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閑話 エリザベスの最期
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エリザベス・ヴァンダーウォールは、この半年間、体調が悪く寝込んでいた。
半年前、胸がムカムカと気持ち悪くなる症状が出始め、だんだん食事が摂れなくなってきた。
見る見るうちにやせ細っていき、今では寝台で半身を起き上がらせるのも辛いようだ。
体調が悪く、臥せっている姿をあまり子供たちに見せたくない、とエリザベスは考え、子供たちの出入りは禁止され、体調が良いときだけ子供たちは面会が許可された。
今日は何日かぶりにエリザベスの体調が良いので、面会できると言われ、アリステルは嬉しくて飛び跳ねた。
「お母さまにお花を持っていきたいわ。お庭に出てもいいでしょう?」
「よろしいですよ。では、庭師のベンも呼びましょうか」
アリステルはルンルンと庭へ出て、母に渡すための花を選んだ。
「お母さまの好きな薔薇の花にするわ。ベン、切ってもいいかしら」
「ようございますよ。どれ、切ってあげましょう」
「このオレンジのマーブルの花がいいわ」
「わかりました。…はい、どうぞ。棘は取りましたが、気を付けて持ってくださいね」
「ありがとう」
にっこりと嬉しそうなアリステルを、ベンもメイドもニコニコと見守った。
「お兄様、お兄様!お花を摘んだのよ。早くお母さまのところへ持っていきましょう!」
アリステルに呼ばれて、ハリソンも嬉しそうに近寄ってきた。
「きれいな薔薇だね。よし、じゃあお母さまのところへ行こう」
「はい!」
兄妹はエリザベスの寝室の扉をノックした。
小さい声で返事があったので、二人は扉を開け中に入った。
二人を見て、エリザベスはとても嬉しそうな笑顔を見せた。
「ハリー、アリス、こちらへいらっしゃい。私のかわいい子供たち」
ハリソンとアリステルは、ニコニコと母の寝台の側に寄った。
「お母さま、見て。お花を摘んできたのよ」
「まぁ、とてもきれいね」
「そうでしょう?お部屋に飾ってね」
「ありがとう。嬉しいわ」
メイドがアリステルから薔薇を受け取り、花瓶に生けるため一度部屋から出て行った。
「お母さま、ご飯は食べられているのですか?」
ハリソンが心配そうに聞く。
子供の目で見ても、エリザベスがやせてしまったのがわかるからだ。
「ええ、食べているわ。大丈夫よ」
そう言ってほほ笑むエリザベスの顔は青白く、ハリソンはあまり安心できなかった。
「アリス、ちゃんとお勉強はしているの?サミュエル先生を困らせていない?」
「ちゃんとお勉強しています。先生を困らせてなんかないわ」「そう。えらいわね。ハリーはどう?お勉強ははかどっていて?」
「はい、もう学園に入る準備は終わっています」
「そう、なら安心ね」
エリザベスは満足そうに頷いた。
「もうすぐアリスのお誕生日ね。パーティーを開いてあげられなくてごめんなさいね」
あと二週間ほどでアリステルは8歳になる。
例年、誕生日には親しい友人や親戚を招いていて誕生日パーティーを開いているのだが、今年はエリザベスの体調が悪いため、パーティーはなしだ。
「パーティーなんてなくても全然かまわないわ。そんなことより早くお母様に元気になってほしい」
「アリス、ごめんね。ありがとう」
「お母様、あやまらないで」
「ええ、そうね。ありがとう」
その時、エリザベスがゴホゴホと咳込み、息苦しそうになった。
なかなか咳がやまない様子を見て、ハリソンとアリステルは慌てた。
「大丈夫?お母様!」
「だれか、お医者様を呼んで!」
花瓶に薔薇を生けてきたメイドが、慌てて花瓶を置くと、母の背中をさすった。
「お坊ちゃま、お嬢様、お部屋にお戻りくださいませ。あとは私が世話を致しますから」
ハリソンとアリステルは後ろ髪引かれる思いだったが、母の療養の邪魔になるのは嫌だったので、大人しく部屋から出た。
閉じた扉の向こうから、まだエリザベスが咳込む音が聞こえる。
二人は自然と手をつないで、俯いて部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
それから十日間が過ぎたが、エリザベスの部屋は面会謝絶となったままだった。
いつもだったら誕生日前は、ウキウキとプレゼントのことを考えたり、パーティーに着るドレスの試着をしたりと楽しく過ごしているのだが、今年は楽しく迎えられそうになかった。
アリステルの誕生日の前日、エリザベスの姉パトリシアがヴァンダーウォール伯爵家を訪れた。
「伯母様、ようこそおいでくださいました」
「ハリソン、アリステル、ごきげんよう。少しの間、お邪魔するわね」
「少しの間と言わずどうぞ、ごゆっくりして行ってください」
「ベスの具合はどうなのかしら。アリスのお誕生会を取りやめると言うから、気になって来てみたのよ」
「母は、だいぶ体がつらいみたいです。僕たちは部屋に入らないよう言われているので…」
「そう…。わかったわ、わたくしが様子を見てくるわ」
パトリシアは家令に案内させ、エリザベスの部屋へと入って行った。
それから長い時間、パトリシアは部屋から出て来なかった。
アリステルは気になってそわそわしていた。
(そうだわ、またお花を持って行って、お母様に渡しましょう)
アリステルは一人で庭に出て、紫とピンクのペチュニアを幾本か摘み、手に持った。
そのまま庭からエリザベスの部屋の前まで行く。
換気のために開いている出窓から花を渡そうと思ったのだ。
すると、窓から話し声が漏れ聞こえてきた。
「パティ、わたくし、もう…」
アリステルはびっくりして足を止めた。
(お母様が、泣いている・・・?)
「ベス、大丈夫。大丈夫よ。気持ちをしっかり持って」
「パティ…もしも私に何かあった時には、子供たちを、ハリーとアリスをお願いね…」
「わかってるわ。大丈夫よ。あなたは元気になることだけを考えて」
「ええ…」
アリステルは聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、身をひるがえした。
ペチュニアを持つ手がカタカタと小刻みに震えている。
アリステルの姿が見えなくなって、心配して探していたハリソンがアリステルを見つけてやってくる。
「アリス!お庭にいたのかい?」
アリステルはハリソンの顔を見て、ワッと泣き出した。
「どうしたんだい?アリス」
「お母さまが…泣いて…いて…、ヒック…、お母さまに何かあったら、…子供たちをお願いって、パトリシア伯母様に言ってて‥‥」
そこまで聞いて、ハリソンは理解した。
母の容体がとても悪いこと。
それをアリステルが知ってしまったこと。
そして自分は、アリステルのようには泣いてはいけないこと。
ハリソンはグッと力を入れて、アリステルに言った。
「アリス、泣かないで。お母様は具合が悪くて、少し不安になってしまったんだよ、きっと。すぐに元気になるさ。大丈夫だから、泣かないで」
アリステルを優しく抱きしめて、背中をトントンと優しく叩いてやる。
アリステルがまだ赤ちゃんの頃、こうしてやると泣き止んだことを体が覚えていた。
「お母様、死んじゃうの?」
「僕たちを置いて死んでしまうと思うのかい?」
「ううん」
「そうだろう?きっと大丈夫だよ」
「うん」
背中のトントンを続けているうちに、アリステルの目がトロンと眠たげになってきた。
「少し部屋で休んだらいいよ」
「うん。そうするわ」
アリステルの手にぎゅっと握られている花をハリソンは優しく受け取ると、アリステルを部屋へ戻した。
ペチュニアはしゅんと元気なく、うなだれているようだった。
◆ ◆ ◆
その後、ひと月もしないうちにエリザベスの容体は急激に悪化した。
一日の大半を眠って過ごし、目覚めるほんのひと時は、体の痛みと息苦しさでとても辛そうであった。
伯爵家に出入りする医師が、ついに王都のヴァンダーウォール伯爵を呼び出した。
二日後には伯爵が屋敷に戻り、その時は目覚めないエリザベスの枕元に、子供たちも呼ばれた。
「お母様の手を握ってやりなさい」
そう医師に言われて、アリステルとハリソンはお母様の手をぎゅっと握った。
すると、今まで深く眠っているようだったエリザベスの目がふっと開いて、子供たちを捉えた。
「「お母様!」」
「ベス!わかるか!」
エリザベスは、弱々しい笑顔を見せた。
「アリス…いつでも、笑顔で…」
それだけ言って、またエリザベスはスッと深い眠りに戻っていった。
「お母様、お母様!」
もうアリステルの声にも反応はしなかった。
「さぁ、それでは奥方様を休ませましょう。お子様方をお部屋に連れてお行きなさい」
医師がそう告げると、メイドたちがハリソンとアリステルを連れて行った。
翌日、エリザベスは静かに息を引き取った。
アリステルはずっと泣き通し、疲れては眠る。目覚めては泣き、また疲れて眠る。
そうして一日を過ごした。
その間、ハリソンはアリステルを抱きしめて、背中をトントンしてやった。
「泣かないで、アリス。お母さまが、いつでも笑顔でって言ったよ」
「そんなの無理だもの…!わーん!!」
「アリス、そんなに泣いたらお母様が悲しむよ。お母様はアリスが笑った顔が見たいんだよ」
「お母様は死んでしまったもの…。もうわたくしの笑顔を見てはくれないわ…わーん!!」
「アリス、アリス。もう泣かないで。お顔がパンパンになってるよ」
「お兄様のバカ―!」
ハリソンは言葉を尽くしてアリステルをなぐさめた。
アリステルが疲れて眠ると、ハリソンも疲れ果てて一緒に眠ってしまった。
そんな二人を周りの大人たちは痛ましく見守るのだった。
◆ ◆ ◆
葬儀はつつましやかに行われた。
若い奥方の逝去を、領民もみな悲しく思い、通り過ぎる葬列を言葉少なに見送った。
トボトボと手をつないで歩くハリソンとアリステルを目にすると、みな涙を誘われた。
葬儀も終わり、弔い客もみな引き上げるまで、アリステルはハリソンから離れたがらなかった。
アリステルにとっては、ハリソンだけが、心の支えだった。
日常が戻ってくると、アリステルはエリザベスの最期の言葉を、ようやく受け止めることができた。
「お兄様、わたくし、まだとても笑えそうにありません。でも、どんな時もお母さまが見守ってくれていると思うと、笑顔で頑張らなくてはって思うの」
そう言いながらもまた目に涙がたまって来てしまう。
ハリソンは優しくアリステルの目尻の涙を拭いて、頭を撫でた。
「きっとお母様は見守ってくれているよ。アリスには僕がいる。一緒に頑張ろう?」
「うん!お兄様、大好き」
アリステルは自分からハリソンの胸に飛び込んだ。
ハリソンはぎゅっと抱きしめると、アリステルの髪に顔をうずめた。
ハリソンにとっても、アリステルだけが、心の支えなのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
これをもちまして完結とさせていただきます。
読んでいただきありがとうございました。
半年前、胸がムカムカと気持ち悪くなる症状が出始め、だんだん食事が摂れなくなってきた。
見る見るうちにやせ細っていき、今では寝台で半身を起き上がらせるのも辛いようだ。
体調が悪く、臥せっている姿をあまり子供たちに見せたくない、とエリザベスは考え、子供たちの出入りは禁止され、体調が良いときだけ子供たちは面会が許可された。
今日は何日かぶりにエリザベスの体調が良いので、面会できると言われ、アリステルは嬉しくて飛び跳ねた。
「お母さまにお花を持っていきたいわ。お庭に出てもいいでしょう?」
「よろしいですよ。では、庭師のベンも呼びましょうか」
アリステルはルンルンと庭へ出て、母に渡すための花を選んだ。
「お母さまの好きな薔薇の花にするわ。ベン、切ってもいいかしら」
「ようございますよ。どれ、切ってあげましょう」
「このオレンジのマーブルの花がいいわ」
「わかりました。…はい、どうぞ。棘は取りましたが、気を付けて持ってくださいね」
「ありがとう」
にっこりと嬉しそうなアリステルを、ベンもメイドもニコニコと見守った。
「お兄様、お兄様!お花を摘んだのよ。早くお母さまのところへ持っていきましょう!」
アリステルに呼ばれて、ハリソンも嬉しそうに近寄ってきた。
「きれいな薔薇だね。よし、じゃあお母さまのところへ行こう」
「はい!」
兄妹はエリザベスの寝室の扉をノックした。
小さい声で返事があったので、二人は扉を開け中に入った。
二人を見て、エリザベスはとても嬉しそうな笑顔を見せた。
「ハリー、アリス、こちらへいらっしゃい。私のかわいい子供たち」
ハリソンとアリステルは、ニコニコと母の寝台の側に寄った。
「お母さま、見て。お花を摘んできたのよ」
「まぁ、とてもきれいね」
「そうでしょう?お部屋に飾ってね」
「ありがとう。嬉しいわ」
メイドがアリステルから薔薇を受け取り、花瓶に生けるため一度部屋から出て行った。
「お母さま、ご飯は食べられているのですか?」
ハリソンが心配そうに聞く。
子供の目で見ても、エリザベスがやせてしまったのがわかるからだ。
「ええ、食べているわ。大丈夫よ」
そう言ってほほ笑むエリザベスの顔は青白く、ハリソンはあまり安心できなかった。
「アリス、ちゃんとお勉強はしているの?サミュエル先生を困らせていない?」
「ちゃんとお勉強しています。先生を困らせてなんかないわ」「そう。えらいわね。ハリーはどう?お勉強ははかどっていて?」
「はい、もう学園に入る準備は終わっています」
「そう、なら安心ね」
エリザベスは満足そうに頷いた。
「もうすぐアリスのお誕生日ね。パーティーを開いてあげられなくてごめんなさいね」
あと二週間ほどでアリステルは8歳になる。
例年、誕生日には親しい友人や親戚を招いていて誕生日パーティーを開いているのだが、今年はエリザベスの体調が悪いため、パーティーはなしだ。
「パーティーなんてなくても全然かまわないわ。そんなことより早くお母様に元気になってほしい」
「アリス、ごめんね。ありがとう」
「お母様、あやまらないで」
「ええ、そうね。ありがとう」
その時、エリザベスがゴホゴホと咳込み、息苦しそうになった。
なかなか咳がやまない様子を見て、ハリソンとアリステルは慌てた。
「大丈夫?お母様!」
「だれか、お医者様を呼んで!」
花瓶に薔薇を生けてきたメイドが、慌てて花瓶を置くと、母の背中をさすった。
「お坊ちゃま、お嬢様、お部屋にお戻りくださいませ。あとは私が世話を致しますから」
ハリソンとアリステルは後ろ髪引かれる思いだったが、母の療養の邪魔になるのは嫌だったので、大人しく部屋から出た。
閉じた扉の向こうから、まだエリザベスが咳込む音が聞こえる。
二人は自然と手をつないで、俯いて部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
それから十日間が過ぎたが、エリザベスの部屋は面会謝絶となったままだった。
いつもだったら誕生日前は、ウキウキとプレゼントのことを考えたり、パーティーに着るドレスの試着をしたりと楽しく過ごしているのだが、今年は楽しく迎えられそうになかった。
アリステルの誕生日の前日、エリザベスの姉パトリシアがヴァンダーウォール伯爵家を訪れた。
「伯母様、ようこそおいでくださいました」
「ハリソン、アリステル、ごきげんよう。少しの間、お邪魔するわね」
「少しの間と言わずどうぞ、ごゆっくりして行ってください」
「ベスの具合はどうなのかしら。アリスのお誕生会を取りやめると言うから、気になって来てみたのよ」
「母は、だいぶ体がつらいみたいです。僕たちは部屋に入らないよう言われているので…」
「そう…。わかったわ、わたくしが様子を見てくるわ」
パトリシアは家令に案内させ、エリザベスの部屋へと入って行った。
それから長い時間、パトリシアは部屋から出て来なかった。
アリステルは気になってそわそわしていた。
(そうだわ、またお花を持って行って、お母様に渡しましょう)
アリステルは一人で庭に出て、紫とピンクのペチュニアを幾本か摘み、手に持った。
そのまま庭からエリザベスの部屋の前まで行く。
換気のために開いている出窓から花を渡そうと思ったのだ。
すると、窓から話し声が漏れ聞こえてきた。
「パティ、わたくし、もう…」
アリステルはびっくりして足を止めた。
(お母様が、泣いている・・・?)
「ベス、大丈夫。大丈夫よ。気持ちをしっかり持って」
「パティ…もしも私に何かあった時には、子供たちを、ハリーとアリスをお願いね…」
「わかってるわ。大丈夫よ。あなたは元気になることだけを考えて」
「ええ…」
アリステルは聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、身をひるがえした。
ペチュニアを持つ手がカタカタと小刻みに震えている。
アリステルの姿が見えなくなって、心配して探していたハリソンがアリステルを見つけてやってくる。
「アリス!お庭にいたのかい?」
アリステルはハリソンの顔を見て、ワッと泣き出した。
「どうしたんだい?アリス」
「お母さまが…泣いて…いて…、ヒック…、お母さまに何かあったら、…子供たちをお願いって、パトリシア伯母様に言ってて‥‥」
そこまで聞いて、ハリソンは理解した。
母の容体がとても悪いこと。
それをアリステルが知ってしまったこと。
そして自分は、アリステルのようには泣いてはいけないこと。
ハリソンはグッと力を入れて、アリステルに言った。
「アリス、泣かないで。お母様は具合が悪くて、少し不安になってしまったんだよ、きっと。すぐに元気になるさ。大丈夫だから、泣かないで」
アリステルを優しく抱きしめて、背中をトントンと優しく叩いてやる。
アリステルがまだ赤ちゃんの頃、こうしてやると泣き止んだことを体が覚えていた。
「お母様、死んじゃうの?」
「僕たちを置いて死んでしまうと思うのかい?」
「ううん」
「そうだろう?きっと大丈夫だよ」
「うん」
背中のトントンを続けているうちに、アリステルの目がトロンと眠たげになってきた。
「少し部屋で休んだらいいよ」
「うん。そうするわ」
アリステルの手にぎゅっと握られている花をハリソンは優しく受け取ると、アリステルを部屋へ戻した。
ペチュニアはしゅんと元気なく、うなだれているようだった。
◆ ◆ ◆
その後、ひと月もしないうちにエリザベスの容体は急激に悪化した。
一日の大半を眠って過ごし、目覚めるほんのひと時は、体の痛みと息苦しさでとても辛そうであった。
伯爵家に出入りする医師が、ついに王都のヴァンダーウォール伯爵を呼び出した。
二日後には伯爵が屋敷に戻り、その時は目覚めないエリザベスの枕元に、子供たちも呼ばれた。
「お母様の手を握ってやりなさい」
そう医師に言われて、アリステルとハリソンはお母様の手をぎゅっと握った。
すると、今まで深く眠っているようだったエリザベスの目がふっと開いて、子供たちを捉えた。
「「お母様!」」
「ベス!わかるか!」
エリザベスは、弱々しい笑顔を見せた。
「アリス…いつでも、笑顔で…」
それだけ言って、またエリザベスはスッと深い眠りに戻っていった。
「お母様、お母様!」
もうアリステルの声にも反応はしなかった。
「さぁ、それでは奥方様を休ませましょう。お子様方をお部屋に連れてお行きなさい」
医師がそう告げると、メイドたちがハリソンとアリステルを連れて行った。
翌日、エリザベスは静かに息を引き取った。
アリステルはずっと泣き通し、疲れては眠る。目覚めては泣き、また疲れて眠る。
そうして一日を過ごした。
その間、ハリソンはアリステルを抱きしめて、背中をトントンしてやった。
「泣かないで、アリス。お母さまが、いつでも笑顔でって言ったよ」
「そんなの無理だもの…!わーん!!」
「アリス、そんなに泣いたらお母様が悲しむよ。お母様はアリスが笑った顔が見たいんだよ」
「お母様は死んでしまったもの…。もうわたくしの笑顔を見てはくれないわ…わーん!!」
「アリス、アリス。もう泣かないで。お顔がパンパンになってるよ」
「お兄様のバカ―!」
ハリソンは言葉を尽くしてアリステルをなぐさめた。
アリステルが疲れて眠ると、ハリソンも疲れ果てて一緒に眠ってしまった。
そんな二人を周りの大人たちは痛ましく見守るのだった。
◆ ◆ ◆
葬儀はつつましやかに行われた。
若い奥方の逝去を、領民もみな悲しく思い、通り過ぎる葬列を言葉少なに見送った。
トボトボと手をつないで歩くハリソンとアリステルを目にすると、みな涙を誘われた。
葬儀も終わり、弔い客もみな引き上げるまで、アリステルはハリソンから離れたがらなかった。
アリステルにとっては、ハリソンだけが、心の支えだった。
日常が戻ってくると、アリステルはエリザベスの最期の言葉を、ようやく受け止めることができた。
「お兄様、わたくし、まだとても笑えそうにありません。でも、どんな時もお母さまが見守ってくれていると思うと、笑顔で頑張らなくてはって思うの」
そう言いながらもまた目に涙がたまって来てしまう。
ハリソンは優しくアリステルの目尻の涙を拭いて、頭を撫でた。
「きっとお母様は見守ってくれているよ。アリスには僕がいる。一緒に頑張ろう?」
「うん!お兄様、大好き」
アリステルは自分からハリソンの胸に飛び込んだ。
ハリソンはぎゅっと抱きしめると、アリステルの髪に顔をうずめた。
ハリソンにとっても、アリステルだけが、心の支えなのだった。
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これをもちまして完結とさせていただきます。
読んでいただきありがとうございました。
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