俺はターバイン君の助手と雇われたのですが、メインであるあなたが詳しくないとはどういう事です?」
フリードは淡々と言葉を続ける。その言い方は責めるというよりは不思議でならないという様子だ。
ルベルトは困惑した。事実を伝えるべきか否か。そこで執事のギルセンが助け舟を出した。
「フリードさん。彼は少し特殊な立場でして。
私がルベルトさんが分からない事に答えます」
「それでは非効率的です。それならきちんと彼に教えればいいのではないですか?」
「ここだけの話ですが。彼が担当している仕事は元は三人のメイドが担っておりました。
ですが、その三人は彼に仕事を教えている途中で解雇されてしまいました」
フリードは「ふむ」と少し考え始めたが、すぐに考えがまとまったようだ。
「……なるほど。それでターバイン君に彼女らの仕事が全て割り振られたのですか。
ある程度の事情は知ってます。それなら、俺がターバイン君に仕事を一から教えましょう。俺が分からない事はギルセンさんに聞くとします」
「ですが、それだとフリードさんが解雇されてしまいます」
「それはないです。例え公爵様だろうと俺を解雇する事は出来ませんから」
どれほど自信があるのか。それだけ仕事が出来るという事か、フリードはきっぱりとそう言い放った。
ギルセンは不安そうだったが、決心したように頷く。
「分かりました。そうしましょう。
フリードさん、あなたに任せます。ルベルト君、助けてやれなくて申し訳なかった。
本当に……本当に申し訳ない」
「いえ、ギルセンさんは悪くありません。頭を上げて下さい」
ギルセンはずっと胸に抱えていたのだろう。やり過ぎるくらい大袈裟にルベルトに頭を下げて謝罪をした。
「ではターバイン君、仕事を始めましょう」
「はいっ」
ルベルトはフリードを連れて、いつも通りの仕事にとりかかる。
「ターバイン君。それでは非効率的です。ここをこうすると、仕事は早く終わります」
「そんな方法があったんですね!」
「次に行きましょう。掃除は午前中に終わらせてしまってから、昼の坊っちゃまの食事の配膳をすれば午後は空き時間です」
「かなり広いんですよ!? 午前中に終わりませんよ」
仕事に一番時間がかかるのが掃除だ。玄関、大広間から、食堂、風呂場、応接室、来客室など、部屋は全て合わせると八部屋もある。
「これくらいの広さなら、二人でテキパキやれば十分終わります」
ルベルトは今まで掃除に時間を掛けすぎていた。どこまでやればいいのかも分かっておらず、隅から丁寧に掃除していたのだが、その後の仕事に遅れをとっていたのだ。
身体の動きを早くしていたが、それでも遅い事には変わりなかった。
それに加えてイグナートからの呼び出しもあるので、いつも全て終わらせる事は出来なかった。
「掃除は効率の良い流れを手順通りにやればいいだけですよ」
なるほどと頷きながら、ルベルトは掃除道具が収納されている物置部屋から箒だけを取って外に出ようとした。
「あ、ターバイン君。まさか今必要なものだけ持って行っていたのですか?
その都度必要なものを取りに行っては、時間の無駄です」
「は、はいっ」
「箒が必要になるのはまだ先です。先に用意するものを説明します」
フリードの言う通りに動いたら、本当に午前中に八割方終えてしまった。
ルベルトに教えながらなので完全には終わらなかったが、あと一時間もあれば終わるだろう。
「そろそろお坊ちゃまの昼食の時間ですね。でも、夏季休暇が終われば学院寮に行ってしまうのですから、それまでの辛抱ですよ」
「はい」
夏季休暇が始まったと同時にルベルトの転落が始まった。一ヶ月足らずで両親と離れ離れになり、あと少しで二ヶ月という長い休みも終わる。
学校が始まればイグナートは寮に入るので、今よりは楽になるだろう。
(……でも、俺が楽になる事を望むのは罪だ)
ルベルトとフリード、二人で配膳に向かった。一人で出来る仕事だが、やり方が間違っていればフリードに教わるのだ。
ルベルトが慎重に料理をイグナートの前に並べ、その後ろでフリードが静かに佇んでいる。
「今日は俺を待たせずに用意出来たようだな」
「はい。公爵様が新しい使用人を雇って下さったお陰でございます」
「おい新入り! こっち来い」
イグナートは高圧的な態度でフリードを呼びつけた。彼に罪はない筈だが、ルベルトと共に仕事をするというだけでとばっちりを受けそうな雰囲気だ。
「はい」
「コイツ、甘やかすと調子に乗るからさ。厳しく指導してくれよ。殴っても鞭打ってもいいからさ。あはははは」
「それは承知致しかねます。お坊ちゃま、ルブロスティン公爵家の品位を落とす行為はお控え下さい」
「なんだと!? お前、俺を誰だと思っていやがる!? お前なんかクビだ!」
「不服があるならお父上にどうぞ。坊っちゃまに私を解雇する権限はありませんから」
今にも怒りを爆発させそうなイグナートと、静かに終始毅然とした態度を貫くフリード。
ルベルトは怯えた顔で二人を見つめる事しか出来なかった。
それでも一番辛いのは味方が誰一人おらず、辛さを吐き出せない事だ。
それでも、ルベルトはそれが当然なのだと自分に言い聞かせていた。こんな日々が生涯続くのだから今から慣れなくては、と──。
「フリードと申します。よろしくお願い致します」
新しい使用人が入った。綺麗な顔をした男だ。
角度によっては女性に見えなくもない。
黒い髪も一本一本が艶やかで痛みがない。貴族の身分だろうと思えるが、貴族が使用人として雇われる筈がない。
業務が始まる前に使用人棟の玄関に、使用人達とフリードが集まった。迎えた使用人達は全員が困惑した様子だ。
新しい使用人が来る事は分かっていたが、使用人として相応しくない程の綺麗な男が来るとは思っていなかった。
「……俺は、ルベルト・ターバインという者の仕事を手伝う為に雇われました。ターバイン君は誰ですか?」
フリードは綺麗な顔で微笑んでいるが、闇のように黒い目は死んだように視界に何も映していないように見える。まるで人形のようだ。
「はい、私です」
ルベルトは恐る恐る手を挙げた。周りの使用人達は、皆が公爵家に仕えている為か優遇されており、着ている服も上等の布を使っている。
だが、ルベルトだけは違う。平民でもここまで悪質な生地の服は着ていない。使い古され、捨てるしかないボロい布を身にまとっているのだ。
(俺だけ何か違うって思うだろう。聞かれたらどう答えたら……?)
「初めまして、フリードです。よろしくお願いします」
だがフリードはそんな姿のルベルトを見ても態度を変えず、握手をしようと右手を差し出してきたのだ。
「よ、よろしくお願いします」
「一通りの仕事は出来ると思いますが、ここでのやり方、物の場所など教えていただけると幸いです」
「はい……と言っても、私はあまり詳しくありませんし、教えられる事は少ないです」
「何故? 俺はターバイン君の助手と雇われたのですが、メインであるあなたが詳しくないとはどういう事です?」
フリードは淡々と言葉を続ける。その言い方は責めるというよりは不思議でならないという様子だ。
ルベルトは困惑した。事実を伝えるべきか否か。そこで執事のギルセンが助け舟を出した。
「フリードさん。彼は少し特殊な立場でして。
私がルベルトさんが分からない事に答えます」
「それでは非効率的です。それならきちんと彼に教えればいいのではないですか?」
「ここだけの話ですが。彼が担当している仕事は元は三人のメイドが担っておりました。
ですが、その三人は彼に仕事を教えている途中で解雇されてしまいました」
フリードは「ふむ」と少し考え始めたが、すぐに考えがまとまったようだ。
「……なるほど。それでターバイン君に彼女らの仕事が全て割り振られたのですか。
ある程度の事情は知ってます。それなら、俺がターバイン君に仕事を一から教えましょう。俺が分からない事はギルセンさんに聞くとします」
「ですが、それだとフリードさんが解雇されてしまいます」
「それはないです。例え公爵様だろうと俺を解雇する事は出来ませんから」
どれほど自信があるのか。それだけ仕事が出来るという事か、フリードはきっぱりとそう言い放った。
ギルセンは不安そうだったが、決心したように頷く。
「分かりました。そうしましょう。
フリードさん、あなたに任せます。ルベルト君、助けてやれなくて申し訳なかった。
本当に……本当に申し訳ない」
「いえ、ギルセンさんは悪くありません。頭を上げて下さい」
ギルセンはずっと胸に抱えていたのだろう。やり過ぎるくらい大袈裟にルベルトに頭を下げて謝罪をした。
「ではターバイン君、仕事を始めましょう」
「はいっ」
ルベルトはフリードを連れて、いつも通りの仕事にとりかかる。
「ターバイン君。それでは非効率的です。ここをこうすると、仕事は早く終わります」
「そんな方法があったんですね!」
「次に行きましょう。掃除は午前中に終わらせてしまってから、昼の坊っちゃまの食事の配膳をすれば午後は空き時間です」
「かなり広いんですよ!? 午前中に終わりませんよ」
仕事に一番時間がかかるのが掃除だ。玄関、大広間から、食堂、風呂場、応接室、来客室など、部屋は全て合わせると八部屋もある。
「これくらいの広さなら、二人でテキパキやれば十分終わります」
ルベルトは今まで掃除に時間を掛けすぎていた。どこまでやればいいのかも分かっておらず、隅から丁寧に掃除していたのだが、その後の仕事に遅れをとっていたのだ。
身体の動きを早くしていたが、それでも遅い事には変わりなかった。
それに加えてイグナートからの呼び出しもあるので、いつも全て終わらせる事は出来なかった。
「掃除は効率の良い流れを手順通りにやればいいだけですよ」
なるほどと頷きながら、ルベルトは掃除道具が収納されている物置部屋から箒だけを取って外に出ようとした。
「あ、ターバイン君。まさか今必要なものだけ持って行っていたのですか?
その都度必要なものを取りに行っては、時間の無駄です」
「は、はいっ」
「箒が必要になるのはまだ先です。先に用意するものを説明します」
フリードの言う通りに動いたら、本当に午前中に八割方終えてしまった。
ルベルトに教えながらなので完全には終わらなかったが、あと一時間もあれば終わるだろう。
「そろそろお坊ちゃまの昼食の時間ですね。でも、夏季休暇が終われば学院寮に行ってしまうのですから、それまでの辛抱ですよ」
「はい」
夏季休暇が始まったと同時にルベルトの転落が始まった。一ヶ月足らずで両親と離れ離れになり、あと少しで二ヶ月という長い休みも終わる。
学校が始まればイグナートは寮に入るので、今よりは楽になるだろう。
(……でも、俺が楽になる事を望むのは罪だ)
ルベルトとフリード、二人で配膳に向かった。一人で出来る仕事だが、やり方が間違っていればフリードに教わるのだ。
ルベルトが慎重に料理をイグナートの前に並べ、その後ろでフリードが静かに佇んでいる。
「今日は俺を待たせずに用意出来たようだな」
「はい。公爵様が新しい使用人を雇って下さったお陰でございます」
「おい新入り! こっち来い」
イグナートは高圧的な態度でフリードを呼びつけた。彼に罪はない筈だが、ルベルトと共に仕事をするというだけでとばっちりを受けそうな雰囲気だ。
「はい」
「コイツ、甘やかすと調子に乗るからさ。厳しく指導してくれよ。殴っても鞭打ってもいいからさ。あはははは」
「それは承知致しかねます。お坊ちゃま、ルブロスティン公爵家の品位を落とす行為はお控え下さい」
「なんだと!? お前、俺を誰だと思っていやがる!? お前なんかクビだ!」
「不服があるならお父上にどうぞ。坊っちゃまに私を解雇する権限はありませんから」
今にも怒りを爆発させそうなイグナートと、静かに終始毅然とした態度を貫くフリード。
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