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1 夢見乃枕でハンサムに

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 その日は、エス氏にとって久しぶりの休みの日だった。
 午後三時。
 ごろごろと自宅マンションでソファーに寝そべりながらテレビの画面を漫然と眺めているそのときに、玄関インターホンの呼び出し音が鳴ったのだ。

 エス氏は、御歳40歳になる。
 見た目的に、お世辞にも男前とはいえない彼は、未だ独身だった。彼女いない歴40年とはいわないまでも、ほぼそれに近い。そればかりか職や住居を転々とし、同性の友達も片手で数えられる程の彼の休日は、決まってカウチソファー上での映画鑑賞なのだった。

 一度舌打ちをしてテレビのリモコンを取り、映画を一時停止したエス氏。
 重い腰を上げ、インターホンのある場所へ移動する。

「……どちらさまで?」
「私、大変便利な枕のご案内に参りました販売員でして……」

 その声とインターホンの画面に映る画像から判断するに、明らかに若くて華奢な女性である。少しほっとした気持ちになり、そんなものは要りません、とすぐにインターホンを切ろうとしたエス氏だったが、最近自分の枕がくたびれて寝心地が悪くなってきていることを思い出し、少し話を聴いてみようと考え直した。
 それに今、彼女は『便利な』枕と云ったのだ!
 普通、枕なら『最高の寝心地』とかいう販売文句のはずだ。それが何故か、『便利』という言葉を使ったことにも興味を惹かれたのである。こう見えて実は、『お得』とか『便利』とか『限定』とかいう言葉に意外に弱い、エス氏なのだった。

「……仕方ないな、話を聴くだけですよ」
「ありがとうございます」

 勿体つけるようにわざとゆっくりめにドアを開けると、千載一隅のチャンスとばかり、かのセールスウーマンが玄関内に飛びこんで来た。息吐くひまもなく、細腕の女性が持つには大きすぎる営業カバンから彼女が取り出したのは、一見なんの変哲もない、ただの枕だった。
 期待外れのエス氏が胡散臭そうな目を向けると、彼女はそんな雰囲気には負けじと意気高らかになり、

「どうですかこの枕! 外の生地も、内の綿もこだわり抜いた当店自慢の一品です。実際にお使いいただければ、疲れた頭と首を適切な角度でしっかり支え、肩への負担も少なく寝返りをうつのも楽々です。えっ? そんな枕どこにでもあるじゃないかって? いえいえ、こちらは当店の特薦商品です。もちろん、普通の商品ではありません。
 そう、この枕を使ってお休みいただければ……無理なく簡単にハンサムになれるんです!」

 と、一気にまくし立てたのだ。
 流石は、プロのセールスウーマン。その雰囲気に危く飲み込まれそうになったエス氏だったが、すぐに気を取り直して反発する。

「そ、そんなうまい話、すぐには信じられませんね」
「あら、そうですか。でも、本当なんですよ。枕を使った方が男性ならハンサムに、使った方が女性なら美人に、それぞれ夢から覚めた瞬間に変身するという、画期的な商品なんです。ああ、ただですね……」

 彼女が不意に見せた、陰りある表情。
 男は、こういう女性の表情に弱いものだ。エス氏は、まんまと彼女の戦法に嵌ったらしい。つまり、話の続きが気になって仕方がなくなったのである。

「ただ、なんですか?」
「ただですね……この機械も万能ではないということです。見る夢は自分で選べませんし、チェンジできる顔の中身が、その夢の中で出てきた人の中で一番イケメン、もしくは美女のものだけ、という決まりなんですよね」
「ふうん……。まあ、それでも夢の中で一番二枚目の男の顔になれるってことだろ? それだけでも僕のような“ぶ男”には、ありがたいってもんさ」

 それを聞いた女の眼光が鋭くなる。

「では、お買い上げってことでよろしいですか?」
「ちょっと待ってよ。まだ値段を聞いてないけど」
「あ、そうでしたね。失礼しました」

 女販売員はカバンから枕の値段の書かれたチラシを取り出し、エス氏に手渡した。
 明らかに二枚目ではないエス氏の顔がぐにゃりと歪み、醜さが増す。
 が、それ見た瞬間に彼女は胸ポケットから小さな電卓を取り出し、いくつか数字を打ち込んで液晶画面をエス氏の目前に突き出した。

「お客さん、今すぐご契約いただけるのなら特別にこの値段でいいですよ」
「ほほう、半額か……。うん、まあそれならいいかな」
「ありがとうございます! あ、そうだ。お客さん、即決くださったんで、本当は別売りのオプションなんですけど、この専用“紙やすり”も付けちゃいますね。もし変身した後の顔が気に入らなければ、このやすりで顔の表面を削ってみてください。顔の中身がのっぺらぼうみたいにすっきりと消えますので……。あ、でもご心配なく。何故って、また次の夢を見れば、簡単に顔を変えられるんですから!」

 ついにエス氏は根負けし、契約することとなった。
 もちろん、今だけお得、という言葉に負けたせいもある。
 エス氏は、「こまめに天日干しだけは忘れずにお願いします!」というセールスウーマンの注意事項を聞き流しながら、玄関のドアをばたりと閉めた。

 ――これで、幸せな結婚ができるかも。

 エス氏は、人知れずほくそ笑んだ。


 ☆


 それから、約1か月後の朝。
 テレビでは、顔を血だらけにしたほぼ餓死状態の男性の死体が見つかった、というショッキングな事件がトップニュースとして伝えられていた。
 どうやら彼の最期は発狂状態にあったらしく、食事をとることもなく、ただただ自分の顔を紙やすりで削っていたために栄養失調と大量の出血で亡くなったのだという。

「あら、意外と早かったのね」

 食卓に並んだ、色鮮やかなサラダとほかほか湯気を立てるカップスープ。
 テレビ画面に見入りながらバターを塗ったトーストをひと口大にちぎりとり、口へと運んだ一人の女性。
 あの、『夢見乃枕』販売員だった。
 その口元は大きく歪み、目元はまるで糸のように細くなっている。

「どう……? 自分が殺した男の顔で死んでいった気持ちは? そう、あの人が夢に出るように、私があの枕に仕込んでおいたのよ。あの人は、人もうらやむような“いい男”だったし、あの枕を使って夢を見れば彼の顔になることは必然……。エス氏にとって、一番思い出したくもない顔になったことは、相当苦痛だったみたいね」

 一声、高らかに笑った彼女が、テーブルの上のスマホ画面を見遣る。
 そこに映し出されていたのは、今はもうこの世にいない、かつての婚約者とのツーショット画像の待ち受けだった。彼女の肩を抱いたハンサムな元彼氏モトカレの表情は、夏の青空のようにどこまでも澄んで輝いている。
 酷く愛おしい表情で写真を眺め終えた、彼女。
 スマートホンをいつも持ち歩くポーチにそっとしまい込むと、ルンルン、鼻唄混じりのご機嫌な調子で出勤の準備を始めたのだった。
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