れおぽん短編集

天田れおぽん

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あのひとはもういない

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 あの人はもういない。
 その事実が胸を締め付ける。

 入学式の日。オレは急に気分が悪くなってしゃがみこんだ。
 満開の桜の下。
 オレは真新しい制服を着て、しゃがんだまま動けなくなっていた。

「…………」
「大丈夫?」

 その声は、唐突に降ってきた。
 柔らかくて、澄んでいて、弱っているオレの体調を悪化させることはない声。
 動けないままのオレを気遣って、心配そうに覗き込んでくる瞳。

「大丈夫かな? 保健室に連れて行こうか?」

 名札の色で上級生だと分かった。

 ―― 天海さん、か ――

 オレは精一杯の笑顔を作った。

「大丈夫……じゃないかも」
「新入生でしょ? 保健室の場所も分からないよね。連れて行こうか?」
「えっと……お願いします」
「じゃあ、ゆっくり行こうか」
「はい」

 オレは天海さんの手を借りて立ち上がる。
 彼女の髪が。
 サラサラで真っ黒な艶やかな髪が。
 オレの頬を、一瞬、撫でた。

「ゆっくりでいいからね」
「はい」

 彼女にもたれかかるようにしながら、オレは保健室を目指した。
 天海さんの温もりを感じながら、ゆっくりと歩く。
 暖かで柔らかな風が桜のピンク色を散らして運んでいくのを横目で見ながら、慣れない学校の敷地を進む。

「着いたよ」
「ありがとうございます……」
「先生、新入生が気分が悪いようなのでお願いします」
「あらあら、大変」

 養護の先生が白衣を揺らしながら慌てて出てくると、オレの体を天海さんから引き継いだ。

「じゃ、私は行くね。お大事に」
「はい。ありがとうこざいました」
「あ、そうだ!」

 彼女は何かを思い出したかのように、こちらへ振り返った。
 輝くような笑顔をオレに向けると、華やかな声で言う。

「入学、おめでとう!」
「……ありがとうこざいます」

 消え入りそうなオレの声を聞きながら、天海さんは笑いながら大きく手を振って去っていった。

「じゃあ、ベッドに行きましょうか」
「はい……」
「少し休んだら楽になるわよ。ほら、肩を貸してあげるから」
「すみません」

 養護の先生に促されるまま、オレは白いベッドに横になった。

 ―― 天海先輩、か ――

 部活はやっているのだろうか。
 上級生でも、部活とかなら一緒になれるかもしれない。

 ―― 頭、良さそうだったな。生徒会とかかもしれない。それだと、オレなんかじゃ入れないなぁ ――

 つらつらとそんなことを考えながら、オレは目を閉じた。

 そして。
 二度と開けることは無かった。

 ここは天国。
 あのひとはいない。

 その事実が、なによりもオレを切なくさせるのだった。
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