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第十一話 闇競艇

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「五号艇の西野か六号艇の真田に一億」

 白石浩二しらいしこうじが言葉を発するとその場に緊張が走る、実業家、政治家、芸能人、宗教家、有名スポーツ選手にしても一億円は失って笑っていられるような金額ではない、ちなみにここに投資家の類は少ない、彼らは仕事自体がギャンブルなのでハマる事も少ないからだ。

「白石さん、正気でっか、一号艇は一昨年の王者の新庄朋也しんじょうともやですよ

 元プロ野球選手の玉田が不気味な笑みを浮かべながら、競艇新聞のデータ欄に目を落とす。

「ええ、しかし同じ人間にかけても面白くないでしょう、それにB級の五.六号艇は二艇賭にていがけが出来るメリットがありますから」

 闇競艇の特別ルールで五号艇と六号艇がB級選手の場合はどちらが来ても当たりになる、内側有利の競艇において圧倒的に不利な外側にメリットを持たせるための措置だ。

「はは、流石はギャンブラーや、では私は新庄に一億」
 黒服からそれぞれB5サイズのタブレット端末が渡される、玉田は事前に説明を受けていた通りに海外のカジノサイトにログインすると一億円を入金して黒服に手渡した、彼らは二人が入金したのをチェックするとセカンドベッドの確認をする。

「レイズはよろしいですか」
「俺は構わんが、白石さんはどうでっか」
「お互いに腹を探り合っても仕方ない、今日の有金は五億です。そこまでなら付き合いましょう」
 玉田は息を呑んだ、同時にイカサマの可能性について考える、この面子で一号艇の新庄が負ける事自体があり得ない、しかし、もし負けるとしたら角の四号艇の捲り、どの道B2の西野と真田が勝つ確率は圧倒的に低い、最悪ドローと考えるのが普通だろう。

「よっしゃ、じゃあ五億でいきまひょか」

 都内にある雑居ビルの地下で闇競艇は開催される、開催日程は不定期だが賭けが行われるのは戸田の最終レースと決まっていた、戸田競艇場に決まっているのは理由がある。競艇は内側有利と言われているが戸田に限っては当てはまらない、他の場が一号艇の勝率が六十%を超えるのに対して戸田は四十五%程度だ。一着だけを当てる闇競艇においてはどの艇が勝つかバラけた方が盛り上がる。

 しかし通常一レースに五億円も突っ込んだらオッズが偏り、当たっても払い戻しがない事態に陥ってしまう、そこで闇競艇では完全一対一ルールを採用、最低ベット額は一億円で上限は対戦者同士の話し合いによって決められる。
 勝った方の総取り、今回は五億円で決まったので当たれば十億、主催者側には五%の五千万円を支払う決まりだ。
 一見するととんでもない額のテラ線(運営が手にする利益)に感じるが競艇を始めとした公営ギャンブルのテラ線は二十五%、パチンコは二十%、宝くじに至っては五十五%も搾取されているので五%はかなり良心的だ。
 百インチのモニターでは戸田競艇のパーソナリティがゲストに元ボートレーサーを迎えて最終レースの展望を解説している、白石は冷めた目でモニターを見つめながら心の中で呟いた。

『もう決まってるんだよ』

 レースが始まると玉田は食い入るように画面を凝視していた、先程から平静を装っているが種銭の五億を現在会社員の奴がどうやって用意したかは調べが付いている、横領だ、中堅ファンドに元プロ野球選手の肩書を買われ広告塔として雇われた、実質No.3の玉田は自身の身の丈に合わない額を海外のカジノで溶かした、やがて会社の金に手を付けるようになり、後戻り出来ない所まで行く前にスカウトした。

 海外のカジノは上客の卵が湧くほどいる、常にリクルートを怠らずにスカウティングしなければならない、闇競艇を運営する組織『ヘルメス』の為に。

『雲一つない冬空の下、本日最終カードの六艇がピットアウトしました――』

 無事にピットアウトした一号艇の新庄に玉田は内心ホッとしているに違いない、滅多にないが絶対有利な一号艇をピット離れが遅れて他の艇に取られてしまう、そんな所も競艇の醍醐味だ。

『一番、二番、三番、ダッシュに引いて四番、五番、六番が今一斉に――スタートしました、が、おーっとコレは早いスタートがあった模様です、お手持ちの投票券は無くさないよう大切にお持ちください、四号艇はフライングの為失格、お手持ちの――』

 戸田競艇場ではさぞや怒声が響いているに違いないが地下闇競艇には届かない、隣にいる玉田は口を開けたまま呆けている。

 例えば陸上競技、水泳などはフライングするとその選手は失格になり競技はやり直しになる、しかし競艇はそうならない、何故だかわからないがフライングした選手は失格になるがレース自体はそのまま続行される。

 競艇とはいかに引き波に入らないかがレースの鍵になる、引き波とはボートが走った後に出来るキャビテーション(泡)の事だが引き波に入るとプロペラが空回りしてボートが前に進まないのだ、前の艇を抜くのが難しい理由がそこにある。

 一番前を走っていれば引き波はない、なのでキャビテーションを起こす事なく進んでいける、しかし二着の艇は先頭の引き波を、三着の艇は先頭と二着の引き波を、つまり後続になればなるほど引き波は増えて走りにくくなる。

 今回の場合、四号艇がフライングをして一番前にでた、内側にいる一、二、三号艇の前を被せるように回るので内にいた艇は四号艇の引き波をモロに食らって後退する、四号艇の外側にいた五、六号艇は被される事はないので引き波を避けるように回る、当然一マークを回った時には四号艇がトップを走り後続に五.六号艇がついて行く形になるが四号艇は失格なのでレースから離脱、自然と五、六号艇の勝ちが決まった。

「いやいや、まさか新庄がやられるとは」
「イカサマや、こんなんイカサマやろ」
「何故ですか」
「こんな都合よくフライングするかい」
「そう言われましても」
「玉田様、すみませんが」

 黒服はタブレット端末を操作すると玉田に手渡した、先程まであった残高五億円の所が0になっている。

「ふざけるな、返せ、その金はあかん」
 稀に見かけるお決まりの光景を見るたびに白石は不思議に思った、あかん金なら何故ギャンブルに賭けてしまうのだ、当たるかどうかも分からないギャンブルに。

 闇競艇の会場は全国三十ヵ所に及ぶ、一日の最高売上、売上と言うのは語弊があるが最高ベッド金額は全場で五百億円、五%の二十五億がヘルメスの取り分だが、ここからイカサマに協力した人間達に支払う金額がおよそ三億円あるので純利益は二十二億円程だった。

「ふざけるな、こんなん無効や、お前らイカサマで訴えてやる」
 ここまで駄々をこねる人間も珍しい、まさか我々がまともな組織だと思っているのだろうか、訴えた所で証拠はない、会場は一回毎に移動しその会場まですら目隠しとヘッドホンで特定されないように連れてくる。

 仮に現場に警察が踏み込んで来たとしても会場には大型のモニターしかない、現金でのやり取りなどもっての外だ。 

「玉田さん、それだけは止めておいたほうが良い、あなたの家族だけでなく周りにも被害が及ぶ」
 闇競艇のゲストは徹底的に身元を調査される、基本的には一億、二億の負けでガタガタ言うような人間はいないが、今回はどうしてもゲストに空きが出る所だったので玉田に白羽の矢を立てた。
 大人しくなった玉田に黒服が目隠しとヘッドホンを装着する、このまま車に乗せられて何処か都内の駅に落とされるが、これからの彼の人生を考えると同情した。

 最後はきっと勝つはず――。

 闇競艇に限らずギャンブルで破綻する人間の共有意識は何故か自分の都合の良いよう考えるところだ、普通にやればギャンブルは負けるように出来ている、そんな簡単な計算も出来ない人間が小遣いの範囲内で遊んでいれば良いが、一定数の割合で使ってはまずい金にまで手を出す。
 彼らは頭が悪いから、儲ける為に始めたはずのギャンブルが何時の間にか負債を返済する為に変わっている、ギャンブルをしなければ無かった負債を返済する為にまたギャンブルをして破綻する。

 チンパンジーくらいの偏差値しか無いのではないか、高学歴の白石は考えたが、チンパンジーを相手に国が堂々と公営ギャンブルと銘打って財政の一部にしているのだから酷いものだ。

「まったく見苦しいな」
 玉田が連れ出されると奥の部屋から仕立ての良いスーツに細いメガネを掛けた上司の宇野が出てきた、監視カメラでモニタリングしていたのだろう。

「申し訳ありません、あんな男しか捕まらなくて」
「ゲスト不足の原因はなんだと思う?」
「不況でしょうか」 
 馬鹿な答えを返してしまったことに後悔したが宇野のプレッシャーに頭がうまく回転しないのはいつもの事だ。

「まあ、それも有るだろうが、スターの不在だな」
「スターですか」
「新庄が若い頃なんかは圧倒的なスターだった」
 今年で五十歳になる新庄だが未だ実力は衰えていないように感じた、テクニックとは別のスター性の事を言っているのだろう。 

「次世代のプロヴァトを探してくれ」
 ヘルメスが運営する闇競艇に加担する現役のボートレーサーを組織ではプロヴァトと呼んでいる、彼らは選手になってからスカウトされる即戦力、選手になる前に組織から競艇学校に送り込まれるプロスペクトの二種類がいた。

 後者は圧倒的に組織に忠実でリスクが少ない代わりに、イカサマを出来るだけのテクニックを身に付けるかは未知数である、それに比べて前者は既に折り紙付きの実力選手をスカウトするので効率が良い代わりに組織が明るみになるリスクがある、無論そうならないように準備した上で交渉する訳だが、出来ればプロスペクトからスターが誕生してくれる方がありがたい。

 新庄はプロスペクト出身だ――。

「佐藤寿木也……」

「さすが白石くんだ、情報にヌカリがない、期待しているよ」 
 それだけ言い残すと踵を返して部屋を出ていった、与えられた無理難題に辟易したが功績を挙げるにはまたとないチャンスだ。

 スマートフォンを取り出して耳に当てる、佐藤を監視しているプレヴァトは直ぐに電話に出た。
「はい」
「忙しい所悪いな、どうだ佐藤の容態は」
「精密検査の結果はまだですが本人は至って元気です、すぐにでも退院するでしょう、ただ」
「ただなんだ」
「右手に違和感があると」
 まずい、ハンドルを握る手に障害を抱えてしまったら元も子もない。

「岸に叩き付けられた時に強打したようですが、普通に食事しているので問題はないかと」
 佐藤の練習用ボートに細工して事故を誘発するように指示したのは白井だ、これからの交渉を上手く進める為に画作したが思いの外大きな事故になってしまった。

 基本的に上の指示を仰ぐ事なく仕事を進める権限が白石には与えられていたが、大切な商品を壊したとなったらタダじゃ済まないだろう。

「そうか、引き続き監視を続けてくれ、退院したら近々コンタクトを取りたい」
「お言葉ですが、奴が組織に従うとは思えませんが」
「それはやり方次第だ、お前が考える事じゃない」
「我々だけではダメなんですかね」

 幹部がダメだと言ってるんだよ、お前たちじゃ客が取れないと、そう思っても口には出さない、部下のプライドを尊重するのも上司の務めだ。
「ああ、良くやってくれている、しかし若い力も入れていかないとな」
「そうですか」
 まだ納得がいかない様子だがこれ以上は時間の無駄だ、また連絡すると言って通話を終えた。

 白石は革張りのソファに座るとタバコに火を付けた、黒服がすかさず灰皿を用意する、今どき紙のタバコを吸っているのは組織でも白石くらいだが、しかし、と考える。

 悪の組織が禁煙なんてするかバカ――。

 灰皿にセブンスターを押し付けるとソファから立ち上がりコートを羽織る、初めてきたこの会場に再び訪れる事はない、黒服に声をかけて扉を開けると地下駐車場に向かった。

 真っ白のポルシェ・カイエンに乗り込むとエンジンを始動させて再びタバコに火をつけた、佐藤寿木也のスカウティングが決まればまた一つ上のステージに上がるだろう、次はベントレーに乗り換えるかと想像すると笑みが漏れる、シフトレバーをドライブに入れるとカイエンは軽快に走り出した。
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