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第二十四話 先走る女③

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 うんうんと頷く佐藤を見て絵梨香は勝利を確信する。多少、いや、かなり予定とはかけ離れてしまったが、もはや過程を気にしている段階ではない。

「じゃ、じゃあ、先上がって待ってるね」

 佐藤はそそくさと立ち上がるとタオルで股間を隠した、そしてなぜか前傾姿勢のまま脱衣所に消えていった。

 既成事実さえ作ってしまえば後は流れるように上手く運ぶはずだ、少し若いが結婚するのも良いかも知れない、この先、彼以外と恋に落ちるとは思えなかったし思いたくもなかった。

 絵梨香はこの先に待っている幸せな人生を考えると顔がニヤけた、時間をかけてココまで来たことも今となってはいい思い出だ。

 露天風呂から立ち上がると、最後の仕上げの為に戦場に向う、ここから先はお互いに未体験ゾーンだ。気合を入れ直して露天風呂を後にした。
 
 部屋に戻ると、佐藤がソファで落ち着かないようにソワソワしている。良く見るとドラッグストアで購入した滋養強壮ドリンクが空いていた。

「あっ、それ飲んだんだ」
「うん」 

 コチラを向いた佐藤の目は血走っていて少し怖い。今日の朝、出かける準備をしていると武志からラインが届いた。

『姉ちゃん大変だ、今日の運勢が史上最悪に悪いらしい、精力剤とコンドームがラッキーアイテムだから必ず購入しておくように』

 弟が占いを信用するタイプだとは意外だったが、今日は失敗が許されない。かなり勇気がいったがドラッグストアで購入した。

 濡れた髪をドライヤーで乾かしていると、洗面所に佐藤が突然入ってきた。後ろから絵梨香を抱きしめると両手で乱暴に胸を揉んでくる。

「こ、こら、寿木也、まだだよ」
「絵梨香、俺もう、駄目だ」

 ハアハアと息遣いが荒い、少し童貞には刺激が強すぎたようだ。ドライヤーを置いて、寿木也に向き直る。

「じゃあ、ベッドいこ」

 半乾きの髪のままで絵梨香は佐藤の手を引いてベッドに促した。正座になってお互いに向きあう。

「で、では、失礼いたします」 

「その前に言う事があるでしょ」

 いきなり胸を鷲掴みにしようとする佐藤を絵梨香が制すると、お預けを食らった犬のように動きが止まった。何の事だか分からない様子だ。童貞とは言っても最低限のムード位は作ってもらいたい。

『絵梨香好きだ』

 それだけで良いのよ、そうすれば私の体はあなたの自由、それぐらい察してよ。絵梨香は目で訴えた。

「えっと、絵梨香が処女だって言うのは」

「うん、そうだよ」

「良かったあ」
「はぁ?」

「いや、だから俺は莉菜ちゃんの前に練習できるし、お前も好きな人との前に経験を積むことが出来るって事だろ」

「あんた、何言ってんの」
「え?」

「ばっかじゃないの! なんで私が他の女の練習台にならなきゃいけないのよ」
「えっ、あれ?」

「サイッテー、もう死ね、ばか!」

 絵梨香は佐藤に思い切り枕を投げつけると、浴衣姿のまま部屋を飛び出した。そのまま旅館を出て闇雲に暗い山道を走る、しばらく夢中で走っていると明かりが見えた、小さなベンチと自動販売機が置いてある。どうやらバス停のようだった。

 ベンチに腰掛けると涙が溢れた、薄い浴衣生地にポツポツと染みを作る、怒りの後に押し寄せたのは悲しみだった。いや、惨めさと言っても良いかも知れない。

「もう、信じられない、ムカつく! 何なのあいつ」

 誰もいないと思って思い切り叫んでいると目の前に細い影が伸びた。一瞬、佐藤が追いかけて来たかと思ったがそこに立っていたのは見覚えがある女だった。

「あのう、これ良かったら」

 女はエンジの茶羽織を絵梨香に手渡してきた、昼間とは違い夜の熱海は肌寒かった。走っている間は気が付かなったが座っていると夜風が冷たい、わけも分からず茶羽織を受け取る。

「あなた、寿木也の病室にいた」
「ごめんなさい!」

 女が頭を下げると長い髪の毛先が地面につきそうになる、絵梨香は一瞬にして謝罪の意味を導き出すと女に問うた。

「つけてきたの?」 
 女は頭を下げたまま頷いた。

「あきれた……」
「ごめんなさい」
 今度は小さな声で呟く。

「小銭持ってない?」 
「え」  

 女はようやく頭を上げた、初めてじっくりと顔を拝見する、なるほど、愛らしい顔をしている、男ウケが良さそうだ。

「持ってますけど」
「珈琲奢ってよ、それで許してあげるわ」

 女は手に持った巾着から財布を取り出すと絵梨香に小銭を手渡した、自販機でブラック無糖の缶コーヒーを購入するとプルタブを引いて一口飲んだ。

「どこからつけてたのよ」
 女は赤羽から熱海、さらには旅館までつけてきた経緯を話した。
「え、ちょっと待って、最後のやり取りは何処で聞いてたの」
「クローゼットの中に……」  
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