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Saito>>>>Sei Side 5
②「衝突」
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創礎高校フェンシング部での二度目の春が過ぎ、再び六月を迎えた。
爽やかだった初夏を越え、だんだんと空気に梅雨前の湿り気が増してきているこの頃。
もうすぐ奏也先輩はじめ三年生たちには最後の大会となる全国総体県予選が始まる。
去年の県予選は創礎が全種目制覇したが、もちろん今年も同じだけの結果を求められる。先輩方の推薦入学先もあらかた決まる。故に、最近の部内の雰囲気は普段より少しビリついている。恐いというより、士気が高まっている感じ。
だから“成の改革”で全体練習が休みとなった週一のフリー練習日である今日も、時間の許す部員は体育館に出てきて自主トレや調整をしているだろうな、とは思っていたのだが。
「だからイテェっつってんだろ! お前、いい加減にしろよ!」
放課後の体育館の出入扉を開けた瞬間、俺の耳に飛び込んで来たのはそんな大きな怒声だった。
三部で共同使用する館内の、T字に三分割した左手前、ピストを敷いた範囲の左奥側。壁一面が全身鏡になった一画で、部指定の黒ジャージ姿にプロテクターとグローブだけを着けた紘都が、目の前で剣を構えた一人の部員を突き飛ばすところだった。
間髪入れず、少し離れたところにいた徹平が二人の間に飛んでいった。慌てて仲裁に入っている。
俺は形だけ一礼はして急いで館内に入り、一番近くにいた呆然とした顔の伊緒を掴まえた。
「え、どうした? 何かあったの?」
「ああ、彩人。いや、一年の柊麻に紘都が教えてたんだけど、……ほら、柊麻って初心者だから、ちょっと突きがあんまりうまくないじゃん? それで……」
伊緒の説明でだいたいの成り行きが推察できた。
千賀 柊麻は今年、外部から創礎高校部に進学してきた新入生で、フェンシング未経験の新入部員だ。中学の頃は陸上部で短距離走をやっていたとか言っていたっけ。つまりフェンシングを始めて二か月も経たないピカピカの若葉印。体力づくりと基礎トレーニングの合間に剣を握り、やっと上下左右の基本のパレのポジションを知り始めたくらいの段階の子。
4月中に公開された『輝く青春☆応援チャンネル』や地元新聞での宣伝効果もあったのか、今年の新入部員は、最少だった去年の俺たちの代と打って変わって、十人の大台に復活した。中には創礎の中学部からの持ち上がり組や他校の部活、スポーツクラブ経験者もいるけれど、千賀のような全くの初心者もちらほら。毎年そうだ、全員経験者の俺たちの代が珍しいだけ。
ただ、千賀はその中で、今のところバツグンに剣の使い方のセンスが……乏しい。基礎練習では二人一組になって様々なコースへの突きの練習をし合うのだが、他の初心者組は順調に形になる中で、彼だけがただのストレートの突きでも距離感が掴めないのか力加減がうまくいかないのか、いつになってもしなやかさが出ず、まるで竹竿でドスンと垂直に押し貫くような重く鈍い刺突を入れてくるのだ。これが皮膚の薄く皮下脂肪のない胸骨丙の上にいくつも続くと、剣は竹どころか鉄の棒なのだから、プロテクターをつけているとはいえ、十分痛い。痣になる。たぶん紘都は幾度目かの痛みの末に、堪忍袋の緒が切れたのだろう。
ざっと体育館内を見渡したところ、三年の部員はいない。確か三年生は進学説明会かなんだかで第一体育館(俺たちフェンシング部は第二体育館)に集まる日だと成が言っていた、進行と会場補佐で生徒会執行部も手伝うんだと。
監督もいない。幾人かの他の一年部員が困惑した顔で立ち尽くしている。向こうの方で、今ごろ部室から出てきた紅太が「チョットコレドウシタノ?」という表情を俺に投げる。純の顔が見えないのは塾の日か。器械体操部やレスリング部の奴らが諍いを察してざわついている。
「紘都、柊麻! ストップ、揉めるな!」
制止する徹平に加わって、俺も二人の間に割り込んだ。
「ああっ、彩人センパァイ! 待ってました、オレ、彩人先輩に教わりたいんです、この超こわい人イヤですぅ!」
「教えてもらっといて何だよ!? お前が真面目にやらねぇからいつまで経っても上達しないんだろ!?」
「真面目にやってますぅー! でもさっぱりコツがわかんないんですもん。いいですもう、オレは彩人先輩に教わりますぅー」
小動物のように素早く俺の背後に隠れながらも舌を出して言い返す柊麻に、紘都が苛立ちを隠さない顔で自身のウェーブヘアを掻きむしる。売り言葉に買い言葉だなぁと、低レベルな争いに珍しく乗っている紘都を見てから、徹平と目を合わせて溜め息を吐き合う。監督がいない日でよかった。こんな場面を見られていたら、連帯責任でどんなペナルティを喰らったか。
「あのさ、柊麻」俺は背後の小柄な一年生を振り返る。
「うちの二年で技術指導が巧いのは紘都と徹平だよ。俺に習っても巧くならないよ」
「ええ~……徹平先輩はまだしも、紘都先輩はメインがサーブルでしょ? 俺は彩人先輩と同じフルーレとエペがやりたいから、何かちょっと違うと思うんですよね」
憮然とした柊麻のことばに、再び紘都の目が鈍い光を走らせた。まずいな、と俺と徹平の胸に同時に同じ危惧が湧いたと思う。紘都はけしてサーブルだけに主眼を置いているわけではない。フルーレだって同じくらい大切にして努力しているのだ。久々に、去年の地方予選前の団体メンバー発表の場で天を仰いだ紘都の横顔を思い出した。だが、この新入生はその光景を知らないのだ。だから柊麻が悪いわけではない、のだが、たぶんそういう知らないが故の無意識の煽りを、俺が体育館にやって来る前からちょこちょこやってしまっていたのだろう。そりゃあ、紘都も怒るわな。
まあまあ、と徹平が副キャプテンらしい顔つきで柊麻を鎮める。
「柊麻が彩人に憧れて入部してきたのは知ってるよ? 彩人みたいなフェンサーになりたがってるのも」
「そうですよ、三渓センパァイ! オレ、『輝く青春☆応援チャンネル』の彩人先輩を見て、“こんなカッコイイ人の近くで部活がしたい!”って思って、陸上部の勧誘を蹴って入部したんスからね!?」
「うん、だけどね? 彩人、ちょっと柊麻にストレートの突き方を教えてやって?」
徹平に視線で促され、柊麻が右手に握っていた剣を俺に渡す。制服に素手のまま他人の剣を借りて、俺は腰を落としてプレの姿勢をつくり、そのまま正対した柊麻の、左胸に一突きを刺す。とたんに柊麻の目が、ざあっと興奮に染まる。
「これです、これ! すごい! 突かれてるのに風がそよいだみたいな! 何も触れてないみたいなのにちゃんとポイントは点いている、っていう! これこれこれ! これをオレもやりたいんですよ!」
興奮したまま、柊麻が身を乗り出して叫ぶ。徹平が苦笑いする。
「うん。彩人。それどうやってやるのか柊麻に教えてやって?」
「えーと、だからー……スッて構えて、フッて相手との距離を見て、んじゃこのくらいの加減かあ~ってホッてやったら、ピッていけるじゃん?」
俺流の感覚を的確に言語化して伝えたのに、柊麻の目は点になった。紘都がこめかみを揉んで、溜息を吐く。徹平が首を振りながら言う。
「……あのね、堂谷彩人は中一の部活初日の一突き目からこれができたんだよ。それも上下左右振り込み、全部のコースのどんな間合いからでもね。天才選手が天才指導者とは限らないってよく言うでしょ。彩人は教えを請うんじゃなくて憧れるくらいでちょうどいいんだよ」
「あー……」
柊麻からしゅるしゅると勢いが抜けていく。徹平の解説はちょっと俺を武勇伝化しすぎじゃね? と思ったが、争いが鎮火するなら良しとしよう。
火種が落ち着きそうだったのに、しかし、そこに紘都が追撃の燃料を投下した。
「ていうかな、彩人は左利きなんだよ。借りたお前の剣は、右利き用だろ。利き手と逆の手に他人の剣を持ってこれができる奴の真似を、ヘタクソのお前がしようとするな。お前はただただ死ぬほど練習しろ」
その言い方に、治まりかけていた柊麻の表情が、みるみる憤る。
さすがに新人に言い過ぎだと諫めるより早く、柊麻が叫んだ。
「何なんすか、紘都先輩ってオレにだけ当たりがキツくないっすか!?」
それに、紘都は眉も動かさず答えた。
「別にお前にだけキツいつもりはない。県予選も近いのに、一向にまともな突き一つできるようにならなくて危機感ない奴がヤバいだけだろ。そんなんで大会に出られたら、今年の創礎のレベルが疑われる」
「その言い方がキツいって言ってるんですよ!」
「おい、紘都、マジでもうやめろ」
俺が紘都を、徹平が柊麻を体ごと遮る。でも柊麻は止まらなかった。
「何すか、アンタ。俺が彩人先輩のことを超~~~好きなのが気に入らないんすか? ああそっか、アンタ友達少なそうですもんね、俺が彩人先輩にばっかり懐くから嫉妬してんだ!」
「……ハァ?」
その場にいた柊麻本人以外の全員の頭上に?マークが浮かんだことだろう。そのくらい、飛躍して突飛な論理展開だった。もちろん紘都自身もぽかんとする。でも柊麻はもう、見ていない。
「紘都先輩みたいにキツいことばっか言ってたら、優しい彩人先輩だって今に嫌んなって離れてくぞ! 後輩だって離れて、みんなみーんな、離れてくぞ! 紘都先輩に好きで付き合える奴なんて、相当なドМ人間だけだッ!」
力一杯怒鳴りつけられた柊麻の絶叫は、体育館の高い天井にうわんと響いて霧散していった。
これは諫めるべきなのか? 否定するべきなのか? そもそも相手にするべき次元の話なのか? 向こうの方で紅太がちょっと笑っているのが見えた。
と、紘都が黙ってグローブとプロテクターを外しだした。
それを徹平に投げてよこす。
「紘都、」
「それ片付けといて。くだらない言い分に付き合ってても時間の無駄だから外周に走りに行ってくるわ。ソイツの指導は任す」
それだけ言うと、くるりと身を翻して出口に向かう。すれ違う時に伊緒が声を掛けたが、紘都は表情を変えず一、二言返して通り過ぎ、そのまま外に出ていく。それは怒って出て行った、というのではなく、去ることで無理矢理にこの場の空気を終わらせた、みたいなやり方だった。
俺は紘都を追い駆けるべきかそれとも目の前の涙目の後輩を慰めるべきか、逡巡していた。徹平もどちらに舵を切るか決めかねている顔。
揉め事がないわけではないが比較的穏便にやってきた仲の良い部だから、こういう時、みんなどうすべきかとっさの判断がつかない。
「あれ、部の雰囲気がおかしいね。さっきすれ違った紘都もいつもと違ったし、どうしたのか説明してくれる?」
だからキャプテンの奏也先輩がそう言いながら体育館に登場してくれた時、館内にいた全員の胸中に一気に安堵の空気が広がったのだった。説明して、と言うが先輩の切れ長の目はもう何事か悟ったように涼やかだ。体育館の時計は16時半を回ったところ。説明会が終わったのだろう。先輩の後ろにはレスリング部の三年生も見えた。
弾かれたように徹平が駆け寄って、事の顛末を報告する。いつも通りの穏やかな表情で聞いた奏也先輩は、「そっか」と一つ相槌を打った後、
「伊緒は柊麻のフォロー。紅太は動揺してる他の一年を安心させて。徹平は僕と指導法について打ち合わせの後、柊麻に技術指導」
静かに、しかしテキパキと指示を出していく。指名された各人は即、役割へと動く。伊緒が叱られた三歳児みたいな顔でうずくまっている柊麻の頭を撫でて声を掛け、紅太は手を叩きながら一年を集めて漫談みたいなノリで笑わせようと声を張る。
俺は奏也先輩に近づいて、頭を下げた。
「すいません……先輩を煩わせました」
「うん? 部内のことは僕の責任なのに、どうして彩人が謝るの?」
「二人が揉めたのに、ちょっと俺も絡んでる気がするので」
「そんなことはないよ。彩人が気にする必要は1mmもない」
奏也先輩は目を細めて小さく笑った。切れ長の目元がいっそう優しくなる。一歳しか違わないのに、随分余裕を感じる笑みだった。
「柊麻の技術が拙いのに対策を打っていなかったのは僕だからね。紘都のことも。去年からずっと調子に波があるのに気づいていながら、どうすべきか見守ってた。二人がこんなに早くぶつかると読んでなかった。全部僕の至らぬところだから、彩人は気にしないこと」
奏也先輩はそっと俺に寄り添い、そう耳打ちしてくれた。柔らかなことば選びに、ほっとさせてもらえる。強豪の猛者たちをまとめてきたキャプテンの、広くて厚い懐に包まれて急速に癒される感じ。
近づくと先輩の髪とか肌とかからは何か良い匂いがした。薔薇の花みたいな、芳醇な香り。男子高校生なのに。
奏也先輩が静かに続けた。
「紘都は、大会が近づくといつも神経過敏になるね。自分が勝つことはもちろんだけど、創礎が負けないことにも固執して、他人に厳しくなりすぎる」
「負けず嫌いな奴だから……」
「そうかな。それだけなのかな」
え? と聞き返した俺に、先輩は少しだけ低い位置から俺を見上げて笑った。
「紘都はさ、人に厳しいけど、その何倍も自分にも厳しいから、初心者の後輩にイラついてるなら、自分にはもっとイラついてるんじゃないかな。……でも、何にイラついてるのか僕には相談してくれないんだ。アイツは、一年経っても僕との距離感を縮めてくれないから」
距離感。
という単語に思い至るものがあった。
先輩が言う。
「彩人なら、調子の悪い時はどうして欲しい? 紘都は、どう思っていると思う?」
先輩に言われて、俺は自分の人生最大級に調子の悪かった時のことを思い出した。ちょうど一年くらい前、成に告白する頃だ。地方大会前日の夜、負けられない試合を前にどん底の底の底にいた時、紘都が夜の寮に招き入れてくれて、一緒にいてくれた。そうだ、あの時、トップシークレットを明かしてまで俺の話を聞いてくれたのは、紘都だった。
いつも他人の言うことなんか煙に巻いて気にしない紘都が後輩の煽りに乗ってしまうくらい余裕をなくす想いがあるなら、俺になら話してくれるだろうか。
「先輩、俺、紘都を追っかけて外周に行ってきます」
そう言った俺に、奏也先輩は優しい笑顔で頷いた。
「うん。紘都のことをよろしく頼むよ。こっちの方は、僕らに任せて」
奏也先輩が傍らの徹平を引き寄せる。
徹平も、畏まった表情ながらぐっと親指を立ててくれる。頼れるキャプテンと副キャプテンに見送られて、俺は体育館をあとにする。
爽やかだった初夏を越え、だんだんと空気に梅雨前の湿り気が増してきているこの頃。
もうすぐ奏也先輩はじめ三年生たちには最後の大会となる全国総体県予選が始まる。
去年の県予選は創礎が全種目制覇したが、もちろん今年も同じだけの結果を求められる。先輩方の推薦入学先もあらかた決まる。故に、最近の部内の雰囲気は普段より少しビリついている。恐いというより、士気が高まっている感じ。
だから“成の改革”で全体練習が休みとなった週一のフリー練習日である今日も、時間の許す部員は体育館に出てきて自主トレや調整をしているだろうな、とは思っていたのだが。
「だからイテェっつってんだろ! お前、いい加減にしろよ!」
放課後の体育館の出入扉を開けた瞬間、俺の耳に飛び込んで来たのはそんな大きな怒声だった。
三部で共同使用する館内の、T字に三分割した左手前、ピストを敷いた範囲の左奥側。壁一面が全身鏡になった一画で、部指定の黒ジャージ姿にプロテクターとグローブだけを着けた紘都が、目の前で剣を構えた一人の部員を突き飛ばすところだった。
間髪入れず、少し離れたところにいた徹平が二人の間に飛んでいった。慌てて仲裁に入っている。
俺は形だけ一礼はして急いで館内に入り、一番近くにいた呆然とした顔の伊緒を掴まえた。
「え、どうした? 何かあったの?」
「ああ、彩人。いや、一年の柊麻に紘都が教えてたんだけど、……ほら、柊麻って初心者だから、ちょっと突きがあんまりうまくないじゃん? それで……」
伊緒の説明でだいたいの成り行きが推察できた。
千賀 柊麻は今年、外部から創礎高校部に進学してきた新入生で、フェンシング未経験の新入部員だ。中学の頃は陸上部で短距離走をやっていたとか言っていたっけ。つまりフェンシングを始めて二か月も経たないピカピカの若葉印。体力づくりと基礎トレーニングの合間に剣を握り、やっと上下左右の基本のパレのポジションを知り始めたくらいの段階の子。
4月中に公開された『輝く青春☆応援チャンネル』や地元新聞での宣伝効果もあったのか、今年の新入部員は、最少だった去年の俺たちの代と打って変わって、十人の大台に復活した。中には創礎の中学部からの持ち上がり組や他校の部活、スポーツクラブ経験者もいるけれど、千賀のような全くの初心者もちらほら。毎年そうだ、全員経験者の俺たちの代が珍しいだけ。
ただ、千賀はその中で、今のところバツグンに剣の使い方のセンスが……乏しい。基礎練習では二人一組になって様々なコースへの突きの練習をし合うのだが、他の初心者組は順調に形になる中で、彼だけがただのストレートの突きでも距離感が掴めないのか力加減がうまくいかないのか、いつになってもしなやかさが出ず、まるで竹竿でドスンと垂直に押し貫くような重く鈍い刺突を入れてくるのだ。これが皮膚の薄く皮下脂肪のない胸骨丙の上にいくつも続くと、剣は竹どころか鉄の棒なのだから、プロテクターをつけているとはいえ、十分痛い。痣になる。たぶん紘都は幾度目かの痛みの末に、堪忍袋の緒が切れたのだろう。
ざっと体育館内を見渡したところ、三年の部員はいない。確か三年生は進学説明会かなんだかで第一体育館(俺たちフェンシング部は第二体育館)に集まる日だと成が言っていた、進行と会場補佐で生徒会執行部も手伝うんだと。
監督もいない。幾人かの他の一年部員が困惑した顔で立ち尽くしている。向こうの方で、今ごろ部室から出てきた紅太が「チョットコレドウシタノ?」という表情を俺に投げる。純の顔が見えないのは塾の日か。器械体操部やレスリング部の奴らが諍いを察してざわついている。
「紘都、柊麻! ストップ、揉めるな!」
制止する徹平に加わって、俺も二人の間に割り込んだ。
「ああっ、彩人センパァイ! 待ってました、オレ、彩人先輩に教わりたいんです、この超こわい人イヤですぅ!」
「教えてもらっといて何だよ!? お前が真面目にやらねぇからいつまで経っても上達しないんだろ!?」
「真面目にやってますぅー! でもさっぱりコツがわかんないんですもん。いいですもう、オレは彩人先輩に教わりますぅー」
小動物のように素早く俺の背後に隠れながらも舌を出して言い返す柊麻に、紘都が苛立ちを隠さない顔で自身のウェーブヘアを掻きむしる。売り言葉に買い言葉だなぁと、低レベルな争いに珍しく乗っている紘都を見てから、徹平と目を合わせて溜め息を吐き合う。監督がいない日でよかった。こんな場面を見られていたら、連帯責任でどんなペナルティを喰らったか。
「あのさ、柊麻」俺は背後の小柄な一年生を振り返る。
「うちの二年で技術指導が巧いのは紘都と徹平だよ。俺に習っても巧くならないよ」
「ええ~……徹平先輩はまだしも、紘都先輩はメインがサーブルでしょ? 俺は彩人先輩と同じフルーレとエペがやりたいから、何かちょっと違うと思うんですよね」
憮然とした柊麻のことばに、再び紘都の目が鈍い光を走らせた。まずいな、と俺と徹平の胸に同時に同じ危惧が湧いたと思う。紘都はけしてサーブルだけに主眼を置いているわけではない。フルーレだって同じくらい大切にして努力しているのだ。久々に、去年の地方予選前の団体メンバー発表の場で天を仰いだ紘都の横顔を思い出した。だが、この新入生はその光景を知らないのだ。だから柊麻が悪いわけではない、のだが、たぶんそういう知らないが故の無意識の煽りを、俺が体育館にやって来る前からちょこちょこやってしまっていたのだろう。そりゃあ、紘都も怒るわな。
まあまあ、と徹平が副キャプテンらしい顔つきで柊麻を鎮める。
「柊麻が彩人に憧れて入部してきたのは知ってるよ? 彩人みたいなフェンサーになりたがってるのも」
「そうですよ、三渓センパァイ! オレ、『輝く青春☆応援チャンネル』の彩人先輩を見て、“こんなカッコイイ人の近くで部活がしたい!”って思って、陸上部の勧誘を蹴って入部したんスからね!?」
「うん、だけどね? 彩人、ちょっと柊麻にストレートの突き方を教えてやって?」
徹平に視線で促され、柊麻が右手に握っていた剣を俺に渡す。制服に素手のまま他人の剣を借りて、俺は腰を落としてプレの姿勢をつくり、そのまま正対した柊麻の、左胸に一突きを刺す。とたんに柊麻の目が、ざあっと興奮に染まる。
「これです、これ! すごい! 突かれてるのに風がそよいだみたいな! 何も触れてないみたいなのにちゃんとポイントは点いている、っていう! これこれこれ! これをオレもやりたいんですよ!」
興奮したまま、柊麻が身を乗り出して叫ぶ。徹平が苦笑いする。
「うん。彩人。それどうやってやるのか柊麻に教えてやって?」
「えーと、だからー……スッて構えて、フッて相手との距離を見て、んじゃこのくらいの加減かあ~ってホッてやったら、ピッていけるじゃん?」
俺流の感覚を的確に言語化して伝えたのに、柊麻の目は点になった。紘都がこめかみを揉んで、溜息を吐く。徹平が首を振りながら言う。
「……あのね、堂谷彩人は中一の部活初日の一突き目からこれができたんだよ。それも上下左右振り込み、全部のコースのどんな間合いからでもね。天才選手が天才指導者とは限らないってよく言うでしょ。彩人は教えを請うんじゃなくて憧れるくらいでちょうどいいんだよ」
「あー……」
柊麻からしゅるしゅると勢いが抜けていく。徹平の解説はちょっと俺を武勇伝化しすぎじゃね? と思ったが、争いが鎮火するなら良しとしよう。
火種が落ち着きそうだったのに、しかし、そこに紘都が追撃の燃料を投下した。
「ていうかな、彩人は左利きなんだよ。借りたお前の剣は、右利き用だろ。利き手と逆の手に他人の剣を持ってこれができる奴の真似を、ヘタクソのお前がしようとするな。お前はただただ死ぬほど練習しろ」
その言い方に、治まりかけていた柊麻の表情が、みるみる憤る。
さすがに新人に言い過ぎだと諫めるより早く、柊麻が叫んだ。
「何なんすか、紘都先輩ってオレにだけ当たりがキツくないっすか!?」
それに、紘都は眉も動かさず答えた。
「別にお前にだけキツいつもりはない。県予選も近いのに、一向にまともな突き一つできるようにならなくて危機感ない奴がヤバいだけだろ。そんなんで大会に出られたら、今年の創礎のレベルが疑われる」
「その言い方がキツいって言ってるんですよ!」
「おい、紘都、マジでもうやめろ」
俺が紘都を、徹平が柊麻を体ごと遮る。でも柊麻は止まらなかった。
「何すか、アンタ。俺が彩人先輩のことを超~~~好きなのが気に入らないんすか? ああそっか、アンタ友達少なそうですもんね、俺が彩人先輩にばっかり懐くから嫉妬してんだ!」
「……ハァ?」
その場にいた柊麻本人以外の全員の頭上に?マークが浮かんだことだろう。そのくらい、飛躍して突飛な論理展開だった。もちろん紘都自身もぽかんとする。でも柊麻はもう、見ていない。
「紘都先輩みたいにキツいことばっか言ってたら、優しい彩人先輩だって今に嫌んなって離れてくぞ! 後輩だって離れて、みんなみーんな、離れてくぞ! 紘都先輩に好きで付き合える奴なんて、相当なドМ人間だけだッ!」
力一杯怒鳴りつけられた柊麻の絶叫は、体育館の高い天井にうわんと響いて霧散していった。
これは諫めるべきなのか? 否定するべきなのか? そもそも相手にするべき次元の話なのか? 向こうの方で紅太がちょっと笑っているのが見えた。
と、紘都が黙ってグローブとプロテクターを外しだした。
それを徹平に投げてよこす。
「紘都、」
「それ片付けといて。くだらない言い分に付き合ってても時間の無駄だから外周に走りに行ってくるわ。ソイツの指導は任す」
それだけ言うと、くるりと身を翻して出口に向かう。すれ違う時に伊緒が声を掛けたが、紘都は表情を変えず一、二言返して通り過ぎ、そのまま外に出ていく。それは怒って出て行った、というのではなく、去ることで無理矢理にこの場の空気を終わらせた、みたいなやり方だった。
俺は紘都を追い駆けるべきかそれとも目の前の涙目の後輩を慰めるべきか、逡巡していた。徹平もどちらに舵を切るか決めかねている顔。
揉め事がないわけではないが比較的穏便にやってきた仲の良い部だから、こういう時、みんなどうすべきかとっさの判断がつかない。
「あれ、部の雰囲気がおかしいね。さっきすれ違った紘都もいつもと違ったし、どうしたのか説明してくれる?」
だからキャプテンの奏也先輩がそう言いながら体育館に登場してくれた時、館内にいた全員の胸中に一気に安堵の空気が広がったのだった。説明して、と言うが先輩の切れ長の目はもう何事か悟ったように涼やかだ。体育館の時計は16時半を回ったところ。説明会が終わったのだろう。先輩の後ろにはレスリング部の三年生も見えた。
弾かれたように徹平が駆け寄って、事の顛末を報告する。いつも通りの穏やかな表情で聞いた奏也先輩は、「そっか」と一つ相槌を打った後、
「伊緒は柊麻のフォロー。紅太は動揺してる他の一年を安心させて。徹平は僕と指導法について打ち合わせの後、柊麻に技術指導」
静かに、しかしテキパキと指示を出していく。指名された各人は即、役割へと動く。伊緒が叱られた三歳児みたいな顔でうずくまっている柊麻の頭を撫でて声を掛け、紅太は手を叩きながら一年を集めて漫談みたいなノリで笑わせようと声を張る。
俺は奏也先輩に近づいて、頭を下げた。
「すいません……先輩を煩わせました」
「うん? 部内のことは僕の責任なのに、どうして彩人が謝るの?」
「二人が揉めたのに、ちょっと俺も絡んでる気がするので」
「そんなことはないよ。彩人が気にする必要は1mmもない」
奏也先輩は目を細めて小さく笑った。切れ長の目元がいっそう優しくなる。一歳しか違わないのに、随分余裕を感じる笑みだった。
「柊麻の技術が拙いのに対策を打っていなかったのは僕だからね。紘都のことも。去年からずっと調子に波があるのに気づいていながら、どうすべきか見守ってた。二人がこんなに早くぶつかると読んでなかった。全部僕の至らぬところだから、彩人は気にしないこと」
奏也先輩はそっと俺に寄り添い、そう耳打ちしてくれた。柔らかなことば選びに、ほっとさせてもらえる。強豪の猛者たちをまとめてきたキャプテンの、広くて厚い懐に包まれて急速に癒される感じ。
近づくと先輩の髪とか肌とかからは何か良い匂いがした。薔薇の花みたいな、芳醇な香り。男子高校生なのに。
奏也先輩が静かに続けた。
「紘都は、大会が近づくといつも神経過敏になるね。自分が勝つことはもちろんだけど、創礎が負けないことにも固執して、他人に厳しくなりすぎる」
「負けず嫌いな奴だから……」
「そうかな。それだけなのかな」
え? と聞き返した俺に、先輩は少しだけ低い位置から俺を見上げて笑った。
「紘都はさ、人に厳しいけど、その何倍も自分にも厳しいから、初心者の後輩にイラついてるなら、自分にはもっとイラついてるんじゃないかな。……でも、何にイラついてるのか僕には相談してくれないんだ。アイツは、一年経っても僕との距離感を縮めてくれないから」
距離感。
という単語に思い至るものがあった。
先輩が言う。
「彩人なら、調子の悪い時はどうして欲しい? 紘都は、どう思っていると思う?」
先輩に言われて、俺は自分の人生最大級に調子の悪かった時のことを思い出した。ちょうど一年くらい前、成に告白する頃だ。地方大会前日の夜、負けられない試合を前にどん底の底の底にいた時、紘都が夜の寮に招き入れてくれて、一緒にいてくれた。そうだ、あの時、トップシークレットを明かしてまで俺の話を聞いてくれたのは、紘都だった。
いつも他人の言うことなんか煙に巻いて気にしない紘都が後輩の煽りに乗ってしまうくらい余裕をなくす想いがあるなら、俺になら話してくれるだろうか。
「先輩、俺、紘都を追っかけて外周に行ってきます」
そう言った俺に、奏也先輩は優しい笑顔で頷いた。
「うん。紘都のことをよろしく頼むよ。こっちの方は、僕らに任せて」
奏也先輩が傍らの徹平を引き寄せる。
徹平も、畏まった表情ながらぐっと親指を立ててくれる。頼れるキャプテンと副キャプテンに見送られて、俺は体育館をあとにする。
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良かったら覗いてみてください。
(^O^)
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺
高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
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