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第9章 『思想の神』と『英雄』編

第200話 忍び込んだ院長室にて

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 モラーニが出かけた後で、オレはこっそりと院長室に入りこむ。
 こんなところに孤児達に興味をひくものがあるわけでもないので、鍵もかかっておらず中に入るだけなら簡単だった。

 もちろん本の高価なこの世界では、ここにある蔵書だけでも一財産だけど、まあここの孤児達が本を盗んで売りさばくとか、いたずらをしたりはしないとモラーニは思っているのだろう。

 オレはその手のいたずらはしないから、信頼を裏切った事にはなりませんよね?
 ざっと見たところでは、書類のたぐいは見当たらないようだ。
 オレの有する賢者系の魔法《過去視》を使うと、ある程度過去の出来事を見ることも出来るのだけど、光景の再現はリアルタイムだからちょっと時間がかかる。
 それは夜中に忍び込んでやらせてもらうとして、さっきここで何があったのか探るのは後回しにしよう。

 そこでオレは本棚にある書籍に急いで目を通す。
 オレの場合、魔法で目にした書籍の中身を丸暗記出来るので、今は内容を把握する必要は無い。
 元の世界でこの魔法が使えたら、暗記物の試験では満点取れるだろうけど、その場合はカンニングになるのだろうか?
 そんな事はどうでもいい。とにかく今は情報を仕入れるのが先決だ。
 何というかいろいろと深刻な事態を迎えているにもかかわらず、知識が増えている事に喜びを感じてしまうのは自分でもちょっと困った性分なのかもしれない。
 だがオレが熱心に読みふけっていると、こちらの耳には幾つもの声が響いてきた。

「おおい。アルタシャ~ どこに行ったんだ?」
「隠れているのかい?」
「出て来なさいよ。みんな探しているんだから」

 むう。これはちょっと困ったな。
 このまま院長室にずっと隠れたままでもいいけど、それでみんなが心配してあちこち探し回る事になったら申し訳ない。
 仕方ないのでここは諦めていったん出て行くことにしよう。なあにここにいれば機会は幾らでもあるはずだから焦る必要はないだろう。
 とりあえず本を元通りに戻したところでちょっとばかりこの院長室を見回すと、壁にはかなりくすんだ後光を放って輝く人影が描かれている。
 かなり古いもので細部もよく分からないが、背後に光輪をまとった男性を描いたものであることはおおざっぱに分かる。
 よくある宗教画なのは間違いないのだが、この世界ではやっぱり神様の描き方も地域でそれぞれなので、これだけでは何を描いたものなのかはよく分からないのは残念だ。

 それからとりあえずこっそりと院長室を出てから、こっちを探していた孤児達に謝ってその場はどうにか切り抜けた。
 幸か不幸か、朝食の時からオレの様子がおかしい事はみんな気付いていたのと、オレが昨日ここに来たばかりだったので、ちょっとばかり情緒不安定になっていたというだけで済んだのだ。
 しかし――

「いい? これからはみんな家族なんだから、困った事があったら何でもこの『お姉さん』に相談しなさいね」
「おいおい。こういう場合は男を頼るべきだろ?」
「何を言ってるのよ。あんただって先生に頼り切りの癖に」
「そりゃ先生は大人だから当然だろ。俺が大人になったら先生もみんなも養ってやるよ」
「あんたのようなロクデナシに出来るわけないでしょ!」
「なんだと!」

 なぜかオレを巡ってマーラとハロリックが張り合っている。
 まあオレに言わせれば、何とも微笑ましい幼なじみ同士の意地の張り合いだな。将来はいっそ結婚してしまえ。
 それはともかく、二人がうまい具合に張り合ってくれたお陰で、こっちから注目がそれた事はありがたい。
 とりあえずさっき目を通した資料を脳内で改めて調べさせてもらおう。
 そしてその内容は、ちょっと思いもかけぬものだった。

 資料の記述は主に『聖セルム教団の英雄にして背教者ガーランド』の戦いについてのものだったのだ。
 どうやらこの孤児院の建物は、数百年前にガーランドを称えるために建設されたものらしくモラーニはそれに興味を持って調べていたらしい。
 オレがこのフェルスター盆地に来たのも『聖セルム教徒にとって英雄にして背教者ガーランド』を調べる事が理由だったのだから、ある意味で当たりだったのかもしれないが、現時点ではちょっと役に立ちそうに無い。
 何ともタイミングが悪いと言うべきか。もっともオレが本来の『アルタシャ』のままだったらこんな資料に目を通す機会も無かったわけだから、怪我の功名というべきかもしれないけどな。
 そしてここにある資料によると、ガーランドは『黄金の乙女』と共に数多くの敵と戦っていたらしい。
 戦っていた相手の名前としてはジェルノティウス、ウルハンガ、ラーショナラとかいろいろ上がっているのだが、不可解な事に殆どは名前だけでどのような相手だったのかがよく分からないのだ。
 ただそれら全部をひっくるめてガーランドは『裏切り者』と呼んでいたらしいのだが、いったい何を裏切ったのか ―― もしくはガーランドは何に裏切られたのか、そのあたりがハッキリとしない。
 そして明確なのはガーランドがその『敵』を滅ぼすためにかなり情け容赦の無い戦いをしていたのに加え、いかなる存在にも力を借りていたらしいということだ。
 その中には『黄金の乙女』はもちろんのこと、さっきやってきたシャガーシュの連中すら含まれているらしい。
 いろいろな勢力から追われているらしい自分自身の状況のヤバさを脱するための手がかり探しのつもりだったのだが、思いもかけぬものを見つけて、オレはちょっとばかり興奮していた。
 自分でも困った性分だとは分かっているのだけど、やはりそれでも首を突っ込んでしまうのがオレなのだ。


 ガーランドの事は興味をひかれるが、とりあえずは後回しにしておいて、現在この周辺地域で起きている戦争についての情報も少しは見つかった。
 このフェルスター盆地は中央のフェルスター湖に流れ込む河川の流域毎に特色ある文化があって、そのためにこの湖周辺ではそれぞれの河口部に、いろいろな文化や宗教圏毎に勢力が出来ていて湖の水運を用いた交易が盛んだ。
 このため隣町に行くといきなり文化圏が別で崇める神々も異なっているのは当たり前。
 しかも河川の流域が勢力圏だから、戦乱でその街が攻め滅ぼされても言わば『先端部』を潰しただけなので、しばらくすれば勢力を盛り返して取り返すという事が繰り返されているようだ。

 当然、住民達の大多数はその都度、支配した勢力にすり寄る事を繰り返していて、言ってみればしたたかに生き延びてきたのだった。
 それは言葉を換えるとどの勢力も、一時的に優勢を確保する事が出来たとしても、完全にこの地を掌握してしまうほどの力を持つ事が出来なかったということでもある。

 元の世界の紛争において宗教は大義名分になっても、直接的な原因では無く、大抵は経済的な利権だとか、権力闘争が根本的な理由になっているはずだ。
 しかしそれは元の世界において神様が実際に信徒に恩恵を与えてくれるワケではないからであって、もしもこっちの世界と同じように神様が力を持っていたら、本当に『神のため』に戦う事になるかもしれない。
 それはともかく最近、このフェルスター湖周辺では紛争があちこちで勃発していて、ここの対岸で先日、火の手があがっていたドスカロスの街も、その対立で攻め込まれた結果であるようだ。
 ただやっぱりこの紛争の原因はよく分からないようだ ―― 正確に言えば『モラーニには分からない』ということだけど。

 ネットがあれば全世界の情報を瞬時に得る事が出来て、毎日テレビや新聞で情報があふれている元の世界と違って、殆どの最新情報が人の足で運ばれるこの世界では正確な情報はそうそう得られるものではない。
 ただどうやらこの紛争には ―― 敢えて言えばこの紛争でも ―― ガーランドが結構絡んでいるらしいのだ。
 後回しにしたつもりでも、いつの間にか浮上してくるとは結構出しゃばりな存在だな。
 この地域ではガーランドへの崇拝が結構盛んに行われていて、それは一神教徒の聖人崇拝の形を取ることもあれば、多神教の神への崇拝を取る事もあるらしい。
 そして聖女教会ではまだ人間だった頃の女神イロールの仲間の一人として敬意を払う存在であるようだ。

 つまりこの孤児院の表に描かれていた宗教画はやっぱりイロールとガーランドを描いたものであり、モラーニはそれを知っていたのでここに孤児院を開いたということらしい。
 それはともかくあちこちの宗教を渡り歩き、それらと一時は仲間に、そして一時は裏切って敵に回るような真似を繰り返してきたらしいガーランドはこの地域において、各宗教の接着剤的な存在であると同時に、関係が悪化すると逆に敵対する原因ともなるややこしい存在であるようだ。
 当然ながらガーランドが戦っていた相手についても、それぞれの勢力で都合のいい事を唱えていて、その真相はようとして知れない。
 ガーランドの敵が名前だけ出ていて、中身がハッキリしないのもそれが理由なのだろう。
 まあどっちにしてもここで得られた資料だけで、真相がつかめるなんて事はあり得ないわけだから、深く考えるのは辞めておこう。

 そしてしばしの後、オレと孤児達は孤児院周辺の畑の農作業に取り組んでいた。
 モラーニは建物から出るなと言っていたけど、特に危険があるようにも見えず、塀の中の敷地内だからハロリック達も大丈夫という判断をしたようだ。
 だけどこれは結構危ないんじゃ無いか?

 こういう時にあえて指示に逆らうのは、危険を呼び寄せるフラグみたいなものだからな ―― まあオレ自身がこっそり院長室に忍び込んでいたのだから、偉そうな事は言えないんだけど。
 さっき出て行ったシャガーシュの教団だって、いつ気が変わってこの地域の住民を《庇護》の名の下に虐殺を始めるか分かったもんじゃない。
 万が一にもそうなったときは、オレはさっさと一人で逃げ出す ―― なんて真似が出来るはずも無く、身を挺してでもこの孤児達がどうにか逃げ出す時間を稼ぐしかないだろうなあ。
 そんな事を考えていると、オレの視界の片隅で何かが輝くのが目に入った。

 あれはいったいなんだろう?

 この世界では元の世界のように簡単に光を放つ事は出来ない。
 光系の魔法は存在するがかじった程度の人間では、せいぜい松明程度の光を十分かそこら輝かせるのがせいぜいだ。
 つまり昼間でも遠距離から見る事の出来るような明かりを放つのは、相当な実力者かもっと悪いとモンスターの類いということになる。
 残念ながらこの世界では《光系は善玉の能力》などという事は存在しないので、ロクでもない相手が光を放っている可能性は否定出来ない。
 なにしろシャガーシュの連中も《地平線の下に沈んだ太陽》を信仰している光系の教団だから輝きを見せても何もおかしくないのだ。

「おい? アルタシャ、どうしたんだ?」

 オレが考え込んでいると、ハロリックが話しかけてくる。
 改めて見ると光は消えていた。
 見間違いか? いやそうではない。
 どうやら輝いたのは一瞬だけらしい。

「あ……ちょっとね……」
「なんだ小便か?」
「ちょっと! そういうときは『お花を摘む』と言うのよ。デリカシー無いわね」

 ハロリックのあけすけな発言にマーラが文句をつけるが、オレはとりあえずその勘違いに感謝しつつ頭を下げる。

「すみません。ちょっと行ってきます」
「おう。早く戻ってこいよ」

 いろいろと不安があったが、何かあったのならオレがどうにかせねばならないという覚悟と共に孤児院を後にしたのだった。
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