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4 上空4000メートルでアイラブユー(2億3千万年前)
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「真奈美さん――もうすぐ着きますよ!」
ここ数ヶ月間何かとしつこいこの男「榊原祐樹」は、そう云って屈託のない笑顔を私に見せた。
「……」
もちろん私は、おし黙ったまま。
彼の会社の後輩、近藤という長身の男に無理矢理装着されたゴーグル越しに、目にこれでもかと力を込めて、榊原祐樹をじっと睨みつける。
それは、三日前の彼からの電話――
「この暑苦しい9月の残暑を吹き飛ばすくらいのものを見せてくれるというなら、行ってもいいわよ」
「ああ、それならおあつらえ向きですよ。必ず、涼しくしてみせます!」
「ふうん……。そこまで云うのなら、仕方ないわね」
――そう。確かに私は云った。云ったけど。
でも、このシチュエーションは……何?
ごうごうと嵐のように吹き抜ける風を体全体で感じながら、必死に今の状況の理解に務めている私。
お出掛け前にばっちり決めた前髪と新品のブランドもののパンツスーツが台無しになってしまったのは、間違いない。F1レーサーよろしく、頭には無骨な白ヘルメット、体には明らかにスタイリッシュとはいえないごわごわの赤いつなぎを纏っている。
はっきり云って、最悪だ。
今どきの農業女子が着るカラフルな「つなぎ」の方が、よっぽど可愛いと思うほどの服装だった。
「どうです、真奈美さん。すっかり涼しくなったでしょう?」
「まあ、それは確かに……そうね」
私の言葉を聞き、胸元で小さくガッツポーズを決めた榊原祐樹。
この辺の少しずれたところが、腹が立つ……。
そりゃあ、涼しくもなるでしょうよ。
無理矢理に着替えさせられた上に、強引に押し込められた小型セスナ機でこんなところにまで飛んで来て、遂には目の前の壁がフルオープン状態になってしまった訳だから。
海だか空だか地球だか宇宙だかわからない風景が、今、私の真下と真上と真横に広がっている。
「さあ、いよいよです。目的のポイントに着きましたよ!」
「ええと……榊原祐樹。一応訊くけど、ここはどこ?」
「ああ、すみません。説明不足でしたね。富士山近隣の上空、高度4000メートルです」
「あ、そう。なんかもう、驚きを通り越して普通だわ……。この状況って、これからスカイダイビングをやりますよ、っていう理解でいいのね?」
「さすが真奈美さんです。勘が鋭い」
「っていうか、この状況ならそれしかないから。でも私、スカイダイビングなんてやってことないんだけど――」
「大丈夫です。そこは、ご安心下さい。インストラクターもできる腕前の我が『デキル後輩』、近藤君を真奈美さんの付き添いに付けますから。あ、ちなみに今回は正真正銘、本物の彼ですよ」
スポーティな黒のジャンプスーツに身を包んだ長身の男、近藤。
彼は、昔、何かの映画で戦闘機のパイロットが掛けていたようなサングラスを顔から外し、西洋式に左腕を胸の辺りに掲げてお辞儀した。
「ああ、あなたが噂の近藤さんね。初めてな気がしないけど、初めまして」
「ご挨拶遅れまして申し訳ありません。初めまして、近藤と申します。前回は、あの雛地鶏とかいう優男に隙を突かれまして……面目ありません。ですが今回はお任せください。私の命に代えても、必ずお守りいたします!」
きゅっと口を結んだ近藤は清々しい表情でそう云うとすばやくヘルメットを被り、再びサングラスを掛けた。……なかなか格好いい男じゃない。
榊原祐樹――アンタ、完全に負けてるわ。
と、ここで私は、先ほどから気になっていたことを榊原に質問する。
「で、さっきから周りにも飛行機が飛んでるよね。あれって、何?」
「それはもちろん、私の協力者たちですよ」 即答する、彼。
「って、他に3機も飛行機が飛んでるけど、今回は豪勢ね」 外に向かって指差す、私。
「えっ? そんなはずは……。僕が頼んだのは他に1機です。あれ? でも、確かに3機飛んでるな。って、あれはもしや――アイツ!?」
彼の目線の先には、ダークブルーの下地に金色のラメが派手に散りばめられた、まるでボーリング玉のような飛行機が1機と、その機体にぴったり寄り添うようにして飛ぶ、目に突き刺さるようなショッキングピンクで彩られた飛行機が1機の、計2機があった。それら2つの飛行機は、榊原祐樹が頼んだらしいごく普通のチャーター機のすぐ真上で、異様な迫力を撒き散らしながら悠然と飛行を続けている。
そのうち、ボーリング玉の機体の方には、そのどてっぱらに開いた大きな開放空間にこの状況下においても艶のあるシックなダークスーツに身を包んで不敵な笑みを浮かべる、一人の男がいた。遠くでも見えるようにとの意図なのか、顔の大きさほどもある巨大な造花らしき薔薇の花を胸ポケットに挿している。
――どう考えても、見覚えのある顔、その姿。
「あれは絶対、雛地鶏 謙よね」
「ちっくしょう、アイツこんなところにまで現れるとは……。真奈美さん、こうなったらぐずぐずしてられません。直ぐに出発です! 近藤、何かあったら僕がアイツの動きを封じる。後は頼んだぞ!」
「了解!」
近藤の敬礼を子どもの成長を見守る父のような穏やかな笑顔で見届けた榊原祐樹は、自分の背中のパラシュート機材を一瞥した。そして、ワザとらしく私に向かって大きく頷くと、いかにも熟練といった感じのパイロットに向けて右手の親指をグッと突き出し、そのまま大空へ飛び出して行ったのだ。
地球の一落下物と化した榊原祐樹に、中年の白髪混じりパイロットが力強いサムアップで応える。
榊原祐樹が飛び出した、その直後。
もう一機のチャーター機から、かなりの人数のパラシュート部隊のような一団がその身を大空に任せ、宙を舞った。全員の服が燃えるような赤で統一されている。
「さすが、先輩! 初めてとは思えない度胸の良さです」
「ええッ、初めてなの? 一人で、大丈夫?」
「まあ……多分……大丈夫ですよ。そんなことより、今度は私たちの番ですね」
そう云って素早く私の背後に回った近藤が、命綱のようなものを結び付けた。
私と一体化した近藤が、無防備な私の背中に体当たりするようにして飛行機の外へと私を押し出そうとする。
「しゅっぱあつ!」
「あ、ちょっと! まだ心の準備が――きゃあぁぁ」
ハイヒールから運動靴に替えさせられた私の両足が、飛行機の床を離れる。
その瞬間見えた、眼下に聳え立つ富士山の頂。思わず手を合わせ、無事を祈る。
――何たって、世界遺産ですもの。私一人ぐらいだったら、助けてくれるわよ。
頭の中がぐるぐると回り出し、身も心も無重力になる。
落ちていく――いや、上っていく? どっちが上でどっちが下?
もう、何が何だかわからない。
風が私を突き上げようとする力と地球が私を地面に叩き落そうとする力――このせめぎ合いが、私の体を挟んで行われていることだけはわかった。
そのとき、私のゴーグルの視野に二人のスカイダイバーが飛び込んで来た。どうやら、私たちを追いかけてきたらしい。
一人は……雛地鶏ね。服装が、あのいつものやつだから。
じゃあ、彼の横に引っ付くように居る全身ピンク色の、まるで金魚にしか見えないヒラヒラ衣装に身を包んだあの人は誰? 若い女の人かしら――?
きっと、もう片方の飛行機から飛び出してきたに違いない。色も同じだし。
二人の動きは、まるで夫婦漫才のようだった。
男が女から逃げるように空中で動きもがくと、女がそれを追いかけて行き、ツッコミを入れるように体当たりをする。
そうこうしている間に、その妙な二人がくんずほぐれつ絡みながら、私達――近藤と私――に近づいて来た。
――アブナイッ!
そう思ったときには、すでに遅かった。
金魚ヒラヒラ女が、私を庇うようにして体を入れた近藤にぶつかったのだ。
バランスを崩し、少し錐揉み状態になった私たちのことなどお構いなし。女との距離が離れてこれ幸いとばかり、雛地鶏があのパラシュート部隊に向かって落下し続ける。
「こら、謙さま、お待ちなさーい」
「眞子さん、しつこいぞ! 何故、私の邪魔をする?」
「謙さまが、榊原さんの邪魔をするからでしょう」
「ならば、邪魔の邪魔は今すぐ止めなさい!」
「できませーん。あら、真奈美お嬢様……先程は失礼しました。では、御免遊ばせッ!」
訳の分からない会話の中にほんのちょっとだけ謝りを入れただけで、眞子という名前の女が雛地鶏を追っかけて行く。
なんとか体勢を立て直した、近藤。
私の口では云えないような激しい言葉で、二人を罵った彼は、やがてその言葉も出尽くしたのか、落ち着いた口調で私に話しかけた。
「くっそー、ホント危なかったよ……。雛地鶏さん、彼が現れるとロクなことがないですよね……。あ、でも、真奈美さん、ココは気を取り直していきましょう。もうすぐ、先輩からの『プレゼント・ショー』が始まるはずですし」
「ショー? 何でもいいから、とにかく早く終わらせて欲しいものね」
「あ、そうなんですか? それなら、もう始めちゃいますか!」
私の背中越しに腕をバタバタと動かし、私達より多分数十メートルくらい地球に近い場所にいる榊原祐樹に近藤が合図を送る。
近藤の合図に大きく頷いて応えた榊原祐樹は、彼の近くにいる例のパラシュート部隊に何やら手話のような合図を送った。
すると、あの一団が磁石で引きつけられたかのように集まり出し、一つの塊になった。
そうかと思うと今度は手や足を連結したまま広がって、一つの輪になった。皆、全身赤い服装なのでまるで赤い輪ゴムのようだ。
「さあ、ご覧になってくださいませ! これが先輩の、真奈美さんへの気持ちです!」
私の背後で、近藤が恭しくそう云った時だった。
今まで輪の外側にいた榊原祐樹が、まさに風を切って動き出し、私から見て輪の上側の部分に引っ付くと、その輪をぐいと押し曲げた。
動き出す、赤い紋様。
輪の上の部分が凹んでいき、それに連れて、下の部分がぴんと尖り出す。
――も、もしかして、あの形に?
なんて、ちょっと私のハートがキュンとなったときだった。
雛地鶏が赤い人文字に勢いよく突っこんできて、妨害を始める。
と今度はそこに、金魚女が薔薇男の邪魔に入る。邪魔の、邪魔。雛地鶏は弾き飛ばされ、輪から離れる。
が、勢い余って女が輪に激しく衝突。赤い輪はくるくると回転を始める。
「どうです、見ていただけましたか、真奈美さん!」
「うーん。榊原の気持ちって……桃? それとも、お尻?」
そうなのだ。
多分、榊原祐樹が作りたかったあの形は丁度反転した形で空中に静止した。私には、それはどうしても桃か尻にしか見えない。
――残念でした。
とここで、急に近藤が話題を変える。
「……。ああ、もうそろそろパラシュートを開かなくては!」
確かに、富士山の頂はすでに視界の一構成要素となっている。失敗して叩きつけられれば、恐らく私などひとたまりもない固―い地面がそこに迫ってきているのだ。
と、何かに気付いた近藤。金切り声で叫び出した。
「うわっ、パラシュートを開く紐が何かに引っかかって、引っ張れない! きっと、あの女にぶつかったときにトラブったんだ……。榊原センパーイ! すみませんが、この紐の位置を直してくださーい!」
巧みに体を動かして榊原祐樹の近くへと移動していきながら、大きな身振り手振りで、近藤が榊原祐樹にシグナルを送る。それに気付いた榊原の表情が一変し、慣れない動きながらも必死にこちらに近づいて来る。
「よし、すぐそこに行く! 真奈美さん、今、助けに行きますからね!」
「早くしなさい、榊原祐樹! ほんっと、たのむわっ!」
「すみません。先輩、お願いしますッ!」
本当にもう、時間的に厳しいらしい。
あの手練れのパラシュート部隊までもが既にパラシュートを広げ、私たちのはるか上空にいる。その横では、パラシュートをぶつけ合い、雛地鶏と金魚女が激しい戦いを繰り広げているのが見える。
――あの二人、ほんと何しに来たんだろう……。
榊原祐樹の技術は確かに未熟なのだろう、と思う。
鬼気迫る表情で近づいて来るも、目的の「紐」を手に取るまでにはなかなか至らない。
「先輩、そろそろ限界です。頑張ってください!」
「よっしゃわかったぁ、任せとけぇ! どぅわりゃあああああ!」
太陽を背に躍動する榊原祐樹。その姿はシルエットとなって、まるで仏様のような神々しさを持って私の目に飛び込んで来た。
「よし、近藤OKだ! 真奈美さん、直りましたよ。大丈夫、ご安心ください!」
私の耳元に口を近づけた榊原祐樹が、囁くような手振りで、大声を出した。
――どきり。
何故か、胸が高鳴った。
安全なところまで離れていく、榊原祐樹。と、近藤が急いでパラシュートを開く。
――ぶわさっ。
すごい風圧と音で、耳がつんざけそうになる。
しかし、それも束の間だった。
圧力と騒音はやがて落ち着き、心が和んでいく。
その雄大な景色をゆっくりと楽しんだ後、私は無事に地上に降り立った。
☆
「榊原祐樹。確かに今回は、雛地鶏たちの邪魔だてにも負けず、よく頑張ったわ。だけどあの形……どう見ても桃かお尻にしか見えなかった。でも今回はその頑張りに免じ、『私に告白するなど2億3千万年早い』と云っておくわね」
私がそう告げると、はしゃぐ近藤の横で境原祐樹は複雑な表情を見せた。
「やりましたね、先輩! かなりの時間が縮まりましたよ」
「うんまあ、確かに。でも、アイツらの妨害さえなければ、もっと……」
先ほど着地したばかりの雛地鶏と眞子という女を榊原が睨みつける。
「まさか、この私の攻撃が不発に終わったとは……不思議だ」
告白までの時間が縮まったことに不満そうな、雛地鶏。
4000mも落ちてきて、胸の薔薇が吹っ飛んでいかなかったことの方がよっぽど不思議だと反論したかったが、面倒なのでやめておく。
「いえ。この私、日向眞子が榊原さんの援護に回りながらその程度の効果しかあげられなかったことの方が、心外です……」
彼女が、今までの人生で初の挫折とばかりにがっくりと肩を落とす。
――いや、あなたの最後の一撃で形が変わっちゃったのよ。
でもやっぱり面倒くさいので、これも突っ込むのはやめておく。
「じゃあね、榊原祐樹。次こそ、楽しみにしてるわ」
そのセリフを吐いた私は、くるり、反転した。
どう考えても今の格好には不釣り合いなほどのエレガントな足運びとフォルムで歩き出す。
と背後で、金魚女の叫び声がした。
「もう、あなたになんか任せてなんかいられないわ、榊原さん! 次はこの私、うら若き24歳の『日向眞子』が作戦を考えて差し上げます! そして、あなたの望みを必ずや成就させますッ!!」
「え、ええ!?」
――ふん、面白いじゃない。あの小娘、なかなか生意気なことを云うわね。いいわよ、いつでもその挑戦、受けて立つわ!
振り向きもせずに、そのまま突き進む。
上空にはドーナッツのようにおいしそうな飛行機雲があった。どうやらあの中年パイロットの操縦するセスナ機が、私たちの上空をぐるぐると回っているようだ。
――何か楽しいことでもあったのかしら? あの、おじさん。
私の気持ちは、何故か不思議な程に清々しかった。
キミに届けたい、永久の愛を。スカイダイバーで綴ったラブレター
―続く―
ここ数ヶ月間何かとしつこいこの男「榊原祐樹」は、そう云って屈託のない笑顔を私に見せた。
「……」
もちろん私は、おし黙ったまま。
彼の会社の後輩、近藤という長身の男に無理矢理装着されたゴーグル越しに、目にこれでもかと力を込めて、榊原祐樹をじっと睨みつける。
それは、三日前の彼からの電話――
「この暑苦しい9月の残暑を吹き飛ばすくらいのものを見せてくれるというなら、行ってもいいわよ」
「ああ、それならおあつらえ向きですよ。必ず、涼しくしてみせます!」
「ふうん……。そこまで云うのなら、仕方ないわね」
――そう。確かに私は云った。云ったけど。
でも、このシチュエーションは……何?
ごうごうと嵐のように吹き抜ける風を体全体で感じながら、必死に今の状況の理解に務めている私。
お出掛け前にばっちり決めた前髪と新品のブランドもののパンツスーツが台無しになってしまったのは、間違いない。F1レーサーよろしく、頭には無骨な白ヘルメット、体には明らかにスタイリッシュとはいえないごわごわの赤いつなぎを纏っている。
はっきり云って、最悪だ。
今どきの農業女子が着るカラフルな「つなぎ」の方が、よっぽど可愛いと思うほどの服装だった。
「どうです、真奈美さん。すっかり涼しくなったでしょう?」
「まあ、それは確かに……そうね」
私の言葉を聞き、胸元で小さくガッツポーズを決めた榊原祐樹。
この辺の少しずれたところが、腹が立つ……。
そりゃあ、涼しくもなるでしょうよ。
無理矢理に着替えさせられた上に、強引に押し込められた小型セスナ機でこんなところにまで飛んで来て、遂には目の前の壁がフルオープン状態になってしまった訳だから。
海だか空だか地球だか宇宙だかわからない風景が、今、私の真下と真上と真横に広がっている。
「さあ、いよいよです。目的のポイントに着きましたよ!」
「ええと……榊原祐樹。一応訊くけど、ここはどこ?」
「ああ、すみません。説明不足でしたね。富士山近隣の上空、高度4000メートルです」
「あ、そう。なんかもう、驚きを通り越して普通だわ……。この状況って、これからスカイダイビングをやりますよ、っていう理解でいいのね?」
「さすが真奈美さんです。勘が鋭い」
「っていうか、この状況ならそれしかないから。でも私、スカイダイビングなんてやってことないんだけど――」
「大丈夫です。そこは、ご安心下さい。インストラクターもできる腕前の我が『デキル後輩』、近藤君を真奈美さんの付き添いに付けますから。あ、ちなみに今回は正真正銘、本物の彼ですよ」
スポーティな黒のジャンプスーツに身を包んだ長身の男、近藤。
彼は、昔、何かの映画で戦闘機のパイロットが掛けていたようなサングラスを顔から外し、西洋式に左腕を胸の辺りに掲げてお辞儀した。
「ああ、あなたが噂の近藤さんね。初めてな気がしないけど、初めまして」
「ご挨拶遅れまして申し訳ありません。初めまして、近藤と申します。前回は、あの雛地鶏とかいう優男に隙を突かれまして……面目ありません。ですが今回はお任せください。私の命に代えても、必ずお守りいたします!」
きゅっと口を結んだ近藤は清々しい表情でそう云うとすばやくヘルメットを被り、再びサングラスを掛けた。……なかなか格好いい男じゃない。
榊原祐樹――アンタ、完全に負けてるわ。
と、ここで私は、先ほどから気になっていたことを榊原に質問する。
「で、さっきから周りにも飛行機が飛んでるよね。あれって、何?」
「それはもちろん、私の協力者たちですよ」 即答する、彼。
「って、他に3機も飛行機が飛んでるけど、今回は豪勢ね」 外に向かって指差す、私。
「えっ? そんなはずは……。僕が頼んだのは他に1機です。あれ? でも、確かに3機飛んでるな。って、あれはもしや――アイツ!?」
彼の目線の先には、ダークブルーの下地に金色のラメが派手に散りばめられた、まるでボーリング玉のような飛行機が1機と、その機体にぴったり寄り添うようにして飛ぶ、目に突き刺さるようなショッキングピンクで彩られた飛行機が1機の、計2機があった。それら2つの飛行機は、榊原祐樹が頼んだらしいごく普通のチャーター機のすぐ真上で、異様な迫力を撒き散らしながら悠然と飛行を続けている。
そのうち、ボーリング玉の機体の方には、そのどてっぱらに開いた大きな開放空間にこの状況下においても艶のあるシックなダークスーツに身を包んで不敵な笑みを浮かべる、一人の男がいた。遠くでも見えるようにとの意図なのか、顔の大きさほどもある巨大な造花らしき薔薇の花を胸ポケットに挿している。
――どう考えても、見覚えのある顔、その姿。
「あれは絶対、雛地鶏 謙よね」
「ちっくしょう、アイツこんなところにまで現れるとは……。真奈美さん、こうなったらぐずぐずしてられません。直ぐに出発です! 近藤、何かあったら僕がアイツの動きを封じる。後は頼んだぞ!」
「了解!」
近藤の敬礼を子どもの成長を見守る父のような穏やかな笑顔で見届けた榊原祐樹は、自分の背中のパラシュート機材を一瞥した。そして、ワザとらしく私に向かって大きく頷くと、いかにも熟練といった感じのパイロットに向けて右手の親指をグッと突き出し、そのまま大空へ飛び出して行ったのだ。
地球の一落下物と化した榊原祐樹に、中年の白髪混じりパイロットが力強いサムアップで応える。
榊原祐樹が飛び出した、その直後。
もう一機のチャーター機から、かなりの人数のパラシュート部隊のような一団がその身を大空に任せ、宙を舞った。全員の服が燃えるような赤で統一されている。
「さすが、先輩! 初めてとは思えない度胸の良さです」
「ええッ、初めてなの? 一人で、大丈夫?」
「まあ……多分……大丈夫ですよ。そんなことより、今度は私たちの番ですね」
そう云って素早く私の背後に回った近藤が、命綱のようなものを結び付けた。
私と一体化した近藤が、無防備な私の背中に体当たりするようにして飛行機の外へと私を押し出そうとする。
「しゅっぱあつ!」
「あ、ちょっと! まだ心の準備が――きゃあぁぁ」
ハイヒールから運動靴に替えさせられた私の両足が、飛行機の床を離れる。
その瞬間見えた、眼下に聳え立つ富士山の頂。思わず手を合わせ、無事を祈る。
――何たって、世界遺産ですもの。私一人ぐらいだったら、助けてくれるわよ。
頭の中がぐるぐると回り出し、身も心も無重力になる。
落ちていく――いや、上っていく? どっちが上でどっちが下?
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そのとき、私のゴーグルの視野に二人のスカイダイバーが飛び込んで来た。どうやら、私たちを追いかけてきたらしい。
一人は……雛地鶏ね。服装が、あのいつものやつだから。
じゃあ、彼の横に引っ付くように居る全身ピンク色の、まるで金魚にしか見えないヒラヒラ衣装に身を包んだあの人は誰? 若い女の人かしら――?
きっと、もう片方の飛行機から飛び出してきたに違いない。色も同じだし。
二人の動きは、まるで夫婦漫才のようだった。
男が女から逃げるように空中で動きもがくと、女がそれを追いかけて行き、ツッコミを入れるように体当たりをする。
そうこうしている間に、その妙な二人がくんずほぐれつ絡みながら、私達――近藤と私――に近づいて来た。
――アブナイッ!
そう思ったときには、すでに遅かった。
金魚ヒラヒラ女が、私を庇うようにして体を入れた近藤にぶつかったのだ。
バランスを崩し、少し錐揉み状態になった私たちのことなどお構いなし。女との距離が離れてこれ幸いとばかり、雛地鶏があのパラシュート部隊に向かって落下し続ける。
「こら、謙さま、お待ちなさーい」
「眞子さん、しつこいぞ! 何故、私の邪魔をする?」
「謙さまが、榊原さんの邪魔をするからでしょう」
「ならば、邪魔の邪魔は今すぐ止めなさい!」
「できませーん。あら、真奈美お嬢様……先程は失礼しました。では、御免遊ばせッ!」
訳の分からない会話の中にほんのちょっとだけ謝りを入れただけで、眞子という名前の女が雛地鶏を追っかけて行く。
なんとか体勢を立て直した、近藤。
私の口では云えないような激しい言葉で、二人を罵った彼は、やがてその言葉も出尽くしたのか、落ち着いた口調で私に話しかけた。
「くっそー、ホント危なかったよ……。雛地鶏さん、彼が現れるとロクなことがないですよね……。あ、でも、真奈美さん、ココは気を取り直していきましょう。もうすぐ、先輩からの『プレゼント・ショー』が始まるはずですし」
「ショー? 何でもいいから、とにかく早く終わらせて欲しいものね」
「あ、そうなんですか? それなら、もう始めちゃいますか!」
私の背中越しに腕をバタバタと動かし、私達より多分数十メートルくらい地球に近い場所にいる榊原祐樹に近藤が合図を送る。
近藤の合図に大きく頷いて応えた榊原祐樹は、彼の近くにいる例のパラシュート部隊に何やら手話のような合図を送った。
すると、あの一団が磁石で引きつけられたかのように集まり出し、一つの塊になった。
そうかと思うと今度は手や足を連結したまま広がって、一つの輪になった。皆、全身赤い服装なのでまるで赤い輪ゴムのようだ。
「さあ、ご覧になってくださいませ! これが先輩の、真奈美さんへの気持ちです!」
私の背後で、近藤が恭しくそう云った時だった。
今まで輪の外側にいた榊原祐樹が、まさに風を切って動き出し、私から見て輪の上側の部分に引っ付くと、その輪をぐいと押し曲げた。
動き出す、赤い紋様。
輪の上の部分が凹んでいき、それに連れて、下の部分がぴんと尖り出す。
――も、もしかして、あの形に?
なんて、ちょっと私のハートがキュンとなったときだった。
雛地鶏が赤い人文字に勢いよく突っこんできて、妨害を始める。
と今度はそこに、金魚女が薔薇男の邪魔に入る。邪魔の、邪魔。雛地鶏は弾き飛ばされ、輪から離れる。
が、勢い余って女が輪に激しく衝突。赤い輪はくるくると回転を始める。
「どうです、見ていただけましたか、真奈美さん!」
「うーん。榊原の気持ちって……桃? それとも、お尻?」
そうなのだ。
多分、榊原祐樹が作りたかったあの形は丁度反転した形で空中に静止した。私には、それはどうしても桃か尻にしか見えない。
――残念でした。
とここで、急に近藤が話題を変える。
「……。ああ、もうそろそろパラシュートを開かなくては!」
確かに、富士山の頂はすでに視界の一構成要素となっている。失敗して叩きつけられれば、恐らく私などひとたまりもない固―い地面がそこに迫ってきているのだ。
と、何かに気付いた近藤。金切り声で叫び出した。
「うわっ、パラシュートを開く紐が何かに引っかかって、引っ張れない! きっと、あの女にぶつかったときにトラブったんだ……。榊原センパーイ! すみませんが、この紐の位置を直してくださーい!」
巧みに体を動かして榊原祐樹の近くへと移動していきながら、大きな身振り手振りで、近藤が榊原祐樹にシグナルを送る。それに気付いた榊原の表情が一変し、慣れない動きながらも必死にこちらに近づいて来る。
「よし、すぐそこに行く! 真奈美さん、今、助けに行きますからね!」
「早くしなさい、榊原祐樹! ほんっと、たのむわっ!」
「すみません。先輩、お願いしますッ!」
本当にもう、時間的に厳しいらしい。
あの手練れのパラシュート部隊までもが既にパラシュートを広げ、私たちのはるか上空にいる。その横では、パラシュートをぶつけ合い、雛地鶏と金魚女が激しい戦いを繰り広げているのが見える。
――あの二人、ほんと何しに来たんだろう……。
榊原祐樹の技術は確かに未熟なのだろう、と思う。
鬼気迫る表情で近づいて来るも、目的の「紐」を手に取るまでにはなかなか至らない。
「先輩、そろそろ限界です。頑張ってください!」
「よっしゃわかったぁ、任せとけぇ! どぅわりゃあああああ!」
太陽を背に躍動する榊原祐樹。その姿はシルエットとなって、まるで仏様のような神々しさを持って私の目に飛び込んで来た。
「よし、近藤OKだ! 真奈美さん、直りましたよ。大丈夫、ご安心ください!」
私の耳元に口を近づけた榊原祐樹が、囁くような手振りで、大声を出した。
――どきり。
何故か、胸が高鳴った。
安全なところまで離れていく、榊原祐樹。と、近藤が急いでパラシュートを開く。
――ぶわさっ。
すごい風圧と音で、耳がつんざけそうになる。
しかし、それも束の間だった。
圧力と騒音はやがて落ち着き、心が和んでいく。
その雄大な景色をゆっくりと楽しんだ後、私は無事に地上に降り立った。
☆
「榊原祐樹。確かに今回は、雛地鶏たちの邪魔だてにも負けず、よく頑張ったわ。だけどあの形……どう見ても桃かお尻にしか見えなかった。でも今回はその頑張りに免じ、『私に告白するなど2億3千万年早い』と云っておくわね」
私がそう告げると、はしゃぐ近藤の横で境原祐樹は複雑な表情を見せた。
「やりましたね、先輩! かなりの時間が縮まりましたよ」
「うんまあ、確かに。でも、アイツらの妨害さえなければ、もっと……」
先ほど着地したばかりの雛地鶏と眞子という女を榊原が睨みつける。
「まさか、この私の攻撃が不発に終わったとは……不思議だ」
告白までの時間が縮まったことに不満そうな、雛地鶏。
4000mも落ちてきて、胸の薔薇が吹っ飛んでいかなかったことの方がよっぽど不思議だと反論したかったが、面倒なのでやめておく。
「いえ。この私、日向眞子が榊原さんの援護に回りながらその程度の効果しかあげられなかったことの方が、心外です……」
彼女が、今までの人生で初の挫折とばかりにがっくりと肩を落とす。
――いや、あなたの最後の一撃で形が変わっちゃったのよ。
でもやっぱり面倒くさいので、これも突っ込むのはやめておく。
「じゃあね、榊原祐樹。次こそ、楽しみにしてるわ」
そのセリフを吐いた私は、くるり、反転した。
どう考えても今の格好には不釣り合いなほどのエレガントな足運びとフォルムで歩き出す。
と背後で、金魚女の叫び声がした。
「もう、あなたになんか任せてなんかいられないわ、榊原さん! 次はこの私、うら若き24歳の『日向眞子』が作戦を考えて差し上げます! そして、あなたの望みを必ずや成就させますッ!!」
「え、ええ!?」
――ふん、面白いじゃない。あの小娘、なかなか生意気なことを云うわね。いいわよ、いつでもその挑戦、受けて立つわ!
振り向きもせずに、そのまま突き進む。
上空にはドーナッツのようにおいしそうな飛行機雲があった。どうやらあの中年パイロットの操縦するセスナ機が、私たちの上空をぐるぐると回っているようだ。
――何か楽しいことでもあったのかしら? あの、おじさん。
私の気持ちは、何故か不思議な程に清々しかった。
キミに届けたい、永久の愛を。スカイダイバーで綴ったラブレター
―続く―
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