上 下
31 / 40

陽気な妊婦

しおりを挟む
「あぁ、もうお腹がペコペコよ」
「ふふふ。元気な妊婦さんね」

 アリシアの妊婦生活は、順調そのものだった。

 体を締め付けることのないフワフワしたデザインの白いドレスは、自宅に戻った後しばらくの間、着ていたものに似ている。

 それはアリシアにも分かっていることだったが、気分がまるで違う。

「お腹に子どもがいるというのに、羽でも生えて空を飛べそうな気がするわ」

 紅茶とスコーンを交互に口へと運びながらフフフと楽しげに笑う娘の姿に、母であるニアの目元も柔らかく緩んだ。

 大きな窓のあるダナン侯爵家の居間は、11月の午後だというのに暖かかった。

 部屋に置かれた椅子は、大きさも向いている方向もバラバラだ。

 家族は居間に集い、それぞれに好みの椅子に座っていた。

 真ん中に置かれたテーブルの前に座っているのはアリシアとニア。

 父はソファに寝そべるようにして腰を下ろし、夫であるレアンは大きくてゆとりのある一人掛けの椅子に座っていた。

 皆が好きな場所に座り、穏やかな秋の午後を楽しんでいる。

 それでいて、心地よい。

 アリシアは、とてもリラックスしていた。

「妊娠中って心配事が沢山あるのが普通なのに、アリシアはご機嫌さんね」
「ふふふ。だって、旦那さまがよいもの」

 アリシアは右隣りに座る母に向かって明るく言うと、夫であるレアンを振り返った。

 屋敷の中は妊婦によいとされるオレンジやベルガモット、レモンなどの香りがあちらこちらに使われているし、健康に良いとされる胡蝶蘭やアイリスなどが飾られているが、アリシアが元気なのは、それらだけが理由ではない。

 左斜め後ろ、ひとり用の椅子に腰を下ろしたレアンは、愛しい妻を穏やかな笑顔で見つめていた。

 レアンの『金の魔法』に守られたアリシアの妊婦生活は、順調そのものだった。

「金の魔法が素晴らしいという噂は聞いていたが、本当に凄いね。アリシアがニアのお腹にいた時とは大違いだ」

 父の言葉を受けて、母がフフフと笑った。

「そうね。アリシア、あなたがお腹にいた時には、つわりが酷くて苦労したわ」
「その点、私は苦労知らずね」

 胸を張って自慢げに言う娘の姿に、両親は目を見合わせて呆れたような表情を浮かべた。

 アリシアは両親の表情を見て噴き出すとひとしきり笑い、それから夫の方を見て言う。

「レアンのおかげだわ」
「アリシア、キミが元気でいてくれて嬉しいよ」

 笑顔を向けるレアンの顔を見て、アリシアの顔も笑顔になる。

 ダナン侯爵家は喜びに溢れ、華やかな雰囲気に包まれていた。

 居間には幸福な日々という花言葉を持つベゴニアが飾られているが、それは演出にすぎない。

 ダナン侯爵家の人々が幸せなのは、もっと深い場所に理由がある。

 なのでこの幸せの貢献者であるレアンの様子については、皆が注目していたし、気にかけてもいた。

 だからレアンが時折、少し憂鬱な暗い表情を浮かべていることを、皆は気付いていた。
 
 しかし誰も指摘はしなかった。

 彼が何を不安に思っているのかを、皆が知っているからだ。

 だからこそ笑う。

 いま自分たちが幸せであることと、不安をひとりで抱え込む必要などなくなったことを、心の底からレアンに分かってもらうために。

 声を上げて笑うのだった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

Na20
恋愛
夫にも息子にも義母にも役立たずと言われる私。 それなら私はいなくなってもいいですよね? どうぞみなさんお幸せに。

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】

雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。 誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。 ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。 彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。 ※読んでくださりありがとうございます。 ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

私、女王にならなくてもいいの?

gacchi
恋愛
他国との戦争が続く中、女王になるために頑張っていたシルヴィア。16歳になる直前に父親である国王に告げられます。「お前の結婚相手が決まったよ。」「王配を決めたのですか?」「お前は女王にならないよ。」え?じゃあ、停戦のための政略結婚?え?どうしてあなたが結婚相手なの?5/9完結しました。ありがとうございました。

【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った

Mimi
恋愛
 声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。  わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。    今日まで身近だったふたりは。  今日から一番遠いふたりになった。    *****  伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。  徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。  シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。  お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……  * 無自覚の上から目線  * 幼馴染みという特別感  * 失くしてからの後悔   幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。 中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。 本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。 ご了承下さいませ。 他サイトにも公開中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...