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追跡

切り替え

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「よお! フェイン」

 キルロの穏やかな口調が部屋に響く。
 努めて明るく振る舞う。
 【ハルヲンテイム】の一室でキノと遊ぶ狼兄妹を椅子にぼんやりと座り眺めている。カイナを逃したという罪悪感にフェインは魂が抜け落ちたかのごとく呆けていた。

「キルロさん⋯⋯」

 今にも泣き出しそうな顔をキルロに向けた。
 眼鏡の奥の瞳は力なく寂しげに映る。

「らしくないなぁ。『割り切れとは言わん、切り替えろ』」
「切り替えですか?」
「オレが初めてマッシュにあった時に言われた言葉でさ、今のフェインみたく、自分の不甲斐なさを嘆いていたら言われたんだ」

 キルロが微笑み掛けるとその言葉の意味を考える。
 フェインの逡巡する姿に瞳から寂しさは消えていた。
 切り替えの意味を考える事で、思考が前に進んで行く。

「自分に対するモヤモヤした心って、消そうとしても消えないじゃん。だったらそこはもう置いといて、何をしなくちゃ行けないかを考えようって事だ。オレもこれ言われて前を向けた。フェインもモヤモヤは消せないんだから、今すべき事だけを考えようや」

 ポンポンとフェインの肩に手をやると、フェインは勢い良く立ち上がる。

「ですよね。マッシュさんの受け売りですが、なんかやるべき事が見えてきましたです。マッシュさんの受け売りですがキルロさん、ありがとうございます! マッシュさんの受け売りの言葉に前を向けた気がしますです!」
「⋯⋯⋯⋯そんなに受け売りって言わなくても良くない?」

 キルロはやる気をみせるフェインの横でむくれてみせたが、素直に人の言葉を聞く事が出来るのはフェインのいい所だ。
 むくれながらも、そんなフェインの姿に安堵する。
 ハルヲからかなり落ち込んでいると聞いていただけに、かなりホッとした。

「さぁ、次に向けての報告があるんだ。シル達にも報告するから行こう」
「はい! キノ、アルタス、クレア、ちょっと行って来るね」
「あいあーい」

 三人に手を振り、フェインが部屋をあとにした。




 【蟻の巣】から繋がる【吹き溜まり】の洞内。
 地面に残る乾いた血が未だ生々しく残っている。
 アッシモが残した負の遺産。
 何人もの人間が洞内を探索し、【ソフィアレイナレギオ(知恵の女王)】団長の小さな犬人シアンスロープ、ライーネを中心にして、残されている資料の解析に尽力していた。
 【ブラウブラッタレギオ(青い蛾)】団長のオットもライーネの傍らで作業を見守っている。

「ふぅー」

 大きく息を吐き出し、ライーネが顔を上げた。
 オットはその様子を穏やかに見つめる。

「どうだい? いろいろ見えてきたかな?」

 水筒を差し出しながらライーネに聞いた。
 ライーネは水筒を手にするとグイっとひと口飲み、目を輝かす。
 学者魂ってやつなのか、本当に知識に対する貪欲なまでの飢餓感に脱帽する。

「細かい事は分からないから、ざっくり教えてくれるかな」
「そうね。私達も詳細についての大事な部分は黒く塗り潰しているので、予想の範囲を出ないの。きっとアッシモの頭の中を覗かないと流用は出来ないわ。それでも何を研究していたかは見えて来たわね」

 抜かりない感じがここにきても、いやらしい。
 アッシモの研究に対抗処置出来るのが理想だけど、さすがにそう簡単にはさせないか。
 何をしていたか分かるだけでも大きな前進と捉えるべきだよね。
 何を考え、何をしようとしたのか。
 それが見えてくれば自ずと対処法は見つかるはずだ。
 この一歩を無駄にしては行けないね。

「それで、彼らは何を研究していたの?」
「量的に多いのはカコの実の研究。脳に与える影響についていろいろなアプローチを試したみたい。それとテイムモンスターについての考察も多いわね、【スミテマアルバレギオ】の団長が言っていた、何かしらの術を見出しているのかも。黒塗りが多くて読み解けない部分が多いのがもどかしいですわ」
「おおよそ予想通りだね。ライーネ達のおかげで一歩踏み込む事は出来たけど、目新しさは正直感じないねぇ」

 オットは机の上に散らばる資料をパラパラとめくっていく。
 見たところでやはり分からないね。
 
「そうそう、あとは言い伝えや伝説などについての所見や論文じみたものがありましたわ。学者というにはいささか違和感を覚える題材ではありますね」
「言い伝えや伝説? それこそお伽噺の世界って事」
「そうですわ。言い伝えや伝説の実在についての考察なんかのレポートがありましてよ。これなんかは兎人ヒュームレピスについて実在する可能性があると書いてありますわ」
「なるほど。そして実在したと⋯⋯。しかし何のためにそんな事調べていたのかな?」
「そこまでは⋯⋯」
「だよね。引き続きお願いするよ」
「承知しましたわ」

 言い伝え、伝説、お伽噺。
 何のために学者が調べる? ほとんどが空想の域を出ない話なはずだ。
 何か引っ掛かるけど、想像すらつかない。
 
「一体何がしたい⋯⋯」

 オットは溜め息まじりにボソリと呟く。
 誰に言うでもないその呟きは、忌々しいこの空間に吸い込まれていった。




「探せ! 些細な痕跡も見逃すな!」

 【ブラウブラッタレギオ】の猫人キャットピープル、クロルの声が響き渡る。
 マッシュ達【スミテマアルバレギオ】とドルチェナ達【ルプスコナレギオ】の面々は、濡れた地面にへたり込む。
 逃がしてしまったという後悔の念に、体の力は一気に抜けてしまった。
 痛みと寒さが襲い、体の震えが止まらない。
 自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
 拠点にしていた洞内に戻り火を灯した。
 クロル達が必死に探しているが、この雨すらヤツらに味方する。
 足跡は消え、匂いも残らない。
 捜索者の視界を狭くして、耳を塞ぐ。
 雨までは計算に入れていないだろうが、馬の蹄がダミーと咄嗟に気づけなかった。
 パチパチと爆ぜる、焚火の周りに集まり冷えた体と濡れた衣服を乾かしていく。
 徒労感だけが残り、誰も口を開かず静かに揺れる炎を見つめていた。
 
「ダメだ。この雨で全部消されちまっている。転がっているヤツらどうする?」

 クロルが洞口から覗いてきた、想像はついていたが、またしてもしてやられた。
 転がっているヤツら⋯⋯。

「あ! 犬人シアンスロープはいないか? 側近の犬人シアンスロープが倒れていたはずだ」
犬人シアンスロープは何人かいるけど、どいつだ?」
「あのよ、あのよ。顎が潰れた犬人シアンスロープがそいつだ」
「分かった。そいつが重要参考人だな。探してくる。おまえさん達は少し休んでいろ。他のヤツらも中央セントラル送りにしておくぞ」
「頼む。助かるよ」

 クロルが手を上げて去って行った。

「あああー」

 マッシュが声を上げ、後ろへドサリと倒れ込んだ。
 千載一遇を逃した、クックとアッシモを同時に捕らえる、絶好の機会を逃した。
 
「め、珍しいな、マッシュがそんなに感情的になるなんて。そんな姿、初めて見たぞ」

 恥じらいを見せながらドルチェナが口を開いた。
 カズナとユラが顔を見合わす。

「珍しいけど、初めてでもないよな」
「そうだナ、無感情な感じは無イ。良く笑うしナ」
「そうだ、そうだ」

 ドルチェナが驚愕の表情をカズナとユラに向ける。
 その姿にふたりは少し引いた、そんなに驚く事なのか?

「よ、良く笑う!? ありえん、ありえんぞ⋯⋯⋯⋯」
「おい、【ルプスコナ】さん達よ、こいつ大丈夫か?」

 ぶつぶつと呟くドルチェナをユラが指差す。
 シモーネがユラの肩に手を置いた。

「なんだその、病気みたいなものだから気にするな」
「病気!? ダメだろう。ウチの団長にヒールして貰え」

 必死のユラにシモーネは首を横に振った。

「ユラちゃんよ、あれは不治の病だ。そっとしておいてくれ」
「えええー! 治らんのか!? そらぁ可哀そうだのう」

 本気で心配するユラの肩に手を置き、シモーネは何度も頷いた。
 マッシュが勢い良く上半身を起こす。

「おい! シモーネ! ウチの団員であんまり遊ぶな!」
「てへ」

 マッシュが諌めるとシモーネは後ろ手に舌を出す。
 焚火のおかげで体温がだいぶ戻ってきた。
 ぐずぐずしていても仕方ない、切り替えて次だ。

「戻って、次の手を考えよう。アイツらもこの状況でここには留まらん。違う手考えるぞ」

 焚火を囲む瞳に力が戻った。

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