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第5章 辺境の地にて

第70話 「疫病」と「疑念」と

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 こちらがフレストルの部屋に向かおうとすると、ヴァルナロは慌ててオレの前に立ちふさがる。

「待って下さい」
「大丈夫です。少し話を持ちかけるだけですから」
「あなたがおっしゃる事は分りますけど、やっぱりそんな話を宣教師様に通すわけにはいきません」

 ああそうか。
 ヴァルナロはオレが回復魔法を使うとは思っていないんだな。
 あくまでもオレが『回復魔法の使用を勧める』だけだと考えているんだ。
 まあヴァルナロからすれば当然の判断だけど、ここはオレも彼女の同意は得たい。

「わたしは認められている『聖人崇拝』から得られる魔術を使うのは、決して戒律に反する事でも無いと思いますよ」
「そうかもしれませんが……」

 ヴァルナロは関心を示しつつも、躊躇しているようだ。
 まあたかだが『男装の女子』と会話しただけで、下手をすれば教団から破門・追放というのだから、異教の魔術に頼るのをためらうのは当然というものだろう。
 少なくとも『正統派』を自称するフレストルの派閥が、異教の魔術を使うのを是としないことは容易に想像できる。

 だが本人が自覚していないとはいえ、実際にオレが魔法を使ってフレストルを治癒しても『神様の懲罰』があったわけではない。
 それどころかフレストル自身に全く覚えが無いと言うことは、神様からの啓示のたぐいすら一切無いということだ。
 そういうわけでこの世界では神様が実際に存在し、信徒に恩恵を与えていても『神の法』で人間が裁かれるわけではない。
 あくまでも人を裁くのは『人の法』なのだ。
 それにそうでなければ『異端』とする考えが幾つも生まれ、それがまかり通っている事の説明がつかない。

 もっともオレのこの考えは、たぶん『自分たちは全て唯一神の一部』と考えているフレストルやヴァルナロには通用しないだろうな。

「とりあえず、お邪魔でしょうけどお話だけでもさせて下さい」

 オレはちょっとばかり強引にフレストルの部屋の扉を開けて中を覗く。
 もちろん叱られる事は覚悟の上だったが、幸か不幸かそうはならなかった。
 このとき狭い部屋のベッドの上で、フレストルはその体を横たえていたのだ。
 よくよく見るとその体には先ほどの患者と同じ症状が現れ、呼吸もかなり苦しげになっている。

「フレストル様……」

 オレと一緒に中を覗いているヴァルナロは、とても見てはいられないと言わんばかりに、その表情を曇らせている。
 通常の怪我程度ならともかく、やはり深刻な傷や病気だとこうやって他のことは何も出来ない状態で、しばらくは自らの魔力による治療に専念せねばならないのだろうな。
 以前にオレが使い魔のメリアタンに攻撃されたのも、こうやって主が無防備になっている間を守るように定められているからだろう。

 まあオレの知る限りたとえ『聖女』でも命に関わりかねない大病はそう簡単に治療できるものではない。
 チート魔力を持つオレだから【病の治癒】キュア・ディシーズを使えばすぐに治せるけど、普通の聖女だったらそんな重篤な病なら完治するまで数日はかかるようだ ―― もちろんそれでも十分に凄い能力ではあるけど。
 病を自分の体に移した上で、自己治癒力を魔力で強化して治すフレストルにしたところで、そう簡単に完治させることは出来ないないだろう。
 フレストルが意識を失っているなら、これはオレにとってむしろ好都合というところか。
 そんなわけでオレが部屋に入ろうとすると、もちろんヴァルナロは止めようとする。

「これでお分かりでしょう。フレストル様はお話が出来る状態ではありません。すぐに出て行って下さい」

 オレだってヴァルナロの言いたい事は分っているつもりだ。
 別系統の魔術の恩恵を受けていることが周囲に広まるのが、都合が悪い事は確かだろう。
 それにフレストルがオレはもちろん他人の助力など、全く当てにしていない事も重々承知している。
 しかしその上で敢えてオレは『小さな親切』の押し売りをやらせてもらうことにした。
 強いて言うならば、これは先ほどの説教に対するオレなりの返礼なのだ。
 そういうわけなので、ここはちょっとばかりヴァルナロには強制的に見逃してもらうことにする。
 そこでオレはこっそりと【平静】カームを強化して投射し、ヴァルナロの精神をロックする。

「あ……」

 ヴァルナロは小声と共に立ちすくむ。まあせいぜい数分の事なのでそれまで沈黙していてくれれば十分だ。
 そしてオレは改めてベッドの上のフレストルに近寄る。
 初めて会ったときの『全身かさぶただらけで、ウミが吹き出ている』状態に比べるとかなりマシだが、それでもあばたに覆われて苦しい息をもらしている姿を見るとオレの胸が痛む。
 しかしつい先ほど聖女教会ではネステントスに助けを求められたのを断ってここに来たのに、今度は求められてもいないのに人助けとは、自分でも矛盾しているとは思う。
 自分自身の奇妙な感情に少々、困惑しつつオレはフレストルに対し【病の治癒】キュア・ディシーズをかけてその病を取り除いた。

 オレの眼前でフレストルの皮膚のあばたは見る見る消えていき、その呼吸も収まってきた。おそらくすぐに目を覚ますだろう。
 どっちにしろ『全ては神のお力』と勝手に納得してくれるだろうから、オレの事など気にもとめまい。
 そんなわけでオレはヴァルナロの手を取って、フレストルの部屋から離れる。

「あれ……これは……」

 しばしの後、魔術の解けたヴァルナロは少し困惑して周囲を見回す。

「とりあえず。もう心配する事はありませんよ」
「……」

 ヴァルナロはオレに対して少しばかり疑念の瞳を向け、フレストルの部屋に足を向けかけ、そこで躊躇して動きが止まる。
 傍目にはむしろ奇矯なダンスにも見える仕草だ。
 まあヴァルナロの動きがほほえましく見えるのは、オレが回復魔術でフレストルを治癒したのでもう心配する必要が無いことを分っているからであって、彼女にしてみればかなり苦悩と葛藤の伴う行動なんだろう。
 俺はそんな彼女に安心すべき事を伝えようとしたところで、静かにフレストルの部屋の扉が開き、ヴァルナロは慌てて駆け寄った。

「フレストル様。もうお目覚めになったのですか」
「そうですね。随分と早い気もしますけど、これも『唯一なるもの』の御意思でしょう」

 フレストルは自信にあふれているようだ。
 いくら病気をオレが治したと言えど、随分と覚醒するのが早い気がするけど、考えてみれば以前に回復魔法をかけた時もすぐに意識を取り戻していたな。
 恐らくフレストルの自己回復魔法は本人が完治すると、早急に意識を取り戻すところまでが含まれているのだろう。

「まだお疲れでしょう。しばらくお休みになって下さい」
「いえ。そういうわけにもいきません。こうやって回復したのは、一人でも多くの人間を救うように、という神の御意思に間違いないのですから」

 回復したら息つく暇も無く、また次の人助けの事を考えるとは、その使命感には敬意を払うけど、これではキリが無い。
 実際、フレストル自身が自分の能力を過信するような事になって、更に危険な事に足を踏み入れ、万一の事になったら取り返しがつかないのだ。
 ついつい見ていられなくて回復魔法を使ってしまったけど、今後はやっぱり注意すべきだな。
 そしてオレはここでフレストルに対し、気になっていた事を問うことにした。

「ところでお疲れのところすみませんけど、ひとつうかがっていいですか?」
「ええ。何でも聞いて下さい」
「最近、あのような病気の人が多いのですか?」

 聖女教会でも病気の蔓延のためにオスリラたちが派遣されたと言っていたし、またフレストルと初めて会ったときの凄惨な姿も、大勢の病気を引き受けた結果だったはずだ。
 それを考えると、あの病気はかなり広まっているらしい。
 ただそれほど混乱している様子でないのは、聖女協会やフレストルたちが治療してまわってその拡散を止めている ―― 少なくとも遅らせている ―― からなんだろうな。
 ここでフレストルは悩ましそうな顔でオレの質問に答える。

「そうですね……あの|『疫病』(プラグ)はこれまでも『唯一なるもの』を崇拝しない蛮地に広まり、真の信仰を持たぬもの達に多くの犠牲を出してきたのです」
「え? つまりあの病気は聖セルム教における辺境の地にばかり広まっているのですか?」
「そうですよ。これまでの記録でも、あの病気が蔓延する地域に入った宣教師は、それを癒やすために大勢が犠牲になりましたが、その結果として人々は正しき信仰に帰依するようになったのです」

 ええ? まさかと思うけど一神教徒が勢力を拡大する先々で、この病気は猛威を振るっているの?
 それはどこか妙だぞ。

 確かに『異文明との接触は新しい病気との接触でもある』という話は聞いた事がある。
 実際に元の世界でも、異文明の人間が持ち込んだ病気に地元の人間が免疫も治療の知識も持たないため、大流行してその地の文明・文化に大打撃を与えた例は多々あるらしい。
 結果としてその病気を持ち込んだ、異文明にごっそりと征服されてしまった事も歴史では少なく無いようだ。
 それを考えると決してあり得ない話ではない。
 だけどこのとき、オレの脳裏には疑念が渦巻いていた。

『一神教徒は征服しようとする地域にこの『疫病』を広め、その地域に打撃を与えるとともに宣教師達にその病気を引き受けさせて、地元の住民の支持を獲得しようとしているのではないか』

という一石二鳥な自作自演の疑いだ。
 もちろんフレストルやヴァルナロがそんなことに手を染めているとは考えにくい。
 大したつきあいがあるわけでもないが、そこまで悪辣な行為に手を染めて平然としつつ、なおかつその治癒に自分の命までかけるなど、本当に実行できるとしたら、あまりにも精神が人間離れしすぎだろう。
 しかし一神教徒が西方を牛耳る大勢力であるなら、たとえば『疫病を広める役』と『それを命がけで治す役』の役割分担があっても不思議ではない。
 この場合、当然ながらフレストル達はそんな裏の事情を知らず、ただ自分たちの使命として善意と信仰心で行動しているだけということになる。

 むろん証拠は何もない。
 むしろオレの単なる勘違いでしかないほうがよっぽどいい。
 しかしオレは胸中に渦巻く疑念を消すことが出来なかった。
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