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第一章 MA・DA・O ~マトモに生きないダメ男~
第4話 魔金太郎「ニヤリ! 殺った!」フラグ「残像だ」
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続けて部屋に入ってきた勇氏を見て、ヴァネッサは不満そうに眉をひそめた。
「・・・・・・今度は何でしょうか?」
「別に、あなたに頼らなくても一人で行けるわよ。えーっと、たしかここに詠唱のメモが・・・・・・」
文句を言ってガサゴソと本棚をいじり始めたヴァネッサを尻目に、勇氏はとっとと何もない空間に手をかざし、詠唱を始める。すると次の瞬間、一枚の鏡のようなものが現れた。
「あれ、おかしいわね。たしかここに・・・・・・」
「お探しのところ悪いですが、もう開きましたよ。それで、お嬢様の目的地はどこでしょうか? “あっち”の人間が運営してるホテル、それとも身分証明書取りに“あっち”の人間だけで構成された役所。 もちろんどこも話は通じておりますからご安心ください」
「だから、分かってるって言ってるでしょ。・・・・・・でもまあ、手間が省けたからいいわ。役所につなげて頂戴」
腰に手を当て指図してくるお嬢様。言われるがままに勇氏は鏡(のようなもの)に向けて続けて詠唱を行う。鏡(もう鏡でいいだろ鏡で)はまるでシャボン玉のような虹色の輝きを放ちながらゆらゆらとさざめき、ゆっくりと黒に染まっていく。
「・・・・・・繋がりましたよ。それでは、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
一礼しながらも心の中でグチをつく。ああ、さっさと戻ってくつろぎたい。かわいい上物のワインちゃんが台所で、俺の喉を潤したいと待ってるのだ。ゆっくりしていってね! と擬人化して跳ね回っているのだ。
「ふんっ、できるなら最初から今みたいにきちんとしてほしかったわね。・・・・・・そうそう忘れてたわ。はいこれ」
門に向かうと思いきやくるりと踵を返し、ヴァネッサは唐突に何かを手渡してきた。見れば手紙だったので悲しくなった。さっき自分で言ったこと、もう頭からトんでんのかよコイツ・・・・・・
「いえ、ですから読めませんよ。#$¥&&#の情報は規制されています。“あっち”の文字はこっちでは―――」
「わかってるわよ! けどいいから黙って読む、ほら! 渡して読ませるようにって言われたのッ!」
ヴァネッサわざわざ封を切り、手紙を広げて押し付ける。しかし目に入った瞬間、勇氏の気怠げな瞳は驚愕に見開かれた。
日本語・・・・・・だと?
しかも相当丁寧な字だ、まったくぶれていない。#$¥&&#でも確かに日本の字を習う場合があるが、その者のほとんどが“こっち”に渡り、仕事をやっていくために習得するのだ。“あっち”に留まってこれだけ小慣れた字を書ける人間は、そういない。
しかも、なにより、この字どっかで・・・・・・。
「・・・・・・へ、え、は? ちょ、ま、嘘だろ、いやマジで」
視線が字を追い下がるにつれ、頬を引きつらせ、勇氏はみるみるうちに顔を青ざめさせていく。あまりの顔色の悪さにヴァネッサは心配して、問いかけた。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「待て待て落ち着け、オーケーオーケー大丈夫。ステイクール、ステイ、クールだ。・・・・・・ステイ、クール? うぁああああユージオォオオオオオッ!! 」
「ねえ、だから教えなさいって!」
「・・・・・・ハッ! いかんいかん、かえって錯乱しちまった。よし、電話。まずは電話だ。ということで勇氏、参りますッ!」
ヴァネッサの声を完全に無視したまま、勇氏は駆け出しドパン、とドアを乱暴に閉める。
ズダダダダッ、と階段を駆け下りる音が聞こえ、1拍の後に自分が放置されたことをヴァネッサは理解した。
「もう、なんなのあの男!」
ダン、と床を踏みつけ不満げに文句を言う少女の頭の上に、ふわり、と紙が落ちた。ドアの風圧で舞い上げられた手紙だった。
「だから何が書いてあるのよ・・・・・・って、・・・・・・え?」
気になったので目を通し、すぐに驚きにあんぐりと口を開ける。そこに書いてある内容が、彼女にとってあまりなものだったからだ。
「待ってよ、冗談じゃないわ!」
結果、手紙を握ったままヴァネッサも部屋を飛び出すことになったのだった。
プルルルルル・・・・・・ プルルルルル・・・・・・
「あーもうクソッ、相も変わらず通信状況悪いな!」
カンカンカン、と勇氏は苛ただしげに携帯電話を耳に当てながら、階段下の渡り廊下の壁に手をついて寄りかかり、その指でもって壁を小刻みに叩く。
もうこれでかけ直し3回の30コール目。いくら多忙といえど、もうそろそろ・・・・・・。
ガチャ。
『もしもし、勇氏か?』
「ご無沙汰しております師匠! 唐突なお電話、申し訳ございませんッ!!」
電話に相手が出た途端、姿勢を正した勇氏は頭を下げた。その角度はもっともお辞儀で正しいと言われる110度ジャスト。普段の彼をよく知る者ならば、腰を抜かしてしまいかねない程の変わりようだった。
「・・・・・・え?」
そして現に、その驚きはついさっき彼に会っただけのヴァネッサにも与えられていた。
え? 本当になんなのだろうか、この男は?
追いかけて階段を降りてみたら、先程までまるでイカかタコのようにぐねぐねしていた男がしゃきっと背中を伸ばし、活気に満ちあふれた声で見えない電話の相手に腰を折っているではないか。
先程散々からかわれ、遊ばれたからこそそのギャップはあまりにも強烈だった。階段の途中ででも打ってヘンになったんじゃないだろうか、とまで疑ってしまう。
「ねえちょっと、あんた大丈夫?」
初対面から数分しか経っていない人間にこう思われてる時点でもはや大丈夫な訳がないのだが、まあそれはおいとくとして。しかし心配された当の勇氏はヴァネッサを軽く睨み、口に人差し指を当てながら「静かにしろ」のジェスチャーを取る。
『毎回言うが、そんなに畏まらなくていいって言ってるだろ』
「あなたに畏まらなかったら、僕は誰に畏まればいいんですか!それに好きでやってるんです、気にしないで下さい」
『俺は少し気にしてるんだが、・・・・・・・まあいいか。そういえばこうやって話すのも久しぶりだな。元気にしてるか? 飯ちゃんと食ってるか?』
「ええ、お陰様でこの通り元気ハツラツですよ、ありがとうございます!」
『おお、そりゃ良かった』
「・・・・・・それでそのですね、あの、手紙の件に関してなのですが・・・・・・」
『ああ、その話か。そこにヴァネッサ・・・・・・手紙を渡した子が居るだろ? とりあえず代わってくれないか』
「あ、はい。少々お待ちを・・・・・・」
言いながら勇氏は耳を離し、少女に携帯を軽く放る。突然投げられた長方形にヴァネッサは面食らいつつも、危なげな手つきでなんとかキャッチする。
「危ないじゃない、落としてたらどうすんのよ!」
「ご心配ありがとさん・・・・・・と言いたいところだが、それ通話しかできないガラケーだ。それよりもほら、早く出ろ。電話の相手は国王様、お前に用があるそうだ」
・・・・・・にしても今時こんなもん持たせられてるなんてマジで信じられねえよな・・・・・・、と付け足す勇氏のぼやきを耳に入れつつ、ヴァネッサは電話に出る。
「もしもし?」
『もしもし、ヴァネッサか? ・・・・・・あのな、これには訳が』
「なんでわたしがこんな男の世話にならなくちゃいけないのよッ! ふざけな、っわぷッ!?」
途中で言葉が途切れたのは、もちろん勇氏が口を塞いだからである。
「・・・・・・なあ、お前馬鹿なの? 俺ちゃんと相手は国王つったんだけどハナシ聞いてた?」
「んー! んーッ!」
『もしもし? もしもーし?』
ヴァネッサから携帯をぶんどり、猫撫で声で勇氏は受け答えをする。
「いやぁ~すいません、この娘があろうことか師匠に罵声をですね」『いや、勇氏』「見たところ位の高い者のようですが」『あのな』「いくらなんでも#$¥&&#の国王に無礼な発言があって良い訳がないと思『いいから聞』痛ッてぇッ!?」
思わず声を上げてしまい、慌てて謝り少し待ってくれるように頼んで携帯を切り、ポッケに突き刺す。少女の口元に当てていた手のひらにはいま、きっかりと真っ赤な丸い跡がついていた。
「・・・・・・ぷはっ、いっ、いきなり何してくれんのよ!? 」
「いやそういうセリフ吐く以上噛み付いちゃダメだろ!? しかも歯型つくまで強くする必要とかあったのか? ・・・・・・めっさ痛いんだけど、なあ、一体これどうしてくれんの!?」
「ふんっ、さっきできなかった分の仕返しよ、いい気味だわ!」
「・・・・・・てめぇ・・・・・・」
咄嗟に何か言い返そうとした勇氏だったが、すぐに無駄だと悟る。最初に仕掛けたのは自分の方なのだ、罵っても全部返ってくるだけだろう。
だが、かといって何もしないのは悔しい。よって軽くガンをつけてみると、思いっきり睨み返してきた。負けたくないのでさらに眼力を強めると、ヴァネッサもさらに視線を強めてくる。
・・・・・・いたちごっこは終わらずに、空間に構成されていく険悪スパイラル。
しかしポケットから聞こえ始めた気の抜けた着信音が、不毛なやり取りに終止符を打った。
"ねぎおばけ~ ねぎおばけ~ ねぇぎねぇぎねぇぎねぇぎ ねぎおばけぇ~”
キセノンPの楽曲、「ネギおばけの歌」である。ふわっとしたその曲調に体の芯から力が抜けてしまい、どちらからともなくため息が漏れる。
「・・・・・・誰からよ」
「着信音ランダムにしてるから分かんねーよ」
ヴァネッサに聞かれつっけんどんに答えたが、恐らく師匠だろう。ポケットから携帯を取り出し、くるりと背を向け耳に当てる。
「はいもしもし、師匠?」
『残念だが違うぞ。誰だか当ててみな? まぁお前と会ったことはないから無理だろうがな』
確認もせずに決めつけて、そのうえ間違えてしまった。
気まずくなってしまった勇氏だったが、謝ることもないか、と喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んだ。相手の頭がコーンのようにPOPしていると気づいたからである。
その口調には人を小馬鹿にするような変な抑揚があり、その声は冬になっても残っているセミの骸のように中身が無く、軽い。
もちろん勇氏はこんなふざけた喋り方聞いたことがないし(いや、さっきしてたな俺。そうか、これが同族以下略)忘れるわけもない。ということは言う通り、自分とこの男は会ったことがないのだろう。
『ん、わからねえ? んじゃヒントをやろうか?』
テンションを上げていく変人?の声を無視し、勇氏は通話を切ることにした。
こういう手合いは関わらない方が身のため。既にもう一人関わることになってしまっているが(目の前の面倒少女のことである)、これ以上厄介ごとが増えるのはごめんだった。
恐らく、"こっち”の酔っ払いかなにかが間違えてかけてきたのだろう。そう納得し、通話終了ボタンに勇氏が親指を置いた・・・・・・時だった。
『・・・・・・アルゼンチン、バングラデッシュ、シリア、コートジボワールにフィリピン』
「・・・・・・ッ!?」
『他にもエトセトラエトセトラ、やりもやったり23カ国。よっくもこんだけ出来たもんだな、流石としか言いようがねえよ。いっやー、やっぱり“天才”は違うんかね?』
「・・・・・・テメエ誰だ。何が、目的だ?」
『おー怖いねぇ、そんな怒った口調で聞かれたら答えるものも答えられないわな』
威圧を込めた問いをおどけた口調で返され、勇氏のこめかみに青筋が走った。体の奥から沸き立つ尋常ではないこの負の感情を感じ取ったのか、背後のヴァネッサが一歩退いたのが感覚で分かる。
・・・・・・基本的に、勇氏は怒らない。しかし"これ”に関することについて彼は自らのすべてをねじ曲げ、周囲にも同様にその歪な己を認めさせる。
例外中の例外、特別中の特別。
誰にだって触れられたくないものがある。しかし彼には"それ”しかないが故に、あまりにも過剰に反応しているように見られてしまうのだ。
「いいか、二度は言わねえ。さっさと答えろ」
『・・・・・・ヘイボーイ、頼むなら頼むなりの礼儀ってもんがあるんだぜ?』
ミシリ、と音が聞こえた。知らずの内に、勇氏は携帯を潰れんばかりに握り締めてしまっていることに気付かされた。
頭に浮かび上がる暴言の数々が次々と舌に乗ってくるが、その言葉を放つ寸前でなんとか飲み込む。ギリギリの瀬戸際で、なんとか踏みとどまれたのだ。
・・・・・・冷静になれ。一体誰だか知らないが、向こうが自分の"弱み”を握っているのはもう間違いない。
考えられる最悪の場合は、この男が"こっち”の人間であること。ここで感情に任せてキレたら逆上され、ネットで暴露・・・・・・。・・・・・・そこから先は、考えるまでもない。下手を打てば祖国を危険に晒す可能性まであった。
「・・・・・・失言だった、済まない。そして教えてくれ、一体何が目的なんだ?」
勇氏は謝罪と共に再度、問う。男の態度がガラリと変わった。
『いやなに、ちょいと頼みたいことがあってな。詳しい内容は会ってからのお楽しみだ、んじゃあ日が暮れるまでにここに来い』
そう言って、男はつらつらと言葉を並び立てる。・・・・・・だが、これは待ち合わせ場所なのか? 区名に丁名、番名に号名は分かる。しかし更にそこから続く、一種だの二種だの、イだのロだのといった符号は一体どういう意味だ?
『・・・・・・覚えたか? じゃあよろしく頼むわ、待ってるぜー』
「おいちょっとこら待て、」
『・・・・・・ツー、ツー・・・・・・』
「・・・・・・ンの野郎、切りやがった・・・・・・」
ピッ、と電子音と共に携帯を切った勇氏に、すかさずヴァネッサは話しかけてきた。
「誰、さっきの電話?」
「お前にゃ関係ねえよ」
「・・・・・・ふんッ、あっそ。・・・・・・ほら、済んだなら早くかけ直しなさいよ」
「分かってるよ。ったく何様のつもりだよテメ、・・・・・・エ・・・・・・? ・・・・・・ッ!」
気付きはまさに、唐突であった。今まで読みに読んだマンガやラノベ、見るに遊んだアニメやゲームの経験が、勇氏に一つの可能性を提示した。
待、て、よ?
も ・ し ・ か ・ し ・ た ・ ら 。
「・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・ポケットに突っ込んだ携帯を再度取り出し、コール。
プルルルル、プルルル。ガチャッ。
「・・・・・・つかぬことをお伺いしますが。師匠、娘さんいましたよね?」
『・・・・・・ああ。いまお前の隣にいるヴァネッサがそうだ』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
タンッ! ・・・・・・スタァァン!(ヴァネッサに向け爆転スライディング土下座)
『・・・・・・おい、なんかいますごい音がしたぞ』
「ハハハ、隣が道路工事の真っ最中でしてネ、釘打ち機(パイルドライバー)かなんかの音じゃないですかネェ?」
『・・・・・・まあとりあえずよろしくな、頼んだぞ』
「ちょちょちょっ、ちょっと待って下さい! 僕少し用事が立て込んでて、この話をお受けできる状態ではッ・・・・・・!」
『そんな大した扱いしてやらなくてもいいって、日中はどうせそっちの試験で動き回ってばかりだろうし、泊めてやるだけで十分だから。 三日、三日だけだから』
「いや、しかしッ・・・・・・」
マズい、このままじゃフラグ立っちまう! 俺の時間が削られる? 嘘だろイヤだよごめんだよ!? いやもうほんとマジでッ!!
何か良い言い訳はないかと必死に考えるが、分が悪い。なにしろこの家は、電話の向こう側の恩師の実家なのだから。 自分はただ仕事上ここに住まわせてもらってるだけであって、その娘が泊まることの是非に口出しできる身分な訳がないのだ。
それでも愛する自由と平和な生活のため、必死に勇氏は思考を巡らす。
しかし、面倒事という名の爆撃はそれだけに留まってはくれなかった。
『・・・・・・そうだ、折角だからお前、ヴァネッサを見てやってくれないか?』
「・・・・・・すみません、聞こえなかったのでもう一度仰って下さいません?」
『お前も着いて行ってやれ、って言ってるんだよ。いくらお前の仕事が重要な“門”の見張りだとはいえ、ここ最近家に引きこもってばかりだと聞くぞ?』
「いえ、定期的に外出してますしその必要は・・・・・・。それに、もし僕が離れた時に何かあったら・・・・・・」
『・・・・・・なあ、そういえば去年お前が帰って来たとき、城の酒蔵からワインが消えたんだが、お前知らねえよな?』
その言葉を聞いた瞬間、勇氏の顔からさっと血の気が引いた。
うぞっ・・・・・・、バ レ テ ル 。
基本的に魔道具以外の物の持ち運びは認められているが、飲食物等は嗜好品として扱われ、“あっち”から“こっち”に持って来る際にかなり重めの関税を課せられる。高級品であればあるほどその金は莫大に。
・・・・・・もちろん、それが出来が良いと言われた今年の、それも厳選された最上級のワインだったらまず話にもならない額になる。そう。日中勇氏が絶賛お楽しみ中の台所にまとめてある、ペットボトルの中身のことである。
「ハハハ、ソンナモノ知りませんヨ。 ヤダナァ師匠、僕を疑ってるンですか?」
(どうする!? 考えろ考えろ、思考を止めるな!)
脂汗をこめかみから滲ませ、戦闘中の幻想殺しみたいなことを考えつつ割と本気で勇氏は焦る。
堕落しているとの自覚はしているし、その生活に満足すら感じている勇氏だが、この恩人にだけはその現状を知られたくなかった。今までお国のために散々働いてきたんだからいいじゃねえかとも思うが、脱税は立派な犯罪である。
自分の今までの信用を失う訳にも、恩師を失望させる訳にもいかない。ここは何としても切り抜けねばならなかった。
というか、実際に露見したのだろうか? カマでもかけられているのかもしれない。だったらここはもういっそ知らぬ存ぜぬを決め込むべき・・・・・・
『そうそう、今年のブドウは良い出来だったなあ』
「ええ、そりゃあもう! 農家が丹念に潰して、詰めて、熟成させただけのことはありましたよ! “こっち”で売ってる市販の安物とはケタ違いのコクと旨み! そしてその中から顔を出すほんのりとした甘さがまた・・・・・・・・・・・・、・・・・・・あ。」
ハメられたと気付き、勇氏はがっくりと肩を落とす。思ったことがつい口に出てしまうこの性分が、この日ほど恨めしいと感じたことはなかった。
『正直に言うなら許してやる』
「すいません。規則を守らせる立場でありながら、一個人の快楽のためについ破ってしまい、取り返しのつかないことをしてしまいました。今では深く反省し、悔悟の涙に暮れております・・・・・・」
『・・・・・・ったく。貸し一つ、今すぐ返せってことでこの件よろしく。そんだけ飲む暇があるなら大丈夫だろ?』
「はい。師匠の御息女、確かにお預かり致します・・・・・・」
あれだけお世話になって期待された身としては、心苦しいことこの上ない。申し訳なさと情けなさが即座に胸をいっぱいにして、勇氏のメンタルをハエたたきで叩かれた羽虫の如く地べたへと叩き落とす。
『試験が終わってヴァネッサが“こっち”に帰るまで。たったの三日だけだから、な?』
「はい。はい。すいません・・・・・・」
『“試験”の細かいことはそこの本人に聞いとけ。それじゃな』
そう言い終えると、電話の相手は一方的に電話を切った。ツー、ツーという通話の余韻がの中をぐるぐる回る回る。
( 一体どうしろっていうんだ。・・・・・・はぁ・・・・・・)
「・・・・・・ねえ、もしかしてわたしのこと忘れてない?」
「ん? ・・・・・・あぁ。すいません、勘弁して下さい今僕ブルーなんです」
「何でいきなりそんな卑屈になってるのよ! もう、いいから早く立って! あなたが謝ってるのは分かったけど、低い視線からじろじろ見られるとなんか気持ち悪いのよ! ・・・・・・? !」
「はい、わかりましたっと」
上からの呆れたような声に、大人しく身体を起こし座る。折角ウルトラスィーなバク宙DOGEZAをしてみせたってのに、この溢れんばかりの謝意はあまり伝わらなかったようだ。もしくは全然誠意が足りないと焼き土下座をご所望なのだろうか? 帝愛グループの会長かよてめえは。
・・・・・・しかし先程の声とは違い、顔を上げて見た少女の表情は笑顔だった。そりゃあもう満面の。勇氏の心に淡い希望が湧く。もしかしたら、案外許してくれてるのかもしれな───
「・・・・・・そういえばさっき、あんたわたしに黒だの勝負だの言ってたわよね? あれ一体どういう意味よ」
「・・・・・・はて、何のことでしょうか? いやはや、最近物忘れがひどくて・・・・・・」
「とぼけないでいいわ、怒らないから言ってご覧なさい」
「ごほん、では・・・・・・。古来“こっち”では黒の下着は勝負、つまりは男女がイチャつく時に着るものとされているので、お嬢様にはまだ早いかと申し上げた次第で。・・・・・・いやホント流石にあれは無いです。色気って単語を辞書で引いて、全身鏡をしっかり見れば、そんな体を張ったジョークはすぐに言えなくなりますよって、・・・・・・あ──」
眼前の少女のこめかみにビシッと入る青筋、どうやら思ったままに言い過ぎてしまった模様。あーあーあ、さっきのいまでコレだよ、もうやんなっちゃう。
勇氏はため息をついて立ち上がり、同時に何が来ても回避できるよう意識をする。
魔法でも唱えるのだろうか、ヴァネッサは杖を引き抜いたがそれでも問題はない。手足が飛ぼうと物を投げられようと、・・・・・・たとえ目の前でショットガンをぶっぱなされようとも、自分に避けられない物はない。
・・・・・・ないのであるのだが、唐突な立ちくらみが勇氏を襲った。しまったと思う頃にはもう遅く、勇氏は尻もちをついてしまう。
「・・・・・・えー、あー 」
再度見上げてみれば杖を振り下ろしたヴァネッサが、したり顔でなんか言っていた。
え、詠唱要らねえの? と疑問に思ったが、考えてみれば救世の英雄の娘である。 “あっち”の世界の危機を救った父母の血を引いているのだから、何らかの“能力”は受け継がれていて当然なのだ。
きっと自分のように“忌み子”として気味悪がられず、一つの個性として周囲から受け取られてきたのだろう。杖を構えるその姿はどこか凛としている。いやでも、立ちくらみ起こさせただけなのになんでそう誇らしげなのよ。
しかし、見とれている場合ではなかった。目の前でキャプテン翼のシュートよろしく後方へと上げられる片足。対する自分は思うように動けず、転んだ勢いで足は開いたまま。
さて、ここから導き出される結論はなんでしょう?
ポク。ポク。ポク。・・・・・・チーン!
「・・・・・・え、あッ、悪かった! すまん謝る、だから許してくれ、なッ! ってか怒らないって言ったじゃないのさ!? ひでえよサギだよ待て待って待って下さいよお願いしますからがふゥッ!?」
制止の声も虚しく、男の尊厳を文字通り足蹴にされ、勇氏は車に挽き潰されたカエルのような声を上げ転がったのだった。
「・・・・・・今度は何でしょうか?」
「別に、あなたに頼らなくても一人で行けるわよ。えーっと、たしかここに詠唱のメモが・・・・・・」
文句を言ってガサゴソと本棚をいじり始めたヴァネッサを尻目に、勇氏はとっとと何もない空間に手をかざし、詠唱を始める。すると次の瞬間、一枚の鏡のようなものが現れた。
「あれ、おかしいわね。たしかここに・・・・・・」
「お探しのところ悪いですが、もう開きましたよ。それで、お嬢様の目的地はどこでしょうか? “あっち”の人間が運営してるホテル、それとも身分証明書取りに“あっち”の人間だけで構成された役所。 もちろんどこも話は通じておりますからご安心ください」
「だから、分かってるって言ってるでしょ。・・・・・・でもまあ、手間が省けたからいいわ。役所につなげて頂戴」
腰に手を当て指図してくるお嬢様。言われるがままに勇氏は鏡(のようなもの)に向けて続けて詠唱を行う。鏡(もう鏡でいいだろ鏡で)はまるでシャボン玉のような虹色の輝きを放ちながらゆらゆらとさざめき、ゆっくりと黒に染まっていく。
「・・・・・・繋がりましたよ。それでは、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
一礼しながらも心の中でグチをつく。ああ、さっさと戻ってくつろぎたい。かわいい上物のワインちゃんが台所で、俺の喉を潤したいと待ってるのだ。ゆっくりしていってね! と擬人化して跳ね回っているのだ。
「ふんっ、できるなら最初から今みたいにきちんとしてほしかったわね。・・・・・・そうそう忘れてたわ。はいこれ」
門に向かうと思いきやくるりと踵を返し、ヴァネッサは唐突に何かを手渡してきた。見れば手紙だったので悲しくなった。さっき自分で言ったこと、もう頭からトんでんのかよコイツ・・・・・・
「いえ、ですから読めませんよ。#$¥&&#の情報は規制されています。“あっち”の文字はこっちでは―――」
「わかってるわよ! けどいいから黙って読む、ほら! 渡して読ませるようにって言われたのッ!」
ヴァネッサわざわざ封を切り、手紙を広げて押し付ける。しかし目に入った瞬間、勇氏の気怠げな瞳は驚愕に見開かれた。
日本語・・・・・・だと?
しかも相当丁寧な字だ、まったくぶれていない。#$¥&&#でも確かに日本の字を習う場合があるが、その者のほとんどが“こっち”に渡り、仕事をやっていくために習得するのだ。“あっち”に留まってこれだけ小慣れた字を書ける人間は、そういない。
しかも、なにより、この字どっかで・・・・・・。
「・・・・・・へ、え、は? ちょ、ま、嘘だろ、いやマジで」
視線が字を追い下がるにつれ、頬を引きつらせ、勇氏はみるみるうちに顔を青ざめさせていく。あまりの顔色の悪さにヴァネッサは心配して、問いかけた。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「待て待て落ち着け、オーケーオーケー大丈夫。ステイクール、ステイ、クールだ。・・・・・・ステイ、クール? うぁああああユージオォオオオオオッ!! 」
「ねえ、だから教えなさいって!」
「・・・・・・ハッ! いかんいかん、かえって錯乱しちまった。よし、電話。まずは電話だ。ということで勇氏、参りますッ!」
ヴァネッサの声を完全に無視したまま、勇氏は駆け出しドパン、とドアを乱暴に閉める。
ズダダダダッ、と階段を駆け下りる音が聞こえ、1拍の後に自分が放置されたことをヴァネッサは理解した。
「もう、なんなのあの男!」
ダン、と床を踏みつけ不満げに文句を言う少女の頭の上に、ふわり、と紙が落ちた。ドアの風圧で舞い上げられた手紙だった。
「だから何が書いてあるのよ・・・・・・って、・・・・・・え?」
気になったので目を通し、すぐに驚きにあんぐりと口を開ける。そこに書いてある内容が、彼女にとってあまりなものだったからだ。
「待ってよ、冗談じゃないわ!」
結果、手紙を握ったままヴァネッサも部屋を飛び出すことになったのだった。
プルルルルル・・・・・・ プルルルルル・・・・・・
「あーもうクソッ、相も変わらず通信状況悪いな!」
カンカンカン、と勇氏は苛ただしげに携帯電話を耳に当てながら、階段下の渡り廊下の壁に手をついて寄りかかり、その指でもって壁を小刻みに叩く。
もうこれでかけ直し3回の30コール目。いくら多忙といえど、もうそろそろ・・・・・・。
ガチャ。
『もしもし、勇氏か?』
「ご無沙汰しております師匠! 唐突なお電話、申し訳ございませんッ!!」
電話に相手が出た途端、姿勢を正した勇氏は頭を下げた。その角度はもっともお辞儀で正しいと言われる110度ジャスト。普段の彼をよく知る者ならば、腰を抜かしてしまいかねない程の変わりようだった。
「・・・・・・え?」
そして現に、その驚きはついさっき彼に会っただけのヴァネッサにも与えられていた。
え? 本当になんなのだろうか、この男は?
追いかけて階段を降りてみたら、先程までまるでイカかタコのようにぐねぐねしていた男がしゃきっと背中を伸ばし、活気に満ちあふれた声で見えない電話の相手に腰を折っているではないか。
先程散々からかわれ、遊ばれたからこそそのギャップはあまりにも強烈だった。階段の途中ででも打ってヘンになったんじゃないだろうか、とまで疑ってしまう。
「ねえちょっと、あんた大丈夫?」
初対面から数分しか経っていない人間にこう思われてる時点でもはや大丈夫な訳がないのだが、まあそれはおいとくとして。しかし心配された当の勇氏はヴァネッサを軽く睨み、口に人差し指を当てながら「静かにしろ」のジェスチャーを取る。
『毎回言うが、そんなに畏まらなくていいって言ってるだろ』
「あなたに畏まらなかったら、僕は誰に畏まればいいんですか!それに好きでやってるんです、気にしないで下さい」
『俺は少し気にしてるんだが、・・・・・・・まあいいか。そういえばこうやって話すのも久しぶりだな。元気にしてるか? 飯ちゃんと食ってるか?』
「ええ、お陰様でこの通り元気ハツラツですよ、ありがとうございます!」
『おお、そりゃ良かった』
「・・・・・・それでそのですね、あの、手紙の件に関してなのですが・・・・・・」
『ああ、その話か。そこにヴァネッサ・・・・・・手紙を渡した子が居るだろ? とりあえず代わってくれないか』
「あ、はい。少々お待ちを・・・・・・」
言いながら勇氏は耳を離し、少女に携帯を軽く放る。突然投げられた長方形にヴァネッサは面食らいつつも、危なげな手つきでなんとかキャッチする。
「危ないじゃない、落としてたらどうすんのよ!」
「ご心配ありがとさん・・・・・・と言いたいところだが、それ通話しかできないガラケーだ。それよりもほら、早く出ろ。電話の相手は国王様、お前に用があるそうだ」
・・・・・・にしても今時こんなもん持たせられてるなんてマジで信じられねえよな・・・・・・、と付け足す勇氏のぼやきを耳に入れつつ、ヴァネッサは電話に出る。
「もしもし?」
『もしもし、ヴァネッサか? ・・・・・・あのな、これには訳が』
「なんでわたしがこんな男の世話にならなくちゃいけないのよッ! ふざけな、っわぷッ!?」
途中で言葉が途切れたのは、もちろん勇氏が口を塞いだからである。
「・・・・・・なあ、お前馬鹿なの? 俺ちゃんと相手は国王つったんだけどハナシ聞いてた?」
「んー! んーッ!」
『もしもし? もしもーし?』
ヴァネッサから携帯をぶんどり、猫撫で声で勇氏は受け答えをする。
「いやぁ~すいません、この娘があろうことか師匠に罵声をですね」『いや、勇氏』「見たところ位の高い者のようですが」『あのな』「いくらなんでも#$¥&&#の国王に無礼な発言があって良い訳がないと思『いいから聞』痛ッてぇッ!?」
思わず声を上げてしまい、慌てて謝り少し待ってくれるように頼んで携帯を切り、ポッケに突き刺す。少女の口元に当てていた手のひらにはいま、きっかりと真っ赤な丸い跡がついていた。
「・・・・・・ぷはっ、いっ、いきなり何してくれんのよ!? 」
「いやそういうセリフ吐く以上噛み付いちゃダメだろ!? しかも歯型つくまで強くする必要とかあったのか? ・・・・・・めっさ痛いんだけど、なあ、一体これどうしてくれんの!?」
「ふんっ、さっきできなかった分の仕返しよ、いい気味だわ!」
「・・・・・・てめぇ・・・・・・」
咄嗟に何か言い返そうとした勇氏だったが、すぐに無駄だと悟る。最初に仕掛けたのは自分の方なのだ、罵っても全部返ってくるだけだろう。
だが、かといって何もしないのは悔しい。よって軽くガンをつけてみると、思いっきり睨み返してきた。負けたくないのでさらに眼力を強めると、ヴァネッサもさらに視線を強めてくる。
・・・・・・いたちごっこは終わらずに、空間に構成されていく険悪スパイラル。
しかしポケットから聞こえ始めた気の抜けた着信音が、不毛なやり取りに終止符を打った。
"ねぎおばけ~ ねぎおばけ~ ねぇぎねぇぎねぇぎねぇぎ ねぎおばけぇ~”
キセノンPの楽曲、「ネギおばけの歌」である。ふわっとしたその曲調に体の芯から力が抜けてしまい、どちらからともなくため息が漏れる。
「・・・・・・誰からよ」
「着信音ランダムにしてるから分かんねーよ」
ヴァネッサに聞かれつっけんどんに答えたが、恐らく師匠だろう。ポケットから携帯を取り出し、くるりと背を向け耳に当てる。
「はいもしもし、師匠?」
『残念だが違うぞ。誰だか当ててみな? まぁお前と会ったことはないから無理だろうがな』
確認もせずに決めつけて、そのうえ間違えてしまった。
気まずくなってしまった勇氏だったが、謝ることもないか、と喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んだ。相手の頭がコーンのようにPOPしていると気づいたからである。
その口調には人を小馬鹿にするような変な抑揚があり、その声は冬になっても残っているセミの骸のように中身が無く、軽い。
もちろん勇氏はこんなふざけた喋り方聞いたことがないし(いや、さっきしてたな俺。そうか、これが同族以下略)忘れるわけもない。ということは言う通り、自分とこの男は会ったことがないのだろう。
『ん、わからねえ? んじゃヒントをやろうか?』
テンションを上げていく変人?の声を無視し、勇氏は通話を切ることにした。
こういう手合いは関わらない方が身のため。既にもう一人関わることになってしまっているが(目の前の面倒少女のことである)、これ以上厄介ごとが増えるのはごめんだった。
恐らく、"こっち”の酔っ払いかなにかが間違えてかけてきたのだろう。そう納得し、通話終了ボタンに勇氏が親指を置いた・・・・・・時だった。
『・・・・・・アルゼンチン、バングラデッシュ、シリア、コートジボワールにフィリピン』
「・・・・・・ッ!?」
『他にもエトセトラエトセトラ、やりもやったり23カ国。よっくもこんだけ出来たもんだな、流石としか言いようがねえよ。いっやー、やっぱり“天才”は違うんかね?』
「・・・・・・テメエ誰だ。何が、目的だ?」
『おー怖いねぇ、そんな怒った口調で聞かれたら答えるものも答えられないわな』
威圧を込めた問いをおどけた口調で返され、勇氏のこめかみに青筋が走った。体の奥から沸き立つ尋常ではないこの負の感情を感じ取ったのか、背後のヴァネッサが一歩退いたのが感覚で分かる。
・・・・・・基本的に、勇氏は怒らない。しかし"これ”に関することについて彼は自らのすべてをねじ曲げ、周囲にも同様にその歪な己を認めさせる。
例外中の例外、特別中の特別。
誰にだって触れられたくないものがある。しかし彼には"それ”しかないが故に、あまりにも過剰に反応しているように見られてしまうのだ。
「いいか、二度は言わねえ。さっさと答えろ」
『・・・・・・ヘイボーイ、頼むなら頼むなりの礼儀ってもんがあるんだぜ?』
ミシリ、と音が聞こえた。知らずの内に、勇氏は携帯を潰れんばかりに握り締めてしまっていることに気付かされた。
頭に浮かび上がる暴言の数々が次々と舌に乗ってくるが、その言葉を放つ寸前でなんとか飲み込む。ギリギリの瀬戸際で、なんとか踏みとどまれたのだ。
・・・・・・冷静になれ。一体誰だか知らないが、向こうが自分の"弱み”を握っているのはもう間違いない。
考えられる最悪の場合は、この男が"こっち”の人間であること。ここで感情に任せてキレたら逆上され、ネットで暴露・・・・・・。・・・・・・そこから先は、考えるまでもない。下手を打てば祖国を危険に晒す可能性まであった。
「・・・・・・失言だった、済まない。そして教えてくれ、一体何が目的なんだ?」
勇氏は謝罪と共に再度、問う。男の態度がガラリと変わった。
『いやなに、ちょいと頼みたいことがあってな。詳しい内容は会ってからのお楽しみだ、んじゃあ日が暮れるまでにここに来い』
そう言って、男はつらつらと言葉を並び立てる。・・・・・・だが、これは待ち合わせ場所なのか? 区名に丁名、番名に号名は分かる。しかし更にそこから続く、一種だの二種だの、イだのロだのといった符号は一体どういう意味だ?
『・・・・・・覚えたか? じゃあよろしく頼むわ、待ってるぜー』
「おいちょっとこら待て、」
『・・・・・・ツー、ツー・・・・・・』
「・・・・・・ンの野郎、切りやがった・・・・・・」
ピッ、と電子音と共に携帯を切った勇氏に、すかさずヴァネッサは話しかけてきた。
「誰、さっきの電話?」
「お前にゃ関係ねえよ」
「・・・・・・ふんッ、あっそ。・・・・・・ほら、済んだなら早くかけ直しなさいよ」
「分かってるよ。ったく何様のつもりだよテメ、・・・・・・エ・・・・・・? ・・・・・・ッ!」
気付きはまさに、唐突であった。今まで読みに読んだマンガやラノベ、見るに遊んだアニメやゲームの経験が、勇氏に一つの可能性を提示した。
待、て、よ?
も ・ し ・ か ・ し ・ た ・ ら 。
「・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・ポケットに突っ込んだ携帯を再度取り出し、コール。
プルルルル、プルルル。ガチャッ。
「・・・・・・つかぬことをお伺いしますが。師匠、娘さんいましたよね?」
『・・・・・・ああ。いまお前の隣にいるヴァネッサがそうだ』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
タンッ! ・・・・・・スタァァン!(ヴァネッサに向け爆転スライディング土下座)
『・・・・・・おい、なんかいますごい音がしたぞ』
「ハハハ、隣が道路工事の真っ最中でしてネ、釘打ち機(パイルドライバー)かなんかの音じゃないですかネェ?」
『・・・・・・まあとりあえずよろしくな、頼んだぞ』
「ちょちょちょっ、ちょっと待って下さい! 僕少し用事が立て込んでて、この話をお受けできる状態ではッ・・・・・・!」
『そんな大した扱いしてやらなくてもいいって、日中はどうせそっちの試験で動き回ってばかりだろうし、泊めてやるだけで十分だから。 三日、三日だけだから』
「いや、しかしッ・・・・・・」
マズい、このままじゃフラグ立っちまう! 俺の時間が削られる? 嘘だろイヤだよごめんだよ!? いやもうほんとマジでッ!!
何か良い言い訳はないかと必死に考えるが、分が悪い。なにしろこの家は、電話の向こう側の恩師の実家なのだから。 自分はただ仕事上ここに住まわせてもらってるだけであって、その娘が泊まることの是非に口出しできる身分な訳がないのだ。
それでも愛する自由と平和な生活のため、必死に勇氏は思考を巡らす。
しかし、面倒事という名の爆撃はそれだけに留まってはくれなかった。
『・・・・・・そうだ、折角だからお前、ヴァネッサを見てやってくれないか?』
「・・・・・・すみません、聞こえなかったのでもう一度仰って下さいません?」
『お前も着いて行ってやれ、って言ってるんだよ。いくらお前の仕事が重要な“門”の見張りだとはいえ、ここ最近家に引きこもってばかりだと聞くぞ?』
「いえ、定期的に外出してますしその必要は・・・・・・。それに、もし僕が離れた時に何かあったら・・・・・・」
『・・・・・・なあ、そういえば去年お前が帰って来たとき、城の酒蔵からワインが消えたんだが、お前知らねえよな?』
その言葉を聞いた瞬間、勇氏の顔からさっと血の気が引いた。
うぞっ・・・・・・、バ レ テ ル 。
基本的に魔道具以外の物の持ち運びは認められているが、飲食物等は嗜好品として扱われ、“あっち”から“こっち”に持って来る際にかなり重めの関税を課せられる。高級品であればあるほどその金は莫大に。
・・・・・・もちろん、それが出来が良いと言われた今年の、それも厳選された最上級のワインだったらまず話にもならない額になる。そう。日中勇氏が絶賛お楽しみ中の台所にまとめてある、ペットボトルの中身のことである。
「ハハハ、ソンナモノ知りませんヨ。 ヤダナァ師匠、僕を疑ってるンですか?」
(どうする!? 考えろ考えろ、思考を止めるな!)
脂汗をこめかみから滲ませ、戦闘中の幻想殺しみたいなことを考えつつ割と本気で勇氏は焦る。
堕落しているとの自覚はしているし、その生活に満足すら感じている勇氏だが、この恩人にだけはその現状を知られたくなかった。今までお国のために散々働いてきたんだからいいじゃねえかとも思うが、脱税は立派な犯罪である。
自分の今までの信用を失う訳にも、恩師を失望させる訳にもいかない。ここは何としても切り抜けねばならなかった。
というか、実際に露見したのだろうか? カマでもかけられているのかもしれない。だったらここはもういっそ知らぬ存ぜぬを決め込むべき・・・・・・
『そうそう、今年のブドウは良い出来だったなあ』
「ええ、そりゃあもう! 農家が丹念に潰して、詰めて、熟成させただけのことはありましたよ! “こっち”で売ってる市販の安物とはケタ違いのコクと旨み! そしてその中から顔を出すほんのりとした甘さがまた・・・・・・・・・・・・、・・・・・・あ。」
ハメられたと気付き、勇氏はがっくりと肩を落とす。思ったことがつい口に出てしまうこの性分が、この日ほど恨めしいと感じたことはなかった。
『正直に言うなら許してやる』
「すいません。規則を守らせる立場でありながら、一個人の快楽のためについ破ってしまい、取り返しのつかないことをしてしまいました。今では深く反省し、悔悟の涙に暮れております・・・・・・」
『・・・・・・ったく。貸し一つ、今すぐ返せってことでこの件よろしく。そんだけ飲む暇があるなら大丈夫だろ?』
「はい。師匠の御息女、確かにお預かり致します・・・・・・」
あれだけお世話になって期待された身としては、心苦しいことこの上ない。申し訳なさと情けなさが即座に胸をいっぱいにして、勇氏のメンタルをハエたたきで叩かれた羽虫の如く地べたへと叩き落とす。
『試験が終わってヴァネッサが“こっち”に帰るまで。たったの三日だけだから、な?』
「はい。はい。すいません・・・・・・」
『“試験”の細かいことはそこの本人に聞いとけ。それじゃな』
そう言い終えると、電話の相手は一方的に電話を切った。ツー、ツーという通話の余韻がの中をぐるぐる回る回る。
( 一体どうしろっていうんだ。・・・・・・はぁ・・・・・・)
「・・・・・・ねえ、もしかしてわたしのこと忘れてない?」
「ん? ・・・・・・あぁ。すいません、勘弁して下さい今僕ブルーなんです」
「何でいきなりそんな卑屈になってるのよ! もう、いいから早く立って! あなたが謝ってるのは分かったけど、低い視線からじろじろ見られるとなんか気持ち悪いのよ! ・・・・・・? !」
「はい、わかりましたっと」
上からの呆れたような声に、大人しく身体を起こし座る。折角ウルトラスィーなバク宙DOGEZAをしてみせたってのに、この溢れんばかりの謝意はあまり伝わらなかったようだ。もしくは全然誠意が足りないと焼き土下座をご所望なのだろうか? 帝愛グループの会長かよてめえは。
・・・・・・しかし先程の声とは違い、顔を上げて見た少女の表情は笑顔だった。そりゃあもう満面の。勇氏の心に淡い希望が湧く。もしかしたら、案外許してくれてるのかもしれな───
「・・・・・・そういえばさっき、あんたわたしに黒だの勝負だの言ってたわよね? あれ一体どういう意味よ」
「・・・・・・はて、何のことでしょうか? いやはや、最近物忘れがひどくて・・・・・・」
「とぼけないでいいわ、怒らないから言ってご覧なさい」
「ごほん、では・・・・・・。古来“こっち”では黒の下着は勝負、つまりは男女がイチャつく時に着るものとされているので、お嬢様にはまだ早いかと申し上げた次第で。・・・・・・いやホント流石にあれは無いです。色気って単語を辞書で引いて、全身鏡をしっかり見れば、そんな体を張ったジョークはすぐに言えなくなりますよって、・・・・・・あ──」
眼前の少女のこめかみにビシッと入る青筋、どうやら思ったままに言い過ぎてしまった模様。あーあーあ、さっきのいまでコレだよ、もうやんなっちゃう。
勇氏はため息をついて立ち上がり、同時に何が来ても回避できるよう意識をする。
魔法でも唱えるのだろうか、ヴァネッサは杖を引き抜いたがそれでも問題はない。手足が飛ぼうと物を投げられようと、・・・・・・たとえ目の前でショットガンをぶっぱなされようとも、自分に避けられない物はない。
・・・・・・ないのであるのだが、唐突な立ちくらみが勇氏を襲った。しまったと思う頃にはもう遅く、勇氏は尻もちをついてしまう。
「・・・・・・えー、あー 」
再度見上げてみれば杖を振り下ろしたヴァネッサが、したり顔でなんか言っていた。
え、詠唱要らねえの? と疑問に思ったが、考えてみれば救世の英雄の娘である。 “あっち”の世界の危機を救った父母の血を引いているのだから、何らかの“能力”は受け継がれていて当然なのだ。
きっと自分のように“忌み子”として気味悪がられず、一つの個性として周囲から受け取られてきたのだろう。杖を構えるその姿はどこか凛としている。いやでも、立ちくらみ起こさせただけなのになんでそう誇らしげなのよ。
しかし、見とれている場合ではなかった。目の前でキャプテン翼のシュートよろしく後方へと上げられる片足。対する自分は思うように動けず、転んだ勢いで足は開いたまま。
さて、ここから導き出される結論はなんでしょう?
ポク。ポク。ポク。・・・・・・チーン!
「・・・・・・え、あッ、悪かった! すまん謝る、だから許してくれ、なッ! ってか怒らないって言ったじゃないのさ!? ひでえよサギだよ待て待って待って下さいよお願いしますからがふゥッ!?」
制止の声も虚しく、男の尊厳を文字通り足蹴にされ、勇氏は車に挽き潰されたカエルのような声を上げ転がったのだった。
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