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第八話 進藤 絵梨花

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 佐藤はラブホテルから走って何とか時間通りに駅前に着くと、絵梨香は既に到着していて噴水の前で誰かと話していた、笑顔で談笑している所を見ると知り合いだろうか。

「では興味があったらご連絡ください」 
「はい、わかりました」

 スーツをカッチリと着た三十代位の男が立ち去ったのを確認して声をかけた。

「よお、知り合いか」

 先程の男に振りまいていた笑顔は一瞬にして消えた。 

「ちょっと、あんたが遅いから変な男に声掛けられたじゃないのよ」 

 時計を確認するとちょうど先程の電話から一時間後だったので、その旨を伝えるが絵梨香はにべもない。

「男は十分前に来るもんでしょ」
「申し訳ありません絵梨香様、シャワーを浴びたりと色々準備が御座いまして、で、誰だったの」

 絵梨香は黙って男から受け取った名刺を渡してくる、有名な芸能プロダクションの名前が入っているので恐らくスカウトだろう。

「へー、お前が芸能界に興味があるとは思ってなかったよ」
「あるわけないでしょ」

 佐藤から名刺を引ったくるとビリビリに破いて佐藤のダウンジャケットにねじ込んだ。

「あー、ひでえな」
「ああいうのに声を掛けられないように呼んでるんだからね」    

 顎のラインで揃えた黒髪のボブカット、黒目がちの瞳に陶器のように透き通った白い肌。十年前に赤羽に引っ越してきた美しい少女はそのまま順調に成長して今に至る、性格もまるで変わっていない。 

「ええ、そりゃあもちろん、美しい絵梨香様には常にお供がいませんとね、でも俺じゃなくても良くね」

 これだけ美人な上に頭まで良い彼女は日本で一番賢い大学の大学院に通っている、取り巻きくらい幾らでもいるだろう。

「ほら、あんた見た目は良いからさ、釣り合いってものがあるでしょ」

 なるほど、どうやら褒められているようだ、競艇界の次世代スターを荷物持ち兼ボディーガードに使うとは彼女の将来が楽しみだ。
 新宿方面の埼京線に乗り込むと平日のお昼だというのに電車内の席は埋まっていた、奥に進んでつり革に捕まる、すぐ隣には小さな赤ん坊を抱っこした若いお母さんが、今にも泣き出しそうな我が子を必死にあやしているが恐らく時間の問題だろう、扉が閉まるとゆっくりと電車が動き出す。

「ふぇぇぇ」

 目の前に座る頭頂部が禿げた五十代くらいのサラリーマンが、読んでいる週刊誌から赤ん坊に目線を上げた、母親は僅かに揺れたり変顔をしたり、なんとか泣き出さないように努めている。

「ふえぇぇーーーー」

 ついに我慢の限界に達した赤ん坊が勢いよく泣き始めると、目の前から舌打ちが聞こえた。

「うるせえなあ、黙らせろよ」
「すみません、次で降りますから」

 まずい、そう思って絵梨香の方を向いた時には既に手遅れだった。

「オッサン、あんたが降りなさいよ」
「あ、なんだお前」
「あんたが禿げてるのも、年収が低いのも、家族に相手にされないのも友達がいないのも自分の責任なんだよ! 赤ん坊にあたるな」

「な、なにを」

「頭も悪いな、だからぁ、ダラダラとしょうもない生き方をしてきた結果が今のあなたなんだって、受け入れなよ」
「ちょ、絵梨香」

「てめーぶっ殺すぞ」
「ぷっ、だっさ」

 絵梨香は手を叩いて笑っている。

「ハゲ消えろー」
 近くにいた女子高生二人組の一人が呟いた、すると車内からオッサンに向けての罵声が次々にとんでくる。
「うるさいならお前が降りろ」
「おっりっろ! おっりっろ!」
「ハゲ、キモいんだよ」

 板橋駅で逃げる様に下車したオッサンを見送ると、車内からは拍手が巻き起こる。

「あっちょうど席開きましたよ、お母さんどうぞ」

「ありがとうございます、ありがとう」

 なんども絵梨香に頭を下げながら申し訳なさそうに席に座る、いつの間にか赤ん坊は泣き止んで笑顔になっていた。

「お前めちゃくちゃ言うな、ハゲはともかく他は想像だろう」 

「あら、たぶん全部当たってたはずよ、シワシワのスーツに溜まったフケ、センスのないネクタイ、どう見ても高所得で家族から慕われ、友達が沢山いる様に見えないでしょ」

「まあそーだけど、いつか刺されるぞ」

「だから寿木也が守ってね」

「なーに言ってんだよ」

「人に優しく出来ない人間ってね、自分に余裕と自信がないの、だから人にあたっちゃう」

「ハゲてるのは仕方ないんじゃ」
「あら、ハゲてたって素敵な人は沢山いるわ」

「だれよ」

「ブルースウィルス」
「……」
 
 新宿のデパートに入ると目当てのアパレルショップに入っていく、男の佐藤は非常に入りにくい雰囲気だが、店外で一人取り残される方が恥ずかしいのでぴったり絵梨香に付いていく。

「これどうかな」 

 春物のシャツを自分の体にあてて聞いてくるがファッションに疎い佐藤にはいまいちピンとこない。

「似合うと思うよ、大抵の物は」 
「もう、すみませーん、試着いいですか」
 しまった、試着室に入られるとこの空間で一人になってしまう。 

「絵梨香、似合うよそれ、すごく良い」

 と言ったが既に手遅れで若い女の店員が絵梨香と話し出している、彼女は何着かおすすめを渡すと、行ってらっしゃいと言って試着室に案内する、そして佐藤は一人になった。

「すごい綺麗な彼女さんですね」

 あたふたしていると不意に話しかけられた、絵梨香を案内した店員さんがいつの間にか横に立っている、可愛らしい顔をしているが何処かで見たことが有るような気がした。

「えっ、ああ、そうですよね」

 確かに誰が見ても美人だと思うが、小さい頃から知っている佐藤にはあまりピンと来なかった、しかし連れが褒められるのは気分が良いのでこのまま彼氏面をする事にしておいた。

「彼氏さんは、どんな服装が好きなんですか」

 何も着てないのが一番ですね、と口から出そうになったが何とか堪えた。好きな服装、好きな服装――。
 そう言われると難しい、昨日の莉菜の様なミニスカ、肩出しのギャルっぽい格好も好きだが絵梨香が着る姿は想像できない。

「お姉さんみたいな格好可愛いですね」 

 白いワンピースに淡いピンクのカーディガンを合わせている、ふわふわした雰囲気の定員さんに本当に良く似合っていた。

「本当ですかー、嬉しい」

 僅かに頬を染めて照れている店員を見てドキッとした、駄目だ駄目だ、俺には莉菜ちゃんがいるじゃないか。

「どうかなー」

 唐突に試着室のカーテンが開いて絵梨香が出てきた、基本的にパンツしか履かない彼女は佐藤から見るといつも同じ格好に思えたが勿論口には出さない。

「良いんじゃないか」
「すごい似合ってますよー、足長いですねー」
  
 誰でも絶賛するのであろう店員さんの言葉を鵜呑みにしないとしてもよく似合っている、いや、彼女が着れば大抵の服は似合うだろうが。
 同じやり取りを三ターン程繰り返すと彼女は全ての服を購入した、いつも試着した服は必ず購入するので試着する意味があるのか疑問だった、支払いを済ませている時にふと見ると店員がコチラをチラリと見ながら絵梨香に耳打ちしていた、何か内緒話をしているような雰囲気だったが特に気にすることもなかった。

「ありがとうございましたー」

 店の際まで見送られると次の店に向かう、同じルーティーンを五回程繰り返すと既に持ち物は一杯だった。

「姫、もう持てません、少し休憩しませんか」 
「そうね、じゃあお茶しよっか」

 デパートの最上階にある甘味処に入るとやっと座ることが出来た、すでに三時間以上買い物を続けている。 

「あー疲れた」
「アスリートの癖に体力ないのね」
「気疲れだよ、女しかいないと疲れるんだよ」
「誰にでも格好つけようとしてるからでしょ」

 図星だったので反論出来なかった、小学生からの付き合いなので佐藤の事などなんでもお見通しだ、おかげで彼女の前ではいつも通りの自分でいる事が出来る。

「絵梨香は就職とかどうするの」

 恐らくどんな会社でも入れるであろう人間が何を目指すのか気になった。

「大学院はまだ長いから考えてないけど製薬会社とか」 
「女子アナでも目指せよミスキャンパス」
「何が楽しいか理解できないわね」
「俺には毎日顕微鏡を覗いている奴の気持ちの方が、理解出来ないけどな」
「あら、新薬の発見は人類存続に必要不可欠だと思うけど」

 こんな美人が白衣を着て研究室に閉じこもっているのが勿体ないような気がしたが本人に自覚はないようだ。

「何にせよ、良くそんなに勉強出来るよな」 
「お金持ちがお寿司よりもカップ麺が好きだって言っても庶民的な人だなくらいにしか感じないでしょ、でも貧乏人が同じ事いったら強がりに聞こえるじゃない」
「なるほど、行ける学力が無いくせに東大行く意味あるのって言う奴ダサいもんな、行ってから言えよって」
「努力した分だけ選択肢は増えるのに、何もしないで文句ばかり言う人間にはなりたくないから勉強してるの、あなたみたいに一つの能力に特化してる人間は別だけどね」
「天才レーサーだからね」
「違うわよ、あなたの凄い所は天才と思われる為に人の何十倍も努力できる根性よ、究極の見栄っ張りね」
「絵梨香を甲子園には連れて行けなかったけどな」

 大学同様、日本で一番頭が良い高校に進学した絵梨香だが残念ながら野球部は弱かった、野球推薦で強豪校に進学した佐藤でも結局甲子園には出場する事が出来なかった。

「大丈夫よ、朝倉南が甲子園に行きたいとお願いしたのは和也、達也には別のお願いをしてたのよ」

「なんだっけ」

「わからないなら別に良いわ」
「まったく、南ちゃんとの共通点はルックスが良い所だけだな」
「あら、それが一番重要な部分じゃない、南がブスだったら和也は南の夢なんて叶えようとしないわ、つまり野球をやらない、てことは死ぬ事もない、美しいって罪なのね……」

 口ではどう足掻いても勝てないのでそれ以上は黙る事にした。

「夜はどうしよっか、あたし良い焼き鳥屋見つけたんだけど」

 酒飲みの絵梨香とは大抵買い物の後に飲みに行ったが今日は莉菜との約束がある、ラブホテルの書き置きを思い出すと心臓がドキドキした。

「悪い、今日は予定があるんだ」
「ふーん、女?」
「まあね、多分今回は上手くいくよ」  

 何せ両思いだから、と考えながら熱いお茶を啜った。

「どうだか」 

 そう言った絵梨香の表情が寂しそうに見えたが気のせいだろう。

「なんだよ、もしかして寂しいの」 
「そんな訳ないでしょ、あのさ、一つだけ買い忘れたものあるからちょっと待ってて」

 席を立とうとするので一緒に行こうかと提案したが全力で拒否されたので、一人で待つことになる、十分程で戻ってきた絵梨香は一番最初に入った店の紙袋を持っていて何を買ったのか聞いても教えてくれなかった。

 帰りは流石にタクシーに乗ることにした、大荷物を抱えたまま混雑した埼京線に乗るのは他の乗客にも迷惑になるだろう。
 赤羽の絵梨香の実家に到着すると絵梨香だけが降車する、佐藤に買い物に付き合った礼を言いながら小さな紙袋を手渡してきた。

「今日はありがとう、怪我しないようにね」
「ああ、お前も元気でな」

 タクシーを出してもらい駅前に向う、紙袋を開けると小さなお守りが入っていた。

『海上安全御守』

 北海道にある金比羅神社こんぴらじんじゃのお守りだ、そう言えば絵梨香の実家は根室だと聞いたことがある、佐藤は軽く笑みがこぼれた。
 これは海で働く人が海難事故に合わない為のお守りだ、確かに海沿いの競艇場も有るがちょっと違うような。頭が良いくせにちょっと抜けた所があるのが彼女の可愛い所だ。
 確かに競艇は危険なスポーツだ、事故で亡くなる人も数年に一人の割合でいた、だからこそ平均年収が千五百万円と高給なのだろう、悪態をついても結局は佐藤の身を案じてくれる絵梨香に感謝しつつ、莉菜の待つ赤羽駅に向かった。
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