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帰宅と隣人

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「すいません、そこを右でお願いします」
私は助手席に座り、代行の運転手さんに自宅へ向かってもらっていた。人栄さんと佐須杜さんは車に乗ったと途端、糸が切れたように眠ってしまった。今はすうすうという音がエンジンに紛れて聞こえてくるだけだ。
さて、私はこの状況で考えなければいけないことがある。
この後、どうしよう……。
佐須杜さんはご自宅に戻って頂くのは不可能。したがって人栄さんとセットで考えるしかない。そうすると、まずは人栄さんを起こすところから始めないといけないな。

自宅まで徒歩3分のコインパーキングに車を停めてもらい、代金を支払う。ありがたい話だが、運転手さんも二人が酔いつぶれているのに気を使ったのか、かなりゆっくり丁寧に運転してくれたので、丁寧にお礼を言っておいた。
「人栄さん、大丈夫?」
あくまで身体には触れないようにして、後部座席のドアを開けて彼女に声をかける。
「ん、んん……」
しかし、熟睡している様子で全く反応してくれない。仕方ないので、もう一方のドアを開け今度は佐須杜さんに声をかける。
「佐須杜さん、起きられますか?」
「んあー……」
一応反応はあり、重たそうなそのまぶたを開こうとしている。
「佐須杜さん?」
「はあーい……」
今にもとろとろに溶け落ちそうだが、一応起きてくれた。人栄さんは全然起きられそうにもないので……一度ここに置いていって先に佐須杜さんに付き添って人栄さんの部屋まで行くのが良いか。
「私と人栄さんのマンションに到着しました。佐須杜さんは今から自宅に帰宅できなさそうですし、今晩は人栄さんのご自宅に泊まられる感じでしょうか?」
「はあい、そうしますー」
どれくらい意識をはっきり持っているかは分からないけれど、彼女は私の言葉に応じたのか人栄さんの持っていたポシェットを漁り、キーケースを出してくれた。
「よし、じゃあ一度あなたに付き添いますので行きましょうか」
「うん……」
右手で目をこすりながら佐須杜さんは私の方に左手を差し出してくる。どういう意味だ、なんて考える必要はないがそれをすることには抵抗がある。私が黙っていると、彼女は強引に私の右腕を掴んでくる。
「……わかりました、行きましょうか」
これを振り払えるほど私は意思が強くない。結局そのまま流されて、私の右腕を抱えるようにして何とか立っている佐須杜さんを支えながら、人栄さんの部屋へと向かった。

「着きましたよ」
彼女はふわふわとした足取りであるものの、一応その身体を自分の脚で支えているので、そこまでの苦労はなく部屋の前までに着くことができた。
「うんー……」
まるで寝落ちする寸前の子供のように佐須杜さんは聞き分けよく、手に持ったキーケースから鍵を取り出して部屋の鍵を開けてくれた。
「お邪魔します」
家主は車の中でぐっすりだが、一応挨拶をする。
「佐須杜さん、大丈夫ですか?」
「だいじょうび……」
その発言は大丈夫じゃなさそうだが、一応自分の脚で立つことはできていた。
「じゃあ、今から人栄さんを連れてきますから、中で休んでいてくださいね」
「はあい……」
成人を迎えている女性に対して失礼かもしれないが、聞き分けの良い子供のようだった。きりっと目を吊り上げている印象の彼女とは全然違う雰囲気で、お酒って本当に怖い。

「人栄さん行きますよ」
閉めておいた車の鍵を開けて彼女に声を掛ける。しかし、すでに本格的に眠る体勢というか、身体を完全にシートに横にしてしまっていた。
「……仕方ない」
私も覚悟を決めるしか無い状況だ。
「失礼。明日、怒らないでくれると非常に嬉しい」
誰も、もちろん彼女も聞いているわけもないだろうが、一応言葉にしておく。私は、彼女の体勢を整えて何とか背中に背負う。流石に羽のようにとかりんご3個分とかまでは言えないものの、彼女の身体は非常に軽く、筋力に乏しい私でも部屋まで連れていくことができそうだ。
私がもっと若ければ女性の温もりが非常に近いところにあって心臓の鼓動が加速していたかもしれないが、今の年齢で全然そういうことはなかった。

部屋の前まで何とか到着する。私の額からは玉のような汗が流れており、自分の筋力だけでなく体力も低下していることに落胆を隠せなかった。次の休みはトレーニングジムの見学に行くことを心に決めつつ、一旦人栄さんを廊下に降ろす。彼女の服装が汚れたり、横倒しになったりしないように細心の注意を払いつつ、彼女の部屋のドアを開けようとする。
「……えっ?」
しかし、開かない。ドアノブを繰り返しひねったり、引っ張ったりしてみても冷たい金属音が拒絶反応を示すに過ぎない。あまりに嫌な予感に私の額にはちょっとした運動のせいだけではない汗が吹き出ている。
とにかく、インターフォンだ。そう思って何度か鳴らしてみても、佐須杜さんの返事が帰ってくる気配はない。
「嘘だろ……」
恐らく、佐須杜さんが無意識的にか部屋の鍵を閉めてしまったのだろう。もちろん、鍵は彼女が持っている。サブキーを人栄さんが持っている可能性は極めて低いだろうし、管理人の方もすでに帰っている。慌てて管理会社に電話を掛けてみるが、こちらも当然反応はない。
「嘘だろ……」
もう一度同じ言葉を呟いてみても、もちろん状況は変わらない。ドアに向けていた視線を背後に向けてみると、人栄さんの身体は今にも廊下に倒れそうになっており、慌ててその身体を支える。
どうしよう、そう思うものの、流石に先日の件があったばかりで人栄さんを廊下に放置することはできない。しかも、明日は今日よりもかなり冷え込み、冬の足音がし始めるくらいの気温になる予報だ。
私のお酒の入った頭で思いつく解決策――いや対処療法に過ぎないが、とにかく思いつく手段は一つしかなかった。『社会的死』なんて言葉が頭をちらつき、若干震える手で私は自室の鍵の入ったキーケースをバックポケットから取り出した。
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