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3 誰がために火災報知機は鳴る
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「ふう……、これでよしと」
深夜午前零時の、少し前。
最近、自分が始めたばかりの連載、「災難続きのエス氏 ~エス氏だって幸せになりたい?」の第2話をネット小説サイトに無事upしたエス氏は、安堵したかのような、優しい溜息を洩らした。
何とか今日中に第2話をアップする――そんな、世の中からすればほんの他愛もない目標をあと数分のレベルでギリギリクリアしたエス氏は、「ふふん、まだまだ俺も捨てたものではないな」と無精髭の目立つ顎をゆるゆると擦りながら、一人で悦に入っている。
だが、心の奥底では、孫も柔らかい部分にチクリと刺す棘のような痛みを感じていた。
何故かと言えば、その小説の元となった「動機」が彼の残り少ない良心を咎めていたからである。
モチーフは、数か月前に実際に起こったとある施設の火事であった。元ホームレスなど事情を抱えた人たちが身を寄せ合うようにして住んでいた、民間運営の施設。法律の狭間で、行政が手が差し伸べることのない人たちの生活の場。
そんな施設で、何人もの死者が出てしまう惨事が実際に起きたのだ。
建物は古い旅館を共同住宅として使用しており、そんな“住居”にスプリンクラーが設置している訳もなく、多くの犠牲者を生んでしまったのである。
これは“現代社会の影の部分”、“弱者へのしわ寄せ”だとひとり勝手に憤慨したエス氏は、安っぽい正義感からこの話を書くことを思いついた。だが、そのときのエス氏の心の片隅に、この話をネタにして面白い話が書けるのでは――などという不埒な気持ちが全くなかったと言い切る自信はない。
「……まあ、いいや。明日も忙しいし、とにかく寝るとしよう」
元来、脳天気なエス氏は深く考えることを辞め、自分への休息宣言を行った。
先程までのちょっと後ろめたい気持ちをあっさりと何処かにうっちゃったエス氏は、満ち溢れる充実感を胸いっぱいに感じながら、今日一日、共に戦ったパソコン君の電源を落としたのだった。
☆
数時間の後、朝が来た。
その日は普段から風の強い街には珍しく、朝から霧が立ち込めていた。
スチャラカではあるが、一応、社会人のエス氏。眠い目を擦り擦り、どんより曇った空と同期したかのような重い足取りで会社へと向かった。
何とか夕方まで時間をやり過ごし、帰宅。
自宅マンションに着いたのは、まだ薄暗さも残る夜の7時過ぎだった。彼の妻は最近、残業に忙しい。今日も今日とて暗い部屋に電気の明かりを灯すのは、エス氏の仕事であろう。
マンションの共同玄関に入ると、何やら音が聞こえる。
ビーッ、ビーッ。
警報音のようだ。よく聞くと、各居室に取り付けられている火災報知機が鳴っている音だった。そのマンションのシステムとして、部屋の中で火災を探知すると、各居室の玄関ドア横にあるインターホンの赤ランプが点滅し、大きな音を発することになっているのだ。
――どこかの部屋で火事が?
とりあえず、自分の部屋の前へ。
そこで驚いた、エス氏。警報が鳴っているのは、エス氏の居室だったのだ。インターホンの子機の呼び出しスイッチの部分が、けたたましい警報音とともに激しく赤点滅してしている。
――うわっ、まじかよ!
ビカビカと警報が鳴っているのに、他の住人は恐ろしいほど静かで何の反応もない。
これが都会なのだと自分に言い聞かせながら、慌てて鍵を開けて中に入る。
しかし、部屋の中はいつも通りだった。火事の形跡などなく、焦げた臭いも無ければ煙ひとつない。
「警報機の誤作動??」
すぐに管理会社の夜間連絡先に連絡。
状況を説明すると、火災報知機の点検業者が1時間ほどしてやって来た。そのときはなぜか警報が鳴った状態が自然に回復して、通常の状態になっていた。
「いやあ……どこも異常がないんですよね。少し様子見したら如何でしょう」
業者は、最善を尽くしましたという“にこやかな笑顔”を残し、去って行った。
時間はとうに9時を越えている。業者が作業中に、エス氏の妻もようやく帰宅していた。
エス氏は、警報音が鳴ったらウチだけの問題じゃないのにいいのだろうか? という疑問はあったが、業者さんには急な残業もさせてしまったことだし、専門家が言った言葉でもあるので、そこはとりあえず素直に従うことにした。
妻と二人で、遅い夕食。
今日はエス氏が夕食を担当する当番の日だったが、こんな状況なので夕食は作れそうもないとメッセージを予め妻に入れておいたおかげで、妻が二人分のコンビニ弁当を買って来てくれたのだ。
いつも通り、夫婦二人の夜の団らん。
録画しておいたNHKの連続ドラマを見て、生放送のニュース番組を見て風呂に入り、最近ハマっているハイボールの缶を飲み干したエス氏は、そろそろ寝ようとベッドルームへ移動する。
その後、確かに警報機の異常はなかった。
――今朝は霧が出るほどの湿度の高さだったから、機械内部で結露して一時的に誤作動したのかもね。まあ、そうそうこんなこともないだろうし。
一応、気象予報士などという資格を持つエス氏は、ほろ酔い気分の中でそんな“お気楽”な判断を下して、就寝した。
ところが――ところが、である。
朝4時。
まだ新聞配達のおじさんですらマンションにやって来ていないそんな時間に、再び火災報知機の警報音がエス氏の自室に鳴り響いたのだ。
飛び上がるようにして跳ね起きたエス氏は、横で眠る妻を危く踏んづけそうになりながら、リビングへと移動してインターホン親機にある警報音の解除ボタンを押した。こうすることで、警報機は作動しているものの、その音だけは消すことができるのだ。
部屋を見渡す。やはり、火事などの異常はなかった。
しばし呆然としたエス氏だったが、ふとスイッチが入ったように固定電話の受話器を取ると、管理会社の夜間連絡先の電話番号を猛然と押した。
もう一度言うが、午前4時。
当然、相手先は転送機能を持つ留守番電話だった。
管理会社の担当が電話をして来たのは、それから約1時間後。
状況を話すと、今日中に今度は警報機と連動しているインターホンの業者を連れて行くのでできればそのときに立ち会って欲しい、と担当が言った。
もう一度言うが、エス氏はスチャラカながらも一応、社会人。
妻も最近は忙しく会社を休んでまで立ち会えない。となれば、エス氏は一度会社に行って状況によっては午後くらいには自宅に戻れるかもしれない、と返答するしかなかった。
数時間後、会社に事情を話してなんとか午後休みを得たエス氏は、管理会社の担当者とインターホンの修理業者と部屋の中で対峙していた。
「いやあ……。機械の基盤とか配線とか見てみたのですが、正直、原因がわかりません。警報が鳴っている状態が今も続いていれば、原因が特定できるかもしれませんけど……」
「いや、そんなこと言われても困るんです。朝4時に警報で叩き起こされる身にもなってよ」
「はあ……」
結局、原因不明のまま、一番原因として怪しいと思われるインターホンの親機そのものの交換をして様子を見ることとなった。
その夜、ようやく落ち着いて寝れると布団をかぶったエス氏が、とんでもないことに気付く。
――この状況、一昨日upした物語の状況に似てないか?
脇の下辺りから、止め処なく溢れ出る冷や汗。
眠りかけた脳が一瞬にして活発化し、背筋にまるで地震波の如き波が押し寄せてぶるぶると激しく震えた。
もしかしたらこれは、例の火事で亡くなった方々の霊が、面白おかしくその話を書こうとした自分に対して示した“怒り”なのではないのか――という思いが、彼の脳神経の全体を支配する。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 決して、あれは興味本位で書いた物語ではないのです。私は、真剣にこれが社会問題だと思ってるんです!」
エス氏はベッドの上で土下座して、天に向かって弁明を述べた。
それが、天に届いたかどうかは、分からない。
とにかく、その夜から警報音が部屋に鳴り響くことは無くなった。
「ああ、あれはですね、お預かりしたインターホンの親機の動作不良でしたよ」
数週間後、満面の笑みを浮かべながらマンションの管理会社の担当が自分に向かってそう言ってくれることだけを願いながら、エス氏は今日も眠りに就くのだった。
深夜午前零時の、少し前。
最近、自分が始めたばかりの連載、「災難続きのエス氏 ~エス氏だって幸せになりたい?」の第2話をネット小説サイトに無事upしたエス氏は、安堵したかのような、優しい溜息を洩らした。
何とか今日中に第2話をアップする――そんな、世の中からすればほんの他愛もない目標をあと数分のレベルでギリギリクリアしたエス氏は、「ふふん、まだまだ俺も捨てたものではないな」と無精髭の目立つ顎をゆるゆると擦りながら、一人で悦に入っている。
だが、心の奥底では、孫も柔らかい部分にチクリと刺す棘のような痛みを感じていた。
何故かと言えば、その小説の元となった「動機」が彼の残り少ない良心を咎めていたからである。
モチーフは、数か月前に実際に起こったとある施設の火事であった。元ホームレスなど事情を抱えた人たちが身を寄せ合うようにして住んでいた、民間運営の施設。法律の狭間で、行政が手が差し伸べることのない人たちの生活の場。
そんな施設で、何人もの死者が出てしまう惨事が実際に起きたのだ。
建物は古い旅館を共同住宅として使用しており、そんな“住居”にスプリンクラーが設置している訳もなく、多くの犠牲者を生んでしまったのである。
これは“現代社会の影の部分”、“弱者へのしわ寄せ”だとひとり勝手に憤慨したエス氏は、安っぽい正義感からこの話を書くことを思いついた。だが、そのときのエス氏の心の片隅に、この話をネタにして面白い話が書けるのでは――などという不埒な気持ちが全くなかったと言い切る自信はない。
「……まあ、いいや。明日も忙しいし、とにかく寝るとしよう」
元来、脳天気なエス氏は深く考えることを辞め、自分への休息宣言を行った。
先程までのちょっと後ろめたい気持ちをあっさりと何処かにうっちゃったエス氏は、満ち溢れる充実感を胸いっぱいに感じながら、今日一日、共に戦ったパソコン君の電源を落としたのだった。
☆
数時間の後、朝が来た。
その日は普段から風の強い街には珍しく、朝から霧が立ち込めていた。
スチャラカではあるが、一応、社会人のエス氏。眠い目を擦り擦り、どんより曇った空と同期したかのような重い足取りで会社へと向かった。
何とか夕方まで時間をやり過ごし、帰宅。
自宅マンションに着いたのは、まだ薄暗さも残る夜の7時過ぎだった。彼の妻は最近、残業に忙しい。今日も今日とて暗い部屋に電気の明かりを灯すのは、エス氏の仕事であろう。
マンションの共同玄関に入ると、何やら音が聞こえる。
ビーッ、ビーッ。
警報音のようだ。よく聞くと、各居室に取り付けられている火災報知機が鳴っている音だった。そのマンションのシステムとして、部屋の中で火災を探知すると、各居室の玄関ドア横にあるインターホンの赤ランプが点滅し、大きな音を発することになっているのだ。
――どこかの部屋で火事が?
とりあえず、自分の部屋の前へ。
そこで驚いた、エス氏。警報が鳴っているのは、エス氏の居室だったのだ。インターホンの子機の呼び出しスイッチの部分が、けたたましい警報音とともに激しく赤点滅してしている。
――うわっ、まじかよ!
ビカビカと警報が鳴っているのに、他の住人は恐ろしいほど静かで何の反応もない。
これが都会なのだと自分に言い聞かせながら、慌てて鍵を開けて中に入る。
しかし、部屋の中はいつも通りだった。火事の形跡などなく、焦げた臭いも無ければ煙ひとつない。
「警報機の誤作動??」
すぐに管理会社の夜間連絡先に連絡。
状況を説明すると、火災報知機の点検業者が1時間ほどしてやって来た。そのときはなぜか警報が鳴った状態が自然に回復して、通常の状態になっていた。
「いやあ……どこも異常がないんですよね。少し様子見したら如何でしょう」
業者は、最善を尽くしましたという“にこやかな笑顔”を残し、去って行った。
時間はとうに9時を越えている。業者が作業中に、エス氏の妻もようやく帰宅していた。
エス氏は、警報音が鳴ったらウチだけの問題じゃないのにいいのだろうか? という疑問はあったが、業者さんには急な残業もさせてしまったことだし、専門家が言った言葉でもあるので、そこはとりあえず素直に従うことにした。
妻と二人で、遅い夕食。
今日はエス氏が夕食を担当する当番の日だったが、こんな状況なので夕食は作れそうもないとメッセージを予め妻に入れておいたおかげで、妻が二人分のコンビニ弁当を買って来てくれたのだ。
いつも通り、夫婦二人の夜の団らん。
録画しておいたNHKの連続ドラマを見て、生放送のニュース番組を見て風呂に入り、最近ハマっているハイボールの缶を飲み干したエス氏は、そろそろ寝ようとベッドルームへ移動する。
その後、確かに警報機の異常はなかった。
――今朝は霧が出るほどの湿度の高さだったから、機械内部で結露して一時的に誤作動したのかもね。まあ、そうそうこんなこともないだろうし。
一応、気象予報士などという資格を持つエス氏は、ほろ酔い気分の中でそんな“お気楽”な判断を下して、就寝した。
ところが――ところが、である。
朝4時。
まだ新聞配達のおじさんですらマンションにやって来ていないそんな時間に、再び火災報知機の警報音がエス氏の自室に鳴り響いたのだ。
飛び上がるようにして跳ね起きたエス氏は、横で眠る妻を危く踏んづけそうになりながら、リビングへと移動してインターホン親機にある警報音の解除ボタンを押した。こうすることで、警報機は作動しているものの、その音だけは消すことができるのだ。
部屋を見渡す。やはり、火事などの異常はなかった。
しばし呆然としたエス氏だったが、ふとスイッチが入ったように固定電話の受話器を取ると、管理会社の夜間連絡先の電話番号を猛然と押した。
もう一度言うが、午前4時。
当然、相手先は転送機能を持つ留守番電話だった。
管理会社の担当が電話をして来たのは、それから約1時間後。
状況を話すと、今日中に今度は警報機と連動しているインターホンの業者を連れて行くのでできればそのときに立ち会って欲しい、と担当が言った。
もう一度言うが、エス氏はスチャラカながらも一応、社会人。
妻も最近は忙しく会社を休んでまで立ち会えない。となれば、エス氏は一度会社に行って状況によっては午後くらいには自宅に戻れるかもしれない、と返答するしかなかった。
数時間後、会社に事情を話してなんとか午後休みを得たエス氏は、管理会社の担当者とインターホンの修理業者と部屋の中で対峙していた。
「いやあ……。機械の基盤とか配線とか見てみたのですが、正直、原因がわかりません。警報が鳴っている状態が今も続いていれば、原因が特定できるかもしれませんけど……」
「いや、そんなこと言われても困るんです。朝4時に警報で叩き起こされる身にもなってよ」
「はあ……」
結局、原因不明のまま、一番原因として怪しいと思われるインターホンの親機そのものの交換をして様子を見ることとなった。
その夜、ようやく落ち着いて寝れると布団をかぶったエス氏が、とんでもないことに気付く。
――この状況、一昨日upした物語の状況に似てないか?
脇の下辺りから、止め処なく溢れ出る冷や汗。
眠りかけた脳が一瞬にして活発化し、背筋にまるで地震波の如き波が押し寄せてぶるぶると激しく震えた。
もしかしたらこれは、例の火事で亡くなった方々の霊が、面白おかしくその話を書こうとした自分に対して示した“怒り”なのではないのか――という思いが、彼の脳神経の全体を支配する。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 決して、あれは興味本位で書いた物語ではないのです。私は、真剣にこれが社会問題だと思ってるんです!」
エス氏はベッドの上で土下座して、天に向かって弁明を述べた。
それが、天に届いたかどうかは、分からない。
とにかく、その夜から警報音が部屋に鳴り響くことは無くなった。
「ああ、あれはですね、お預かりしたインターホンの親機の動作不良でしたよ」
数週間後、満面の笑みを浮かべながらマンションの管理会社の担当が自分に向かってそう言ってくれることだけを願いながら、エス氏は今日も眠りに就くのだった。
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