上 下
6 / 6
怪しい江戸者

6

しおりを挟む
「世話になったな、旅のお人よ」
「いや、私は大したことなどしていない」

 騒動もようやく過ぎ去った、昼どき。
 せめてものお礼にと、エカシハユイが薄い塩の味付けをした魚の鍋物――「チェプ・オハウ」を旅の男に振る舞った。少々の山菜と近くの海で獲れた白身魚。それが、今のエカシハユイにできる最大の感謝の印だった。
 大捕物が行われた場所には今はもう誰ひとり残っておらず、静かなものだ。
 朝に佐藤家を出立した旅人。
 ひょんな事から足止めを喰らってしまった格好になった訳だが、今の彼の者の表情には、後悔や嫌味な気持ちを示すものは微塵もなかった。

「おお、これがアイヌの料理か。初めて食べたが、美味いものだな」

 それどころか、今はご満悦の表情だ。
 エカシハユイの小屋の前、パチパチと弾ける焚き木の炎にくべられた鍋で作られる料理に、粗い造りの箸で掻き込むようにして舌鼓を打つ。

「済まぬ、旅の人。これが今のオレにできるせめてものお礼なのだ……。せめてハポ――おっ母さんが生きていればな」
「なんのなんの、これは美味い。充分な、もてなしだ」
「……初めて見た」
「ん? 何を……だ?」
「初めて会ったオレを奇異な目で見ず、普通に接してくれる人を、だ」

 それを聞いた旅人りょじんは箸を止め、澄んだ瞳でアイヌの若者の眼を直視した。

「そういえば、気になっていた。エカシハユイ殿、そなたは和人を父に持つと聞いたのだが、どうしてここに一人で住んでいる?」
「どっちにも、好かれていないということだ。和人もアイヌも、オレのことを仲間だとは思ってくれないのだ」

 若者の目から、涙が零れた。
 旅人は唇を噛み、苦しそうに声を吐き出した。

「そうだったか……。私は、長崎という場所でオロシャが虎視眈々と狙っていて不穏な土地だと聴き、それを自分の目で確かめるためにやって来た。だが、この蝦夷地に来て、その平安な様子に、案外ここは楽園だと思ってしまった自分がいた。だが、それは幻想だったようだ。この土地には、オロシャの他にも大変な問題がありそうだな。今の私にはどうしようもできないのが辛いが……」

 旅人が深い溜息を吐く。
 項垂れるエカシハユイの肩を優しく叩いたあと、一気に椀の中の食物を掻き込んで立ち上がるとこう言った。

「世話になった、エカシハユイ殿。私はそろそろ、ここを立とうと思う」
「そうか……立つのか。ならば――」

 顔を上げた若者が、思い出したように言う。

「ならば、あんたの名前を教えて欲しい。今まで聞いていなかったからな」
「フン……名前か。そんなもの、この蝦夷地では何の役にも立たないと思うが――」

 旅の男はエカシハユイを見据えると、小さいが力の籠った声で言った。

「私の名は、松浦まつうら武四郎たけしろう。伊勢の国の出身だが、今はゆえ有ってこの蝦夷地を旅しておる」
「ほう……『まつうらたけしろう』か。その名、憶えておくとしよう。ニシパよ」
「ニシパ? それは、どういう意味なのだ?」
「アイヌの言葉で、旦那だんな――立派な男、という意味さ」
「そうか、ニシパか。良い響きだな」

 エカシハユイはその後、暫く松浦武四郎と名乗る男に付き添って北に向かって歩いた。
 その後、ハマナス生い茂る大きな浜に出た所で、その者を見送ることとした。

「それでニシパよ、これからどこに行く?」
「そうだな……西蝦夷地をまわってみようと思う。まずは北上して、熊石から瀬棚だな」
「ほう、そうか。だが、松前藩は容易には和人地から北に余所者を行かせないはずだ。関所がある」
「そうか……。だがとにかく、行ってみるとしよう」
「では……もし良ければこの小刀マキリを持って行ってくれ。俺が今まで大事にしていたものだが、ニシパの旅の御守り代わりに」

 それは、アイヌの民が持つ小刀だった。
 柄や鞘には大層な彫刻が施されていて、何とも美しい。旅の男の目が輝いた。

「これは何とも美しいものだな……有り難い。では、遠慮なくいただくこととしよう。ではこちらからも、ひとつ贈らせていただこう。これは、私の家の家紋が入った印籠だ。そなたと友となった印に」
「……勿体ないことだ」

 エカシハユイは、武四郎と名乗る男に深くお辞儀をした後、それを畏まって受け取った。友という、エカシハユイにとって生まれて初めて実感する言葉が、思わず彼の者を微笑ませる。

「では、また会うこともあろう――。何故か私には、そんな気がするのだ。それまで達者でな」
「ニシパも、お元気で」

 海辺の小路をひとりで北へと向かう武四郎を、いつまでもいつまでも手を振って見送ったエカシハユイだった。


 ――ところで。
 この松浦武四郎、後に全蝦夷地の踏破、そして「北海道」という地名の名付け親となるのだが、それはまたずっと後の話。


<蝦夷地推理日誌【怪しい江戸者】 完>
しおりを挟む
感想 9

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(9件)

2019.05.29 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

鈴木りん
2019.05.29 鈴木りん

観月さん

お忙しい中お読みいただき、そしてご感想までありがとうございます!
私も、鬼宿り、リアルタイムで楽しませてもらってます。完結の暁には、また感想にお伺いいたしますので……。

>謎解きなどしっかしとした時代ミステリーだったと思います
ありがとうございます!
時代ミステリ、初挑戦でしたけれども、少しでもお楽しみいただけたのならいいのですが……。
蝦夷地という舞台は、自分mの執筆の舞台としては会っていると思いますので、できれば続きを着て参りたいと思います。

そうなんです。実在の人物なんです。
こちら北の大地では結構有名人なのですが、本州の方にはあまりなじみがないようですので、返って彼のお話を書きたくなる気分です。この前続きの話のイメージを考えてたら、「いったい自分は彼のどこまで知っているというのだ」と不安な気持ちになって、今はかつて読んだ資料を再読している日々。
また、頑張りたいと思います。

そして、こちらこそコンテストをご一緒できて楽しかったです。
ありがとうございました!

解除
2019.05.19 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

鈴木りん
2019.05.20 鈴木りん

葦原さん

お忙しい中お読みいただき、ご感想までありがとうございます!

昨年は北海道命名150年ということで、結構この方の番組が特集組まれてやっていたんですよ。
この人物を使うのはフィクションとはいえなかなか大胆だなあ、と自分でも思いつつ、忍者という噂もある松尾芭蕉ではありませんが、蝦夷地を探検されたこの方が実はあちらこちらで事件を解決していた、という展開は面白いのではないかと……。

この語の展開はまだまだ自分でも未知数ですが、いずれは続きを書いてみたいという気持ちが今の自分にはあります。
また、頑張ります!

解除
美汐
2019.05.19 美汐

完結おめでとうございます(^^)
鈴木さんの馴染みある地を舞台とした推理もの、楽しませていただきました。
アイヌという存在が不思議な魅力ある存在として、物語を彩っていたと思います。
蝦夷を旅する男が出会った事件、落ち着いた推理で解決していく姿がカッコよかったです。
そしてエカシハユイくんとの友情にも心温まりましたね。
主人公はこれからまた大仕事をしていくのですね! この後もいろんな事件に遭遇しつつも素敵に解決していきそうですね。

鈴木りん
2019.05.19 鈴木りん

美汐さん

お忙しい中お読みいただき、ご感想までありがとうございます!
そうですね。江戸の時代物よりも「土地勘」のある蝦夷地での時代物の方が私には書けるのではないか、と思い書かせていただきました。
和人にアイヌ、そして幕府に藩と色々な背景がある中での時代小説として形になっていればいいのですが……。

二人の友情を感じていただき、ありがとうございます。
そうですね、今の私としては、この二人のコンビが蝦夷地での冒険を繰り広げる、そんな話の続きを書けたらな、という気持ちはあります。
また、頑張ります!

解除

あなたにおすすめの小説

雨宿り

white love it
歴史・時代
江戸時代末期、行商人の忠三は山中で雨宿りをしているところで、幼い姉弟に出会う。貧しい身なりの二人だった……

ある同心の物語

ナナミン
歴史・時代
これはある2人の同心の物語である、 南町奉行所見習い同心小林文之進と西原順之助はお互いに切磋琢磨していた、吟味与力を父に持つ文之進は周囲から期待をされていたが順之助は失敗ばかりで怒鳴られる毎日だ、 順之助は無能ではないのだが事あるごとに手柄を文之進に横取りされていたのだ、 そんな順之助はある目的があったそれは父親を殺された盗賊を捕らえ父の無念を晴らすのが目的であった、例の如く文之進に横取りされてしまう、 この事件で文之進は吟味方同心に出世し順之助は同心を辞めるかの瀬戸際まで追い詰められる、 非番のある日ある2人の侍が道に困っている所を順之助と岡っ引の伝蔵が護衛した事からその後の順之助の運命を変える事になる、 これはある2人の同心の天国と地獄の物語である、

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

鈍牛 

綿涙粉緒
歴史・時代
     浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。  町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。    そんな男の二つ名は、鈍牛。    これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

夜鳴き屋台小咄

西崎 劉
歴史・時代
屋台を営む三人が遭遇する、小話。 時代設定は江戸頃としていますが、江戸時代でも、場所が東京ではなかったりします。時代物はまぁ、侍が多めなので、できれば庶民目線の話が読みたくて、書いてみようかなと。色々と勉強不足の部分が多いですが、暇つぶしにどうぞくらいなら、いいかなとチャレンジしました。

おぼろ月

春想亭 桜木春緒
歴史・時代
「いずれ誰かに、身体をそうされるなら、初めては、貴方が良い。…教えて。男の人のすることを」貧しい武家に生まれた月子は、志を持って働く父と、病の母と弟妹の暮らしのために、身体を売る決意をした。 日照雨の主人公 逸の姉 月子の物語。 (ムーンライトノベルズ投稿版 https://novel18.syosetu.com/n3625s/)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。