カウントアップ

solid

文字の大きさ
上 下
2 / 16

2

しおりを挟む

「はい、どうぞ」

コト、と音を立てて目の前に置かれたカップからは、紅茶のいい香りがする。ダージリンだ。喉が渇いていた私は、遠慮なく口をつけた。そうしている間にも、パンや目玉焼きなんかが次々と目の前に並べられていく。
食事をするような気分ではないけれど、わざわざ作ってもらったものを食べないのも悪いかと思って、いただきます、と手を合わせてからパンを小さくちぎって口に入れた。
つい先程まで二階のあの部屋にいて、私は矢継ぎ早に質問を投げかけていたけれど、彼はおかしそうに笑いながら、「落ち着いて。まずは下で何か飲もう」と言って私を一階のダイニングに連れて来たのだ。彼とは会社でたまに雑談をする程度の仲だったから、どういう人なのかよく分からない。でも、悪い人ではないことは確かだ。目立つ方ではないけれど仕事は正確で、さりげなく人のフォローもこなしている姿を何度か見かけたことがあった。

「そのパン、僕が焼いたんだけど……口に合うかな?」
「えっ、すごい……パン焼けるんですね。とっても美味しいです」
「そう、よかった。……ここは近くにお店がないから、何でも自分で作るようになったんだ」

ふふ、と笑う無邪気な顔は会社では見たことがなかった。プライベートではこんな感じなんだ。

「あの……私、なんでここにいるんですか?昨日、何があったかあまり思い出せなくて……」
「心配いらないよ。安心してここにいればいいから」
「昨日、何があったんですか?」
「昨日か……」

彼はふう、と一息ついたかと思うと、遠い昔を思い出すように視線を宙へ彷徨わせていた。職場でたまに目にする表情だった。

「昨日、君を迎えに行ったらあの男がいたでしょう?驚いたよ……」
「あの男って……誰か見たんですか!?彼は無事なんですか!?」

あの男、というのは私と彼氏を襲った人物に違いない。やっぱり、彼氏が倒れて頭から血を流していたのは悪い夢なんかじゃなくて事実だったんだ……。
思わず涙が浮かんできて、それを見られるのが恥ずかしくて顔を逸らした。

「誰かって……君の隣を歩いてたでしょ?覚えてないの?」
「え……?」

昨夜、隣にいたのは私の恋人だけ。もしかして、彼氏のことを言ってるの?
涙を拭いて顔を上げると、彼は小さく微笑んだ。

「危害を加えるつもりなんてなかったんだけど……仕方ないよね。あの場にいられたらね」
「な……何言ってるんですか……?」
「……嫌いだったんだ、あいつのこと。いつも君にベタベタしててさぁ……」

時が止まったような感覚を覚えた。頭が動かない。ただ呆然と目の前の人物を見つめていると、斜め下を向いて恥ずかしそうに笑った。

「あの時の僕はカッコ悪かったと思う……手も足も震えてたし……でも、人をあんな風に石で殴りつけるなんて、初めてだったから……」
「…………」
「そんなに見つめられると恥ずかしいよ……でも、これからは二人きりだから、すぐに慣れるかな」

それまでの思考停止状態が嘘みたいに、私は勢いよく立ち上がるとその部屋を飛び出した。知らない家だったけど、廊下に出ればすぐ玄関が見える。扉に体当たりするくらいの勢いで、鍵を開けて外へ飛び出した。

昨夜、私たちを襲ったのはあの人だったんだ。誰か人を見つけて、警察を呼んでもらって……彼はちゃんと手当を受けられたのかな?
昨夜の、彼の血塗れの手を思い出すたびに涙が出てくる。でも、泣いてる場合じゃない。私がしっかりしないと。彼の無事な姿を見るまでは、決して立ち止まれない。

そう決心した私の目に飛び込んできたのは、青々とした木々と植物。近所の人に助けを求めようと思っていたが、見渡す限り周囲に家なんてなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

兄貴がイケメンすぎる件

みららぐ
恋愛
義理の兄貴とワケあって二人暮らしをしている主人公の世奈。 しかしその兄貴がイケメンすぎるせいで、何人彼氏が出来ても兄貴に会わせた直後にその都度彼氏にフラれてしまうという事態を繰り返していた。 しかしそんな時、クラス替えの際に世奈は一人の男子生徒、翔太に一目惚れをされてしまう。 「僕と付き合って!」 そしてこれを皮切りに、ずっと冷たかった幼なじみの健からも告白を受ける。 「俺とアイツ、どっちが好きなの?」 兄貴に会わせばまた離れるかもしれない、だけど人より堂々とした性格を持つ翔太か。 それとも、兄貴のことを唯一知っているけど、なかなか素直になれない健か。 世奈が恋人として選ぶのは……どっち?

昔いじめていたあいつがヤンデレ彼氏になった話

あんみつ~白玉をそえて~
恋愛
短編読み切りヤンデレです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

彼氏に別れを告げたらヤンデレ化した

Fio
恋愛
彼女が彼氏に別れを切り出すことでヤンデレ・メンヘラ化する短編ストーリー。様々な組み合わせで書いていく予定です。良ければ感想、お気に入り登録お願いします。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

処理中です...