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鍛冶師と調教師ときどき勇者

漆黒

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 無慈悲な白い軌道がキノの頭を襲った。
 アントワーヌの振り下ろすその白光の軌道は、キノの頭を狙い打つ。
 黒素アデルガイストの嵐に浮かび上がる真っ白なその軌道が、キルロとハルヲへの絶望の呼び水となる。
 手を伸ばしても届かない、飛び込む事も出来ない。
 ストップモーションのように映像だけが脳裏に送られていった。

「避けてーーー!!」

 微動だにしないキノの姿に、ハルヲはさらに声を荒げた。
 白い聖剣エクスカリバーを振り下ろし、アントワーヌは不敵な笑みを零す。
 
 ここから自分の物語が始まる。
 新しい物語を描き始めよう。
 
 キノは真っ直ぐにアントワーヌを見つめたまま微動だにしない。ハルヲの声は届いているはず、なのに避ける素振りすら見せなかった。
 
「はじまりだ」

 アントワーヌは満足気に呟く。
 キノの頭に振り下ろされる白い軌道。
 キルロが、ハルヲが、目を背けた。
 アントワーヌの口元に醜悪な笑みが浮ぶ。
 脈が噴き出るかと思うほどの拍動を見せ、胃の中の物がギュッとせり上がっていく。
 キルロは目を閉じ、ギュッと拳を固く結んだ。
 
 ザクと剣が地面を叩く音が耳に届いた。
 
 ちきしょう、何て事⋯⋯。
 自分の不甲斐なさを嘆き、悔しさに押し潰されながら叫び出したい衝動を抑えた。
 二つに割れたキノの姿を想像し、絶望に塗り潰されていく。
 ザクとまた剣が地面を叩いた、何度も何度も繰り返されるその音にキルロとハルヲはゆっくりと音の方へと視線を向けた。
 驚愕の表情を浮かべるアントワーヌの姿。
 何度も、何度も握り締める聖剣を振り下ろす。
 驚愕の表情はやがて、恐怖へと塗り替わった。
 目を剥き、目の前に存在するものに恐れおののく。
 キルロとハルヲも驚愕の表情を見せた。
 何度となく振り下ろすアントワーヌの刃がキノの体をすり抜ける。
 かすみでも斬るかのように、アントワーヌの刃は地面を何度も叩いていた。

「おおおおぁぁぁぁーー」

 顔面は蒼白、目の前で起きている事が自身で処理が出来ない。
 荒い吐息を漏らし、信じ難い事態に怯える姿を見せている。

「ひゃぁ、はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯ど、どうして」

 アントワーヌは恐怖を振り払おうと闇雲にキノへと刃を向けた。
 何度振ろうともその刃がキノを傷つける事はなく、アントワーヌは茫然と佇む。
 ハルヲは剣を握り直し、アントワーヌのこめかみへと跳ねた。
 ハルヲの切っ先が眼鏡のつるを斬り裂く、眼鏡は吹き飛び、そのままこめかみを捉える。
 ズっと突き刺さる切っ先にハルヲはさらに力を込めた。
 視線だけを向けるアントワーヌと一瞬視線が交わる。
 生気を失う瞳の奥から、柔らかな光を見た気がした。
 それは苦しみから解放され、安堵感に包まれた柔らかな光。
 ハルヲはその瞬間だけ慈愛にみちた視線を向けた。
 ズルリと手から聖剣が落ちる。
 カランと乾いた音が漆黒の大地から聞こえた。
 ハルヲがゆっくりと剣を引き抜くと、アントワーヌはゆっくりと膝から崩れ落ちて行く。

「キノ!」

 固まっていた思考が動きだした。
 キルロはキノへと飛び込んだ、体をギュ、ギュっと触診して安堵の溜め息と共に眉間に皺を寄せる。

「大丈夫なんだよな?」
「うん。大丈夫よ」

 ニカっと笑ってみせる姿にキルロとハルヲは複雑な顔を見せ合う。
 アントワーヌの刃は間違いなく、キノを斬り裂く軌道を見せていた。
 キルロはアントワーヌが握っていた白い聖剣エクスカリバーを拾い上げる。
 軽い。
 目の前にかざし、鋭い刃を軽く腕に当ててみた。
 見た事もない業物、キルロは真っ白な刃を覗く。

白精石アルバナオスラピス? いや、でもちょっと違うかな?」

 キルロは見た事のない素材に首を傾げて見せる。

「あんたが分からないなんて珍しいわね。つか、あんたその傷!」
「ああ、これ見た目ほど酷くないから大丈夫だ」
「治療している時間はないわね。とりあえずこれ」
「お、サンキュー」

 ふたり揃って回復薬を一気に飲み干した。
 空のアンプルを投げ捨てると、風でコロコロと転がっていく。

「おまえの傷は大丈夫か? ヒールしとくか?」
「大丈夫。骨まではいってないみたい」
「こいつは持ってかないとだよな」
「そうね。最後の鍵って言っていたものね。アステルスじゃないと使えないみたいな事言っていたけど」

 そう言ってハルヲはキルロから白い聖剣エクスカリバーを受け取った。
 まじまじと眺めてすぐにキルロへ返す。

「私が見てもさっぱりね。でも、なんだろう不思議なオーラのある剣よね」
「確かに。なぁキノ、なんで大丈夫だったんだ?」

 キノは小首を傾げ、ふたりを見つめ剣を指差す。

「キノだから」
『??』

 今度はキノの言葉にふたりが首を傾げた。

「ま、良く分からないが、キノは大丈夫って分かっていたんだな」
「そうよー」

 その答えにキルロがハルヲに苦笑いを見せると、ハルヲは肩をすくめて見せる。
 キルロは周りを見渡した。

「まだここは【最果て】⋯⋯じゃないよな」
「そうみたいね」
「行くか」

 キルロの静かな掛け声に、再び北へと針路を取る。
 漆黒の大地は黒さを増しているように感じた。
 吹き荒れる黒素アデルガイストの嵐は治まる気配はない。
 息苦しさを感じながら、細くなっていく山道をまた上る。
 バタバタと外套はたなびき、狭くなる視界が歩みを遅くさせた。
 人を拒む大地。
 拒絶するかのように行く手を阻む。
 それに抗うパーティーが進む。
 夜とは違う太陽を拒む黒い空。
 黒岩石アテルアウロルベンの切り立つ岩山を進んで行く。
 
「ねぇ、アントワーヌは何でこんな事をしたと思う? あの人の最後の目はこんな事をする人とは思えなかったのよね」

 キルロはハルヲの声に足を止めて、顔を上げる。
 足元を見ていた視線を真っ直ぐ前に向けた。

「今となっちゃあ、分かんねぇ。少なくとも最初からあんなヤツではなかったはずだ。どこかで何かが狂ったのか、案外コイツ(黒素アデルガイスト)に頭をやられちゃったとか⋯⋯。まぁ、何も分からないし、何とでも言える。でも、何か寂しそうではあったかな」
「結局、本当の所は誰も理解は出来ないか」
「まあな。でも、それを言ったら本当の所なんて自分も含めて理解なんて誰も出来やしない。ただ、他人が分かろうとしてくれているって事に、みんな安堵するんだ。アントワーヌからはそれを感じられなかった。他人を分かろうとは、少なくともしてはいなかった。最後に見せた目、どこかに捨てちまった心を最後の最後で拾う事が出来たのかも知れないな。アステルスやアルフェンを見る限り、ヤツの本質はきっと最後に見せたその目にあるはずだ。そう考えると残念だよな」

 そう言ってまた歩き出す。

「あれだけの事をしでかしたヤツに、残念って言うあんたも大概だけどね」
「何だよ、それ」
「ほら、しっかり前向いて歩きなさい」

 ハルヲが振り返るキルロの背中を押した。
 険しい山道、どれだけ上ったのか、下を覗いて見ても黒素アデルガイストの嵐が黒く視界を閉ざす。
 

 そしてそれは、忽然と現れた。

「山頂?」

 切り立つ岩山に現れた20Miほどの大きくないクレーター。
 深さはない。
 下に広がる漆黒の地、凹凸のない滑らかな地面。
 黒岩石アテルアウロルベン? 少し違うかな。
 足元を確認しながら、滑らかな漆黒の地を踏んだ。
 
「グルゥゥゥゥゥゥ⋯⋯」

 クエイサーが低い唸り声を上げた。
 軽やかな蹄の音が響く。
 その音は徐々に大きくなり、黒素アデルガイストの嵐を斬り裂く。
 
 一角獣《ユニコーン》!?

 頭に鋭い角を一本携える、聖獣が黒素アデルガイストの嵐の中から現れる。
 何の感情も持たぬ冷めたオーラをまとい、それは向かって来た。
 そこに漂う違和感をキルロもハルヲも覚える。
 黒い一角獣ユニコーン、まるで影のように黒く、聖獣と呼ぶのをはばかられる存在感。
 鹿と言うには大きく、馬というには小さい。
 どこを見ているのか、こちらから分からず、敵として扱うべきか一瞬の逡巡と戸惑い。
 気が付けば目の前にそれは存在した、先程まで向こうにいたはずでは?
 漆黒の角。
 次の瞬間。
 闇より深い黒を持つ角が、ハルヲを貫いていた。
 ハルヲを突き刺したまま、一角獣ユニコーンは首を掲げる。
 小さな体が宙に浮ぶ。
 ハルヲから流れ落ちる血が角の根元を伝い、滑らかな地面に滴り落ちていった。
 キルロは膝を折り、思考を止める。
 何も考えない事で、自身の心を守ろうとした。
 手も、足も、体中が震え出す。
 なぜ? なぜ? なぜ?

「ぁあぁああああああああーーーー!!」

 断末魔のようなキルロの絶叫が黒素アデルガイストの嵐に吸い込まれて行く。
 何もかもが、悲しみで塗り潰され思考が硬直する。
 直視出来ない現実に、キルロの心は音を立てて折れていった。
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