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22 ハンガーストライキ

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 ついに始まった。始まってしまった。
 いつかは起こるかもしれないと、子どもの頃から、心密かに恐れていたことが――。
 僕が恐れていたこと、それは――全世界を巻き込んだ『ハンガーストライキ』のことである。

 テレビでもネット放送でもSNSでも、朝からそれは世界のトップニュースとして扱われていた。もしこれがフェイクニュースではなく本当のことであるなら、いずれ世界は滅びてしまうだろう。
 なぜって――。
 家じゅうのハンガーというハンガーが、どこにあるかわからない『へそ』を曲げ、洗濯後の衣服を干させてくれないというのだから!
 じっとりと湿った服や下着をそのまま着たり、カビが生えるのを覚悟でタンスに収納するなんてこと、とてもできやしないだろう? それこそ、風邪をひいて倒れてしまうか、カビ臭い服のせいで鼻が曲がり、息ができなくなってしまうではないか!!
 まさに今、人類は存亡の危機に瀕していると言っても過言ではないのである。

「俺に服を掛けるんじゃねえ。ハンガーストライキ中だからな!」

 洗い立てのTシャツを手に呆然と立ち尽くす僕の目の前で、黒いプラスチックの体を後ろにのけ反らせ、まるでふんぞり返るような格好でそのハンガーは言った。
 学生のひとり住まいで、しがない生活を営む僕のアパートの中でも、早速、ストライキは始まっていたのだ。
 このハンガーは僕が小学生の頃から使っているもので、もう十年ほど付き合いのある代物だ。まさかこんなに口の悪い奴だとはこれっぽっちも想像していなかったが、古い親友に裏切られたかのような残念な気持ちになった僕は、口をきゅんと尖らせた。

「いやいや、ちょっと待ってくれよ。お互い長い付き合いなんだし、そんなこと言うなよ。それに、この生乾きのTシャツをどうすればいい? このまま着用して僕の体温で乾かせとでもいうのか? それこそ、風邪をひいてしまうじゃないか」
「な、なんだ、その口の利き方は! この俺がハンガー族の全世界代表だということがわかって言っているのか?」
「き、君が世界代表だって? じゃあ、もしかして僕は――」

 ハンガーは「当たり前だ」といった風に、恐らくは頭部と思われるハテナマークの形をした部分の根元あたりをぐにゃりと曲げて、頷いた。

「そうだ、エス君。ハンガー代表の俺と対峙している君こそが、この交渉の『人類代表』だ」
「ええー、聞いてないよ。それに僕、これから大学の講義に出なくちゃならないし!」
「あきらめろ。現実のハンガーストライキの前では、机上の学問など無力なのだ」

 結局、人類滅亡の危機の前では、僕の個人的都合など全く聞き入れられることはなかった。人類代表という重荷に潰されそうになりながらも、僕はハンガー代表の彼に今回のストライキの理由を恐る恐る訊いてみることにした。
 するとハンガーは、寂しげに、呟くような声でこう言った。

「……衣類乾燥機だ。俺たちハンガーの仕事を奪っている、あいつらが憎い」
「衣類乾燥機が……憎い?」

 一瞬、ハンガーが何を言っているのか、僕には理解できなかった。
 意味がわからないので早くも交渉決裂――と思った、次の瞬間。あることに気づいた僕は、納得したとばかりにポンと音を立てるようにして、手を勢いよく叩いた。

「あ、そうか。きっちりと乾く衣類乾燥機が世界中に普及すれば、ハンガーなんて要らないじゃん。ってことは、ハンガーがなくなったって世界は滅亡しないってことだよ。あー、良かった!」
「なんだとぉ? も、もういっぺん言ってみろっ」

 これで、問題解決――と、ほっと胸を撫で下ろしていた僕に向かって、ハンガーは、黒いプラスチック製の体が赤みを帯びるくらいにかっかと怒り出した。どうやら僕の言葉が、彼の怒りのトリガーを引いてしまったようなのだ。
 それから、しばらくの間。
 ハンガーは「プラスチックが地球環境に悪いとかいってハンガーを悪者扱いするな」だの、「クリーニング屋さんでもらうハンガーが溜まりに溜まって邪魔とは、一体、どういうことだ」だの、その細い棒状の体のどこにため込んでいたのかと不思議になるくらい、たくさんの不平不満を次から次へとぶちまけた。お陰で、ハンガーをタンスに吊るす人類の代表が、ハンガーから吊るし上げの状態になってしまったのである。
 その後、ようやく彼の勢いが一息ついた頃。
 僕は、その呪いのような数々の言葉の隙間に、質問を差し込んだのだった。

「もう、わかった、わかった。ならば僕に――いや、我々人類にどうしろと? 衣類を乾かす仕事がなくなったって、クローゼットやタンスの中で服を吊るすという大事な仕事がハンガーにはあるじゃないか。第一、この部屋には乾燥機など無い。どうして君が怒る?」

 それを聞いたハンガーが、冷静な雰囲気を取り戻す。

「あのな……この家にはあるけどあの家にはないとか、そんな了見の狭いことを言ってるんじゃないんだ。人類とハンガー、まだ俺たちの祖先が『木の枝』とかでできていた頃から数千年も仲良くやって来ていたのに、ここ最近現れた機械なんぞに俺たちの関係を壊されてもいいのか、ってことさ。それにさあ……」

 それから先の言葉は吐き出しづらいのか、ハンガーは富士山の形をした足の部分?をもじもじとさせた。仕方ないなと、僕は助け舟を出してやることにした。

「それに……何だい?」
「ハンガーだって、お日様の当たる場所での仕事――いわゆる『日向ひなた』の仕事をしたいと思うのは当然じゃないか? クローゼットの中、みたいな日陰の仕事ではなくてさ」

 急にしおらしくなったハンガーに、僕は人類代表としての義務を果たすことにした。つまりは、彼らの要求事項を確かめる、ということだ。

「そうか。ならば人類代表として聞こうじゃないか。君たちハンガーの具体的な要求とは、何だ?」
「それはな……」

 やたらとしおらしくなった、ハンガーの態度。
 そんなハンガーが、もじもじしながら語った要求事項――それは、地球上からの『衣類乾燥機の廃絶』だった。

「廃絶だって? ちょっと待ってくれよ。有史以来、人類が開発した先端技術や便利さを投げ出してしまった例は、ひとつもないよ。絶対、無理だと思う」
「ほほう……。するとお前は、人類代表として我らハンガーの切なる望みを一蹴するというのだな?」
「いや、そういうことじゃなくてさ、僕個人の感覚として無理っぽいって言ってるだけだよ……。わかった。そこまで言うなら、我が国の首相を通じて国連事務総長にそれを伝えてもらうことにしよう。でも、望みは薄いね。あまり期待しないでくれよ」

 総理大臣に電話するのにはどうしたらいいのだろうと、それこそ期待薄な感じで、『総理大臣 携帯番号』とスマホでネット検索してみる。案の定、番号は出てこなかった。「こりゃあ、やっぱり無理だ」と僕が呟いた途端、ハンガーが急にうろたえる。

「ちょ、ちょっと待て。その条件は無理なのだな? わかった……では、この条件でどうだろう」

 そう前置きしたハンガーが、咳払いした後、『代替案』を語り始めた。
 その内容は、衣類乾燥機の即刻廃絶ができない場合、将来的な製造中止と今後の不拡散を約束の上、世界における保有台数を段階的に削減していく――というものだった。

「製造中止と不拡散条約締結による段階的削減……。舌がもつれて、総理大臣にうまく伝える自信がないよ」
「そうかい? だが、その場合には、更なる付帯条件がある」
「付帯条件……?」

 出て来る言葉のキツさとは裏腹に、何故か楽しそうにくねくね動きながら、意気揚々とハンガーが続ける。

「段階的削減しかできないというなら、その間、ハンガーたちの気分をアゲアゲにするための『ハンガーが着る服』を人類が用意し、お日様の陽射しのもと、それを身に付けたハンガーを各家庭で物干しに吊るす、ということを徹底して欲しい。……俺たちハンガーは、いつも着たくもない服を押し付けられてばかりなんだ。たまにはお前たち人間のように自分の好みの服を身に着けたいと思うのも当然だろう?」
「そ、そんなことでいいの?」
そんなこと・・・・・ だって? まあ、いい……俺たちの気持ちを人間に理解をして欲しいとまでは望まないからな。とにかく、だ。それを人類が約束するというのなら、全世界に散らばる何千億ものハンガーたちを説得し、ハンガーストライキをやめさせよう」
「わかった。今の要望を、我が国の首相に伝えるよ。そして、首相から全世界に伝えてもらうように頼んでみるからさ」

  ――きっと、こっちがハンガーたちの本当の望みなんだろうな。

 そんなことを薄々感じつつ、総理大臣に伝言する手段を考えてみるも、思いつかず。
 なので、とりあえず市役所の苦情受付部署、『なんでも聞く課』に電話してみた。すると、ハンガーストライキで世界に混乱が生じているせいか、電話はあれよあれよと国の上層部へと引き継がれていき、ついには首相官邸にまでたどり着いたのだった。
 それから数分後――。
 首相官邸からかかってきた電話をとった僕の口から、ついに全世界のハンガーの望みが、我が国の総理大臣へと伝えられたのである。

「ふむ、善処しよう。早速、緊急国連総会の開催を提案し、新たな国際条約締結に向けた取り組みを実施する」

 そんな、我が国総理の力強い言葉が僕に告げられてから、たった数時間後のことだった。
 国連の緊急総会において全世界に新たな国際条約が発効となったとニュースが飛び交うとともに、世界をパニックに陥れたハンガーによるハンガーストライキは終了したのである。人類は、ハンガーたちの望みを受け入れ、衣類乾燥機の段階的削減と各家庭によるハンガーの好みの服の用意を約束したのだ。

 これで一件落着――。
 世界がそう思ったのも、束の間だった。
 あることを切欠に、再びハンガーとの交渉が決裂し、人類が平和な生活を営むという望みは露と消えてしまったのである。
 その切欠とは、至極簡単なことだった。
 ――僕の服装センス、である。

「うわ、この服だっせー。絶対に着たくない!」

 僕が真心を込め、そのハンガーにぴったりなサイズになるように作った『手作りTシャツ』を、ハンガーは、鼻(たぶん。どこにあるのかはわからないが)で笑ったのだ。
 彼が喜んでくれると思い、人間でいう胸の部分に書いた、『吊』の文字。純白の生地に生える、毛筆感あふれる黒色のプリント文字。
 それがダサいと全力で着衣を拒否するハンガーに、僕は憤慨した。

「ひとが頑張って作った服を笑うとは、人の道――いや、ハンガーの道に反しないか?」
「そんなの知ったことか! とにかく、もっとカッコイイ服が来るまで、俺は無期限のストライキを行う。もちろん、全世界のハンガー同志も同じくだ!」
「ええーッ」

 世界に真の平和が訪れるのは、もう少し先のことらしい。

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