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デート~漣編~
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【デートする場合】
一つ、アズと各人とのデート(二人きり)回数は年間トータルで同数とすること
一つ、アズが承諾した場合は日にちを他の二人に伝えること
だだし、どこで何をするかまでの詳細は伝達事項に含まない
なお、詳細についてアズに尋ねることは妨げない
**
「デートしようぜ、アズ」
俺に水を渡してきながら、漣が言った。
「デート?」
俺はまださっきの余韻から抜け出せずにいたため、貰った水の冷たさと漣の言葉にちょっとびっくりした。
「うん、嫌か?」
受け取ったものの思うように力が入らず、ペットボトルの蓋が開けられない俺からペットボトルを再び自分の手に戻しながら漣が聞く。
「ううん、やじゃないよ。もちろんいいよ……んっん」
返事をするや否や、口移しで水が流し込まれ、コクンと水を飲み込む頃には、俺の体は再びベッドに沈み込んでいった。
**
アズがデートを承諾してくれた。
ふと窓に映る自分の口角が上がっていることに気がつく。
浮かれてんな。
自分が自分じゃないみたいだ。
でも今の自分は嫌いじゃない。
本当に用事が入っている以外でアズは断ったりしない。そんなことは分かっていても、なぜか毎回答えを聞くまではどこかで緊張している。アズと出会う前までの俺には考えられないことだ。
だからこそ、OKの返事を貰うと自然とテンションが上がってしまう。
「今度アズとデートすっから」
風呂上がりに、リビングに朔と奨が揃っていたので報告する。
「いつ?」
「2週間後の水曜」
「ふぅん。……分かった」
「俺も了解」
いちいち報告することにも慣れた。昔は報告すら嫌だったのにな。人って慣れる動物なんだって思う。ま、こうやって4人で暮らしてるってこと自体、俺にとっては驚きではあるんだけど、もうこれも日常だ。
大学4年のこの夏、俺たちはこの家に引っ越してきた。
そう、アズと結婚したのだ。
本来なら俺等の大学卒業と同時に結婚の予定だったんだけど、アズがまさかの就職するなんて言い出したため、少し予定を早めることにした。実はアズには言っていないが、3人で買ったマンションがあるのだが、まだ建設途中で完成していないため、今は奨の親が持っているマンションに仮住まい中。ここが一番広くて大学にも近かったって理由だけど。
ま、本音を言えばアズが就職するって言い出したことに焦ったのもあったけど、もう待てなかったのが一番だな。俺だけじゃなくて、朔も奨も。
奨の
「アズは専業主夫になればいいんだよ」
に、まさかアズが頷くと思わなかったけど、頷いてくれてホッとした。奨のアズのコントロール力には毎度妬けると同時に驚く。
でももう焦らない。
だって、俺だってアズの夫なんだから。
「どこ行くんだよ」
「ナイショ」
「あっそ。じゃあアズに聞く」
「アズにもまだどこに行くって言ってないから無駄だよ」
朔は機嫌悪いな。
まぁそれもそうか。自分が大変な時に誰かがアズとデートするって聞いたら、俺だってそうなる。
奨はいつも微笑んでいるだけ。穏やかそうに見せて誰かがデート報告すると、すぐ次のデートを取り付ける。上書きしようとすんじゃねーよ、一番年上のくせに大人気ないな。もうどうせ正体分かってんだからその不気味な微笑みいらねーし。
**
「あれ? 今日ってお仕事入ってたの? デートはその後ってことかな? じゃあ俺、外のカフェにいるね。お仕事終わったら連絡頂戴。頑張ってね」
ま、そういう反応だよな。
「違うって、これが今日のデート」
「え?」
はは、ビックリして目がまん丸だ。アズの綺麗な瞳がより一層見開かれ、俺を映す。
透き通ったブルーグレーの瞳に俺だけが映っている。
俺だけが。
それだけで嬉しい。
「漣のお仕事を見るのがデート?」
あ、そっちね。あくまでも『自分』は入ってないとこがアズらしいな。
「いや、違う。アズとの撮影がデートなんだ、俺の『したい事』」
「えぇ?!」
ビックリしたままのアズをメイク室に連れて行く。今日のメイクさんはユズとも仲が良く、今日のことも話してある。口が軽いやつも多いけど、信用される腕のいいヘアメイクは口も堅い。
余計なことは一切詮索せずに、でも、アズの緊張をほぐしながら素早く仕上げてくれる。
素顔のままでも充分魅力的だが――俺が一目惚れしたくらいだ――さすがは凄腕ヘアメイクさん。アズが何倍も綺麗でカッコよくて可愛くなった。
ん-、俺の語彙力……
自覚はあるけど、もっとアズのことは自分の言葉で飾りたい。
「待ってたよ、アズくん。流石に可愛いね!」
「会って数秒で口説くの止めてもらえますか」
「いや、挨拶しただけでしょ。お前もユズちゃんもアズくんのことになると狭量すぎじゃない」
「いえ、佐久間さんかっこいいし、油断も隙もないので」
「わぁ漣に褒められた! なのに冷たすぎる視線のせいで嬉しさを感じられない。俺信用ないねー。ま、確かにアズくんならいつでもウェルカムだけどね」
そう言ってアズにウィンクをする。
当のアズはビックリして固まってるけど、マジで釘刺しとかないと。
「ちょっ、言った側から!」
「あはは、冗談だよ、冗談。いつもクールな漣がそんな顔するなんて、うん、今日の撮影は楽しそうだ」
佐久間さんは元トップモデル、今だって全然現役でイケる。
俺がモデルとして本当に駆け出しの頃に事務所の先輩として色々とお世話になった人だ。あの頃はモデル業界にもっと敵意があって、俺がスカウトされたことにも、調子の良いことしか言わない事務所の奴らにも、カメラマンにも、ライバル意識むき出しの他のモデルにも、とにかくイライラしていた。
求められているポーズや表情に上手く応えられずに、その日も最高潮にイライラしていた。
「えっと、まぁ、REN君はそのままでもいいから……」
RENは俺のモデルの時の名前。
子どもをなだめるように、妥協しようとするようなカメラマンの言い方にまたイラつく。
「ちょっと時間あったから早めに来ちゃった」
自分より背の高いその男は、ふらりと撮影現場にマネージャーもつけずにやって来て、すぐに場の雰囲気を変えてしまった。
「佐久間くん!」
カメラマンやマネージャーのほっとしたような顔。
何なんだよ!
今日は俺だけじゃなかったのかよ。
「なーに怒ってるんだよ」
俺の気分なんて関係ないというように、コツンと頭を弾かれる。
「俺、佐久間って言うの。お前さ、同じ事務所だろ?」
「知らないっス」
「あはは、そっかー。うん、体も顔もガチガチだから、ちょっと休憩しとこっか」
「はぁ?!」
自分でモデルをやろうと決断したはずなのに、なかなか上手く表現が出来ない自分に対してイライラしていたことに気がつく。どこかで見下していた、アズを傷つけたこのモデル業界なんて、ただ立ってるだけでいいんだろと思っていたのに、現場は違った。もっと真剣に、もっと誠実に向き合わないといけない場所だった。でも、向き合うことに対してなぜだかアズへの裏切りのような気持ちがあって、それでも少しでもいい写真が取れた時は、ピアノで弾きたい音が弾けたときのような高揚感があり、様々な感情が消化できず、ただただイライラしていたのだ。
ガキじゃん、俺。
目の前の男は、1カットごとに表情を変える。
同じ衣装なのに雰囲気が全く違う、そしてどれもカッコよかった。フラッシュも背景もカメラのレンズもすべて彼のためだけにあるようだった。
凄い。
目が離せなかった。
これが、モデル……。
どれだけの時間だったのか、気がつくと撮影が終わっていた。気がつくと、また俺の隣にひょいと来て言った。
「どうだった?」
「あ、あの……凄かったデス」
「そ? ありがと。じゃあREN、残りの撮影しちゃおうか、俺もまだいるからさ」
そうして、ポージングやら目線やら付きっきりでアドバイスしてくれた。
「あ、あの、今日はありがとうございました」
素直に頭が下げられた。
男はフッと笑って、
「社長がすごい期待してるって言ってたから、頑張ってよ」
と、また風のように去っていった。
俺はいつかあの人を超えたい、そう思った。
でも一緒に撮影が出来たのは数ヶ月ほど。カメラの勉強がしたいとすでに専門学校へ通っていた佐久間さんは卒業と同時にサクッとモデル業を引退しカメラマンとなった。最初は下積みで色々あったらしいが、センスはいいし、モデル側のこともよく理解してくれるし、今や引く手あまたのカメラマンだ。
**
パシャ ピー
パシャ ピー
カメラのシャッター音だけが響く。
凄い……。スイッチが入るというのか、オーラを纏うというのか、漣の雰囲気が変わる。ユズちゃんの撮影も見たことあるけど、モデルって本当にすごい。
普段の漣はもっとボーっとしている、と思う。
朔や奨くんに言わせると、「無気力星人」らしい。
それがカメラの前に立つと、急に別人になったように感じる。いつもカッコいいけど、全然違う。
「じゃあそろそろアズ君も入ろうか」
佐久間さんに言われて、ドキドキしながらロールスクリーンの前の漣の隣に立つ。
「本当にいいの?俺なんか一緒に写って」
小声で聞くと、
「アズが一緒じゃ無きゃダメなんだ、今日はね、デートだから」
「うん?」
ややイタズラっぽい表情で答える漣も珍しくて、つい見つめてしまう。
すると、
パシャ ピー
あの音がしてシャッターが切られたことが分かる。
「大丈夫、リラックスして。漣と話しししていていいよ~」
佐久間さんが声を掛けてくれる。
本来なら1カットごとにポーズを変えたりするらしいのだが、俺はほとんどカメラの方は向いていなかったように思う。
漣が優しくリードしてくれて、いつものと違う漣にドキドキしていると次第にシャッター音も気にならなくなった。
時々衣装も替えて、撮影は続いた。
「ほら、アズ君、来て見て」
佐久間さんに呼ばれ、画面を見せてもらう。
少し恥ずかしそうに微笑む俺と、そんな俺を優しく見つめる漣がいた。
わぁ…恥ずかしいけど、嬉しいかも。
「うん、いいね」
佐久間さんも頷く。
「こいつのこんな表情初めて見るよ。俺がどんなに撮りたくて頑張ってみても引き出せなかった表情だ」
え?
思わず佐久間さんを見つめてしまう。
「ほら、知っての通りあのクールさだ。色気もあるし、何着ても自分のものにしてしまうからキマる。そうなると、やっぱりそういう方向の写真が多くてね。いや、別にいいんだよ、クライアントの意向や世間のイメージ通りのものであれば売れる。
RENだって全く笑わないわけじゃないけどね、撮影でも、出来上がった写真でも。ただ、何て言うか、不敵というか小馬鹿にしたようなというか、それも一つの表現だし、あいつの撮影では注文の多い表情ではあるんだけど、こういつも一歩距離があるようなそんな表情が多くてさ。自分の内側は絶対見せないっていうか。
だけど、どうしても俺はRENの漣としての人間らしい顔が見たかった。もっとモデルとして幅広い仕事が出来るはずだし、そうなってもらいたいと思ってる。それには自分をカメラの前でさらけ出すことも必要なんだよ。
色々試したよ、自然、動物、子供、女、男……」
「え……」
思わず声が出てしまっていた。
試すって何?
どうやって?何したのかな?
こども?
おんな??
おとこ???
「あぁ、ごめん。変な意味じゃないよ。撮影の時のパートナーだよ」
「いえ、大丈夫です……すみません」
パートナーって、今日の俺みたいなことなのかな。
今までも漣の写真は見てきたし、いっぱい応援もしてきたけど、改めて振り返ると様々なモデルとの距離の近い写真もあったような気がする。
いつも漣ばかり見ていて気が付かなかったかも。
でも、今日みたいな距離で、雰囲気で、他の人と撮影したりするんだ。
もやもやとした黒く苦い思いがじんわりと胸に広がる気がした。
「だけど、変わらないんだよ。何が相手でも漣は……。ユズちゃんとも試したけどね。……ふふふ」
佐久間さんが堪えきれないと言った風に笑い出す。
「アイツら、撮影中にずっと口喧嘩してんの。それも幼稚園レベル。バカとかアホとか言っちゃって。トップモデル2人がだよ? 笑っちゃうでしょ! それぞれのマネジャーはおろおろしたり、呆れた顔してたり結構現場はヒヤヒヤしてたけど、それも俺はおかしくて。
でも、ちゃんと撮影が始まると切り替わるの。その辺りはさすがと思ったね。その時もいつもとは違う顔が撮れたと思ったけど……」
佐久間さんが俺を見つめる。
「うん、君だけなんだね」
「え?」
「今日は何の撮影か知ってる?」
「えっと……いえ」
「そっか、うん。今日は半分プライベートなんだ、実はさ俺の知り合いからどうしてもって頼まれて、だから身内だけの撮影なんだけど、テーマは『Happiness』なんだよね」
「え」
「モデルを探してるってたまたま世間話してた時に漣もいてさ、まさかアイツが自分から立候補してくると思わなかったんだけど、だって、アイツからそういうのって、まぁあんまりイメージなかったし。でも、だからこそ面白いって思ったんだ。俺がアイツの初めての表情を引き出してやるって」
佐久間さんはずっと俺を見つめたままだ。
「でも違った。俺じゃない。REN、いや、漣のこんな表情を引き出したのは、アズ君。君だ。君だからなんだね。今日の撮影で良くわかった。俺はまだまだ修行が足りないなぁ」
自嘲気味に笑う佐久間さんだったけど、次の瞬間瞳がキラリと光る。
「俺もさ、虜になりそう。これからもモデルとして撮らせて欲しいな。どう? もちろんプレイベートなお付き合いも歓迎……いって」
「佐久間さん! 何言ってんですか! マジ勘弁して下さい。俺、佐久間さんとはいい関係でいたいんすけど!」
不意に伸びてきた手がアズに触れる寸前で着替えから戻ってきた漣にはたき落とされる。
「えー、だってアズ君本当に魅力的なんだもん」
「分かってますよ、だから外には出しません」
「ユズちゃんと同じこと言ってる」
「なら余計諦めて下さい」
「今日は連れてきたくせに」
「……俺だって、最高のカメラマンに最高な瞬間を撮ってもらいたかったんですよっ」
顔を真っ赤にしながら漣が言う。
「あはは、お前のその顔も撮っておきたかったなぁ。じゃあポスター期待してて。アズ君今日はお疲れ様、あ、これ俺の連絡先ね……」
「だから、そういうのはなしで!」
「ガード固すぎでしょ」
ひらひらと手を振る佐久間さんは、ちっとも堪えていないようだった。
**
「アズ、今日はありがとう」
「ううん、俺も楽しかったよ」
「ほんと? 多少強引だった自覚はあるんだ、だけど、俺……」
「本当だよ。漣の仕事ぶりが見られて楽しかったし、漣の話をいっぱい聞けて嬉しかった。こんなカッコいい人が俺の恋人……ううん、旦那さんなんだって」
「アズっ!!」
言い終わらない内に漣に抱きしめられ、そのままキスされる。
「ん、ん、れ……ん」
いつもならすぐに舌がはいってくるところだが、優しい啄むようなキスを何度か繰り返され、解放される。
「アズ、俺、今日の写真一生宝物にする」
漣はそう言ってまたチュッとリップ音を立ててアズの額にキスをした。
夕日に漣の髪が透ける中、キラリとピアスが光る。
「漣……今日はピアスあんまり付いてないんだね」
漣の耳には何個空いているのか分からないくらいピアスの穴が空いていて、いつもたくさんピアスが付いている。漣が初めて隣に座った時、ビックリした記憶がある。
「うん、本当はもうコレだけあればいいんだ」
今日は俺のあげたピアスだけが漣の耳を飾っている。
「え、でも……」
いつもセンスの良いピアスが付いていて、それを見るのも好きだった。
そう言うと、漣は何も言わずにやっぱりキスをしてくるのだった。
ちょっといいレストランでディナーをした帰りの車の中。
「漣、今日は俺を連れてきてくれてありがとう。選んでくれてありがとう、俺も幸せだよ」
アズは割りとストレートに感情を伝えてくれるけど、こんな風な直球は久々で顔に熱が集まるのが分かる。
「……佐久間さんから何か聞いた?」
「うん、今日の撮影テーマを教えてもらったよ」
はっず、あの人余計なことばっかり言うな。
「あー、口止めしとけば良かった」
「どうして? 俺は嬉しかった。漣はなかなか言葉にはしないけど、いつも俺のことを考えてくれてるのちゃんと伝わってるよ、だから俺も漣のこと大好きなんだ」
「アズ……」
あぁ、どうしよう。
この可愛い生き物は、どれだけ俺の心を捉えれば気が済むのだろう。
こんなアズの隣にいられる俺以外、一体誰が『幸福』を体現できるっていうのか。
帰り着くまで待てず、路肩に車を止めた俺は大きく腕を広げて、助手席のアズを優しく抱きしめた。
**
2ヶ月後、佐久間さんの撮った写真がポスターとなった。
たった数店舗。
佐久間さんの知り合いのセレクトショップにだけ貼られたポスターだったが、RENの蕩けるような笑顔がバズり、何度貼り直しても盗難被害に遭い、ポスターの前で写真を取るために歩道に人が溢れるようになったため掲示が中止された。このためポスターはプレミアとなった。
RENの相手役のモデルもかなりの話題となったが、どこの誰かは一切不明。その正体不明さと目は閉じられた横顔だけにもかかわらず透明感あふれる美貌のせいで、ついに合成疑惑が持ち上がり、様々なモデルの合成だということになった。
「お前、撮影に連れ出したとは聞いていたけど、ポスターになるとか聞いてないんだけど。ちゃんと秘密保持契約とかしてあるんだろうな」
漣の部屋のポスターを見上げながら朔が言う。
「大丈夫、ちゃんとしてくれてる人たちだから」
「本当だろうな。アズの周りにちょっとでも変なやつがうろついたら、同盟違反で罰則適用するかんな」
「はぁ? 大丈夫だっつてんだろ。何ならユズにも確認したら」
「そうする」
朔は納得いかない表情のまま、視線はポスターに戻す。
「ってかさ、漣。これお前がアズとのツーショット欲しかっただけじゃねーの?」
「ふっ。いいだろ」
「うっわ、マジで? ずりっ。俺もアズとのツーショット欲しい。ってか公私混同しすぎじゃね」
「Win-Winって言えよ」
「ムカつくなぁ、お前! 俺だってスカウトはされたんだぞ」
「でも実際やってんのは、俺。アズとポスターになったのも、俺」
「……やっぱ俺もしようかな、モデル」
朔が呟く。
「時間取れないくせに」
「……この野郎」
朔は今年の司法試験に向け勉強漬けなのだ。
「漣、アズだけのポスターはないのか?」
いつの間にかドアの前に立っていた奨が言う。
「あ、それなら俺も欲しー!」
さっきまでむくれていた朔も乗る。
「ないよ、別にアズをモデルにしたい訳じゃないし、作ってない」
「そうか……じゃあ、撮影のデータを送って」
「は? ヤだね、デート中のことは詮索なし、聞きたかったらアズに、だろ」
奨はピクリと片眉だけを動かして部屋から出ていった。
アズのことを隠しておきたい気持ちは当然のことだけど、アズのことを俺のものだって知らしめたい気持ちもあった。指輪をしてくれていることで、普段は落ち着いているけど、今回アズと結婚して一緒に暮らし始めたことが、実は俺を相当浮つかせていることは間違いない。
俺のアズ。
俺の最愛がここにいる。
全世界に大声で言ってやりたい。
アズと結婚したんだって。
ま、アイツラにはそんな俺の下心が分かったんだろうな。
どうせ各々アズとのデートを企んでるんだから、そこはおあいこじゃん。
だけど、撮影時のアズとこのポスターは俺だけのもの。
**
すでに国内では知名度があるモデルと言っても良かった漣だったが、格段にモデルとして評価の上がり、ぐっと忙しくなった。海外のコレクションにも呼ばれるようになり、家を空けることも増えてきた。
きっかけはあのポスター。
いまや伝説になりつつあるRENの笑顔と謎のモデルが、数年後再び登場し世間は騒然となった。
そこには、しなやかな肢体と爽やかな風を思わせるモデルと色気と気品が半端ないモデルが増えており、この2人が更に騒ぎを大きくした原因だった。増えたモデルはやはり横顔だったり、片手で顔半分を覆っていたりして、決してこちらを見据えていないのに、あまりに整った造作で見る者を圧倒した。
すぐに彼らの身につけているアイテムは完売が相次いだ。ただでさえ希少と言われるパライバトルマリンのアクセサリー、ハイブランドの腕時計、高級スーツ……安くても数十万、下手すると数百万のアイテムが完売するのだ、無論モデルについて問い合わせが殺到した。
しかしREN以外の3人のモデルについての詳細は公表されず、各モデル事務所や芸能事務所が必死になって探し回るが、どこの事務所もそのモデルらと契約することはおろか、どこの誰だか突き止めることも出来なかった。
**
「これで満足かよ」
「まーね」
「結婚3周年のいい記念だな」
「うん」
4人が映ったポスターは額縁に入れられ、リビングの一角に飾られている。
こちらもカリスマカメラマンとして有名となり、今や彼に撮ってもらえることはステータスだとも言われる佐久間のサインが入ったそのポスターは、街頭のポスターと違い、4人ともしっかりカメラを見つめ、幸せそうに微笑んでいる。
家族のためだけの記念写真だ。
一つ、アズと各人とのデート(二人きり)回数は年間トータルで同数とすること
一つ、アズが承諾した場合は日にちを他の二人に伝えること
だだし、どこで何をするかまでの詳細は伝達事項に含まない
なお、詳細についてアズに尋ねることは妨げない
**
「デートしようぜ、アズ」
俺に水を渡してきながら、漣が言った。
「デート?」
俺はまださっきの余韻から抜け出せずにいたため、貰った水の冷たさと漣の言葉にちょっとびっくりした。
「うん、嫌か?」
受け取ったものの思うように力が入らず、ペットボトルの蓋が開けられない俺からペットボトルを再び自分の手に戻しながら漣が聞く。
「ううん、やじゃないよ。もちろんいいよ……んっん」
返事をするや否や、口移しで水が流し込まれ、コクンと水を飲み込む頃には、俺の体は再びベッドに沈み込んでいった。
**
アズがデートを承諾してくれた。
ふと窓に映る自分の口角が上がっていることに気がつく。
浮かれてんな。
自分が自分じゃないみたいだ。
でも今の自分は嫌いじゃない。
本当に用事が入っている以外でアズは断ったりしない。そんなことは分かっていても、なぜか毎回答えを聞くまではどこかで緊張している。アズと出会う前までの俺には考えられないことだ。
だからこそ、OKの返事を貰うと自然とテンションが上がってしまう。
「今度アズとデートすっから」
風呂上がりに、リビングに朔と奨が揃っていたので報告する。
「いつ?」
「2週間後の水曜」
「ふぅん。……分かった」
「俺も了解」
いちいち報告することにも慣れた。昔は報告すら嫌だったのにな。人って慣れる動物なんだって思う。ま、こうやって4人で暮らしてるってこと自体、俺にとっては驚きではあるんだけど、もうこれも日常だ。
大学4年のこの夏、俺たちはこの家に引っ越してきた。
そう、アズと結婚したのだ。
本来なら俺等の大学卒業と同時に結婚の予定だったんだけど、アズがまさかの就職するなんて言い出したため、少し予定を早めることにした。実はアズには言っていないが、3人で買ったマンションがあるのだが、まだ建設途中で完成していないため、今は奨の親が持っているマンションに仮住まい中。ここが一番広くて大学にも近かったって理由だけど。
ま、本音を言えばアズが就職するって言い出したことに焦ったのもあったけど、もう待てなかったのが一番だな。俺だけじゃなくて、朔も奨も。
奨の
「アズは専業主夫になればいいんだよ」
に、まさかアズが頷くと思わなかったけど、頷いてくれてホッとした。奨のアズのコントロール力には毎度妬けると同時に驚く。
でももう焦らない。
だって、俺だってアズの夫なんだから。
「どこ行くんだよ」
「ナイショ」
「あっそ。じゃあアズに聞く」
「アズにもまだどこに行くって言ってないから無駄だよ」
朔は機嫌悪いな。
まぁそれもそうか。自分が大変な時に誰かがアズとデートするって聞いたら、俺だってそうなる。
奨はいつも微笑んでいるだけ。穏やかそうに見せて誰かがデート報告すると、すぐ次のデートを取り付ける。上書きしようとすんじゃねーよ、一番年上のくせに大人気ないな。もうどうせ正体分かってんだからその不気味な微笑みいらねーし。
**
「あれ? 今日ってお仕事入ってたの? デートはその後ってことかな? じゃあ俺、外のカフェにいるね。お仕事終わったら連絡頂戴。頑張ってね」
ま、そういう反応だよな。
「違うって、これが今日のデート」
「え?」
はは、ビックリして目がまん丸だ。アズの綺麗な瞳がより一層見開かれ、俺を映す。
透き通ったブルーグレーの瞳に俺だけが映っている。
俺だけが。
それだけで嬉しい。
「漣のお仕事を見るのがデート?」
あ、そっちね。あくまでも『自分』は入ってないとこがアズらしいな。
「いや、違う。アズとの撮影がデートなんだ、俺の『したい事』」
「えぇ?!」
ビックリしたままのアズをメイク室に連れて行く。今日のメイクさんはユズとも仲が良く、今日のことも話してある。口が軽いやつも多いけど、信用される腕のいいヘアメイクは口も堅い。
余計なことは一切詮索せずに、でも、アズの緊張をほぐしながら素早く仕上げてくれる。
素顔のままでも充分魅力的だが――俺が一目惚れしたくらいだ――さすがは凄腕ヘアメイクさん。アズが何倍も綺麗でカッコよくて可愛くなった。
ん-、俺の語彙力……
自覚はあるけど、もっとアズのことは自分の言葉で飾りたい。
「待ってたよ、アズくん。流石に可愛いね!」
「会って数秒で口説くの止めてもらえますか」
「いや、挨拶しただけでしょ。お前もユズちゃんもアズくんのことになると狭量すぎじゃない」
「いえ、佐久間さんかっこいいし、油断も隙もないので」
「わぁ漣に褒められた! なのに冷たすぎる視線のせいで嬉しさを感じられない。俺信用ないねー。ま、確かにアズくんならいつでもウェルカムだけどね」
そう言ってアズにウィンクをする。
当のアズはビックリして固まってるけど、マジで釘刺しとかないと。
「ちょっ、言った側から!」
「あはは、冗談だよ、冗談。いつもクールな漣がそんな顔するなんて、うん、今日の撮影は楽しそうだ」
佐久間さんは元トップモデル、今だって全然現役でイケる。
俺がモデルとして本当に駆け出しの頃に事務所の先輩として色々とお世話になった人だ。あの頃はモデル業界にもっと敵意があって、俺がスカウトされたことにも、調子の良いことしか言わない事務所の奴らにも、カメラマンにも、ライバル意識むき出しの他のモデルにも、とにかくイライラしていた。
求められているポーズや表情に上手く応えられずに、その日も最高潮にイライラしていた。
「えっと、まぁ、REN君はそのままでもいいから……」
RENは俺のモデルの時の名前。
子どもをなだめるように、妥協しようとするようなカメラマンの言い方にまたイラつく。
「ちょっと時間あったから早めに来ちゃった」
自分より背の高いその男は、ふらりと撮影現場にマネージャーもつけずにやって来て、すぐに場の雰囲気を変えてしまった。
「佐久間くん!」
カメラマンやマネージャーのほっとしたような顔。
何なんだよ!
今日は俺だけじゃなかったのかよ。
「なーに怒ってるんだよ」
俺の気分なんて関係ないというように、コツンと頭を弾かれる。
「俺、佐久間って言うの。お前さ、同じ事務所だろ?」
「知らないっス」
「あはは、そっかー。うん、体も顔もガチガチだから、ちょっと休憩しとこっか」
「はぁ?!」
自分でモデルをやろうと決断したはずなのに、なかなか上手く表現が出来ない自分に対してイライラしていたことに気がつく。どこかで見下していた、アズを傷つけたこのモデル業界なんて、ただ立ってるだけでいいんだろと思っていたのに、現場は違った。もっと真剣に、もっと誠実に向き合わないといけない場所だった。でも、向き合うことに対してなぜだかアズへの裏切りのような気持ちがあって、それでも少しでもいい写真が取れた時は、ピアノで弾きたい音が弾けたときのような高揚感があり、様々な感情が消化できず、ただただイライラしていたのだ。
ガキじゃん、俺。
目の前の男は、1カットごとに表情を変える。
同じ衣装なのに雰囲気が全く違う、そしてどれもカッコよかった。フラッシュも背景もカメラのレンズもすべて彼のためだけにあるようだった。
凄い。
目が離せなかった。
これが、モデル……。
どれだけの時間だったのか、気がつくと撮影が終わっていた。気がつくと、また俺の隣にひょいと来て言った。
「どうだった?」
「あ、あの……凄かったデス」
「そ? ありがと。じゃあREN、残りの撮影しちゃおうか、俺もまだいるからさ」
そうして、ポージングやら目線やら付きっきりでアドバイスしてくれた。
「あ、あの、今日はありがとうございました」
素直に頭が下げられた。
男はフッと笑って、
「社長がすごい期待してるって言ってたから、頑張ってよ」
と、また風のように去っていった。
俺はいつかあの人を超えたい、そう思った。
でも一緒に撮影が出来たのは数ヶ月ほど。カメラの勉強がしたいとすでに専門学校へ通っていた佐久間さんは卒業と同時にサクッとモデル業を引退しカメラマンとなった。最初は下積みで色々あったらしいが、センスはいいし、モデル側のこともよく理解してくれるし、今や引く手あまたのカメラマンだ。
**
パシャ ピー
パシャ ピー
カメラのシャッター音だけが響く。
凄い……。スイッチが入るというのか、オーラを纏うというのか、漣の雰囲気が変わる。ユズちゃんの撮影も見たことあるけど、モデルって本当にすごい。
普段の漣はもっとボーっとしている、と思う。
朔や奨くんに言わせると、「無気力星人」らしい。
それがカメラの前に立つと、急に別人になったように感じる。いつもカッコいいけど、全然違う。
「じゃあそろそろアズ君も入ろうか」
佐久間さんに言われて、ドキドキしながらロールスクリーンの前の漣の隣に立つ。
「本当にいいの?俺なんか一緒に写って」
小声で聞くと、
「アズが一緒じゃ無きゃダメなんだ、今日はね、デートだから」
「うん?」
ややイタズラっぽい表情で答える漣も珍しくて、つい見つめてしまう。
すると、
パシャ ピー
あの音がしてシャッターが切られたことが分かる。
「大丈夫、リラックスして。漣と話しししていていいよ~」
佐久間さんが声を掛けてくれる。
本来なら1カットごとにポーズを変えたりするらしいのだが、俺はほとんどカメラの方は向いていなかったように思う。
漣が優しくリードしてくれて、いつものと違う漣にドキドキしていると次第にシャッター音も気にならなくなった。
時々衣装も替えて、撮影は続いた。
「ほら、アズ君、来て見て」
佐久間さんに呼ばれ、画面を見せてもらう。
少し恥ずかしそうに微笑む俺と、そんな俺を優しく見つめる漣がいた。
わぁ…恥ずかしいけど、嬉しいかも。
「うん、いいね」
佐久間さんも頷く。
「こいつのこんな表情初めて見るよ。俺がどんなに撮りたくて頑張ってみても引き出せなかった表情だ」
え?
思わず佐久間さんを見つめてしまう。
「ほら、知っての通りあのクールさだ。色気もあるし、何着ても自分のものにしてしまうからキマる。そうなると、やっぱりそういう方向の写真が多くてね。いや、別にいいんだよ、クライアントの意向や世間のイメージ通りのものであれば売れる。
RENだって全く笑わないわけじゃないけどね、撮影でも、出来上がった写真でも。ただ、何て言うか、不敵というか小馬鹿にしたようなというか、それも一つの表現だし、あいつの撮影では注文の多い表情ではあるんだけど、こういつも一歩距離があるようなそんな表情が多くてさ。自分の内側は絶対見せないっていうか。
だけど、どうしても俺はRENの漣としての人間らしい顔が見たかった。もっとモデルとして幅広い仕事が出来るはずだし、そうなってもらいたいと思ってる。それには自分をカメラの前でさらけ出すことも必要なんだよ。
色々試したよ、自然、動物、子供、女、男……」
「え……」
思わず声が出てしまっていた。
試すって何?
どうやって?何したのかな?
こども?
おんな??
おとこ???
「あぁ、ごめん。変な意味じゃないよ。撮影の時のパートナーだよ」
「いえ、大丈夫です……すみません」
パートナーって、今日の俺みたいなことなのかな。
今までも漣の写真は見てきたし、いっぱい応援もしてきたけど、改めて振り返ると様々なモデルとの距離の近い写真もあったような気がする。
いつも漣ばかり見ていて気が付かなかったかも。
でも、今日みたいな距離で、雰囲気で、他の人と撮影したりするんだ。
もやもやとした黒く苦い思いがじんわりと胸に広がる気がした。
「だけど、変わらないんだよ。何が相手でも漣は……。ユズちゃんとも試したけどね。……ふふふ」
佐久間さんが堪えきれないと言った風に笑い出す。
「アイツら、撮影中にずっと口喧嘩してんの。それも幼稚園レベル。バカとかアホとか言っちゃって。トップモデル2人がだよ? 笑っちゃうでしょ! それぞれのマネジャーはおろおろしたり、呆れた顔してたり結構現場はヒヤヒヤしてたけど、それも俺はおかしくて。
でも、ちゃんと撮影が始まると切り替わるの。その辺りはさすがと思ったね。その時もいつもとは違う顔が撮れたと思ったけど……」
佐久間さんが俺を見つめる。
「うん、君だけなんだね」
「え?」
「今日は何の撮影か知ってる?」
「えっと……いえ」
「そっか、うん。今日は半分プライベートなんだ、実はさ俺の知り合いからどうしてもって頼まれて、だから身内だけの撮影なんだけど、テーマは『Happiness』なんだよね」
「え」
「モデルを探してるってたまたま世間話してた時に漣もいてさ、まさかアイツが自分から立候補してくると思わなかったんだけど、だって、アイツからそういうのって、まぁあんまりイメージなかったし。でも、だからこそ面白いって思ったんだ。俺がアイツの初めての表情を引き出してやるって」
佐久間さんはずっと俺を見つめたままだ。
「でも違った。俺じゃない。REN、いや、漣のこんな表情を引き出したのは、アズ君。君だ。君だからなんだね。今日の撮影で良くわかった。俺はまだまだ修行が足りないなぁ」
自嘲気味に笑う佐久間さんだったけど、次の瞬間瞳がキラリと光る。
「俺もさ、虜になりそう。これからもモデルとして撮らせて欲しいな。どう? もちろんプレイベートなお付き合いも歓迎……いって」
「佐久間さん! 何言ってんですか! マジ勘弁して下さい。俺、佐久間さんとはいい関係でいたいんすけど!」
不意に伸びてきた手がアズに触れる寸前で着替えから戻ってきた漣にはたき落とされる。
「えー、だってアズ君本当に魅力的なんだもん」
「分かってますよ、だから外には出しません」
「ユズちゃんと同じこと言ってる」
「なら余計諦めて下さい」
「今日は連れてきたくせに」
「……俺だって、最高のカメラマンに最高な瞬間を撮ってもらいたかったんですよっ」
顔を真っ赤にしながら漣が言う。
「あはは、お前のその顔も撮っておきたかったなぁ。じゃあポスター期待してて。アズ君今日はお疲れ様、あ、これ俺の連絡先ね……」
「だから、そういうのはなしで!」
「ガード固すぎでしょ」
ひらひらと手を振る佐久間さんは、ちっとも堪えていないようだった。
**
「アズ、今日はありがとう」
「ううん、俺も楽しかったよ」
「ほんと? 多少強引だった自覚はあるんだ、だけど、俺……」
「本当だよ。漣の仕事ぶりが見られて楽しかったし、漣の話をいっぱい聞けて嬉しかった。こんなカッコいい人が俺の恋人……ううん、旦那さんなんだって」
「アズっ!!」
言い終わらない内に漣に抱きしめられ、そのままキスされる。
「ん、ん、れ……ん」
いつもならすぐに舌がはいってくるところだが、優しい啄むようなキスを何度か繰り返され、解放される。
「アズ、俺、今日の写真一生宝物にする」
漣はそう言ってまたチュッとリップ音を立ててアズの額にキスをした。
夕日に漣の髪が透ける中、キラリとピアスが光る。
「漣……今日はピアスあんまり付いてないんだね」
漣の耳には何個空いているのか分からないくらいピアスの穴が空いていて、いつもたくさんピアスが付いている。漣が初めて隣に座った時、ビックリした記憶がある。
「うん、本当はもうコレだけあればいいんだ」
今日は俺のあげたピアスだけが漣の耳を飾っている。
「え、でも……」
いつもセンスの良いピアスが付いていて、それを見るのも好きだった。
そう言うと、漣は何も言わずにやっぱりキスをしてくるのだった。
ちょっといいレストランでディナーをした帰りの車の中。
「漣、今日は俺を連れてきてくれてありがとう。選んでくれてありがとう、俺も幸せだよ」
アズは割りとストレートに感情を伝えてくれるけど、こんな風な直球は久々で顔に熱が集まるのが分かる。
「……佐久間さんから何か聞いた?」
「うん、今日の撮影テーマを教えてもらったよ」
はっず、あの人余計なことばっかり言うな。
「あー、口止めしとけば良かった」
「どうして? 俺は嬉しかった。漣はなかなか言葉にはしないけど、いつも俺のことを考えてくれてるのちゃんと伝わってるよ、だから俺も漣のこと大好きなんだ」
「アズ……」
あぁ、どうしよう。
この可愛い生き物は、どれだけ俺の心を捉えれば気が済むのだろう。
こんなアズの隣にいられる俺以外、一体誰が『幸福』を体現できるっていうのか。
帰り着くまで待てず、路肩に車を止めた俺は大きく腕を広げて、助手席のアズを優しく抱きしめた。
**
2ヶ月後、佐久間さんの撮った写真がポスターとなった。
たった数店舗。
佐久間さんの知り合いのセレクトショップにだけ貼られたポスターだったが、RENの蕩けるような笑顔がバズり、何度貼り直しても盗難被害に遭い、ポスターの前で写真を取るために歩道に人が溢れるようになったため掲示が中止された。このためポスターはプレミアとなった。
RENの相手役のモデルもかなりの話題となったが、どこの誰かは一切不明。その正体不明さと目は閉じられた横顔だけにもかかわらず透明感あふれる美貌のせいで、ついに合成疑惑が持ち上がり、様々なモデルの合成だということになった。
「お前、撮影に連れ出したとは聞いていたけど、ポスターになるとか聞いてないんだけど。ちゃんと秘密保持契約とかしてあるんだろうな」
漣の部屋のポスターを見上げながら朔が言う。
「大丈夫、ちゃんとしてくれてる人たちだから」
「本当だろうな。アズの周りにちょっとでも変なやつがうろついたら、同盟違反で罰則適用するかんな」
「はぁ? 大丈夫だっつてんだろ。何ならユズにも確認したら」
「そうする」
朔は納得いかない表情のまま、視線はポスターに戻す。
「ってかさ、漣。これお前がアズとのツーショット欲しかっただけじゃねーの?」
「ふっ。いいだろ」
「うっわ、マジで? ずりっ。俺もアズとのツーショット欲しい。ってか公私混同しすぎじゃね」
「Win-Winって言えよ」
「ムカつくなぁ、お前! 俺だってスカウトはされたんだぞ」
「でも実際やってんのは、俺。アズとポスターになったのも、俺」
「……やっぱ俺もしようかな、モデル」
朔が呟く。
「時間取れないくせに」
「……この野郎」
朔は今年の司法試験に向け勉強漬けなのだ。
「漣、アズだけのポスターはないのか?」
いつの間にかドアの前に立っていた奨が言う。
「あ、それなら俺も欲しー!」
さっきまでむくれていた朔も乗る。
「ないよ、別にアズをモデルにしたい訳じゃないし、作ってない」
「そうか……じゃあ、撮影のデータを送って」
「は? ヤだね、デート中のことは詮索なし、聞きたかったらアズに、だろ」
奨はピクリと片眉だけを動かして部屋から出ていった。
アズのことを隠しておきたい気持ちは当然のことだけど、アズのことを俺のものだって知らしめたい気持ちもあった。指輪をしてくれていることで、普段は落ち着いているけど、今回アズと結婚して一緒に暮らし始めたことが、実は俺を相当浮つかせていることは間違いない。
俺のアズ。
俺の最愛がここにいる。
全世界に大声で言ってやりたい。
アズと結婚したんだって。
ま、アイツラにはそんな俺の下心が分かったんだろうな。
どうせ各々アズとのデートを企んでるんだから、そこはおあいこじゃん。
だけど、撮影時のアズとこのポスターは俺だけのもの。
**
すでに国内では知名度があるモデルと言っても良かった漣だったが、格段にモデルとして評価の上がり、ぐっと忙しくなった。海外のコレクションにも呼ばれるようになり、家を空けることも増えてきた。
きっかけはあのポスター。
いまや伝説になりつつあるRENの笑顔と謎のモデルが、数年後再び登場し世間は騒然となった。
そこには、しなやかな肢体と爽やかな風を思わせるモデルと色気と気品が半端ないモデルが増えており、この2人が更に騒ぎを大きくした原因だった。増えたモデルはやはり横顔だったり、片手で顔半分を覆っていたりして、決してこちらを見据えていないのに、あまりに整った造作で見る者を圧倒した。
すぐに彼らの身につけているアイテムは完売が相次いだ。ただでさえ希少と言われるパライバトルマリンのアクセサリー、ハイブランドの腕時計、高級スーツ……安くても数十万、下手すると数百万のアイテムが完売するのだ、無論モデルについて問い合わせが殺到した。
しかしREN以外の3人のモデルについての詳細は公表されず、各モデル事務所や芸能事務所が必死になって探し回るが、どこの事務所もそのモデルらと契約することはおろか、どこの誰だか突き止めることも出来なかった。
**
「これで満足かよ」
「まーね」
「結婚3周年のいい記念だな」
「うん」
4人が映ったポスターは額縁に入れられ、リビングの一角に飾られている。
こちらもカリスマカメラマンとして有名となり、今や彼に撮ってもらえることはステータスだとも言われる佐久間のサインが入ったそのポスターは、街頭のポスターと違い、4人ともしっかりカメラを見つめ、幸せそうに微笑んでいる。
家族のためだけの記念写真だ。
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