乳酸飲料なダンディ

鈴木りん

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Episode1 宅配業者は二度鼻を鳴らす

Section1-7 ダンディ、知美さんの明るさにほっとする

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 雑踏と寛ぎの狭間。
 そんな重い扉を押し開けて、BARみせの中へと進む。
 心地好いJazzの響きとウイスキーの甘く芳醇な香り――。
 まだ夜の9時前だというのに、カウンター席だけの店、ショットバー『KATORI』はそれなりに賑わいを見せていた。

「いらっしゃい……」

 赤っぽくやや薄暗い照明の空間に入り込んだ途端、まず目が合ったのはマスターの大五郎だった。昨日の夜に俺たちは顔を合わせたばかりではあるが、当然なことながら、二人ともそんな素振りを見せはしない。
 それにしても――大五郎のいかにも警戒心が露わの表情に、むかっ腹が立つ。

「あら、ダンディさんもここに?」

 そう云って、俺の存在に次に気付いてくれたのは、既に赤ら顔で上機嫌のバーバラ課長だった。もともと肌の色が白いので、その赤さは際立っている。
 その姿はまるで、可愛いらしい赤鼻のトナカイだった。
 だが今夜は、客はミリア電子の面々だけではなかった。
 入り口側のカウンター席に陣取っていたのは、見知らぬサラリーマン風の若い男二人。彼らは、俺の顔をちらりと見ただけで、直ぐに二人だけの会話に戻っていった。あからさまに、俺には全く興味がない様子である。

 ――すまんな、若い女じゃなくて。

 彼等の背中に書かれた“がっかり感”という文字の意味を真面に体で感じながら、店の奥へと進んでいく。
 その先には、俺にとって見慣れた面々――ミリア電子株式会社企画開発課の三人――が、カウンターのやや奥側に並んで座っていた。その三人とは、奥からバーバラ課長、知美さん、そして美人二人にご満悦な様子の新人、田中君だった。
 当前、そこに五竜田路の姿はない。

「まあ、ここに座りなさいよ」

 頼みもしないのに、バーバラはなかなかの綺麗なラインを持つその腰を上げ、一人分、奥の席へとずれた。今まで隣り合っていた知美さんと自分との間に一人分の隙間を作り、誰もが羨むような特等席に、俺に座れと命じた訳だ。
 うむ。なかなか気が利いているじゃないか、バーバラ。
 君は、良い奴だ。

「あ、そうですか、それでは、失礼してそこに座らせていただきますね」

 知美さんのほんわか笑顔のエネルギーを左頬に感じながら席に着き、いつものワイルドターキー12年のロックを注文する。
 琥珀色の液体で満たされたグラスと透明な液体の入ったチェイサーが俺の目前へと置かれ、気合を入れて今日も美しい知美さんに渋い低音で声を掛けようとしたそのときだった。俺の右肩にぐにゃりとした感触とともに体重を預けてきたバーバラが、俺にカラオケを唄えと催促したのだ。

「ダンディさん、“すばる”よ。是非、“すばる”を唄って!」
「あ、いや、バーバラさん。ここはスナックじゃないんで」

 俺が説明しようとしたその前に大五郎が口を挟み、彼女に説明する。

「何よー。マスター、まさかここにはカラオケの機械はないとか云うわけ?」
「ええ、まあ。ここ、BARですから」
「ええーっ! ココ、ニッポンナノニ、カラオケナイナンテ、シンジラレナイーッ!」

 何故か最後だけ外人風に発音した、バーバラ。
 その後も大五郎が説得するも、彼女は容易には納得しようとしない。
 二人が訳の分からない云い合いをしてるその隙を縫って、俺は久しぶりに明るい雰囲気で佇む知美さんに話しかけた。

「知美さん、何だか今日は楽しそうですね」
「あら、分かります? だってダンディさん、行方不明だった吉田社長が、無事だった事がわかったんですもの。とてもうれしいです」
「ああ、そうだったんですか。それは、良かったですね」
「はい、良かったです。でも……」

 そう云いかけた彼女の瞳に、不意に影が射した。
 そんなとき、敵意に満ちたとも云える視線を感じた俺は、俺に彼女との会話の時間を奪われたことに腹を立てたらしい田中がじっとりとこちらを睨んでいることに気付いた。
 だがそんな田中のことなど、当然、無視だ。

「実は、社長を会社の倉庫で監禁していたのが、その社長の奥さんと不倫相手の若い男性社員だったんですよ……。それが、本当に悲しくて」
「なるほど。確かにそれでは、喜び半減ですね」
「ええ。しかも、専務である奥さんは、どうやらこれまでも会社のお金を色々と使い込んでいた様なんです。それで、いよいよお金に困った奥さんは、社長がお金をどこかに隠し持っているはずだと思い込んで社長を監禁し、そのお金を脅迫して出させようとした――それが真相らしいです」
「へえ……そうでしたか」

 一瞬できた、会話の間。
 カラン、と氷が鳴ったロックグラスに手を伸ばした俺はそれを口へと運び、一口だけ、ごくりとやった。すると彼女も、モスコミュールのカクテルに手を伸ばす。
 少しだけ斜めに顔を上げ、ごくんとやる喉のラインが止めどもなく美しい。
 瞳の奥にあるキャンバスに、何枚もの静止画としてきっちり焼き付ける。

「事情聴取を終えた社長に、お話を聴けたんです。『あいつも、可哀相な奴だ。欲で何もみえなくなっちまったんだな。今まで一緒に、夫婦として会社を切り盛りしてきたんだもの、そんな金なんかないってこと、すぐに分かりそうなことなのにね』と、悲しんでましたよ」
「信じていただけに、余計つらいのでしょうね」
「ええ、まったくです。……あ、そうそう。社長、こうも云ってましたよ。二人の黒い服を着た男が突然やって来たことまでは憶えてるんだけど、二人がどういう顔をしていて、どうやって妻と不倫相手をやっつけたのかとか、全然憶えてないんですって。きっと、極度の緊張のせいなんでしょうけど、不思議なこともあるものですね」
「ほほう、なるほど」

 ちゃんと術は効いていたのだ。心の中で、ほっと胸を撫で下ろす。
 だがしかし――。
 自分という存在がまったく認められないのも、悲しいものではある。

 ――それは俺が。いや、“俺たち”がやったんです。

 危く白状しかけたのをぐっと堪え、言葉を飲み込む。
 横で会話を聞いていた大五郎も何やら云いたげの様子だったが、少しだけ右の口角を上げただけで、黙って俺の顔を覗いている。
 その眼は、明らかに「それ以上云うな」と圧力をかけていた。

 ――ふん、云う訳などなかろうが。これでも、忍者の端くれだぞ。

 俺の気持ちを読み取った大五郎は、男二人連れの方へと移動し、空になったグラスを見て新しい飲み物を勧めた。マティーニの注文を受ける。
 流石は、忍者だ。
 大五郎の目にも止まらぬ素早い手の上下動で振られるシェイカーの音を聞きつつ、俺は知美さんに話しかける。
 気付けば、田中とバーバラは、俺がウインクをするまでもなく、既に疲れて眠りこけていた。

「あ、あのお、どうです? もしよろしければ、これから――」

 だが、その台詞が終わるのを待たずして、知美さんは細い左腕をひっくり返して腕時計を見た。

「ああーっ、もうこんな時間なのね。明日も朝から会議だし、帰らなくちゃ!」

 田中とバーバラの肩を叩いて二人を起こし、彼女が身支度を整え始めた。
 寝ぼけたまま、俺とカラオケでデュエットすると云い張る課長を説得し、田中の背中に、無理矢理彼女を背負わせる。
 ……しかしバーバラ、酒が弱いのにいつも飲み過ぎだ。

「ダンディさんも明日は仕事でしょ? 飲みすぎには注意してくださいね。では、また明日!」

 知美さんはそう云い残し、寛ぎの空間から雑踏の中へと消えて行った。
 一人取り残された俺。
 仕方なくグラスの中に残ったバーボンを傾けて一気に飲み干すと、もう一杯、同じものを大五郎に注文した。

 ――もしかして彼女、分かっててやってるのか?

 意気消沈な俺を、大五郎がニヤついた眼で見る。手裏剣でもその顔のど真ん中にぶち当ててやろうかとも思ったが、他の客の手前、何とか踏みとどまった。
 そんな思いが通じたのか、もしくは、綺麗な女性の来店を諦めたのか――入り口付近の男性二人も会計を済まし、店を出て行った。
 ついに、残りは俺と大五郎の二人っきりとなる。

「やっと、二人きりになれたな」
「やめろ、気持ち悪い。吹き矢を打ち込むぞ」

 今日ここに来た本当の目的を想い出した俺の言葉に、大五郎が見事な嫌悪感を示す。

「実はな、ちょっと面白い種明かしをしようと思って、寄ってみたんだよ」
「ほう……?」

 奴の嫌悪感が、鋭い猜疑心へとみるみる変化していく。
 自分用のグラスを取り出した大五郎は、そこへ値の張るスコッチをストレートで惜しげもなくどぼどぼと注ぎ、昔から見覚えのある忍者の目付きで睨みを利かして、煙草を吹かし始めた。

「じゃあ、話してもらおうか。その、種明かしとやらをな」

 再びカランと鳴った、俺のグラスの中の氷。それはまさに、俺たちの戦いの始まりを知らせる、ゴングとなったのだ。
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