ある町での「妻」の物語

高崎三吉

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ある田舎町の光景

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 自分で言うのもなんだが結構裕福でそれなりに名の通った名家の出身だった俺は、兄たちもそろって通っていた志望の名門大学に落ちて浪人してしまった。
 そこで「家の恥」だのなんだの親に文句を言われるのが嫌で、有り金を全部持って家から逃げ出したのだ。
 しばらくあての無い旅を続けた俺は路銀が尽きかけたある日、たまたま一つの町を見かけた。
 それは山中の盆地にある小さな町、瀬渡(せわたり)町だった。
 主要な道路から離れているが、町の中心部は綺麗にまとまっており、豪邸とまでは言えないまでもまずまず広く整った庭と裕福そうな家が並んでいたのだ。

『こんなところは普通だったら高齢化の進んだ限界集落なんじゃないのか?』と最初は思っていたが、ちょっと見たところでは20~30代の旦那と若く美しい奥方ばかりが目に付いた。

 興味をそそられた俺は残り少ない路銀で、この町に一軒だけある小さな民宿に泊まる事にした。
 そこで驚いたのだが、この町ではスマホは電波が届かないため使えず、それどころかインターネットの回線すら町役場以外は通じていないと言う事だった。
 今時の日本国内でそんな町があるのか? と一瞬呆気にとられたものだが「申し訳ありません」と丁寧に頭を下げる美しい民宿のおかみさんの姿を見て、俺の気はおさまった。
 聞いたところでは、この小さな町は何もかもが古臭く、自動車やテレビすらごく少数しか使われていないという事だった。
 だが何よりも時代錯誤なのは、ここの奥さん達だった。
 彼女たちは全員が若く美しく、それでいて夫には従順で慎み深い。
 この町では料理や掃除、洗濯、編み物、子供の世話などすべてが女性の仕事であり、男性はそれには一切、口出しも関りもしないというものだったのだ。
 風邪や妊娠などで家事が出来ないときは、女同士で助け合うらしい。
 ただ彼女たちは決して地味というわけではなく、自らを美しく飾り立てることも熱心であり、また夫に対する愛と悦びを嬉しそうに語っていた。
 何というか男の夢である『朝は女中の如し 昼は貴婦人の如し、夜は情婦の如し』をそのまま体現しているように思えたのだ。
 またこの町の住民は、たまの旅人が珍しいのかいろいろと俺に聞いてきた。少なくともよそ者に閉鎖的な様子はまるでない。
 その中には俺の女性関係に関するものもあった。
 もちろん普段はそんなことを他人にしゃべったりはしないのだが、この時はまるで浮かされたかのように、いろいろとあけすけな話を自分からしていた。
 時代遅れの町ではあったが、そこにあったものは「古き良き時代の夢」そのものだった。
 そして気が付くと残り少ない金は底をつき、もうこの町に滞在し続ける事は出来なくなっていた。ところが―

「もしも君がこの瀬渡町に留まりたいなら、住む家を無償で提供しよう」
「そんな?! いいんですか?」

 いきなりやってきた町長――まだ30かそこらに見える非常に若い町長――が俺を引き留めたのだ。
 しかし俺は自分の女性経験などの話はしたが、どこの何者なのかまでは伝えていなかった。
 もちろん家族から捜索願ぐらいは出ているかもしれないが、少なくともこの町の住民からそれについて聴いた覚えはない。
 ネットもないこの町では、誰も気づいていなくとも不思議ではない。
だが逆を言えば「どこの誰なのかも知らない、通りすがりの若造」を引き留めて、家まで提供するというのだ。
 いくら何でも不自然すぎるだろう。

「どうやら君は迷っているようだね。いや。気持ちは分からないでもない。こんな唐突な申し出を二つ返事で受ける方がおかしい」

 町長は俺の心を読んだかのように先回りしてきた。

「だけどこの町の住民の多く、半分近くは今の君と同じ行きずりでそのまま留まることになった人間なんだよ」
「それは本当ですか?」
「もちろんだとも。決して嘘ではない。疑うなら後で皆に聞いてみればいいだろう。大勢がこの町で配偶者を見つけて、幸せに暮らしているんだ」

 にわかには信じがたい話だった。
 老人ばかりの限界集落が、住んでくれるならただで家を進呈するなんて話も聞いたことはあるが、ここはそんなところではない。
 だが町長は更にとんでもないことを口にしてきた。

「そうだ。君がここに住んでくれるなら、お似合いの伴侶を用意しようではないか」
「ええ? いくら何でもそんな?」

 この時、今まで見てきた幾人もの美しく慎み深い奥さん達を思い浮かべて、そんな美人と暮らす幸せな生活を夢見なかったと言えば嘘になる。
 だけどどうにも話がうますぎる。
 いくら俺が世間知らずでも、受験に挫折し逃げ出してきた半端物が、田舎の町にて無償で美人の伴侶を得られる漫画みたいな話を真に受けることなどできない。
 しかし町長の言葉には「もしかしたら」と思わせる説得力があったのも事実だ。
この町で多くの「理想的な若奥さん」を見てこなかったら、相手にもしなかっただろう。

「信じられないかね。まあ無理もない。だからまずは私についてきてくれないかな?」
「はあ……分かりました」

 町長には俺が金のないプータローでしかないのは分かっているはずだから、はめる意味はないだろう。
 実家は裕福だが、それについてはこの町の誰にも教えていない。
 極悪な展開を考えたら「騙した若者を捕まえて解剖し臓器密売」とか「山奥のタコ部屋で強制労働」もチラと脳裏をよぎったが、この日本において町ぐるみでそんな犯罪行為が出来るとは思えない。
 確かにこの町はそんなことはしていなかった……そして町長の言葉に何一つ嘘はなかった。
 俺がその真相を知った時は、もうこの町を離れる事が出来なくなった後だった。
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