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隣の住人がクズ教師でした【一生懸命なバレンタイン】
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俺、笹森創志は、同棲中の恋人である碓氷千宙にバレンタイン前に寝室を別にされた……。
毎年、バレンタインに千宙からチョコレートをもらった事がなかった。おかしいとは思っていた。
だから「今年のバレンタインはチョコくれる?」と、そんな風に聞いたのは間違いだった。
「あのさ、俺も男なんだけど、その事忘れてない?」
プイッとそっぽを向いてしまった千宙に対して、ショックを受けていた。千宙がくれるのが当たり前だと思い込んでいた。
俺があげた事もないくせに、千宙からチョコが欲しいと強請ってしまったのだ。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなくて……」
「俺からあげなくても、創志はたくさん貰えるじゃないか」
毎年ほどほどにチョコを貰っていたけれど、どうして千宙がそんな風に言うのか分からなかった。
「ちぃくんがくれれば、一番最初に食べるよ」
千宙はムッと怒った顔をした。
「創志にチョコはあげないし、しばらく別で寝たい」
この時の衝撃と言ったらない。
自他共に認めるクズだった俺は、言わば恋愛初心者だ。千宙が初恋だと言ってもいい。肉体経験が沢山あっても、恋愛経験はない。
恋人の機嫌を損ねた時の対処法がわからずに、謝る事しかできなかった。
毎日一緒に寝ていたのに、今日から隣のぬくもりがないなんてショックでならない。そうなってしまった理由すら分からなかった。
「嫌だよ! 俺が悪かったから、そんな事言わないで……」
「俺は一緒に寝るのが嫌だ」
効果音で言ったらガーンだ。
両手両膝を地面に着いて項垂れた。
俺は、千宙に突き放されたのだ。
その日、千宙がソファで寝ようとしたのを、それだけはさせまいと俺がソファで寝る事で説得した。
千宙が許してくれるまで、一緒に寝ようと言ってくれるまで、我慢する事に決めた。
このままではダメだ──そう思った。
◆◇◆
「それで手作りチョコ作るって単純っていうか、ウケる」
悪友である信幸は、俺が材料として買ってきたチョコレートを持って爆笑する。
「ウケない。俺は必死だよ。ちぃくんだって男だから、チョコが欲しいって思ってたのかもしれない。俺はそんな事も考えずに浅はかだったよ」
信幸のアパートのキッチンで、必死になってチョコレートを刻んでいる。
「エプロンとかウケる」
「ウケないってば」
信幸がまた爆笑した。
「まさか創志が手作りとはね。明日はチョコの雨でも降るんじゃない?」
「邪魔しないで」
「場所貸してるんだから、笑うぐらい許せよ」
千宙の為なら信幸からの屈辱にも耐えよう。
信幸のアパートのキッチンを使わせてもらうお礼にフルーツワインを持ってきていた。
それを早速開けて飲みながら、ちょっかいを出してくる。
「それで? それは何ができんの?」
「トリュフ」
「へぇ。どうやって作んの?」
そう言いながら、刻んだチョコレートを食べられた。
「おい。勝手に食べるな」
「悪い悪い。ついな」
信幸に邪魔されながらも、スマートフォンの画面を見ながらどうにかトリュフを形にした。
丸めたチョコレートにカカオや粉砂糖をまぶせば、それなりに形も誤魔化せた。
見た目がいいものを選んで箱に入れる。
「ラッピングまで自分でやんの? めちゃくちゃ大変だな。みんなこんなに苦労してチョコ作ってんだ……手作り尊敬するな」
信幸の言葉に同感だ。
自分で作ってみて、手作りがどれだけ大変なのかわかる。
「ちぃくん……許してくれるかな……」
出来上がったトリュフを見ながら、つい弱音がポロリとこぼれてしまった。
信幸がブハッと吹き出した。なんて失礼なやつだ……。
「お前、本当変わったよな。情けなさすぎてウケる」
「好きに笑えよ……」
俺のため息と信幸の笑い声が混じり合った。
◆◇◆
夜遅く帰ってきたら、もう千宙は寝室だった。遅くなると思うから寝ていていいとは言ったが、真っ暗なリビングが寂しかった。
ラッピングしたトリュフの箱をそっとリビングのテーブルに置いた。
明日の朝、仕事に行く前に千宙がこれを見て喜んでくれるといいな。そう思ってその日は眠った。
けれど、バレンタインの朝、ソファから起きてリビングのテーブルの上を見れば、俺が置いたトリュフはそのままそこにあった。
受け取ってもらえなかったんだ──……。
俺は許してもらえなかった。
胸の奥がギュッと締め付けられて苦しかった。
一人でいる事が寂しい……遠距離をしていた時だって寂しいと思った事はある。けれど、それとは違う。感じた事のない気持ちだ。
千宙は既に家を出たらしい。
意図的に避けられているんだと思うと更に気分は重かった。
「どうしよう……」
一人きりのリビングで呟いた。
何よりも自分自身が嫌だった。
◆◇◆
「おはようございます」
俺と千宙が勤めているのは、同じ敷地内にある学園の高等部だ。千宙と職員室で顔を合わせても、プイッと顔を逸らされた。
やばい……非常にやばい状態だと言う事はわかった。
別れて欲しいと言われたらどうしよう……それだけは絶対に嫌だ。千宙に捨てられたら俺は生きていけない自信がある。
こんなに大好きなのに、伝わらない想いがもどかしい。
授業が終わり、職員室に戻る途中の廊下で、千宙を見かけた。
女子生徒達に話しかけられていて、チョコを渡されたようだ。
それを受け取って千宙がニッコリ笑った──その光景を見て、嫌だと思った。
その女子生徒達は、そのままこちらに歩いて来た。とても喜ぶその姿に胸の奧がチリチリと疼いた。
「やったね~。碓氷先生って誰からもチョコ受け取らないって有名だったもんね」
「今年は受け取ってくれたって聞いて渡して良かった」
そういえば、今まで千宙がチョコを貰ってきた所を見た事がなかった。それは、千宙が貰えなかったわけではなく、貰って来なかったんだ。
俺は、その理由を考えた事もなかった。
『またそんなに貰って来て……』
『くれるって言うからさ』
『食べ過ぎるなよ』
『ちぃくんは? 貰わなかったの?』
『俺はいいんだ』
そんな会話をした気がする。
その時の千宙の顔が思い出せない。
「よっぽど彼女の事が大事なんだと思ってたけど、別れたのかな」
俺はとても大事にされていたんだ。
そんな事に今更気付くなんて、本当にどうしようもない……。
「だったら、狙っちゃう?」
ダメだと叫び出しそうな衝動に耐えて、腕を組んだ。
千宙は、チョコを受け取った俺を見ていて、毎年こんな気持ちだったんだ……。
俺は、その事に今初めて気付いたのだ。
キャーと盛り上がる女子生徒達と目が合った。
「あ。笹森先生、先生にもチョコあげる」
「あ──……」
なんともないように差し出されたチョコを貰うのを躊躇った。
俺は、間違っていた。
他のものなんていらない。たった一人から貰いたい。
『ちぃくんがくれれば、一番最初に食べるよ』
あの返答はダメだ。
俺は本当に情けない。今すぐ謝りたい。
「──ごめんね。僕は、受け取れなくなりました」
「えぇー! 彼女いても普通に貰ってくれるんじゃなかったんですか?」
「そうでしたが、今年からは一つだけ貰えたらいいなって思えるようになったので──」
「やだぁ。純愛?」
「そうですね。この歳にもなって、まだ勉強する事ばかりです。君達の方が恋愛は上手そうですね」
キャーと盛り上がりながら、その場から居なくなる女子生徒達のパワーに負けそうだ。
こうしてはいられない。急いで大好きな人の背中を追いかけた。
「碓氷先生!」
廊下で振り向いた千宙は、ニッコリと微笑んだ。
学校での対応はお互いに取り繕う。
「なんですか? 笹森先生」
「すみません。話したい事があるんです」
「今ですか?」
「僕は、今でもいいですよ」
そっと千宙に近付いて囁いた。
「ね? 千宙」
千宙は、ビクッとしてほんのり顔を赤く染めた。
まだそんな反応をしてくれる事に安堵する。
逸らしていた視線を俺に向けてきた。
「今は無理だよ……」
「わかってる。今日は俺の方が早いから、家で待ってる。ずっと──」
囁くようにそう言った。
何か言いたそうにした千宙に優しく微笑んだ。
「では、よろしくお願いしますね」
勝手に約束したけれど、話さなきゃ始まらない。
千宙がなんと言おうと俺は、千宙の事が大好きだから──。
◆◇◆
家に帰ってきて、ソファに座りながら千宙を待った。
そのまま置いてあったトリュフの箱を見つめた。
今度こそ受け取ってもらいたい。
そうやって緊張しながら待っていれば、ガチャリと聞こえた玄関にビクッと反応する。
千宙が帰ってきた。
リビングのドアを開けて中に入ってきた千宙に思わず立ち上がってしまった。
「おかえり!」
やけに大きくなってしまった声に千宙はびっくりしたようだ。
「ただいま」
そう言って、微笑む顔にホッとした。
トリュフの箱を持って差し出した。
「あ、あのさ! これ……貰ってくれない?」
「え……やだよ……」
嫌そうな顔をされてしまった。
「なんで!?」
「どうして創志が貰ったチョコを俺が貰わないといけないんだ」
「え……?」
千宙が言った言葉に疑問に思う。
「それ……創志が貰ったんだろ……」
プイッとそっぽを向かれた。
「これ、俺が貰ったものだと思ったの?」
「それ以外にないだろ……」
──確かに!
俺は、料理ができない。千宙にチョコをあげた事もなかった。
俺から千宙へのチョコだと思われていなかったなんて──笑えてきた。
「なんで笑うんだ?」
訝しげに見られてしまった。
「これ、俺が作ったチョコだよ」
千宙はとても驚いていた。
「今なんて?」
「これは、俺がちぃくんのために初めて作った手作りチョコだって言った」
俺とトリュフの箱を交互に見てから、少し震えた手でトリュフの箱を受け取ってくれた。
「これを……創志が?」
「そう。食べてみてよ」
「うん……」
千宙は、半ば放心状態でソファに座って箱を開けて、中に入っていたトリュフを見る。
「信じられない……」
そんな風に呟きながら、とても嬉しそうだった。
「今度からメッセージカードも添えるね」
「うん……」
そうすれば、これが俺から千宙への贈り物なんだとわかったはずだ。
こんな風に喜んでくれるなら、もっと早く作ってあげればよかった。
「それと、今年は誰からもチョコ受け取らなかった」
千宙は、バッと俺の方を見て、くしゃりと顔を歪めた。
「なんで……」
「ちぃくんがチョコ受け取ってるの見てわかっちゃった。義理だってわかっててもすごく苦しかった。こんな気持ちをずっとさせてたんだと思うと自分を殴りたいよ。今までごめんね。ずっと断ってくれてありがとう。俺も誰からも貰わないから、ちぃくんも今まで通りにしてくれるといいな」
「──本当に誰からも貰わない?」
「うん。今年はみんな断った」
千宙は、立ち上がると自分のカバンからチョコの入っているであろう箱を取り出してソファに座り直した。
俺にそっと差し出されたその箱に目をぱちくりさせた。
「これも……貰わない?」
「っ……」
まさか……千宙から俺へ……?
何か言いたいのに言葉が出なかった。その代わりに首を横にブンブンと振った。
「じゃあ、貰って」
箱を受け取ろうとして、千宙と同じように自分の手も小刻みに震えてしまっているのがわかった。
「くれないって……言ってたから……嘘みたいだ……」
貰えるなんて夢にも思わなかった。
「本当は、毎年用意してたんだ……。でも、創志はいつも沢山貰ってくるだろう? それを見るとあげる気にならなくて、自分で食べてた」
「ちぃくん……」
なんて事だ。チョコを貰えてなかったのは自分自身のせいだった。
苦笑いする千宙に自分がバカだったと思い知らされる。
「開けていい!?」
コクリと頷いてくれたから、急いで箱を開けた。
中に入っていた有名店の宝石みたいな一口サイズのチョコレート。
今まで貰ったどのチョコレートよりも輝いて見えた。
「創志みたいに手作りじゃなくてごめん。でも、自分で選んだやつだから……」
「いい! 全然いい! めちゃくちゃ嬉しい! ははっ。顔ニヤける……」
「一緒に食べよう」
二人で一緒にチョコを口に入れる。
「美味しいよ」
嬉しそうにする千宙を見ていたら抱きしめたくなった。
ここの所、触れ合えていない。
「チョコもいいけど──ちぃくんの事も食べさせてくれる?」
千宙は、少し恥ずかしそうにする。それが可愛かった。
「これ、食べ終わったらね」
焦らされてしまった。唇を尖らせていじけたように見せる。
「自分のチョコに負けた気がするんだけど……」
クスクスと笑われた。
千宙の食べていたトリュフの箱を奪い取ってテーブルに置いて、そっと千宙を抱きしめた。
「千宙、愛してる」
この気持ちを言葉で例えるならこれしかない。
俺の胸に顔を埋めて、抱きしめ返してくる千宙に、愛の言葉を囁く。
「俺も……愛してるよ……」
返ってきた言葉に胸が熱くなって満たされる。
「今日からベッド……行っていい?」
これは、今日から一緒に寝ていいのかという確認だ。
「一緒に寝てなかった間、創志が隣にいないのが寂しかったよ。創志がいるのが当たり前になってたから……一緒にいれる事がすごい事なんだって忘れてた……」
確かにそうだった。
遠距離をしている間、気軽に会えない距離がもどかしかった。一緒にいれるのに、離れているなんて勿体無いことをしたと思う。
「近くにいるのに離れてるのって……余計に寂しい事だった……」
「一緒にいよ。ずっと──」
「うん……」
見つめ合ってキスを交わせば、お互いの気持ちが伝わる気がする。
千宙が照れた。はい、可愛い。
「んもぅ、好き!」
「わっ!」
溢れそうな気持ちをぶつけるように抱き付けば、そのままソファに倒れ込む。
「チョコレートみたいに溶かしてあげようか?」
「俺に溶かされるのはそっちだ」
そんな軽口を言い合ってクスクスと笑い合いながら、甘い時間を過ごして行った。
毎年、バレンタインに千宙からチョコレートをもらった事がなかった。おかしいとは思っていた。
だから「今年のバレンタインはチョコくれる?」と、そんな風に聞いたのは間違いだった。
「あのさ、俺も男なんだけど、その事忘れてない?」
プイッとそっぽを向いてしまった千宙に対して、ショックを受けていた。千宙がくれるのが当たり前だと思い込んでいた。
俺があげた事もないくせに、千宙からチョコが欲しいと強請ってしまったのだ。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなくて……」
「俺からあげなくても、創志はたくさん貰えるじゃないか」
毎年ほどほどにチョコを貰っていたけれど、どうして千宙がそんな風に言うのか分からなかった。
「ちぃくんがくれれば、一番最初に食べるよ」
千宙はムッと怒った顔をした。
「創志にチョコはあげないし、しばらく別で寝たい」
この時の衝撃と言ったらない。
自他共に認めるクズだった俺は、言わば恋愛初心者だ。千宙が初恋だと言ってもいい。肉体経験が沢山あっても、恋愛経験はない。
恋人の機嫌を損ねた時の対処法がわからずに、謝る事しかできなかった。
毎日一緒に寝ていたのに、今日から隣のぬくもりがないなんてショックでならない。そうなってしまった理由すら分からなかった。
「嫌だよ! 俺が悪かったから、そんな事言わないで……」
「俺は一緒に寝るのが嫌だ」
効果音で言ったらガーンだ。
両手両膝を地面に着いて項垂れた。
俺は、千宙に突き放されたのだ。
その日、千宙がソファで寝ようとしたのを、それだけはさせまいと俺がソファで寝る事で説得した。
千宙が許してくれるまで、一緒に寝ようと言ってくれるまで、我慢する事に決めた。
このままではダメだ──そう思った。
◆◇◆
「それで手作りチョコ作るって単純っていうか、ウケる」
悪友である信幸は、俺が材料として買ってきたチョコレートを持って爆笑する。
「ウケない。俺は必死だよ。ちぃくんだって男だから、チョコが欲しいって思ってたのかもしれない。俺はそんな事も考えずに浅はかだったよ」
信幸のアパートのキッチンで、必死になってチョコレートを刻んでいる。
「エプロンとかウケる」
「ウケないってば」
信幸がまた爆笑した。
「まさか創志が手作りとはね。明日はチョコの雨でも降るんじゃない?」
「邪魔しないで」
「場所貸してるんだから、笑うぐらい許せよ」
千宙の為なら信幸からの屈辱にも耐えよう。
信幸のアパートのキッチンを使わせてもらうお礼にフルーツワインを持ってきていた。
それを早速開けて飲みながら、ちょっかいを出してくる。
「それで? それは何ができんの?」
「トリュフ」
「へぇ。どうやって作んの?」
そう言いながら、刻んだチョコレートを食べられた。
「おい。勝手に食べるな」
「悪い悪い。ついな」
信幸に邪魔されながらも、スマートフォンの画面を見ながらどうにかトリュフを形にした。
丸めたチョコレートにカカオや粉砂糖をまぶせば、それなりに形も誤魔化せた。
見た目がいいものを選んで箱に入れる。
「ラッピングまで自分でやんの? めちゃくちゃ大変だな。みんなこんなに苦労してチョコ作ってんだ……手作り尊敬するな」
信幸の言葉に同感だ。
自分で作ってみて、手作りがどれだけ大変なのかわかる。
「ちぃくん……許してくれるかな……」
出来上がったトリュフを見ながら、つい弱音がポロリとこぼれてしまった。
信幸がブハッと吹き出した。なんて失礼なやつだ……。
「お前、本当変わったよな。情けなさすぎてウケる」
「好きに笑えよ……」
俺のため息と信幸の笑い声が混じり合った。
◆◇◆
夜遅く帰ってきたら、もう千宙は寝室だった。遅くなると思うから寝ていていいとは言ったが、真っ暗なリビングが寂しかった。
ラッピングしたトリュフの箱をそっとリビングのテーブルに置いた。
明日の朝、仕事に行く前に千宙がこれを見て喜んでくれるといいな。そう思ってその日は眠った。
けれど、バレンタインの朝、ソファから起きてリビングのテーブルの上を見れば、俺が置いたトリュフはそのままそこにあった。
受け取ってもらえなかったんだ──……。
俺は許してもらえなかった。
胸の奥がギュッと締め付けられて苦しかった。
一人でいる事が寂しい……遠距離をしていた時だって寂しいと思った事はある。けれど、それとは違う。感じた事のない気持ちだ。
千宙は既に家を出たらしい。
意図的に避けられているんだと思うと更に気分は重かった。
「どうしよう……」
一人きりのリビングで呟いた。
何よりも自分自身が嫌だった。
◆◇◆
「おはようございます」
俺と千宙が勤めているのは、同じ敷地内にある学園の高等部だ。千宙と職員室で顔を合わせても、プイッと顔を逸らされた。
やばい……非常にやばい状態だと言う事はわかった。
別れて欲しいと言われたらどうしよう……それだけは絶対に嫌だ。千宙に捨てられたら俺は生きていけない自信がある。
こんなに大好きなのに、伝わらない想いがもどかしい。
授業が終わり、職員室に戻る途中の廊下で、千宙を見かけた。
女子生徒達に話しかけられていて、チョコを渡されたようだ。
それを受け取って千宙がニッコリ笑った──その光景を見て、嫌だと思った。
その女子生徒達は、そのままこちらに歩いて来た。とても喜ぶその姿に胸の奧がチリチリと疼いた。
「やったね~。碓氷先生って誰からもチョコ受け取らないって有名だったもんね」
「今年は受け取ってくれたって聞いて渡して良かった」
そういえば、今まで千宙がチョコを貰ってきた所を見た事がなかった。それは、千宙が貰えなかったわけではなく、貰って来なかったんだ。
俺は、その理由を考えた事もなかった。
『またそんなに貰って来て……』
『くれるって言うからさ』
『食べ過ぎるなよ』
『ちぃくんは? 貰わなかったの?』
『俺はいいんだ』
そんな会話をした気がする。
その時の千宙の顔が思い出せない。
「よっぽど彼女の事が大事なんだと思ってたけど、別れたのかな」
俺はとても大事にされていたんだ。
そんな事に今更気付くなんて、本当にどうしようもない……。
「だったら、狙っちゃう?」
ダメだと叫び出しそうな衝動に耐えて、腕を組んだ。
千宙は、チョコを受け取った俺を見ていて、毎年こんな気持ちだったんだ……。
俺は、その事に今初めて気付いたのだ。
キャーと盛り上がる女子生徒達と目が合った。
「あ。笹森先生、先生にもチョコあげる」
「あ──……」
なんともないように差し出されたチョコを貰うのを躊躇った。
俺は、間違っていた。
他のものなんていらない。たった一人から貰いたい。
『ちぃくんがくれれば、一番最初に食べるよ』
あの返答はダメだ。
俺は本当に情けない。今すぐ謝りたい。
「──ごめんね。僕は、受け取れなくなりました」
「えぇー! 彼女いても普通に貰ってくれるんじゃなかったんですか?」
「そうでしたが、今年からは一つだけ貰えたらいいなって思えるようになったので──」
「やだぁ。純愛?」
「そうですね。この歳にもなって、まだ勉強する事ばかりです。君達の方が恋愛は上手そうですね」
キャーと盛り上がりながら、その場から居なくなる女子生徒達のパワーに負けそうだ。
こうしてはいられない。急いで大好きな人の背中を追いかけた。
「碓氷先生!」
廊下で振り向いた千宙は、ニッコリと微笑んだ。
学校での対応はお互いに取り繕う。
「なんですか? 笹森先生」
「すみません。話したい事があるんです」
「今ですか?」
「僕は、今でもいいですよ」
そっと千宙に近付いて囁いた。
「ね? 千宙」
千宙は、ビクッとしてほんのり顔を赤く染めた。
まだそんな反応をしてくれる事に安堵する。
逸らしていた視線を俺に向けてきた。
「今は無理だよ……」
「わかってる。今日は俺の方が早いから、家で待ってる。ずっと──」
囁くようにそう言った。
何か言いたそうにした千宙に優しく微笑んだ。
「では、よろしくお願いしますね」
勝手に約束したけれど、話さなきゃ始まらない。
千宙がなんと言おうと俺は、千宙の事が大好きだから──。
◆◇◆
家に帰ってきて、ソファに座りながら千宙を待った。
そのまま置いてあったトリュフの箱を見つめた。
今度こそ受け取ってもらいたい。
そうやって緊張しながら待っていれば、ガチャリと聞こえた玄関にビクッと反応する。
千宙が帰ってきた。
リビングのドアを開けて中に入ってきた千宙に思わず立ち上がってしまった。
「おかえり!」
やけに大きくなってしまった声に千宙はびっくりしたようだ。
「ただいま」
そう言って、微笑む顔にホッとした。
トリュフの箱を持って差し出した。
「あ、あのさ! これ……貰ってくれない?」
「え……やだよ……」
嫌そうな顔をされてしまった。
「なんで!?」
「どうして創志が貰ったチョコを俺が貰わないといけないんだ」
「え……?」
千宙が言った言葉に疑問に思う。
「それ……創志が貰ったんだろ……」
プイッとそっぽを向かれた。
「これ、俺が貰ったものだと思ったの?」
「それ以外にないだろ……」
──確かに!
俺は、料理ができない。千宙にチョコをあげた事もなかった。
俺から千宙へのチョコだと思われていなかったなんて──笑えてきた。
「なんで笑うんだ?」
訝しげに見られてしまった。
「これ、俺が作ったチョコだよ」
千宙はとても驚いていた。
「今なんて?」
「これは、俺がちぃくんのために初めて作った手作りチョコだって言った」
俺とトリュフの箱を交互に見てから、少し震えた手でトリュフの箱を受け取ってくれた。
「これを……創志が?」
「そう。食べてみてよ」
「うん……」
千宙は、半ば放心状態でソファに座って箱を開けて、中に入っていたトリュフを見る。
「信じられない……」
そんな風に呟きながら、とても嬉しそうだった。
「今度からメッセージカードも添えるね」
「うん……」
そうすれば、これが俺から千宙への贈り物なんだとわかったはずだ。
こんな風に喜んでくれるなら、もっと早く作ってあげればよかった。
「それと、今年は誰からもチョコ受け取らなかった」
千宙は、バッと俺の方を見て、くしゃりと顔を歪めた。
「なんで……」
「ちぃくんがチョコ受け取ってるの見てわかっちゃった。義理だってわかっててもすごく苦しかった。こんな気持ちをずっとさせてたんだと思うと自分を殴りたいよ。今までごめんね。ずっと断ってくれてありがとう。俺も誰からも貰わないから、ちぃくんも今まで通りにしてくれるといいな」
「──本当に誰からも貰わない?」
「うん。今年はみんな断った」
千宙は、立ち上がると自分のカバンからチョコの入っているであろう箱を取り出してソファに座り直した。
俺にそっと差し出されたその箱に目をぱちくりさせた。
「これも……貰わない?」
「っ……」
まさか……千宙から俺へ……?
何か言いたいのに言葉が出なかった。その代わりに首を横にブンブンと振った。
「じゃあ、貰って」
箱を受け取ろうとして、千宙と同じように自分の手も小刻みに震えてしまっているのがわかった。
「くれないって……言ってたから……嘘みたいだ……」
貰えるなんて夢にも思わなかった。
「本当は、毎年用意してたんだ……。でも、創志はいつも沢山貰ってくるだろう? それを見るとあげる気にならなくて、自分で食べてた」
「ちぃくん……」
なんて事だ。チョコを貰えてなかったのは自分自身のせいだった。
苦笑いする千宙に自分がバカだったと思い知らされる。
「開けていい!?」
コクリと頷いてくれたから、急いで箱を開けた。
中に入っていた有名店の宝石みたいな一口サイズのチョコレート。
今まで貰ったどのチョコレートよりも輝いて見えた。
「創志みたいに手作りじゃなくてごめん。でも、自分で選んだやつだから……」
「いい! 全然いい! めちゃくちゃ嬉しい! ははっ。顔ニヤける……」
「一緒に食べよう」
二人で一緒にチョコを口に入れる。
「美味しいよ」
嬉しそうにする千宙を見ていたら抱きしめたくなった。
ここの所、触れ合えていない。
「チョコもいいけど──ちぃくんの事も食べさせてくれる?」
千宙は、少し恥ずかしそうにする。それが可愛かった。
「これ、食べ終わったらね」
焦らされてしまった。唇を尖らせていじけたように見せる。
「自分のチョコに負けた気がするんだけど……」
クスクスと笑われた。
千宙の食べていたトリュフの箱を奪い取ってテーブルに置いて、そっと千宙を抱きしめた。
「千宙、愛してる」
この気持ちを言葉で例えるならこれしかない。
俺の胸に顔を埋めて、抱きしめ返してくる千宙に、愛の言葉を囁く。
「俺も……愛してるよ……」
返ってきた言葉に胸が熱くなって満たされる。
「今日からベッド……行っていい?」
これは、今日から一緒に寝ていいのかという確認だ。
「一緒に寝てなかった間、創志が隣にいないのが寂しかったよ。創志がいるのが当たり前になってたから……一緒にいれる事がすごい事なんだって忘れてた……」
確かにそうだった。
遠距離をしている間、気軽に会えない距離がもどかしかった。一緒にいれるのに、離れているなんて勿体無いことをしたと思う。
「近くにいるのに離れてるのって……余計に寂しい事だった……」
「一緒にいよ。ずっと──」
「うん……」
見つめ合ってキスを交わせば、お互いの気持ちが伝わる気がする。
千宙が照れた。はい、可愛い。
「んもぅ、好き!」
「わっ!」
溢れそうな気持ちをぶつけるように抱き付けば、そのままソファに倒れ込む。
「チョコレートみたいに溶かしてあげようか?」
「俺に溶かされるのはそっちだ」
そんな軽口を言い合ってクスクスと笑い合いながら、甘い時間を過ごして行った。
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