愛する家庭を守るため 病んだ妻が決断したのは「夫を娘にする」事だった

高崎三吉

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「理想の男」は……

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 父についてナオミはあまり考えないようにしていた。
 思い出そうとすれば父の事を思い出せるのだが、どう考えてもそれがナオミ自身の体験に合致しないので、何かの形で体験を共有し当事者が自分だと取り違えているのだろうと思っていた。
 いずれにしても幼い女児のころ逞しい腕に抱かれた記憶があるなら、普通に考えればその父親が一番あり得る対象だろう。

「実際にその男に会ったのは親父さんが失踪したのと同時期なんだろ?」
「それでも違うのよ。あの人はお父さんじゃないの。なんとなくだけどそれは分かっている」

 今までもふった男から、何度かそれを言われてきたナオミはいつも通り答えた。
 まぶたに浮かぶその男の顔も体つきも、ナオトとはまるで違う。
 誰にも言っていないが、ナオミにはその男と裸で抱き合い、舌を絡めるディープキスをして、豊かな胸を弄ばれ、逞しい男の象徴を求めた記憶がある。
 その体験には確信があった。
 もちろん二〇年も前にそんな事が出来るはずがない。
 どう考えても当時のナオミは幼女の筈であり、全く辻褄が合わないのは自明の理だ。だから非科学的ではあるが「夢のお告げ」か何かと考えることにしていた。
 ナオミなりにその男を捜した事もある。だが影すら見つける事は出来なかった。
 大好きなママに「理想の男」について話を振っても、いつも曖昧に微笑んで「あなたのその気持ちを大事にしなさい」と答えるだけだった。

「それは記憶だから勝手に美化されて……」
「とにかくママの研究所でバリバリ働くから、もうあなたに構っているヒマは無いわ」
「もういいよ。本当にお前はファザコンの上にマザコンか。ああ。やっぱりナオミと付き合わなくてよかったよ! 絶対に大物になって、いつかお前に今日の事を後悔させてやるからな!」

 ふられたばかりの男はあえて大げさに軽口を叩きつつ背を向け、足早に走り去る。
 ナオミが脇目もふらすに科学者としての道を進むのが、母への憧れが理由であることは周知の事実だった。
 他にも有名な企業や研究所、大学院、更にはパーティで出会った「有力政治家や大企業の御曹司からのプロポーズ」などいろいろ魅力的な誘いはあったのだが、ナオミは一顧だにしなかった。
 ナオミは着飾る事も化粧する事も大好きだが、それでも一番憧れる服装は白い母親の仕事着だったのだ。
 ミチコは遺伝子に関わる研究で多くの特許を取っている名高い科学者となっていた。
 その研究にはなりふり構わない一面から「行方不明になった夫は、ミチコの実験材料にされたのだ」などという『無責任な噂』が流れる事もあったぐらいだ。
 しかしナオミは知っていた。
 ミチコは確かに研究熱心で誰よりも科学を愛しているが、それと同じぐらい――もしくはそれ以上に――娘である自分を愛している事を。

(もちろん私も同じよ。科学とママを何よりも愛しているわ)

 ナオミは心の中でつぶやきつつ、四年を過ごした大学をあとにした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「今日……ナオミがここに来る……待ち望んだ運命の日だわ」

 白髪が目立つようになり、所長となったミチコは、研究所でもっとも高いところにある所長室にて、ディスプレイに表示した四歳からの娘の写真を感慨深げに眺めながら呟く。
 ナオミはミチコが望んだ通りママと科学を愛し、美しく家庭的で、それでいて周囲に流される事の無い、自らの考えをハッキリと述べる自立した女性へと成長していた。
 そして一流大学でもトップの成績を収め、優秀な研究員としてミチコの研究所に来る事が決まっている。

「今のところナオミは完璧だわ……ただ一つを除いて」

 僅かな誤算があったとすれば、ナオミは男嫌いではないにしろ、ミチコの想定よりも男に対するガードが堅かった点だ。
 その原因だが恐らくミチコが「理想の男とナオミが結ばれる瞬間にお預けを食らわせた」のが理由では無いかと思っている。
 ナオミはどんな男と付き合っても、その瞬間の事を思いかえして「理想の男」ではないと失望してしまうのではないだろうか。

「あれは失敗だったかしらね……まあそれも全て今日で終わりよ」

 ミチコの決心と共に、ドアをノックする音が響いた。
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