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冬の足音と隣人

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夕方。仕事を終え、私はせっせと食材を切っていた。食材を載せるバットには白菜、人参、ニラなど色とりどりの野菜が積まれている。その隣には冷蔵庫から取り出したばかりの豚肉が行儀よくトレーに並べられている。
今日の夕食は鍋である。そろそろすっかり冬、12月の寒気が窓の外では広がりを見せている。こんな季節には鍋!と言い出したのは私ではなく、人栄さんである。
彼女はすっかりこの部屋に通うようになっている。私も別にそれを止めていないので、ほとんど毎日のように夕食を共にしている。
そのうちこの部屋で仕事を始めそうだな、などと考えてちらりとリビングのソファーに座っている彼女を見てみると……
「ふんふん、るー」
などと機嫌良さそうに鼻歌を歌いながらタブレットにペンで何かを描いていた。ただの落書きかもしれないが、お仕事の下書きとかかもしれない。そのペンには迷いがなく実にスムーズである。そういえば、まだ彼女の絵を見たことがない。
「終わりましたよ」
切り終わった野菜類をバットごとリビングテーブルに運ぶ。
「わあ、やったあ!」
彼女はソファーから床に移動し、お尻の下に持ち込んだクッションを敷く。もはや定位置と化している。
その前にあるローテーブルの上にバット、肉と並べ、ガスコンロの上に鍋を置く。
「あ、お鍋に入れるのは私がやる!」
そう言いながらひょいひょいと彼女は昆布だしベースのスープが入った鍋の中に野菜を入れていく。順番は結構適当のようだが、私はあまり気にならないので問題ない。
彼女も私に慣れたのか、いつの日かに中華料理屋で見せていたような表情を見せるようになっている。その口調もおどおどしたものからすっかり普通の口調で、太陽のような明るさを時折見せていた。
「おっけー」
「では、火を付けますね」
つまみを左にひねると、元気よく火が噴き出し始める。人栄さんは楽しそうにぱしゃりとその様子をタブレットで写真に収める。これも見慣れた光景。おそらくなにがしかの資料に使うのだろう。
しばらく待っていると、昆布だしの良い匂いが部屋に漂い始める。坦々鍋のような味の濃いものもいいが、このようなシンプルな味が一番落ち着くのは確かだ。
「そろそろ?」
「もう少しですね」
彼女に急かされるように一度蓋を取ってみるが、野菜の色を見るにもう少し煮込んだほうが良さそうだ。
「そう言えば、目島さん。最近お仕事の調子はどうなの?」
「どう、と言われても……正直、いつもどおりです。あまり繁忙期のない部署なので」
「へえーそういうものなんだ。普通のお仕事だと年末は忙しいっていうイメージだったから」
「ああ、なるほど。私の会社でも他の部署は忙しそうにしているので、うちのところだけ特殊なのかもしれませんね」
「ほあー」
分かったような分からないような、関心があるようなないような、そんな中途半端な声が人栄さんの口から漏れる。
そこから少し待っている間、人栄さんはそわそわとテレビと鍋に視線を行ったり来たりさせていた。私はそれを苦笑して見ながら鍋をゆっくり開ける。
「できた?」
「できました」
豚肉にもしっかり火が通っていることを確認して、私達は食事を開始する。
「いただきます」
「いただきます」
彼女はまずレードルと菜箸を起用に使って私の分を取り分けてくれる。
「ありがとうございます」
「いえいえ、流石にこれくらいは」
とは言うものの、食事に関しては彼女が4分の3ほど材料費を出してくれている。私が固辞したので、4分の1は私が支払うという形だ。
「うん、今日も美味しい!」
彼女はニコニコしながら白菜を口に運ぶ。こうして食事を共にして知ったこととして、肉よりも野菜を好む傾向にある。そして魚よりは肉という感じだ。いつの間にか彼女の好みをすっかり把握していることに少しおかしくなってしまう。
「む。何を笑ってるの?」
「いえ、変な関係になったな、と思いまして」
「そお?」
「そうです。二十歳の女性が私のような男の部屋に入り浸るなんて普通じゃあないです」
彼女は取皿に肉と豆腐を追加し、さらに七味をその上にかける。
「うーん、まあ私も普通の職業じゃあないし、別にいいんじゃないの?とっても居心地いいよ?」
「……あなたが気にならないならいいですが」
「うん!全然だいじょうぶ!心配してくれてありがと!」
彼女は辛味と昆布だしのハーモニーを楽しみながらニコニコである。
どうしても彼女に強くでることができない。それは彼女のバックグラウンドを知っているからというのもあるし、私自身も彼女の人間性に対して好感を抱いているのは間違いないからだ。もちろんそれは恋愛感情とは明らかに違うし、あえて言うならば矢賀さんの食事事情や睡眠事情を心配する感じに似ている。
「そういえば……目島さん、明日暇です?」
彼女は急にそんな話を振ってくる。明日は土曜日、いつもどおり特に予定は存在しない。
「特になにもありませんが、急にどうしました?」
「うん。えーと……買い物に一緒に行きませんか?」
少しだけ人見知りを顔をのぞかせつつ彼女はそんなことを言う。
「ああ、荷物持ちですか。別に良いですよ」
というか、彼女が一人で出かけられる姿をまるで想像できない。
「ほんと!?やったあ!?」
彼女は嬉しさを爆発させ、破顔する。
デート、というと気張り過ぎだろう。後輩(のような人)と出かけるというだけだ。
自分にそう言い聞かせている時点でそれは言い訳に近いと思う。楽しみなのは事実だからね。
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