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追跡

涙と弱み

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 廊下で抑え込まれているエルフの姿を一瞥し、憎悪の矛先はハルヲに向く。
 投下される怒りの燃料に理性が埋没していくと、シルの怒りは頂点を超える。
 今まさに傷つけられようとしている仲間の姿に、カチリと理性のタガが外れていく音が聞こえた。
 先ほどまでの穏やかな笑みが嘘だったかのように鋭い視線が、ハルヲとフェインに向く。
 心の熱量と反比例するかのように瞳は冷えていく、その鋭く冷たい視線にハルヲは心の中で舌を打つ。
 
 こちらの話を聞く姿勢がない。
 どうする? かといってここでカイナを解放するわけには⋯⋯。
 シルが部屋着のまま一歩前に出る。

「これは何?」
「聞いてシル! お願い!」

 冷めた視線がハルヲを射抜く、フェインは相変わらずカイナと睨んだまま、拳を構えていた。

「そう。じゃあ、まずフェインの拳を下ろしなさい。話はそれからよ」
「ゴメン、それは出来ない。聞いて! お願い!」

 淡々と言い放つシルに必死に言葉を紡ぐ、届かない。
 燃え上がる怒りにハルヲの言葉は焼失していく。
 ユトもマーラもハースもこのやりとりに冷たい視線を向けている。
 シルの炎が三人にも伝播してしまっているのが一目瞭然。やり場のないもどかしさがハルヲの中で募っていく。
 見下ろす冷たい視線が、ハルヲにゆっくりと迫ってくる。
 ハルヲは両手を広げ、シルの動線の前に立ちはだかった。

「どきなさい」
「出来ない。聞いて」
「どけ」
「出来ない。ねえ、お願⋯⋯」
「どけって言ってんだろうがぁっ!!」
「お願い!」

 シルは激しい怒号と共にカイナに向かっていく。
 必死のハルヲは行かせまいとシルの腹部へ抱き着いた。
 ハルヲからシルの表情は見えない、必死にこの状況を打破する事だけを考える。
 どうすれば言葉が届く、燃え滾るシルの心を鎮火する術が見当たらない。
 永遠に終わらない無駄な押し問答だけが続き、いたずらに時間が過ぎて行く。
 思い通りにならないシルの怒りは増していった。
 仲間に対する不当ともいえる扱いに憎悪の目を向ける。

「いい加減にしろっ!!」
「かはっ!」

 シルの握った手が、抱き着くハルヲの背中に叩きつけられる。
 一瞬呼吸が止まり、激しい痛みと衝撃が背中を襲う。

「⋯⋯お願い、聞いて⋯⋯⋯、ぐっは!」

 シルの膝がみぞおちを捉え、胃から口へと吐瀉物がせり上がる。
 何度となく背中とみぞおちへ衝撃が走るが、ハルヲは離さない。
 もはやシルにとってハルヲとフェインは憎悪の対象であり敵である。
 シルの瞳からは憎しみしか感じない。
 
 背後から聞こえる鈍い打撃音にフェインはもどかしい思いしかなかった。
 ハルヲに加勢するわけにもいかず、じっとカイナと睨み合う。

「いい加減にしろ! この半端者!!」

 シルが吠えた言葉。
 その言葉がハルヲの心を抉る。
 何度となく言われ続けた、侮蔑の言葉。
 その言葉自体はハルヲにとってたいした事ではない、散々吐かれた言葉だ。
 ただ、発した者がシルという事が、ハルヲの心をごっそりと抉る。
 顔を上げ、シルの顔を見つめた。
 怒りに震えるシルの表情。
 なんで⋯⋯。

「あなたには言って欲しくなかった!!」

 ハルヲの目から悲しく悔しい涙が溢れた。

「あなたには言われたくなかったの⋯⋯なんで⋯⋯なんで言うのよ!」

 ハルヲの涙が燃えさかるシルの心をほんの少し鎮火させた。
 怒りと憎悪のみが占めていた心に、その涙の理由を逡巡する隙間を生んだ。
 組んでいた手ははらりと解かれ、シルは力なく佇む。
 なぜ? シルは心に生まれた疑問を考える。
 後ろの空気が変わったのをフェインは背中越しに感じると、視線が一瞬カイナから逸れた。

「いつっ!」

 カイナの膝がフェインの背中を捉え、激しい痛みに体が反った。
 カイナの待っていた隙が生まれた。
 抑え込む力が少しばかり緩んだのを感じるとフェインを突き飛ばす。
 素早く起き上がり、跳ねた勢いのまま窓ガラスを割り二階から飛び降りた。
 フェインもすぐに追うが窓ガラスは大きくなく、フェインの体では飛び込めない。
 入口まで向かい急いで外へ向かったが、カイナの姿はすでに見えなかった。
 一瞬の出来事。

「クソッーーー!!」

 珍しくフェインが吠えた。自分のミスで取り逃がしてはいけない人物を取り逃がしてしまった。
 フェインは血が滲むほど唇を噛み、カイナの消えた方角をしばらく睨んだ。
 

 廊下では何が起きたのか整理のつかないシル達が茫然としていた。
 ハルヲは力尽きたかのように膝から崩れ落ちる。
 何もかも失敗だ、なんて事だ。
 不甲斐ない自分にも腹が立つ、どうすれば良かったのか。
 カイナが逃げた事。これが何を語るのか理解出来るまで時間が掛かるに違いない。
 背中と腹部の痛みにハルヲは腹を押さえ、うずくまった。ただ、背中や腹部より心が痛かった。
 
  この状況をどう捉えればいいのか、シルの頭の中が真っ白になっていく。
 うずくまるハルヲと逃げ出したカイナ。
 なぜ逃げた? ⋯⋯逃げる理由を考えるが今は何も浮かばない。この状況が物語る事は、カイナは逃げ出さなくてはならない理由を持っていたという事。この状況を鑑みれば非はカイナにあるという事。
 なんて事をしてしまったのだ。
 顔面を蒼くしていく、シルも膝を落とし自分がどう考えるべきか混乱する。
 なぜ、カイナが逃げたのか。
 なぜ、ハルは反撃しなかったのか。
 シルの中で考えたくない答えが繰り返される。
 拭っても、考え直してみてもその答えに辿り着いた。
 うずくまるハルヲの背にそっと額を当てる。

「ハル、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい⋯⋯」

 シルは何度となくハルヲの背中越しに謝罪した。
 ユトやマーラ、ハースもその姿に最悪のケースが起きた事を理解する。
 騒ぎを聞きつけエーシャが駆け付けると、そこには沈痛な面持ちで沈む面々の姿。
 うずくまるハルヲと謝り続けるシルに、何が起こったのか全く分からない。
 程なくして廊下に戻ってきた、消沈するフェインを捕まえる。

「どうしたのこれ?」
「エーシャ、ごめんなさい! 取り逃がしてしまいました」
「え? え?! 何を?」
「アルタスが見たおかっぱのエルフはカイナでした」
「ああー。えええー!? シルの右腕の? 嘘でしょう?」
「前々から気に入らなかったのです。でも、反勇者ドゥアルーカと繋がっているかもしれないとは、さすがに思わなかったです」
「あちゃ~、それで」

 改めてフェインが言葉にすると【ノクスニンファレギオ(夜の妖精)】の表情は固まった。
 当人達が一番堪えている。
 とりあえずエーシャがハルヲとシルの肩にそっと手を掛けてふたりを起こした。
 ボロボロのハルヲにエーシャがヒールを掛けようとするとマーラが遮り、ハルヲに手をかざす。

「【癒光レフェクト】」

 マーラからこぼれる光玉がハルヲに落ちていく。傷は癒えても、落ちた心までは拾い上げる事は出来ない。
 口を開く者はおらず、気まずい雰囲気だけがこの場を覆う。

「ああー、もう。シャキッとしなさいよ! 過ぎた事をクヨクヨしても仕方ないでしょう。顔上げて」

 エーシャが頭を掻きむしりながらみんなを鼓舞した。

「全く、次の手を考えないとダメでしょう。落ち込むのは一瞬。さぁ、顔上げて、次の展開考えないと。ほらほら、寝ているヒマはないわよ」
 
 エーシャが次々に背中を叩いていく。
 嘆息しながらも、徐々に顔を上げて行った。
 落ち込みの激しいハルヲとシルは中々、顔を上げられない。
 その姿にエーシャが口を尖らした。

「もうー、そこの副団長ふたり! いつまでもしみったれてないで、ふたりで音頭取りなさいよ。ほらほら」

 エーシャの勢いに気圧され、顔を上げていく。
 ハルヲがシルの背中に手を回すと、シルはハルヲの肩に手を回した。

「ハル、本心じゃないからね」
「もう、わかったわ。とりあえずなんでこうなったかを説明しましょう。アルタスとクレアを呼んで頂戴。廊下じゃなんだし、場所を変えましょう」

 ふたりは手を回したまま廊下をあとにした。




 暗い西の森、マッシュ達がガトと親友のダランの案内で工事現場を目指す。
 周りの気配に気を配り、ゆっくりと進んだ。
 月明かりに影が写る。
 街道から逸れた辺鄙な場所。確かに入口を隠すにはもってこいのロケーションだ。

「あのよ、あのよ。なんでいっつも、夜なんだ? 暗くなる前でも良かろうが。見えねえんだよ」
「そんな事言いつつ、いつもしっかりついて来るじゃないか。大丈夫だ」

 ユラのグチには慣れたもの。グチった所でしっかりとついて来る。
 街道からすぐの割に森が深いな。
 背丈にせまろうかという草葉が進行の邪魔をした。ユラにいたっては、ほとんど埋もれている。

「この辺だ。あ! あそこだ。小さな岩がふたつ見えるか? あそこが入口だ」

 街道からそんなに離れていない。まぁ、わざわざ何もないこんな所に来るやつはいないか。
 マッシュは小さな岩へ、近づくとすぐに土を被った入口を見つけた。
 人ほどもある大きな蓋に耳をつけ、気配を探る。
 大丈夫そうだ。
 土を払い、大きな蓋をゆっくりと開けた。
 地面から斜め下に向かって掘られ、人がひとりかふたり、いけるかどうかと言うほどの、乱暴に掘った穴が続いている。
 灯りを手にし、ユラも覗いてみた。

「ひでえ、穴だな。ロクな仕事じゃねえぞ、大丈夫かこれ?」
「とにかく早く掘れって言われてやったから、粗いのは仕方ねえよ」
「それにしてもよう⋯⋯」

 ユラが嘆くほどか。
 そうまでして作りたかったほど焦っている。
 既存の経路は全部埋めてしまい、急いでってところか。
 それにしても随分と慎重と言うか臆病な印象を受ける。
 新しい経路ってそんなに急いで必要か?

「なあ、ダラン。穴はここだけか?」
「うーん。わかんね。けど、また声掛けるって言われたから、まだ掘る気はあるんじゃないか」
「なるほどね」

 雑とはいえ、この規模を掘り終えるのはそれなりに日数掛かるよな。
 同時にやっているか? そこまでの労働力を確保出来るとは思えない。
 工房で働く予定だったやつらに片っ端から声を掛けて6割、いいとこ7割しか従事しない。
 そう考えると時間的に今の所はここだけと、踏んで良い。

「ガト、ダランありがとう。これで終いだ。これが約束の報酬。暗くて分からんだろうが、ちゃんとあるから心配するな」
「マジで、これだけでこんなに貰えるのか?」
「だから言ったじゃん、信用出来る人達だって」
「なあなあ、なんか他に出来る事ないか? やれる事ならなんでもするぜ」
「ダランー」

 報酬に浮かれるダレンにガトは苦い顔を見せた。
 マッシュはふたりに微笑みかける。

「そうだな。ふたりともしばらくオーカを出た方がいい。しばらくここは荒れる可能性がある。なんでかは聞くな。万が一、ウチらとの関係を取沙汰される事があったら、おまえさん達エライめに合うぞ。報酬がいいのはその迷惑代と思ってくれ」

 ガトとダランは顔を見合わせた。
 ガトはなんとなく分かっていたが、ダランは目を剥いてびっくりしている。

「しばらく、のんびり出来るくらいの金はあるんだろう? もし心配ならアルバに行ってこの間渡した書状を、おまえさんをぶっ飛ばしたやつに見せろ。悪いようにはしないし、アルバならオーカのヤツらは手を出せない」

 ふたりは逡巡する素振りを見せる。
 マッシュが迷うふたりに向けてさらに言葉を続けた。

「一生、アルバに居なくちゃならんわけじゃない。しばらく旅行がてら行って、ほとぼりが冷めたら戻ればいい」
「いつ冷めるんだ?」
「そんなにはかからんよ」

 ガトは心を決めた、ダランは少し迷っているようだが、ガトが行くとなればついて行くだろう。
 オーカに自分達と繋がりのあったふたりを、置いて置きたくないというのが本音だ。
 繋がりがバレれば、真っ先にヤツらは手を出すに違いない。
 弱みは見せたくないからな。
 とりあえず、弱みに成り得る材料をこちらが先に握る事が出来た。
 こいつをどう使うか。
 マッシュは剝き出しになっている入口を睨んだ。
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