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第六章

第二百九十話 キュウvsフィーナ

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 キュウは再度後悔の感情を覚える。しかしその後悔は、先ほどのそれとはまったくの別物だった。

 キュウは主人が勝ってくれると信じた。それは間違いだと思わない。最強の主人は絶対に勝つ。

 けれど巨大な黄金竜と戦って傷付いた主人を見て、キュウは思ったはずだ。その想いを主人へ伝えたはずだ。

 ―――強くなりたい

 親友の危機を主人に任せて見ているだけが、キュウの望んだ強さだろうか。

 答えるまでもなく、否。

 そんなキュウの気持ちを、主人が察してくれた。

 キュウの耳が、主人からの指示を捉える。

 それは新しいスキルを使えという指示。

 それもただのスキルではない。主人とキュウ、二人でなければ発動不可能な合体スキルだ。キュウはいくつもの合体スキルを【拠点】で毎晩練習した。しかし今、主人から指示されたのはそのどれでもない、新しい合体スキル。

 フィーナを救うための力。

 キュウはフィーナの元へ走り、彼女と対峙する。背後霊のようにリースロッテが付いて来ているけれど、今は振り返っていられない。

 今、キュウとフィーナはお互いに【隷従】を受けて奴隷となっている。

 決定的に違うのは、【隷従】を掛けた主。

 キュウは主人フォルティシモによって、あらゆる自由を与えられ、力と地位とお金と、愛する人と、ありとあらゆるものを手にしつつある。

 フィーナは怨敵クレシェンドによって、すべての自由意志を奪われ、夢も仲間も母親も、秘めた想いも、今まさに何もかもを失いつつある。

 フィーナが見覚えの無い杖をキュウへ向かって振るった。キュウが主人やマグナに頼んで作った杖を手放し、別の杖を使っていることに思わず寂しさを覚えてしまう。

 キュウは腰に下げた刀を抜き放ち、フィーナの杖を受け止める。

「フィーナさん、【隷従】は、苦しいですよね。私も、よく分かります」

 フィーナは杖を受け止められ、力んだ表情をしている。キュウにはそれが苦しみに見えて仕方がない。

 キュウの主人の下にいると忘れそうになるけれど、【隷従】を掛けられることは人の尊厳のすべてを奪う行為である。【隷従】の主の許可がなければ、歩くどころか指先一つ動かせない。そして命令されれば、どれだけ嫌でも全力で従う。

 絶対許諾と絶対服従。

 キュウも主人と出会うまで、ずっと苦しかった。

 キュウの刀とフィーナの杖が弾けた。フィーナは諦めず、キュウを打ち抜こうと何度も杖を振るう。

「フィーナさん!」
「………」

 キュウの呼び掛けにフィーナが答えることはない。

 キュウはフィーナの攻撃を完璧に捌き続ける。

 戦いそのものはキュウの絶対的な優勢だった。

 フィーナは回復能力特化クラスだ。まともにやりあえば、主人に望まれ戦闘スキルを鍛え続けたキュウが遅れを取るはずがない。

「ホーリーランス!」
「聖槍・三連!」

 フィーナの放った光の槍を、キュウの放った三本の光の槍が迎撃する。

 もちろん一対三なのだから、迎撃に留まらない。

 一本はフィーナの放った光の槍を迎撃して消滅した。残り二本はフィーナへ襲い掛かり、フィーナを貫こうとした瞬間、光の形状が変化する。

 槍から縄へ。キュウの放った二本の魔術は、光の縄となってフィーナを拘束した。

 キュウの放った光の縄の魔術で拘束されたフィーナは、表情こそ変えなかったものの、全身に緊張が走ったのをキュウの耳は聞き取った。

「フィーナさん!」

 キュウは再び、友人の名前を叫ぶ。主人がフィーナの母テレーズに母親の愛情を期待して呼び掛けたが、【隷従】の揺らぎさえ見えなかった。

 それでもキュウの友人フィーナなら、キュウの呼び掛けなら答えてくれる。なんて考えるはずがない。

 想いで世界を変えられる。キュウはそんな幻想を信じられるほど、人生を、世界を、神を信じていない。

 キュウは実の親から奴隷として売られ【隷従】を掛けられた時、この世のすべてを恨み、ありったけの感情を込めた。それでも【隷従】はキュウの身体と心を縛り続けた。

 親の愛情など飢饉の一つでも起きれば捨てられるもの。

 人の憎悪や悲哀など世界の法則からすれば矮小なもの。

 キュウは誰よりも想いの力を信じていない。想いで世界は変えられない。変えられるのであれば、世界がこれほど悲劇で溢れるはずがない。

 キュウが信じているのは、主人だ。

 主人が最強であることだ。

「助けます! ご主人様!」

 キュウは合体スキルを発動するため主人へ呼び掛ける。主人は怨敵クレシェンドからの攻撃を防ぎながらも答えてくれようとする。

「っ!? 待ってください!」

 光の縄に拘束されているフィーナが動いた。レベル差があるはずの、キュウの光拘束魔術をフィーナが解いたのだ。

 主人が危惧していた【レベル変更】の力だろう。クレシェンドはフィーナを【レベル変更】によってレベル九九九九まで引き上げ、キュウと戦わせているのだ。

 主人は【レベル変更】がクレシェンドの従者、つまり奴隷たちにも適用できると想定していた。クレシェンドの奴隷となった者は、全員がレベル九九九九の強者となることも。

 主人が最強だと知る前の、レベル四〇〇〇程度のエルフ王ヴォーダンを恐れていたキュウであれば、その絶望的な戦力にすべてを諦めていただろう。

 だが今は違う。

 レベル九九九九?

 クラスは?

 装備は?

 【拠点】は?

 従魔は?

 【覚醒】は?

 今なら主人が使った言葉を、キュウが言うことができる。

「その程度で最強のご主人様を持つ私が負けることはありません! だから! フィーナさん! 絶対に、助けますから!」



 光の縄を破ったフィーナは、再びキュウへ攻撃を仕掛けようとする。

 キュウはそんなフィーナを冷静に見つめ、その耳で聞き取っていた。心臓、筋肉、血管、衣服、空気、魔力、音という音を聞き取り、最適なタイミングを計る。

 主人とキュウの合体スキルは、どうしてもタイミングを合わせなければならない。まだ動く標的には当てられないのだ。

 キュウはふとサンタ・エズレル神殿攻略開始前を思い出す。

 主人が特に警戒していたのが【転移】スキルによる分断だった。

 【転移】スキルを使った罠。物体に触れた瞬間に人や物を指定の場所へ転送する罠は、一見すると回避不可能な強力な罠に思える。

 ただしこの転送罠は、プレイヤーには通用しないらしい。なぜなら【転移】スキルには制限があり、その制限を大雑把に言えば【転移】スキルは“受け入れなければ”発動しないというもの。

 考えてもみて欲しい。【転移】スキルというのは、戦闘に使えたら強すぎるのだ。

 【転移】のポータルは最強の盾となり得るし、地面に【転移】のポータルを使えば最悪の落とし穴となる。転送先を超危険な魔物が出現する場所にでもしておけば、ほとんどの人間は【転移】を受けただけで即死してしまう。

『フィーナが【隷従】を掛けられて盾にされる可能性がある』
『はい』
『その場合、テロリストはフィーナにキュウを襲わせるだろう』

 その時の主人はテロリストがデーモンやクレシェンドとは知らなかったけれど、プレイヤーだとは考えていた。だから最初から敵プレイヤーを出し抜く方法をいくつも用意している。

『それを逆手に取る。従者が【転移】を受け入れるかどうかは、その時々の思考となるんだ。簡単に言えば、相手を追う、攻撃する、という思考であれば【転移】スキルを受け入れたと見なされる』

 だから主人はキュウへ言ったのだ。奴隷フィーナを罠に掛けろと。

「開門!」

 キュウの【転移】スキルが発動する。キュウの前面に青白い光の渦が盾のように現れた。

 そこへ奴隷となって操られている―――キュウを殴ろうとするフィーナの杖が重なった。フィーナの身体が光に包まれ、消えていく。

 フィーナを【転移】させた場所は、サンタ・エズレル神殿の空。

 当初の予定だと『浮遊大陸』の牢屋のような場所へ【転移】させて、主人がテロリストを倒すまで大人しくして貰う策の一つだった。だが今は、怨敵クレシェンドの自害命令によってそれでは解決しなくなってしまった。だからこそ空。

 空を飛ぶ能力を持たないフィーナは、自由落下を始める。

「ご主人様!」

 キュウは再び主人を呼ぶ。合体スキルのタイミングを合わせて発動するために。

「何を………?」

 怨敵クレシェンドがキュウを見つめる。

 初めて怨敵クレシェンドから焦りの音が聞こえる。怨敵クレシェンドは主人への攻撃を止めて、キュウへ向かって来ようとする。もちろん主人がそれを許すはずが無い。

波状オラ隷従カウティベリオ

 主人の【隷従】スキルがフィーナを包み込む。既に【隷従】が掛けられている者へ、更に【隷従】を掛けることはできない。

> 他人の従者です

 それは世界の常識だった。

> 他人の従者です他人の従者です他人の従者です他人の従者です他人の従者です他人の従者です

 キュウは、その“声”を聞き取った。

 神の創った世界の常識システムを超える、主人とキュウの常識合体スキルが発動する。

 空から落下してくるフィーナへ。

「理斬り!」

> 他人の従 / 者です

 神様の作った他人を奴隷にするような残酷な法則システム。キュウとキュウの友人フィーナを苦しめたそれを。

 今日、キュウは自らの手で切り裂いた。
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