モラハラ夫との離婚計画 10年

桐谷 碧

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「ごちそうさまでした」

 言いそびれたお礼に缶コーヒーを添えた、いつも飲んでるブラックの無糖。

「え? ありがとう。悪いねなんか気を使わせて」

「いえ、ぜんぜん」

 この程度の気づかいができなければ、我が家では命の危険すらある。愛想笑いを返して自席に戻った。

 数名の女子社員のキーボードを打つ手が止まるのが分かりしまった、と感じたがすぐに彼女たちの作業は再開された。


 『あの派遣女、藤原部長に色目使ってる、キモっ』

 そんな噂が広がるのに二日と掛からなかった。もともと仲の良い社員もいないので、さほど気にはならないけど会社はそうもいかないようだ。常務に会議室まで呼び出された。

「井上さんは確か既婚者ですよねえ?」

 サイドから無理やり持ってきた髪の毛でハゲを隠しているつもりだが、量が足りないのは明白で地肌が透けている。

「はあ、そうですが」

 ハゲの視線が私の左手薬指を捉えている、指輪はしていない、跡もない。当然だ。貰ってないんだから。

「不倫みたいな噂が立つと不味いんだよねえ、今はほら、SNSとかで拡散したりさぁ、分かるでしょ?」

 全く分からない、たまたま昼が相席になってご馳走になった。そのお礼に缶コーヒーを渡しただけだ。でも責められたら謝るのが癖になってる私は下を向いて「すみません」と謝罪した。

「次の更新は悪いんだけどさ、分かるよね?」

「はい、すみませんでした」

 選り好みしなければ仕事なんていくらでもある。別に切られようが構わない……。なんて考えていると勢いよく会議室の扉が開いた。

「ちょっと待ってくださいよ!」

 いつも冷静な彼が肩で息をしていた、ハゲとは違いふさふさな黒髪も少し乱れている。

「ああ、藤原くんちょうど良かった。君も軽はずみな行動は慎むようにね。せっかくのキャリアに傷がつくよ」

「井上さんとはそんな関係じゃありません、そもそも彼女に失礼でしょう!」

「火のないところに煙はって言うでしょ?」

「立つんですよ! いまの社会では。根も葉もない噂が。分かるでしょ!」

「まあまあ、なるべく会話とかしないようにさ、ほら」

「冗談じゃない、同じ会社に勤める仲間に昼休みに声も掛けたらダメなんて異常ですよ。常務!」

「な、なんだね?」

「この件で彼女を派遣切りなんてしたら、僕は訴えますよ」

「訴えるって、そんな」

「とにかく僕たちは何も悪くありませんから! いこう井上さん」

 そう言うと彼は私の手を引いて会議室を出ていった。細く長い指を握り返すとなぜかドキドキした。
 
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