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 優雅にごきげんようと挨拶を交わすご令嬢を横目に、私はぽつん、と西洋風の学園らしき建物へ続いている並木道に佇んでいた。

「ん? なに、ここ?」

 生まれも育ちも生粋の日本人であり、特別裕福な家庭で育った訳でもない私には、絶対に無縁である光景に私はひくり、と頬をひきつらせた。

 それもそのはずで、周りには美男美女。それも、髪の色がカラフルなイケメンや美少女しか居ないのだ。こんなカラフルな髪色の人なんて、秋葉原の若者でしか見たことないよ、と心の中で突っ込んだ。

「そもそも、この制服もやけに肌触りがいいし、可愛いし、周りの人達なんてお嬢様言葉使ってるし、わけわかんない……」

 そう言いかけて、私はこの制服に見覚えがあることに気づいた。

 そう、これは乙女ゲーム『花乙女の箱庭シリーズ』の制服なのだ。

「それって、まさか……私、今流行りの乙女ゲームに転生ってやつに当たっちゃったの!?」

 宝くじでもないのに、まさかの当選に私は大きな声で叫んでしまった。
 ここでこんな大きな声を出す生徒なんているはずもなくて、訝しげな周りの視線がチクチクと刺さる。

「うぅ……ごめんってば。お願いだから、そんなキラキラしたお目目でこの庶民を見つめるのはやめてよ、お嬢様達……」

 そそくさと人目につかない場所へ移動しようとすると、こちらを見てひそひそと囁くご令嬢達の声が聞こえてしまった。

「今の大きなお声、もしかしてリリー様が……?」

「そんな訳が無いでしょう。リリー・アスセーナ様は白百合の家紋のご令嬢なのよ。ご覧なさい、あの美しく優雅な佇まいを」

「そうですわよね。リリー様が大声だなんてはしたない真似はする訳がありませんものね。……私ったら、あの白百合のリリー様を間近で見られて、嬉しさのあまりに幻聴でも聴こえたのでしょうか」

 白百合の家紋。
 リリー・アスセーナ。

 聞き覚えのある名前に、私はさぁ……と青ざめる。

 ほほほ、と精一杯のお嬢様な仕草をしながら、人目につかないところへ移動すると、私は急いで手鏡を探した。

「この白百合のような真っ白くて長い髪! 透き通った瞳! この美しい顔! 間違えるわけない! 私、リリー・アスセーナになっちゃったんだ……」

『花乙女の箱庭シリーズ』といえば、花乙女と呼ばれる特別な力を持つヒロインが、花をモチーフにしたカラフルなイケメン達を攻略していく乙女ゲームだ。

 花乙女には人の悪意が黒いモヤのように見え、それを特別な力で浄化することが出来るのだ。

 日曜の朝にやっている女児向けアニメのように、各章で起きる小さな事件を気になるイケメンと一緒に解決しながら、悪意に染った人の浄化を行って、特定のキャラクターと恋愛をするシュミレーションゲームだった。

 リリー・アスセーナは、ヒロインへの嫉妬から悪意に飲まれていき、クライマックスとなる事件の浄化対象、つまりは悪役令嬢という奴だ。

 何が問題なのかといえば、昨今の悪役令嬢ブームによって、運営の悪意を一身に引き受けているリリー・アスセーナだけは、どの攻略ルートにいたっても救われないエピソードが多過ぎるのだ。

「ど、どどどどうしよう……。このままじゃ、追放、没落ならマシの、最悪死亡ルートまっしぐらじゃん!」

 あわあわと慌てていてると、校内放送から教師らしき人の声が聞こえてきた。

「新入生の諸君、この学園へようこそ。入学式の会場は、校舎に向かって左側の道を真っ直ぐだ。くれぐれも、遅刻しないように気をつけなさい」

 そうか。
 これはまだ、オープニングなのだ。
 つまり、リリーわたしはヒロインを虐めていないし、私の顔もさっきの道にいた人以外には見られていない。

「よし、決めた! バックれよう!」

 私はリリーの顔に似合わない台詞で、ガッツポーズを取ると、急いで校舎を出ようと制服をがばっと掴んで走り出した。

「私の馬車は!?」

 白百合の家紋の馬車は、幸いにもすぐに見つかり、私は馬車へと駆け込んだ。

「お嬢様、どうなされたのですか? その……」

 馬車で待っていた侍女が、おずおずと私の身なりを指摘する。完璧な淑女であるはずのリリーが、髪を乱して走ってくるわ、足を広げて座っていれば、そういう反応にもなるだろう。

「お願い、何も聞かないで家に戻って!」

 なりふり構わない私のお願いに、侍女はふるふると首を横に振った。

「お嬢様、申し訳ありません。この学園に入ったら、家には帰らないのが仕来りですので……」

 そういえば、全寮制とかいう、お嬢様や王子様がいるような学校なのに、よくわからない世界観だったような気がする。

「お父様には私から伝えるから! お願い!」

 地面に頭を擦りつけてしまいそうな勢いの私に焦った侍女は、慌てて通信魔道具をお父様へと繋いだ。
 この世界に携帯電話みたいな、即連絡できる手段があって本当に良かった。

「お父様! 私、この学園を辞めたいの!」

 確か、この父親は娘を溺愛している設定だったはずだ。私はきゅるんと上目遣いで、お父様にお願いをする。

「おぉ、可愛いリリー。私だって、全寮制の学園にお前を入れたくはないんだよ」

「それなら!」

「けれど、この国で貴族が通える学園はそこだけなんだ。その学園を卒業したことが、立派な貴族としての証明になるんだよ」

「それなら……病気だっていって休ませて!」

「どうしたんだい、リリー。出席日数の管理があるのは、君も知っているだろう?」

 くそっ。何が出席日数だ。日本の学校じゃないんだったら、単位制に変えてくれ。
 心の中で悪態をつくと、私は他に手がないかを考えた。

「そんなに学園に通いたくないのかね、リリー」

「学園が嫌って訳じゃないんだけど……」

 ふと、私の中に妙案が思い浮かんだ。

「そうか、私が!」

 そう言いうと、私はお父様を必死に言いくるめて、必要なものを今日中に揃えるように侍女へとお願いをした。

「お嬢様がご乱心に……」

 嘆いている侍女を見て見ぬふりをして、私は馬車からぴょんっと足取り軽く飛び降りた。

「悪役令嬢が駄目なら、友人キャラになっちゃえばいいんだよ!」



 *



 急な目眩を理由に初日をサボった私は、としての初登校の為に、いそいそと身支度を整えている。
 絹のように美しい白い髪を丸めて、平凡な茶髪の下にしまいこむ。ぐるぐると包帯を巻いて胸を押し潰すと、私はシワひとつない制服に腕を通した。慣れないネクタイをしめるのは、なかなかに難しく、たどたどしい手つきで無駄に時間が掛かってしまう。

 そう、私はすることに決めたのだ。
 という偽名を使って、普通の男子学生として学園生活を送るのだ。

 唯一の懸念点だったお父様の説得も済んだわけで、学園にはお父様から上手く言って貰えるから、もう安心だ。

 リリーは病弱で、学園に通うことが困難だと伝えてあるという。白百合の令嬢、美しいリリー・アスセーナにピッタリの設定じゃないか。

 そして、代わりに遠い血縁関係のリーリオが代理で出席する。リリーとリーリオが同一人物であることは、学園の理事長には伝えてあるというし、これで出席日数の問題もクリア出来た。

「声は……元々結構ハスキーだから、これならバレないよね。お嬢様言葉も私には使える気がしないし、男子生徒ならやってけそう。うん! なんか、全部上手くいってる感じがする!」

 乙女ゲームのシナリオ開始は入学式の昨日からだ。
 つまり、リリーとして通わなければ、私がヒロインを虐めることも、虐めた疑惑をかけられることもなく、悪役令嬢になることはないというわけだ。

 勿論、念には念を。攻略キャラクターやヒロインに近づかなければ大丈夫だ、と最初は思っていたのだけど、どうしても私のオタク心が疼いてしまったのだ。

『リアルに動いてる推しを近くで見ていたい』

 ヒロインも含めて、どの攻略キャラクターも箱推しの私にとって、この世界は楽園であると言っても過言では無い。

 ならば、と考えた結果が、『乙女ゲームの友人キャラに成りすます』ことだった。

 ギャルゲーでよく見かける、攻略キャラクターの好感度を教えてくれる友人キャラになれば、ヒロインにも他の攻略キャラクター達にも、合法的に近づくことが出来る。我ながら名案だ。

 つまるところ、私は推しの誘惑に負けたのだ。



 *



「えぇと、リーリオだったかな。突然の編入で、君も戸惑っていることだろう。初日から休学となったリリー・アスセーナ嬢の席が空いているから、そこに座りなさい」

 先生に言われるがまま、は唯一空いている窓際の一番後ろの席へと移動する。

 隣の席には、陽の光でキラキラと輝く金髪に、夕日ののような金色の瞳の王子様が座っている。
 勿論、王子様のような、という比喩ではなく、彼は正真正銘この国の王子様だ。

 凄い……。同じ人間だとは思えないくらい格好いい……。本物のシルヴァ・ワトルが、目の前に存在してる。

 王家の象徴であるミモザの花のように、金色の髪と瞳が陽の光を映して、キラキラと輝いている。

 シルヴァの金色の瞳が、ボクを捉えて、猫のようにその瞳を細めた。その仕草だけで、ボクの心臓はドクンドクンと高鳴っていた。

「あの、ボクはリーリオ。その、初めまして」

 緊張して声が震えていないだろうか。僕は汗ばんだ手のひらをごしごしと制服の裾で拭くと、シルヴァに右手を差し出した。

 シルヴァが驚いた表情で目を丸くするのが見える。
 何か、変なことをしただろうか?

 首を傾げるボクに、なんでもない、と言ってシルヴァはくくっと楽しそうに笑うと、快く握手に応じてくれた。

「すまない。急に握手を求めてくるから驚いてしまったんだ。俺はシルヴァ。宜しくな、リーリオ」

 その微笑みだけで、世界を救えるんじゃないだろうか。うっかり浄化されそうになったボクは、ギリギリのところで意識を保った。
 これから始まる学園生活に、ボクはうきうきと心が弾んでいた。

 終始、隣の席のシルヴァに気を取られてしまって、授業の内容は何も聞いていなかったが問題はない。
 この世界の歴史のテストなら、百点満点は確実に取れる自信がある。

 どうして、好きなゲームの歴史は覚えようとしなくても覚えられるのに、現実の歴史だと点数が悪いのか、ボクは不思議でならなかった。

 授業が終わると同時に、ボクに話しかけてきたのは意外な人物だった。

 燃えるような赤い髪に、ルビーのような瞳。いかにも明るくて元気な主人公といった風貌の彼は、ベゴニアの家紋のレックス・フローレンスだ。

「よう! 入学式に一日間に合わなかっただけで、編入生扱いだなんて災難だったな!」

 気さくな性格のレックスは、作中の中でもヒロインと友人関係からゆっくりと恋愛関係に発展していく過程が、丁寧で評判が良くて好きだった。

「うん。貴族の人が多い学校なんて、ドキドキしちゃってたけど、意外と皆気さくな人が多くて良かったよ」

 ボクがそう答えると、レックスは少し困った表情でポリポリと頬をかいた。

「あー、お前ってさ。そんなに名のある家紋……じゃなさそうだよな。だから、王子に向かってあんな命知らずなことが出来たのか……」

「何をブツブツ言ってるの?」

「いや、お前の隣の人が誰だか分かってるのか?」

「シルヴァだろ?」

 聞かれている意味が分からなくて、ボクはそのままシルヴァの名前を答えると、レックスは呆れたように頭を抱えながら唸り出す。

「あぁ……呼び捨てかよ……。あのなぁ、あの人はこの国の王子様なんだぞ! 本来、俺らみたいな奴が話せるような人じゃないし、呼び捨てとか握手とか、本当にお前はとんでもない奴だな」

 そうか。
 ボクにとっては、ただの握手だったけど、この国の人達にとっては、相当命知らずな行動に見えていたのか。

 きょとん、と驚いた顔でボクを見つめていたシルヴァの顔を思い出す。
 常識が違うんだって、もっと意識しなくちゃ駄目だったな。ボクはシルヴァが寛大であったことに心から感謝した。

「そう言われてみれば、そうかも。同じクラスの隣の席ってだけで、なんかただのクラスメイトとして見ちゃっていたみたい」

「お前、大物だな……」

「……っていうか、お前じゃなくて、リーリオ! ちゃんと名前で呼んでよ!」

 ボクの抗議に、レックスは悪かった、と片手で謝るジェスチャーをしてみせた。

「悪い悪い! そういえば、俺も名乗ってなかったよな。俺はレックス・フローレンス。レックスでいいぜ、リーリオ」

「うん。宜しくね、レックス」

 レックスと握手を交わして、他愛のない会話から、この国の常識なんかを教えて貰っていたら、あっという間に休み時間が終わってしまった。

「お、もう次の授業か。リーリオは昼飯はどうするんだ?」

「うーん。食堂を見に行ってみたいから、食堂かな」

「よし! 俺が案内してやるよ!」

「いいの? ありがとう!」

「っていっても、俺も昨日入学したばっかなんだけどな!」

 あはは、と声を上げて笑っていると、いつの間にか入ってきた先生にポコンと頭を叩かれた。

「こら、いつまで話しているつもりですか。授業を始めますよ」

 生徒を相手に怒る時ですら、この物腰の柔らかい振る舞い。この人は、もしかして。

 勢いよく振り返ったボクに、さっと身を引いた先生は、腰までつくくらいの紺色の長い髪を、後ろで一つに束ねていた。

 この特徴的な姿、間違いなく攻略キャラクターで唯一の教師のネモ・メンジェシーだ。
 メガネのレンズ越しに、目が合ってしまい、海のように穏やかな蒼色の瞳に、ボクの心の奥まで見透かされてしまいそうだ。

「ごめんなさい。次からは気をつけます」

 素直に謝るボクの頭を、ネモ先生が優しくぽんっと撫でた。

「しっかりと謝れるなんて、貴方はいい子ですね」

 子供扱いをされている。それだけだと分かっているのに、穏やか微笑みと急な頭ポンに、ボクの心臓はうるさいくらいに飛び跳ねる。

「そうそう。食堂の約束は残念ですけど、無理だと思いますよ。レックス君、今日の当番は貴方だったでしょう?」

「やべっ! そうだった! 悪いっ、リーリオ。一人で行ってきてくれ!」

「……職員室の隣ですから、授業の後に私が案内しましょうか?」

「おっ、それいーじゃん! 先生について行ってこいよ!」

 そう言うと、レックスは自分の席へと戻って行った。

「あの、先生の迷惑になりませんか?」

 大人の余裕ある微笑みに危うくノックアウトされそうになっていたボクは、おずおずとしおらしい様子でネモ先生へと訊ねた。

「職員室へ戻るついでですから、大丈夫ですよ。この学園は広いですから、昨日の説明を聞いていなくて、リーリオ君も大変でしょうしね」

「……凄く、助かります! お願いします!」

「はい。頼まれました」

 元気よく答えたボクを見て、ネモ先生はふふっと穏やかに笑みを零すと、教壇へと戻って行った。
 ネモ先生の少し低くて響く声に、うっとりとしながら授業を聞いていたら、すぐに昼休みの鐘が鳴った。

「それでは、リーリオ君。行きましょうか」

 ネモ先生に促されて、ボクはたたたっと小走りで駆け寄った。座っていた時は気がつかなかったけれど、意外と身長差があるみたいだ。

 女性にしては高めの身長も、大人の男性であるネモ先生の前では、十分小柄に感じられた。

「ネモ先生も、食堂に行ったりするんですか?」

「たまに私も利用していますよ。……そうですね、私のオススメはムール貝のパスタですかね」

「貝、好きですもんね!」

「えぇ、好物ですけど……」

 不思議そうにこちらを見つめてくるネモ先生に、ボクは自分の失言に気づく。
 ゲーム知識で、ネモ先生の好物を知っていたから、それと一致したことが嬉しくて、つい口を滑らせてしまった。

「や、やっぱり! パスタのオススメでトマトソースとかじゃなくて、ムール貝だなんて、凄く貝が好きなんだろうなーって思って!」

 自分でも分かるくらい、苦しい言い訳に乾いた笑いが溢れる。いや、そこまで失言でもないはずだ。好きなんですね! を言い間違えただけに聞こえるし。うん、きっと。

 余計なことを考えながら歩いていると、さっきまでより歩きやすくなっていることに、ふと気づく。
 歩幅の違うボクの為に、ネモ先生がゆっくり歩いてくれていたからだと気づくと、その優しさに心がぽかぽかとあたたまった。

「着きましたよ。それでは、私はここで」

「ありがとうございました!」

 きっちり九十度のお辞儀をして、ネモ先生を見送ると、ボクはざわざわと賑わっている食堂の扉をくぐった。

「おぉ、凄く広いなぁ……」

 どこまであるんだ、というほどの高い天井を見上げて、石造りの床をコツコツと鳴らしてボクは食堂をみまわした。

 流石にこの時間帯は混んでいるのか、どの席もみっちりと埋まっていた。

「あれ、あそこの席だけなんであんなに空いているんだろう……」

 一つだけ、誰も座っていないテーブルを見つけると、そこにはシルヴァが一人で座って食事をしているようだった。

 成程。学園での出来事は、無礼講だと言われているものの、この世界で王子様に気さくに話しかけに行く人は、なかなかいないみたいだ。

 攻略キャラクターの友人キャラポジションを狙うボクとしては、これ以上ない好機だ。
 ボクは、ネモ先生にオススメされたムール貝のパスタを手早く頼むと、急いでシルヴァの座っている席へと真っ直ぐ向かっていった。

「シルヴァ、ここ座ってもいいかな?」

 話しかけられると思っていなかったのか、シルヴァはびくりと肩を大袈裟に揺らして、顔を上げた。

「……なんだ、リーリオか。構わないよ」

 なんだとはなんだ。さては、シルヴァもボクのことを図太い無礼なやつだと思っているのか。図太いのは事実なのだけど……自分で言っていて悲しくなってきた。

「ありがとう。お、シルヴァはドリアを食べてるんだ。美味しそうだね!」

「美味しいよ。リーリオも、食べてみるといい」

 ただの男子生徒から話しかけられたのが嬉しいのか、少しだけ期限の良さそうなシルヴァが、見せびらかすようにドリアを掬った。

「いいのっ!? あーんっ」

 シルヴァの持つスプーンに、ぱくりと食いつくと、周りがどよどよとざわめき出した。

「ん? なんか、人増えた?」

 ペロリ、と口の端についたドリアを舐めとるボクを、呆気にとられたシルヴァが、ぽかんとした表情で見つめている。

「……くくっ。あはは!」

 急に声を上げて笑いだしたシルヴァに、今度はボクの方が呆気にとられてしまう。

「周りが遠巻きにしてる中で、握手を求めてくるなんて……変わったやつだとは思っていたけれど。……ふふっ。君は凄いね、リーリオ!」

 やっぱり変わった奴だとは思われていたんだな。そんなことはどうでも良くなるくらい、年相応の表情で笑っているシルヴァの笑顔の破壊力は凄まじい。

 ゲームの中でも見たことのない笑顔を、この目に焼き付けようと、ボクは必死に脳みその容量をこの瞬間を切りとった映像に注ぎ込むことは出来ないかと、視覚情報に集中する。

 おそらくは、この無邪気な笑顔が、同年代の同性にしか見せない、シルヴァの本来の姿なのだろう。
 冷静で優雅な王子様なシルヴァは、いつも気が張っているのではないか、と思うと少しだけ胸の奥に何かがつっかえた。

「次に頼む時に食べたらいいっていう意味で、言ったんだけど……まさか僕のスプーンから食べるとは……ふふっ。予想外過ぎるよ」

「あ! ボク、これを食べていいよ、の意味だと思って……ごめん!」

 そうか。女子のひと口食べる? 文化に馴染みすぎていて、何の疑いもなくくれるものだと思って、食べてしまった。

 流石にこれは、無礼な奴でしかない。印象は最悪だ。
 あああ、と頭を抱えるボクの肩を、シルヴァが楽しそうにぽんと叩いた。

「ふふっ……。面白かったから、気にしてないよ。なんだか、警戒してしまった自分が情けなくなるよ」

「警戒? ボクを?」

「うん。見ての通り、この学園に通っている間はただのクラスメイト、とは言っても、誰も僕に話しかけてこないでしょ」

 こくり、とボクが頷くのを見て、シルヴァは話を続けた。

「だから、君がなんの躊躇いもなく話しかけてきて、握手を求めてきた時、凄く驚いたんだ。……普通の学生になれたみたいで嬉しかったけど、もしかして僕を利用する為に近づいてきただけなのかな、とか考えてしまってね」

 王子という立場は、決して軽くはない。それは分かっていたつもりだったけれど、優しく近づいてくる相手は常に自分を利用としている。そんな環境で、この人は育ってきたんだ。

「利用なんてしないよ!」

 少しでも安心して貰いたくて、ボクは勢いよく立ち上がった。ガタン、と倒れた椅子を見て、シルヴァはまた、くすりと微笑んだ。

「うん。もう、分かってるよ。君は、そんなに器用な人間じゃなさそうだもの」

 なんだか少しだけ失礼なことを言われている気がするけど、まぁいいや。今だけは、自分の馬鹿正直さを褒めてやりたい気分だった。

 最初は、悪役令嬢として最悪なルートに進むのが嫌で考えた作戦だったけど、今はただ、ありのままのシルヴァと友達になりたい。

 それは推しのファンとしての下心でも、ゲームキャラクターとしてのシルヴァを好きだからではなかった。

 ボクは、ぎゅっと拳を握って、シルヴァの瞳を真っ直ぐに見つめた。

「ボクはただ、シルヴァと友達になりたいんだ!」

 この屈託のない笑顔を、もっと近くで沢山見たい。
 年相応の、同性の友達として、もっともっと、沢山笑っていて欲しい。

 シルヴァの金色の瞳が、キラリと輝いたように見えた。

「うん。僕も君と仲良くなりたい。……友達になろう、リーリオ!」

 二度目の握手は、遠慮のない力強い握手だった。
 ボクは、シルヴァの友達になるんだ。
 そう、心に決めた。



 *



「シルヴァ、待ってよー!」

「しつこいぞ、リーリオ」

 季節が夏を迎える頃、シルヴァとも随分と親しくなったボクは、煙たがられながらもシルヴァを必死に追いかけているところだった。

 スタスタと歩く速度を緩めないシルヴァに、ぜぇはぁと息を切らしながらついて行く。

「ねぇ、最近メイと仲良いよね! どうなの? 好きなの?」

「うるさい」

 ヒロインであるメイ・バリエガータと、最近親しく話す姿を見かけてから、ボクは友人キャラとして、メイへの好感度を根掘り葉掘り聞いては、鬱陶しがられていた。

 クラスが違った為、つい最近までメイを見かけることはなかったのだけれど、流石はヒロイン。聖なるオーラが溢れていた。

 奇しくも、リリーと同じ真っ白い髪を、可愛らしく編み込んで、きゅるんとした可愛らしい顔立ちは、家紋の鈴蘭を思い起こさせた。

「そんなこと言わないでってば! ほら、もし気になってるなら、ボクが協力するし、話してよー!」

「だから、何度も言っているけど……クラス委員同士で会話をしているだけで、特別に親しいわけではないよ」

「それでも! あんなに可愛いんだよ! あのくりっとした瞳に見つめられて、シルヴァはドキドキしたりしないの?」

「しないね」

「本当に?」

 同じ女性のボクですら、あの潤んだ瞳で何かをお願いされたら、なんでもきいてしまいそうなのに。

「しつこいね」

 くるっ、と急に踵を返して、シルヴァがボクを壁へと押さえつけた。
 俗に言う、壁ドンをされてしまった。

「し、シルヴァ……ごめんってば」

「リーリオはすぐそうやって謝るけど……本当に悪いって思ってるの?」

 男同士。ただの友達。そうは思っていても、こんなに至近距離で見つめられると、流石のボクでも心臓に悪い。

 どくんどくんと、大きくなっていく心臓の音が、密着している身体からシルヴァに伝わってしまいそうだ。

「……思ってるよ」

 シルヴァの顔を見つめていられなくなり、つい、と視線を逸らしたボクの顎を、くい、と摘んで、元の位置に戻されてしまう。

「思ってないよね?」

「……ごめんって! ねぇ……、お願い。もう、許して……」

 シルヴァに真っ直ぐ見つめられて、ボクの頬はだんだんと熱を帯びていく。
 この状況にいたたまれなくなって、ボクは小さな声で許しを乞う。

 赤く染った頬、潤んだ瞳、震えてしまう声。
 まるで、女の子のような反応をしてしまったボクを、シルヴァがぱっと、解放する。

 男友達だというのに、こんな姿を見せてしまって申し訳ないな。ボクは心の中で反省しながら、ほっと胸を撫で下ろしていると、シルヴァが小さな声で呟いた。

「はぁ……。リーリオはずるいな」

 ボクの何がずるいんだろう。やっぱり、最後に泣き落としみたいになってしまったのが、ずるかったのだろうか。

 大きなため息をついて、シルヴァは近くにあったベンチを指さした。
 ベンチに座るシルヴァを置いて、地面に正座をしようとするボクを止めて、シルヴァは静かにボクを窘めた。

「リーリオ。僕が何に怒っているか、わかるかい?」

「……ボクが、しつこくメイのことを聞いてまわったから?」

「……半分正解。しつこかったのもそうだけど、本当に彼女を何とも思っていないからこそ、恋愛前提で彼女を好きだと決めつけられるのが嫌なのは、想像出来る?」

 まるで、先生が子供を叱るように丁寧に怒られてしまい、ボクは反論する言葉を持たなかった。

「……ごめん。想像出来た。否定するのも、めんどくさいかも」

「そうだろう?」

「次からは、気をつけます……。あの、一つだけいい?」

「何?」

「メイを好きだって前提じゃなくて、誰か好きな子いるの、とかは聞いてもいいかな?」

 それでも、友人キャラに固執しているのか、食い下がったボクにシルヴァはまたため息をついた。

「リーリオは、どうしてそんなに僕の好きな人が気になるの?」

 そう言われてみると、どうしてなんだろう。
 悪役令嬢を回避する為の友人キャラなら、もう十分に成功しているわけだし、ここまでしつこく聞く必要はなかった気もする。

 うぅん、と頭を悩ませているボクを見て、呆れたように微笑むと、シルヴァはそっとボクの唇に人差し指を当てた。

「それじゃあ、これはリーリオの宿題。ね?」

 悪戯そうな表情で微笑むと、そのままシルヴァはボクの耳元で囁いた。

「そうだな……。次の星祭りの日までに、答えを見つけられなかったら、お仕置……だから、ね?」

 ひらひら、と軽く手のひらを揺らして、シルヴァは校舎の方へと消えていった。

「……なに、あれ。……ずるいのは、シルヴァの方じゃんか……」

 あの顔で、あんな仕草で、ボクの唇を触るなんて。
 思わず、シルヴァに触れられた唇をそっとなぞり、ボクは自分のその行動に、かああと顔が熱くなった。

「ボクは男、ボクは友達……」

 落ち着こうと自分に言い聞かせるように、ぶつぶつと唱えてみるが、触れそうなほど近くで囁かれたのだ。シルヴァの吐息を思い出してしまい、耳がぞわぞわとくすぐったくなった。

「……辞めてよ、シルヴァのバカ。……こんなことされたら、好きになっちゃうじゃん。ボクは、シルヴァの友達なのに」

 友達、という言葉が、ボクの気持ちを縛りつける。

 認めてしまえば楽なのだとは分かっているけれど、この気持ちが、推しとしての気持ちなのか、ボク自身の気持ちなのか、今のボクには分からなかった。

 熱い頬を冷ますように、ボクは両頬を抑えて、小さく蹲った。

「……まずいよぅ」

 真っ赤に染っていくリーリオの耳を、シルヴァが嬉しそうに見つめていたことを、ボクはまだ知らない。



 *



「ふぁぁあふ……なんか、寝れなかったな」

 結局、眠ろうとすると、昨日の出来事を思い出してしまい、悶えてしまう、の繰り返しで、昨日はなかなか寝付けなかった。

 眠い目をこすりながら、ボクはカーテンを無造作に開けた。

 しゃっ、とベッドについているカーテンを開けると、そこには上半身が裸のシルヴァが、着替えをしようとしていた。

「うわぁあああ!」

 思わず、大きな声を出してしまい、ボクは急いでカーテンを閉めた。
 きゃああ、と叫ばなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。

 本当は、一人部屋だったのだけれど、王子であるシルヴァと親しく会話をしているのが、ボクだけだからという理由で、強制的に同室にされてしまったのだ。

 よく、今までこんな場面に遭遇しなかったな、と自分のタイミングの悪さを呪いながら、急いで自分の着替えを終わらせると、ボクはまるで何事も無かったかのように、もう一度カーテンを開けた。

「おはよう、シルヴァ」

「おはよう、リーリオ。怖い夢でも見ていたのかい?」

「う、うん。そうなんだ……。寝ぼけたまま、カーテンを開けたら、その、シルヴァが夢で見た殺人鬼に見えて」

 我ながら、なんてバカな言い訳なんだ。
 一国の王子を殺人鬼呼ばわりしたボクに、シルヴァは何も気にした素振りを見せずに、身支度を整えていく。

「ふふっ、殺人鬼か。殺人鬼が同室なんて、それは確かに怖いよね」

 こくこくと頷くボクを、今日は当番なんだからさっさと行ってこいと促すと、シルヴァは追い払うようなジェスチャーをした。

「……そうだった! 忘れるところだった。ありがとう、シルヴァ! 行ってきます!」

 バタバタと慌ただしく駆けていくボクの後ろ姿を見送って、シルヴァがぼそりと呟いた気がした。
 急いでいたボクは、振り返ることはせずに、校舎へと走っていった。

 リーリオのいなくなった部屋で、シルヴァが顔を片手で覆いながら、へなへなと地面にしゃがみこむ。

「……どうして、リーリオはああいう……。あれで、本当に隠せてると思っているのかな……」

 リーリオの前では冷静を装っていたが、パジャマの隙間からちらりと見えていた胸の谷間を思い出して、シルヴァは大きくため息をついた。

「……本当に、君は可愛くなるくらい、迂闊なんだよ。リーリオ」

 しん、と静まり返った部屋で、誰に伝えるわけでもなく、シルヴァは小さな声で呟いた。

 シルヴァの顔を覆う手のひらの隙間から、赤く染った頬が隠しきれずに見えていた。



 *



 結局、シルヴァから与えられた宿題の答えを出せないまま、星祭りの夜がやって来た。

 星祭りというのは、ようは七夕みたいなもので、流星群の流れる夜に、星空を見上げて願いを告げる日だ。
 七夕と、花火大会が混ざったような、胸のときめくシチュエーションに、ボクはシルヴァと二人きりで夜空を見上げていた。

「ボク、星祭りって初めてなんだけど、シルヴァは見たことあるの?」

「話に聞いたことはあったけれど、僕も初めてだよ」

「そっかぁ……」

 いつもだったら、うるさいと言われるくらいずっと話していられるのに、場の雰囲気に流されたのか、あの宿題がチラつくせいか、ボクはそわそわとしてしまい、なかなか会話を続けられなかった。

 会話のない静かな時間も、なんだか気恥ずかしくて、ボクは落ち着かずに下手な会話をパスし続けた。

 ボクはこんなにドキドキしっぱなしだっていうのに、宿題を出した本人は、呑気に夜空を眺めているのが、なんだか少し悔しかった。

 シルヴァの横顔を見つめていると、ふと、シルヴァがボクの方を見つめてきて、視線が絡み合ってしまった。
 たったそれだけで、ボクの心臓は容易に限界を訴えてくる。

「……リーリオ、珍しく静かだけど、どうかしたの?」

 爽やかな笑顔で訊ねられて、ボクは俯いて口を噤んでしまった。

「……ふふっ、ごめんね。少し、意地悪だったかな?」

「え?」

 シルヴァが何を言っているのか分からなくて、顔を上げると、視界いっぱいにシルヴァの顔が映る。

「うわっ……」

 あまりの近さに、思わず、体を仰け反らせて逃げようとしたボクの腕を、シルヴァが掴んで逃がしてくれなかった。

「……逃げないで、リーリオ」

 囁くようなシルヴァの声に、あの日のことを思い出して、頬が熱くなる。

 掴んだ腕を優しく引き寄せて、ボクの身体はシルヴァの腕の中にすっぽりと収まってしまう。

「……少しは、僕のこと、意識してくれた?」

 抱き締められるような姿勢になってしまい、顔を上げられずにいると、シルヴァがそっと耳元で囁いた。

 それに耐えられずに、ばっ、と耳元を抑えて顔を上げると、優しく微笑んでいるシルヴァがボクの頬を愛おしそうに撫でた。

「……ふふっ。いつも、僕ばかり君に振り回されているからね。たまには、僕も振り回してみたくなったんだ」

 そう言って、悪戯っぽい表情で目を細めると、シルヴァは例の宿題の答えをボクに求めてきた。

「……僕の出した宿題の答えは見つかった?」

 ふるふると首を横に振ったボクの頭を、仕方がないな、とシルヴァは優しく撫でた。
 まるで愛おしそうに、シルヴァがとても優しく触れるから、ボクは勘違いしてしまいそうになる。

「……勘違いじゃないよ」

 あれ。ボク、口に出しちゃってたのかな。
 その疑問に、リーリオはすぐに顔に出ちゃうから、と答えにならない答えを言うと、シルヴァはボクをぎゅっと抱き締めた。

「ねぇ、リーリオ。前に、好きな子がいるのか聞いてもいいかって言っていたでしょ。……あれ、今、聞いてくれないかい?」

 密着した身体から、シルヴァの心臓の音が伝わって、それとともに緊張まで伝わってきてしまった。

「……シルヴァは、今……好きな子、いるの?」

 聴こえるかどうかわからないくらい、消えそうな程に小さな声でボクが訪ねると、シルヴァのボクを抱きしめる力が強くなった。

「……いるよ」

「それって……」

 二人の間に沈黙が流れ、顔が見えないのも、それはそれで不安で、ボクは耐えきれずにシルヴァを見つめた。

「リーリオ、君のことが好きだよ」

 そう言って微笑んだシルヴァの瞳が、流星群を映してキラキラと瞬いた。

 何よりも美しいこの光景を、ボクは忘れることは出来ないのだろう。
 何故か熱くなった目頭に、涙が滲む。
 星を映したボクの涙に、シルヴァがそっとキスを落とした。
 ボクはただ、シルヴァの背中を強く、強く、抱き締めた。

 いつの間にか、シルヴァの好感度は、ボクに向けられていたらしい。

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