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第五章
第百八十二話 カリオンドル第二皇女ルナーリス
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アクロシア国内に聳え立つ一際豪奢な館が、東の大国カリオンドルの大使館である。アクロシア王国とカリオンドル皇国は思想に大きな違いがあり、あまり仲良くできる間柄ではないように思えるが、二国の間には純人族とも亜人族とも一定の距離を置くエルディンや巨大なサン・アクロ山脈などがあり、遠交近攻の考え方によりその付き合いは長い。そのため自然に大使館は大きな建物となり、滞在している職員の人数も同盟国で最も多い数となる。
アクロシアが主催する同盟国の大陸会議とその後の会食を終え、カリオンドルの大使たちは館の大きな一室に集まっていた。
大使館職員に本国から派遣された特使、会議にも参加していたニコラス、そして第二皇女が明るい照明に反した暗い雰囲気の中で会話をしている。
「正直に言えば、掴み所がなかった。こちらを人と認識しているのかすら怪しい」
「我々の種に対して隔意があると?」
何人かの職員の眉間に皺が寄り、第二皇女は顔を伏せる。この反応は猫人族や犬人族など亜人族と総称される者たちは、その個体数の少なさから差別を受ける風潮があるからで、もしも天空の大陸の王が亜人族への差別思想の持ち主であれば、亜人族が差別廃絶を謳って建国したカリオンドル皇国は笑って済ませられる状況ではないからだ。
「そうではない。蜂人族の私にも純人族にも対応は変わらなかった」
「すると狐人族にだけは寛容なのか?」
カリオンドルがいつもよりも強気に出た理由はこの情報も大きかった。天空の大陸の王は必ずと言って良いほど狐人族の少女を連れていて、アクロシアの店やギルドで情報収集すると、高価な服や魔法道具を狐人族の少女へ惜しげも無く与えたり最強の冒険者になるまでレベルを上げるなど、その溺愛ぶりが窺える。
彼はカリオンドルの亜人族を含めた人類平等への思想に対して好意的、最低でも隔意はないと考えていたのだ。
「冒険者登録をしているくらいだ。王侯貴族などの権力者が嫌いなのでは? アクロシアの公爵軍を虐殺した時も、大した理由ではなかったのだろう?」
「アクロシア王女との関係を考えるとそれはないだろう。その公爵は王女を後妻に迎えようとしていたらしいから、それが気に障った、というのが見解だ」
「たったそれだけで大陸を他国の首都上空へ移動させて王自らが出陣し、虐殺か。常識が通用しないな」
「まさにそれだ。常識が通用しない」
カリオンドル皇国は、たとえ彼が本当に神であっても理解できない存在ではないと考えている。知性を持つ者であればどのような相手とも相互理解が可能、それこそが様々な種族が住まうカリオンドル皇国の思想である。
「側近を招くことはできないのか?」
アクロシア国内においてフォルティシモ王の側近と思われる者たちの姿も確認されている。誰もが見目麗しい女性であるため、夫人か愛人に相当する人物だと考えられており、王よりは与しやすい相手となるだろう。
「アクロシアに場を設けさせるのが良いのではないか?」
「王女派のアクロシア貴族に天空の王への婚姻申し込みの手紙を渡してある。あの王女であれば一両日中に返答があるだろう」
「おおっ、さすがニコラス殿だ。もう手を打っておいでになられたか」
「いやニコラス殿が言いたいのはそうではない。普通の国であれば、我が国の第二皇女との婚姻を拒む理由はない。しかし、彼の国は違うということだろう」
カリオンドルの使節団が第二皇女を連れて来た理由は、天空の王へ婚姻を申し込むためである。何せアクロシアが二人しか残っていない王族で、人気も抜群の王女を差し出しているのだから、カリオンドルも自国の歓心を買うために釣り合いの取れるものを差し出す必要がある。
第一皇女ではなく第二皇女なのは色々と理由があって、アクロシア王女の横に並べても劣らない容姿を持っていることも理由の一つだ。天空の王が面食いであることは、周囲に侍らせている女性陣の容姿を見れば一目瞭然である。
職員たちが検討をしていると、今まで俯いて座っていた第二皇女が突然立ち上がる。全員の注目が一斉に集まり、部屋は一転して静まり返った。
「………申し訳ありません。少し気分が優れないので」
「それはいけません。誰か、皇女を部屋までお連れしろ」
給仕に連れられて第二皇女が部屋から出て行くと、誰ともなく溜息が漏れた。
「あの体たらくで大丈夫なのか」
「とてもではないが、あのアクロシア王女とやりあえるとは思えないぞ」
「所詮は、出来損ないの皇族だな」
◇
カリオンドル皇国第二皇女ルナーリス。種族は竜人族。亜人族の特徴として、生まれてくる子供の種族は母親から引き継がれるため、ルナーリスの母親が竜人族である。カリオンドルには貴族という考え方はないけれども、建国当初から続く竜人族は名家と呼ばれるに相応しい権勢を誇り、皇族とも深い関係を持っている。
そしてカリオンドル皇国の皇族の血筋は、皆が何らかの特殊な力に目覚める。赤ん坊の頃から異常に力が強かったり、強大な魔力を持っていたり、物品を虚空に仕舞ったり取り出したり、絶対的な空間把握能力を持っていたり、近付く魔物の強さを朧気ながら察知できたり、魔術や魔技を強化してしまったり。
その力こそが皇族の証明。多種多様な種族が住むカリオンドル皇国において、皇族と呼ばれるに値する理由。
その中で、ルナーリスはそれらの何も使うことができなかった。
初代様の御力を何も使えない出来損ない。それがルナーリスに押された烙印だった。
ルナーリスは用意された部屋に入ると、大きな天蓋付きのベッドへ倒れ込んだ。体調が悪くなったのは嘘だが、気分が優れないのは本当だった。
「う、ううぅ………」
枕に顔を沈める。口から嗚咽が漏れてきた。止めどなく溢れる涙が枕を濡らしていく。
出来損ないのルナーリスに皇族として期待されるのは、政治に使われることだけ。幼い頃からあらゆる教養と学問を他のどの皇族にも負けないように身に着けて、笑顔で亜人族を奴隷として扱うアクロシア王国へ嫁ぐ。それが叶わないとなれば、天空の国への貢ぎ物となること。
今回のルナーリスの役割は、天空の国の王との交渉材料の一つでしかない。金銀財宝や魔法道具や芸術品と同じく、人としての役割を期待されていない。命を賭けて天空の国の王に媚びへつらい、カリオンドル皇国との交渉テーブルに着いて貰う。
申し込んだのは“婚姻”となっているが、誰も本人さえも内容が婚姻などと考えていない。強国と弱小国家の間に対等な婚姻など結べるはずがない。まして相手は大国カリオンドルへ対して、塵の関心も抱いていないほどの強大無比な国だ。ルナーリスという第二皇女を差し上げますので、ご自由にお使い下さいが正しい。
よくて妾、最悪は使い捨て。彼の国の王がカリオンドル皇国を気に入れば、もしくはカリオンドルの者たちがうまく彼の国の王に取り入ることができれば、満を持して第一皇女の婚約が結ばれることになるだろう。天空の王もおそらくは神の血族だろうから、その力が外部に漏洩するのを考える必要もない。
人身供犠。天空の神に捧げられる生け贄。
自分の人生は何のためにあったのか。
何故自分が選ばれたのか。現カリオンドル皇帝は十人の妃と、十二人の皇子と二十八人の皇女を持つ。他の者でも良かったではないか。
身勝手とも言える感情が次から次へと浮かんでくる。
窓の外では満月が輝いていて、その周囲の星々の煌めきが月の涙のようだ。ルナーリスは涙を手の甲で拭い、もう一度瞳を月へ向けた時、奇跡か祝福かそれはもたらされた。
大使館全体に緊急事態を知らせる笛が鳴り響いたのだ。
アクロシアが主催する同盟国の大陸会議とその後の会食を終え、カリオンドルの大使たちは館の大きな一室に集まっていた。
大使館職員に本国から派遣された特使、会議にも参加していたニコラス、そして第二皇女が明るい照明に反した暗い雰囲気の中で会話をしている。
「正直に言えば、掴み所がなかった。こちらを人と認識しているのかすら怪しい」
「我々の種に対して隔意があると?」
何人かの職員の眉間に皺が寄り、第二皇女は顔を伏せる。この反応は猫人族や犬人族など亜人族と総称される者たちは、その個体数の少なさから差別を受ける風潮があるからで、もしも天空の大陸の王が亜人族への差別思想の持ち主であれば、亜人族が差別廃絶を謳って建国したカリオンドル皇国は笑って済ませられる状況ではないからだ。
「そうではない。蜂人族の私にも純人族にも対応は変わらなかった」
「すると狐人族にだけは寛容なのか?」
カリオンドルがいつもよりも強気に出た理由はこの情報も大きかった。天空の大陸の王は必ずと言って良いほど狐人族の少女を連れていて、アクロシアの店やギルドで情報収集すると、高価な服や魔法道具を狐人族の少女へ惜しげも無く与えたり最強の冒険者になるまでレベルを上げるなど、その溺愛ぶりが窺える。
彼はカリオンドルの亜人族を含めた人類平等への思想に対して好意的、最低でも隔意はないと考えていたのだ。
「冒険者登録をしているくらいだ。王侯貴族などの権力者が嫌いなのでは? アクロシアの公爵軍を虐殺した時も、大した理由ではなかったのだろう?」
「アクロシア王女との関係を考えるとそれはないだろう。その公爵は王女を後妻に迎えようとしていたらしいから、それが気に障った、というのが見解だ」
「たったそれだけで大陸を他国の首都上空へ移動させて王自らが出陣し、虐殺か。常識が通用しないな」
「まさにそれだ。常識が通用しない」
カリオンドル皇国は、たとえ彼が本当に神であっても理解できない存在ではないと考えている。知性を持つ者であればどのような相手とも相互理解が可能、それこそが様々な種族が住まうカリオンドル皇国の思想である。
「側近を招くことはできないのか?」
アクロシア国内においてフォルティシモ王の側近と思われる者たちの姿も確認されている。誰もが見目麗しい女性であるため、夫人か愛人に相当する人物だと考えられており、王よりは与しやすい相手となるだろう。
「アクロシアに場を設けさせるのが良いのではないか?」
「王女派のアクロシア貴族に天空の王への婚姻申し込みの手紙を渡してある。あの王女であれば一両日中に返答があるだろう」
「おおっ、さすがニコラス殿だ。もう手を打っておいでになられたか」
「いやニコラス殿が言いたいのはそうではない。普通の国であれば、我が国の第二皇女との婚姻を拒む理由はない。しかし、彼の国は違うということだろう」
カリオンドルの使節団が第二皇女を連れて来た理由は、天空の王へ婚姻を申し込むためである。何せアクロシアが二人しか残っていない王族で、人気も抜群の王女を差し出しているのだから、カリオンドルも自国の歓心を買うために釣り合いの取れるものを差し出す必要がある。
第一皇女ではなく第二皇女なのは色々と理由があって、アクロシア王女の横に並べても劣らない容姿を持っていることも理由の一つだ。天空の王が面食いであることは、周囲に侍らせている女性陣の容姿を見れば一目瞭然である。
職員たちが検討をしていると、今まで俯いて座っていた第二皇女が突然立ち上がる。全員の注目が一斉に集まり、部屋は一転して静まり返った。
「………申し訳ありません。少し気分が優れないので」
「それはいけません。誰か、皇女を部屋までお連れしろ」
給仕に連れられて第二皇女が部屋から出て行くと、誰ともなく溜息が漏れた。
「あの体たらくで大丈夫なのか」
「とてもではないが、あのアクロシア王女とやりあえるとは思えないぞ」
「所詮は、出来損ないの皇族だな」
◇
カリオンドル皇国第二皇女ルナーリス。種族は竜人族。亜人族の特徴として、生まれてくる子供の種族は母親から引き継がれるため、ルナーリスの母親が竜人族である。カリオンドルには貴族という考え方はないけれども、建国当初から続く竜人族は名家と呼ばれるに相応しい権勢を誇り、皇族とも深い関係を持っている。
そしてカリオンドル皇国の皇族の血筋は、皆が何らかの特殊な力に目覚める。赤ん坊の頃から異常に力が強かったり、強大な魔力を持っていたり、物品を虚空に仕舞ったり取り出したり、絶対的な空間把握能力を持っていたり、近付く魔物の強さを朧気ながら察知できたり、魔術や魔技を強化してしまったり。
その力こそが皇族の証明。多種多様な種族が住むカリオンドル皇国において、皇族と呼ばれるに値する理由。
その中で、ルナーリスはそれらの何も使うことができなかった。
初代様の御力を何も使えない出来損ない。それがルナーリスに押された烙印だった。
ルナーリスは用意された部屋に入ると、大きな天蓋付きのベッドへ倒れ込んだ。体調が悪くなったのは嘘だが、気分が優れないのは本当だった。
「う、ううぅ………」
枕に顔を沈める。口から嗚咽が漏れてきた。止めどなく溢れる涙が枕を濡らしていく。
出来損ないのルナーリスに皇族として期待されるのは、政治に使われることだけ。幼い頃からあらゆる教養と学問を他のどの皇族にも負けないように身に着けて、笑顔で亜人族を奴隷として扱うアクロシア王国へ嫁ぐ。それが叶わないとなれば、天空の国への貢ぎ物となること。
今回のルナーリスの役割は、天空の国の王との交渉材料の一つでしかない。金銀財宝や魔法道具や芸術品と同じく、人としての役割を期待されていない。命を賭けて天空の国の王に媚びへつらい、カリオンドル皇国との交渉テーブルに着いて貰う。
申し込んだのは“婚姻”となっているが、誰も本人さえも内容が婚姻などと考えていない。強国と弱小国家の間に対等な婚姻など結べるはずがない。まして相手は大国カリオンドルへ対して、塵の関心も抱いていないほどの強大無比な国だ。ルナーリスという第二皇女を差し上げますので、ご自由にお使い下さいが正しい。
よくて妾、最悪は使い捨て。彼の国の王がカリオンドル皇国を気に入れば、もしくはカリオンドルの者たちがうまく彼の国の王に取り入ることができれば、満を持して第一皇女の婚約が結ばれることになるだろう。天空の王もおそらくは神の血族だろうから、その力が外部に漏洩するのを考える必要もない。
人身供犠。天空の神に捧げられる生け贄。
自分の人生は何のためにあったのか。
何故自分が選ばれたのか。現カリオンドル皇帝は十人の妃と、十二人の皇子と二十八人の皇女を持つ。他の者でも良かったではないか。
身勝手とも言える感情が次から次へと浮かんでくる。
窓の外では満月が輝いていて、その周囲の星々の煌めきが月の涙のようだ。ルナーリスは涙を手の甲で拭い、もう一度瞳を月へ向けた時、奇跡か祝福かそれはもたらされた。
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