離宮の愛人

眠りん

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一章

一話

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 豊かな自然と、過ごしやすい気候、のどかな街並みを造るヘイリア帝国。
 貴族の子息子女達が寮で生活し、勉学に励むウェストテリア学院ではある話題でもちきりだった。

「最近、皇帝陛下がご乱心なされたそうよ」

「聞きましたわ。なんでも男の愛人を離宮に住まわせているとか」

「即位なされて一年でしょう? ご結婚もお世継ぎもまだだというのに。この国はどうなってしまうのでしょう……」

 少しの興味と先行き不安な感情が織り交ざる。先代皇帝と先代皇后が馬車での事故によって亡くなり、ただ一人の後継者が皇帝になった。
 その状態での醜聞に、帝国中が困惑している。

「皆この話題ばっかだな」

 廊下を歩いていて偶然女子学生達の噂話が聞こえてきて、ルベルトは呆れたように呟いた。
 綺麗な銀色の髪に青い瞳、女性にも見える中性的な顔の造形は「美しい」と賞賛されている。
 学問は優秀な成績を修めているが、家業に必要な剣術の方はそこまで優れていない。
 皇帝からの信頼を置かれているサーシュ侯爵の令息である。

 そんな彼の隣を歩くのは、彼の幼なじみのイグナート。太い眉に男らしい顔付き、燃えるような赤い髪と瞳に、がっしりとした体型は居るだけで目立つ存在だ。
 見た目通り剣術や武術はトップクラスだが、ルベルトとは反対に学問は優れていない。
 次男であるが、ルブロスティン公爵の名を継ぐ可能性が一番高いと言われている。
 陰口などを嫌う彼は、噂話に眉間に皺を寄せた。

「こんな話して不敬罪に問われないのか」

「全部は取り締まれないだろ。それを言ったら帝国中の殆どを捕まえなければならなくなる」

「不可能だな」

「そうそう。それよりさ、卒業したらかの伯爵令嬢と婚約式を挙げろなんて言われてるんだよな。
 俺としちゃそっちの方が憂鬱」

 ルベルトの目が怠そうに下を向いたが、隣を歩くイグナートは気付かずに喜ばしい声を上げた。

「おお。それはめでたいな」

「めでたいもんか。イグはいいよな、子供の頃からの婚約者とかいないんだから。
 うちはお母様が厳しくてさ、この婚約だって命令されたようなもんだよ」

「俺もそろそろ見合いとかさせられると思うぜ。ま、気楽にいこう。
 もしかしたら、結婚して幸せになるかもしれないだろ」

「ないな。兄弟もいないから俺が家を継ぐ事になるだろ。剣が苦手なのに一生を騎士として生きる事になるんだ。結婚したからって幸せになれるかよ。
 卒業後が恐ろしいよ」

 ルベルトは身を震わせた。物事を深く考えてしまう性格のせいもあり、悪い事を想像しだすと止まらない。

「ルベルトの剣は筋は悪くないんだ。後は度胸と根性だけだ。覚悟が決まれば強くなれるさ」

「出来る事なら学者になりたいんだ、俺は」

「それは諦めろ。俺はルベルトと帝国を守る剣として生きられたら幸せなんだけどな」

「何度も聞いた」

「その手始めに、夏季休暇の最後にある狩猟大会で、俺とイグでトップ取ろう」

 イグナートが白い歯を見せてニッと笑う。相当自信があるのか、自分が優勝する想像しかしていないようだ。

「俺には無理だ。イグ一人で頑張れよ」

「そんなぁ」

 悲しむ素振りを見せるイグナートにルベルトは微笑んだ。
 せめてこの学院を卒業するまでは、気ままな学生生活をイグナートと楽しみたいと思いながら……。
 だが、その淡い期待は二ヶ月後に打ち砕かれる事となる。


 夏季休暇の初日。ルベルトやイグナートも他の学生達と同じように帰省する日だ。
 ルベルトは領地の中で最も大きな侯爵邸へと帰った。両親が不在だったので、呑気に読書をして過ごしていた。
 今この時、自身の運命を大きく変える事件が起きているとも知らずに。





 イグナートが実家に戻ると凄惨な事件現場が広がっていた。
 部屋を汚すのは血だ。綺麗だった白い壁や床には赤い血が激しく飛び散っている。

 恐怖に震えるメイド達、唖然とした顔の執事。床には首から血を流して倒れている女性がいた。それが自身の母親だとイグナートはすぐに気付いた。

「お母様!」

 ドレスを血で染め、剣を両手で握り締め、呆然とした様子で佇んでいる女性を押し退けて母親に駆け寄った。
 抱き締めて涙を流す。

「お母様! お母様! お母様ぁっ!!
 何をしている! 早く医者を呼べっ!!」

 母親を助けもせず立ち尽くしていた執事やメイド達を睨みつける。母親が死んだらお前達のせいだとでも言うような憎しみの篭った目だ。

 だが一番憎むべきは──。

 イグナートが押し退けた拍子に倒れ込んだ女性に目を向ける。犯人は彼女以外に有り得ない。
 愛する母親が誰に害されたのか、視線を向けて愕然とした。
 それは、幼なじみであり親友であるルベルトの母親、サーシュ侯爵夫人だったのだから。

「お前ぇっ、何故、何故お母様を!」

 イグナートは彼女の胸倉を掴み、怒鳴った。だが、彼女の耳にはそんな声など聞こえていないように目が虚ろだ。
 死人のように意思がなく、焦点が合わない目。イグナートは殴りたい気持ちを耐えて母親の救護に戻る。

 すぐに医者も来たが既に死亡していた。ほぼ即死だった。
 サーシュ侯爵夫人は逮捕されていき、黒い血に汚れた公爵邸だけが残った。

 それからはトントン拍子だった。母親の葬儀は大勢の貴族達が参列した。
 その場にはルブロスティン公爵の親戚である皇帝も参列していた。例の噂話をする者もいたが、イグナートにとってはどうでも良かった。
 ルベルトも参列しようとしていたようだが、公爵もイグナートも拒否した。

 その後の裁判で分かった事。サーシュ侯爵とイグナートの母親が不倫していた事に激怒したサーシュ侯爵夫人が、憎しみのあまり殺してしまったという事だった。

(不倫……お母様が……? それにしたって、殺す事ないじゃないか!)

 ヘイリア帝国では不倫は許されない重罪だ。許されるのは皇帝の愛人ただ一人のみだが、公表する義務を果たせば不倫とはならない。
 皇帝だろうと伴侶に隠れて愛人を作れば有罪は確定だ。

 結果、殺人犯であるサーシュ侯爵夫人は終身刑となり、不倫をしていたサーシュ侯爵は爵位剥奪の上、身分を平民に降格された。
 つまりはルベルトも父親と共に、公爵邸から出て行く事になる。当然学院も退学だ。

 裁判中、イグナートはジッとルベルトを見つめていた。ルベルトはイグナートの視線に気付いたのから視線を逸らし、俯いてしまった。

(ルベルト、お前が憎い。お母様を殺した奴と同じ血が流れているお前が、憎くて、憎くて、たまらない。
 サーシュ侯爵も許せない。
 平民だと? それくらいで済ます筈ないだろ!!)

 イグナートの目には復讐の炎が燃え盛っていた。
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