36 / 37
第36話 引退の美学
しおりを挟むサクの目の前には、百人ほどの兵隊がずらりと列を作っていた。
「気にするな。みな、舞姫と咲弥を護衛したいと志願した者たちだ。辺境まで行くついでに、国境の東雲軍を一掃しようと思う」
「そ、そうです…か?」
蒼月率いる東雲軍一掃派兵隊に、サクと凛音が紛れ込んでいるという状態になった。蒼月と二人で里帰りをするものと思い込んでいたサクは、目を白黒させた。隊の中には、蒼月の副官、賑やかな悠遊もいた。
「姫ちゃーん!久しぶりだね。すっかりきれいになっちゃって、僕も鼻が高いよ。でもなんか、ケガしたんだって?もうすっかりいいの?」
「はい、おかげさまでケガは良くなりました」
「そっかー。でも無理はしないでね。さささ、馬車に乗って!」
サクと凛音は特別に用意された馬車に乗った。馬車の周りをライと数名の騎馬兵が警護している。
蒼月が出発の合図をすると、隊列は整然と進み始めた。
サクは正面に座る凛音を見た。いつも通り白い美しい顔が、やや上気して口元がほころんでいる。ありていに言って、嬉しそうだ。
「あのぉ、凛音姐さん…。これはどういう状況なのでしょうか…?」
戸惑ったサクの声音に、凛音の笑顔が消え、申し訳なさそうに眉が下がった。
「うち、咲弥に謝らなあかんかった。咲弥が嫌がらせを受けているのを知っとったのに、やった子らを放っておいたせいで大きな事故になってしまった。ほんに堪忍な。うちの責任や」
「いえ、そんな!凛音姐さんは何も悪くないです」
凛音はゆるゆると首を振る。
「うちは瑠璃光院の舞姫なんよ。舞台で起きたことの責任はみんなうちにあると思うてる。運よく助かったけど、もしかしたら咲弥は死んどったかもしれん。こんな目に合わせてしもうて…。あのな、うち、引退することにしたんよ」
「…っ!」
咲弥は絶句した。まじまじと凛音を見つめる。驚きすぎて見開いた目から、じわりと涙があふれて来た。
「泣かんといて…。こんな形で引退したら、咲弥には迷惑かもしらんけど…」
咲弥はうまく言葉が出て来なかった。
「あ…私の、せいで」
凛音はにっこりとほほ笑んで見せた。
「咲弥のせいではないわ。うちの問題や。咲弥に申し訳ないと思うとるし、責任を取る気持ちは嘘やない。けどな…、咲弥にだから言うけど、雷門が辞めたらええって言ってくれたの」
「雷門が…?」
凛音は白い頬をほんのり薄桃色に染めた。
「舞姫を辞めたら結婚しようって…えへへ」
驚きすぎて口をぱかっと開けてしまったサク、涙もぴたっと止まった。
「えええっ!!ほ、ほんとに?!姐さん、雷門と結婚するんですか?!」
「ええ、そのつもりなんよ。それで今回の遠征に同行させてもろて、雷門の故郷へお邪魔することになったんよ。だから、咲弥は気に病まなくてええから。それにこうして王都の外に出るのは久しぶりやから、結構楽しんどるんよ」
「ででででも、姐さんはあんなに人気があるのに、急に辞めるなんてお客様の暴動が起きちゃいます!」
凛音は穏やかに笑いながら、首を振った。
「いつの時代でもあることなんよ。舞姫の引退、新しい舞姫のお披露目。その度に公演のチケットは売れて、グッズも売れて、舞姫を贔屓にしていたお客はんも、また新しい贔屓を見つけてそちらに流れる。そうやって生まれ変わりを繰り返しとるのが神楽座よ。後輩に後を託して散っていく美しさも見せなあかんの。引退までこなして初めて、舞姫の仕事をまっとうしたことになるんよ」
舞姫の世代交代を経験したことのないサクには、凛音の言うことがあまりよくわからなかった。しかし、凛音が己の引退に誇りを感じているのだけは伝わって来た。サクの事故はきっかけにすぎないのかもしれない。そう思わせるような、覚悟、美学がそこにはあった。
「そういうわけで、次の公演がうちの引退公演や。座長がとびっきりの台本書いてくれとる。今回のいざこざで世間から悪い意味で注目を浴びとる瑠璃光院の印象をがらっと変えたるわ。命かけてやりきって見せる。咲弥にもうちが稽古つけたる。しっかりしい」
「…はい!」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。
木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。
そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。
ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。
そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。
こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる