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1章

17.ヒロインの特訓4

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◇◇◇◇◇◇




 ゆっくりと目を開けると、白い天井が飛び込んできた。
 三度ほど瞬きをして、ようやく私が仰向けに寝ていることに気がついた。

「リゼット……?」

 怖々と名前を呼ばれ、声のした方に顔を向ける。
 そこにはフローレンスがいた。

 いつもと違って暗い表情だ。
 伏し目がちだしいつもなら胸を張って堂々としているのに、今は肩を落として小さくなっている。
 どうしたのだろう。何かあったのだろうか。

「どこか痛むところはない?」
「はい。ここは……?」

 周囲をゆっくりと見回す。
 私は今までベッドに寝ていたようだ。
 ベッドの周囲がカーテンに覆われているせいで今どこにいるのかがわからない。

「ここは保健室よ。食堂へ向かう途中に階段から落ちたの……覚えているかしら?」
「えっと…………はい、なんとなくは……」

 驚いたようなフローレンスの表情が脳裏に焼き付いている。
 それ以降の記憶がないから、私はそこで階段から落ちてしまったのだろう。
 あの時フローレンスは私より下の段にいた。
 見たところ彼女に怪我はないようだから、ぶつからずに済んだのだろう。
 少しだけ安心した。

「ごめんなさい……。私が無理をさせたからね」
「そんなことないです! 私の物覚えが悪いから……。その、頭が悪くてごめんなさい」

 慌てて謝り返す。
 私の要領が悪いだけなのだ。フローレンスは何も悪くない。
 もしかして今回のことで呆れられてしまっただろうか。体調管理もできないダメなやつだって。
 何もできない、人に助けてもらうことしかできない人間だと思われたら……そうなったらきっと今までのように親しく話しかけてもらえなくなるだろう。
 それは嫌だった。

「もっと頑張ります! そうすればきっと」
「ちょっといいかな」

 私の言葉を遮ったのはアランの声だった。

「ええ、大丈夫よ」

 フローレンスが答えるとゆっくりとベッドを囲んでいたカーテンが開けられる。
 いつもと同じ様子のアランがそこにいた。
 
「リゼット、身体は平気かい?」
「うん、大丈夫」
「良かった。頭を強く打ってるからしばらくは安静にするんだよ。今日は心配だから寮の医務室に泊まれるよう手配してる。少しでも変なところがあったらすぐに医者に伝えるんだ」
「わ、わかった」

 そこまでしなくてもいい、という言葉は必死に飲み込んだ。
 きっと断っても二人は認めてくれないだろう。
 心配してもらっていることはわかるけれど、なんとなく落ち着かない。

「サイラス様とのお茶会は日を改めることにしたわ。今はゆっくりと休んで、元気になることだけを考えてほしいの」
「えっ、でも…………」

 そのままがいい……という言葉を無理やり飲み込んだ。もう日程の変更は決まったことなのだろう。
 フローレンスが決めたことを嫌だなんて言えない。言ってはならない。


 どうしよう。
 王太子とのお茶会の予定を私の都合で変更するなんてとんでもない事だ。
 迷惑をかけてしまった。ただでさえ男爵家のことで助けてもらっているのに。
 胃のあたりが重くなる。

「……ごめんなさい。私がバカだから」
「違うわ。リゼットのせいじゃないの」

 私の言葉を遮ってフローレンスは言った。

「人にはそれぞれ得手不得手があるものだとわかっていたのに、本気で努力すればどうにかできると思っていた私が悪いの。辛い思いをさせてしまってごめんなさい」
「そんな、フローレンスは悪くなくて……」
「そこまで。これからの話は明日にしよう」

 アランの言葉にフローレンスが頷いて、その話は終わりになった。

 けれど私の不安は残ったまま。
 どうやって償えばいいのだろう。
 このままだとフローレンスに嫌われてしまうかもしれない。

「寮まで送るよ。フローレンスは……」
「私はこの後会わなければならない人がいるの」
「わかった。じゃあリゼットが動けるようになったら行こうか」

  フローレンスは短く別れの言葉を残して保健室から出ていった。

 小さく息を吐く。
 起こってしまったことをなかったことにはできない。だからこれからどうするかを考えなければならないのに、私にはどうすればいいのかわからなかった。

「どう? もう少し休んでいくかい?」

 アランが優しく問いかけてくれる。

「ううん、大丈夫。やりたいことがあるから」
「今日はゆっくり休むようにとフローレンスにも言われただろう」
「でも……うん、わかった」

 渋々頷くとアランは小さく笑った。
 本当に心配し過ぎだと思う。どうしてここまで優しくしてくれるのだろう。

「荷物は僕が持つから安心して。脚に怪我はないと聞いてるけど、もし歩けなければ車椅子を手配するよ」
「ありがとう。えっと……多分歩けると思う……」

 ベッドから降りてゆっくりと立ち上がる。
 痛みもないしふらつくこともない。寮まで歩いて帰れるだろう。

「じゃあ行こうか」

 手を差し出された。
 荷物をよこせと言いたいのだろうか。けど私は今何も持っていない。
 不思議に思ってアランを見上げると、少し困ったような表情をしていた。

「ふらつくと危ないから手を……と思ったけれど、必要ないかな」
「小さな子どもじゃないんだから大丈夫だよ」
「そう……うん、そうだね」
「でも心配してくれてありがとう」

 アランは困ったように笑った。
 彼はよくそんな顔をする。フローレンスがアランを褒める時、私がアランにお礼を言った時、そしてアランの家の事を聞いた時。
 その表情の意味を私はわからずにいる。

「サイラスのことは心配しなくていい。フローレンスが上手く調整するだろう」
「……うん。でも私のせいで嫌な思いさせちゃったかなって。王太子殿下は忙しいって言ってたのに……」
「気にしなくてもいい……といっても君は気にするだろうね。確かに急な予定変更はサイラスにとって喜ばしいことではない。けれど土曜日のお茶会は君が欠席になるだけなんだ。もともとあの二人は仲がいい。君がいなくても二人で楽しく過ごすはずさ」
「そっか……ならいいんだけど……」

 仲良いんだ……。
 フローレンスからは王太子の話を聞いた事はほとんどない。
 ゲームでの二人の関係はあまり良くなかったはずだ。ここもゲームとは違う。

「それにここ最近は二人とも忙しくしていたからね。久しぶりに二人きりでゆっくり過ごせる時間が出来たんだ。嫌な気持ちになんてならないさ」
「うん、ありがとう」

 何かが変わったわけではないのに、アランの言葉のおかげで私の不安は少しだけ減った。

「そろそろ寮へ向かおう。途中で辛くなったら教えて」
「ありがとう。でも本当に大丈夫だよ。もっと高いところから飛び降りた時だってなんともなかったんだから」

 いつもよりゆっくりと歩くアランにあわせて足を動かす。これも彼の優しさなのだろう。

「もっと高いところ……? リゼットは屋根にでも登ったのかい?」
「うん、そうだよ」
「え?!」

 きっとアランは冗談で言ったつもりなんだろうな。けれど本当に屋根に登ったので頷くと、アランは珍しく驚いたような顔をした。
 いつも落ち着いて穏やかに笑っているアランもこんな反応するんだ。

「あ、二階の屋根からは降りてないよ? 窓から伝って玄関の上にある屋根から飛び降りたの」
「どうしてそんなことを……?」
「えっと、降りるのがめんどくさかったから……かな」

 そんなに深い理由はない。強いて言えばなんとなく、だし大丈夫だと思ったからやった。それだけだ。
 アランは笑って小さく「そうか」と呟いた。
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