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88歳のホワイトデー
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風は強いが、その分、空は青い。
平吉は縁側で庭を眺めている千草の隣に座ると、リボンのついた箱をそっと妻の膝に寄せた。
「あら、なんでしょう?」
「今日はホワイトデーだそうです」
「そうですか。ホワイトデー……それは、どのような日でしたっけ?」
「バレンタインデーのお返しをする日ですよ」
「そうでよね。バレンタインデー……わたし、何かあげましたっけ?」
「いいえ」
「そうですよね。だったら、なぜホワイトデーのプレゼントを?」
「長年の感謝を込めようと思いまして」
「あら。それなら結婚記念日とかで良いのでは?」
「そうですけどね。千草さん。ホワイトデーは、白いものが店頭に並んでいましてね。魅力的なのですよ」
「あら。そうなのですか?」
「ホワイトチョコレートに生クリーム、クリームチーズ。牛乳も、砂糖も、白いですよね」
「牛乳、おいしいですよね」
ふたりは揃ってうなずいた。
「食べたいな、食べたいかな、と、思いまして」
「あら、そうですか。なら、ふたりで食べましょう」
千草はいそいそと黄色のリボンを外し、青い包み紙の中から白い箱を取り出した。箱を開ければ、中には丸くて白いものがひとつ。甘い香りを放って鎮座していた。
「これは、チーズケーキかしら?」
「ええ。チーズケーキです」
シンプルに白一色。飾り気はないが美味しそうなケーキがそこにあった。
「お皿と包丁を持ってきましょうか」
「いえいえ。今日は、このまま食べちゃいましょう。フォークは二本付けてもらいましたよ。プラスチックですけどね」
「あらあら、お行儀が悪い」
「いいじゃないですか、今日くらい」
ふたりは顔を見合わせて、ウフフ、と、笑った。
「白は……平和な色ですね」
「そうですね」
ふたりは揃って空を見上げた。
同じ年に同じ町に生まれて。同じ時を歩きながら育った。いまも同じ町に居て、いまも同じ時を歩いてる。
「平和は、いいですね」
「そうですね。平和がいいです」
高台から見下ろした、戦火に赤く染まる町。こどもだったふたりに出来ることなど、無いに等しかった。記憶は残酷なほど鮮明ではあるけれど。いまは、ふたり、こうしてここにいる。
「お行儀が悪いですね」
千草はプラスチックのフォークを、まあるいケーキに差し込んだ。
「そうかもしれませんね。でも、たまにはいいでしょ。こんなのも」
平吉はプラスチックのフォークを、反対側から差し込んだ。
白くて丸いケーキは、両の端から欠けていく。口元に運ばれた欠片は、遠いあの日に知らなかった味を口の中に広げながら消えていった。
「甘いですね」
「そうですね。甘いわ」
飢えていたあの頃。おいしいを求めるよりも、腹いっぱいを欲した。腹いっぱいはなかなか難しく、おいしいを求める気持ちも止めにくく。飢えていた、あの頃。なかでも欲しかったのは、甘い味。
「ちょっとだけ酸っぱいかな」
「そうですね。甘くて酸っぱいわ」
こうしている間にも、よその国では戦火が上がる。年を取ったふたりには、出来ることなど無いに等しい。
「平和が、いいですね」
「そうですね。平和がいいですね」
だから、せめて祈るのだ。
平吉は縁側で庭を眺めている千草の隣に座ると、リボンのついた箱をそっと妻の膝に寄せた。
「あら、なんでしょう?」
「今日はホワイトデーだそうです」
「そうですか。ホワイトデー……それは、どのような日でしたっけ?」
「バレンタインデーのお返しをする日ですよ」
「そうでよね。バレンタインデー……わたし、何かあげましたっけ?」
「いいえ」
「そうですよね。だったら、なぜホワイトデーのプレゼントを?」
「長年の感謝を込めようと思いまして」
「あら。それなら結婚記念日とかで良いのでは?」
「そうですけどね。千草さん。ホワイトデーは、白いものが店頭に並んでいましてね。魅力的なのですよ」
「あら。そうなのですか?」
「ホワイトチョコレートに生クリーム、クリームチーズ。牛乳も、砂糖も、白いですよね」
「牛乳、おいしいですよね」
ふたりは揃ってうなずいた。
「食べたいな、食べたいかな、と、思いまして」
「あら、そうですか。なら、ふたりで食べましょう」
千草はいそいそと黄色のリボンを外し、青い包み紙の中から白い箱を取り出した。箱を開ければ、中には丸くて白いものがひとつ。甘い香りを放って鎮座していた。
「これは、チーズケーキかしら?」
「ええ。チーズケーキです」
シンプルに白一色。飾り気はないが美味しそうなケーキがそこにあった。
「お皿と包丁を持ってきましょうか」
「いえいえ。今日は、このまま食べちゃいましょう。フォークは二本付けてもらいましたよ。プラスチックですけどね」
「あらあら、お行儀が悪い」
「いいじゃないですか、今日くらい」
ふたりは顔を見合わせて、ウフフ、と、笑った。
「白は……平和な色ですね」
「そうですね」
ふたりは揃って空を見上げた。
同じ年に同じ町に生まれて。同じ時を歩きながら育った。いまも同じ町に居て、いまも同じ時を歩いてる。
「平和は、いいですね」
「そうですね。平和がいいです」
高台から見下ろした、戦火に赤く染まる町。こどもだったふたりに出来ることなど、無いに等しかった。記憶は残酷なほど鮮明ではあるけれど。いまは、ふたり、こうしてここにいる。
「お行儀が悪いですね」
千草はプラスチックのフォークを、まあるいケーキに差し込んだ。
「そうかもしれませんね。でも、たまにはいいでしょ。こんなのも」
平吉はプラスチックのフォークを、反対側から差し込んだ。
白くて丸いケーキは、両の端から欠けていく。口元に運ばれた欠片は、遠いあの日に知らなかった味を口の中に広げながら消えていった。
「甘いですね」
「そうですね。甘いわ」
飢えていたあの頃。おいしいを求めるよりも、腹いっぱいを欲した。腹いっぱいはなかなか難しく、おいしいを求める気持ちも止めにくく。飢えていた、あの頃。なかでも欲しかったのは、甘い味。
「ちょっとだけ酸っぱいかな」
「そうですね。甘くて酸っぱいわ」
こうしている間にも、よその国では戦火が上がる。年を取ったふたりには、出来ることなど無いに等しい。
「平和が、いいですね」
「そうですね。平和がいいですね」
だから、せめて祈るのだ。
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