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1 告白

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 私、ひじり真理奈は六年間学んだ大学の獣医学科を卒業し、念願だった獣医師国家試験にも無事に合格できた。そして卒業式にあたる学位記授与式の当日に同じ獣医学部の友人、高野悠真くんと中庭を歩いていた時だった。

「聖……。俺と付きあってくれないか?」

「え?」

「その……。将来的におまえと動物病院を開業できたらって、ずっと前から考えてたんだ」

 高野くんは顔を赤くしながら私を真っ直ぐに見つめた。

「それって」

「うん。結婚を前提に交際してほしい」

「本当に?」

「こんなこと冗談で言わないよ……」

 頬を赤くして照れながら視線をさ迷わせ、落ち着かない様子で自分の黒髪を触る高野君の様子に彼が本心を語っているのが分かった。高野くんとは友人として仲良くしていたし、もしも結婚するなら高野くんみたいな優しくて、真面目で頼りになる男の人が良いと思っていた。

 でも、私は自分から素直に気持ちを告げることで友人としての関係性が壊れるのが怖くて今まで気持ちを打ち明けることが出来なかったのだ。まさか高野くんも同じ気持ちでいてくれたなんて。私の心臓は早鐘を打ち、頬が熱くなった。

「嬉しい……!」

「! じゃあ」

「よろしくお願いします」

 そういう経緯があり、私は恋人ができた。もっとも二人で動物病院を開業するにしても資金が必要だし結婚前提といっても、交際すると決めたばかりでお互い忙しくなり甘い恋愛期間とは縁遠い日々だったが毎日、スマホで他愛ない話をしたり近況を伝える日々を送っていた。

 そんな折、母から連絡があった。田舎にいる祖父が突然の心不全で亡くなったという知らせだった。私の祖父は田舎で小さな診療所を開いて『人間のお医者さん』をしていたが、動物が好きだった私は『動物のお医者さん』になるため獣医を目指したのだ。

 父母と私は飛行機と電車を乗り継いで祖父が亡くなった田舎に飛んだ。そして親戚一同が集まり、祖父の遺品や遺産について話し合いがされた結果「診療所に残った物で必要な物があれば、形見分けとしておまえが受け取りなさい」と告げられた。

「診療所にある物って、高額な医療器具とかもあるんじゃないの?」

「いや。診療所にある高額な診察器具は、ほぼリースだった」

「あ、そうなんだ……」

 一般的に病院の値段の高い医療機器は購入ではなくリースに頼っている場合もある。特に祖父は自分の子供が医者の道を目指さなかった。遺産相続の対策的にもリースを選択していたのは無難といえるだろう。

「リース品の医療機器に関してはすでに業者が運び出してある。残っているのはリース品じゃない個人の持ち物だ。医療の本も多いが、専門書なんて一般人が持っていても仕方ない。売れる物は全部、売り払いたいところだけど業者はどうせこちらの足元を見る。古本だから価値がないとか言って二束三文で買い叩くのが関の山だから、それなら医療の心得がある者が形見として持った方が良いだろう」

「下手したら処理費用がかさむんだから、使える物はあなたが受け継ぎなさい」

 確かに医療の心得が無い人間にとっては価値が分からない物も多いだろうけど、まとめて業者に売ればいくらかのお金になるのは間違いない。

 言葉は投げやりな感じだが、使えそうな物について一任してもらえるのはありがたかった。何しろ、医療に関する物は本でも道具でも基本的にどれも高い。そして、人間用の医療製品でも動物に使える物はけっこうある。

 私は頷いて通夜と葬式が終わった後、祖父の診療所に入った。そして、持ち込んだ茶色いダンボール箱を診察用デスクの卓上に置いて部屋の中を見渡した。

 思った通り、古びた診察用デスクにイス。患者が横たわる診察台を手で押してみるとギシッと経年劣化による金属疲労がうかがえる音が部屋の中に響いた。壁際にはカルテ棚に業務用の青いプラスチック製ファイルがぎっしりと並んでいる。

「とりあえず、机の引き出しから見てみるか……」

 デスクチェアの右横に三段のサイド収納がある。引き出しの一番上に手をかけ開ければ、そこには書類の上に無造作に置かれた黒いペン型ライトと銀色の聴診器があった。チェストピースが2面になっている型で祖父が愛用していた物だろう。

 これ一本あれば大人と子供、両方を診ることができるから実用的だ。そして、このタイプなら獣医師としては小動物から大型動物にも使える。聴診器の値段は安い物なら数千円で購入できるが、実際の医療現場で使う物なら一般的に一万円以上の物が良いと言われている。

 高価な聴診器だと五万円以上はするし、中にはプレミア付きの聴診器なんて物もあって未使用の場合は十万円の値がつくこともあるらしい。この聴診器は使用済みだしプレミア付きとは思えないが中々、良い品のようだ。

「聴診器は壊れにくいものだし、形見としてはちょうど良いわね」

 おそらく最近、買い換えたのだろう。祖父が使用していたにしては比較的、新しいタイプの聴診器のようだし、現役の医者が使っていた物なら性能面も問題無いに違いない。私は銀色に光る祖父の聴診器とついでにペン型ライトをダンボール箱へと入れた。

 その後、壁際に設置されている医療用品を収納しているキャビネットを開けて調べてみると中から業務用の使い捨てマスクがたっぷり入った箱。塩化ビニール製の業務用、使い捨て手袋。さらにステンレス製のメスホルダーにメス刃カッターの替刃まであった。

「メスの替刃は消耗品だし、これはありがたく頂いておこう」

 銀色のメスホルダーと替刃をダンボールに入れ、さらにキャビネットを物色しているとコットンを原料に使用した業務用のガーゼや消毒液、白色のポリ容器に黒い粉末が入っているのを発見した。貼られているラベルを見ると医療用活性炭と表記されている。

「活性炭なら賞味期限や使用期限は関係ないし、もらっておいて損はないわね」

 手に持った医療用活性炭が入った容器と包帯、ガーゼ、消毒液、ほかにも袋に入った新品のゴムチューブやロートなどもあったので特に未開封の使えそうな物は片っ端からダンボールに入れ、棚にあった病気や感染症についての医学書も箱に詰めた。

「ひとまず、今日の所はこれでいいか」

 箱いっぱいに入れたのを確認してダンボールのフタを閉めてガムテープでしっかりと封をほどこす。ふと薄暗くなった室内から窓の外を見るとすっかりオレンジ色の夕日が地平に沈もうとしているところだった。

「けっこう時間がかかったわね。そろそろ戻らないと」

 ズシリとした重みのあるダンボールを抱えたその時だった。診療所の床に突如、複数の円と幾何学模様。見たことのない文字が浮かび上がり、まばゆい光を放った。
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