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ヴィトリア

ヴィトーロイン・メディシナ

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「あ、雨だ」

 ハルヲは誰に言うでもなく言葉を漏らす。
 雨音に目が覚めると窓から外を見つめた。
 シバトフの死で治療院はバタバタなのかな。
 そういえば事務次長のクックは知っているのかしら?
 普通に考えればクックが事務長か。
 朝食の時にでも聞いてみよう。
 働かない頭を揺り起こす為、冷たい水で顔を洗った。

 
 皆黙々と朝食を取っている。
 イリアも席に着いていた。
 家族を罰する事は、やはりしなかったようで、ハルヲは安堵する。
 昨日の今日で明るい雰囲気とは流石にいかないが、重苦しくないだけマシか。
 マッシュにそれとなく事務長室の様子を尋ねたが、首を横に振るだけだった。
 想像していたとはいえ気持ちが曇る、雨のせいもあるかもしれないが⋯⋯。
 
「そういえばクックはお金の動きを知らないの?」
 
 ハルヲがマッシュに尋ねる。
 マッシュはパンを千切り口へ放り込んだ。

「金の管理はシバトフがひとりでやっていたらしい、クックは従業員の管理や給料の計算なんかをしているって。逆に言うと金の管理以外の仕事はクックがやっていたそうだ」
「ふ~ん、いつ聞いたの?」
「ここに来て割とすぐだ、次長の部屋はないからなデスクは洗ったが、怪しいものはなかった」
「突っついたところで何も出ないか」
「なんか材料でもあれば、突っつきたいところだけどな」

 マッシュは苦い顔を浮かべ、上目でハルヲに視線を送る。
 ハルヲもパンを口に放り込む。
 疑ったらキリないが、なんとなく落ち着かない。
 仮にも上司が不慮の死を遂げたというのに、反応がないのはなぜ?
 事務長の伝手でここに来たって言っていたのに繋がりが薄すぎない?
 信用していなかった?
 自分に置き換えてみる。自分だったらアウロに一通りまかせられるし、実際丸投げしている。
 信用出来る人間を側に置いておかないなんて逆に不自然。
 この不自然さが落ち着かない原因なのかしら?
 クックの立場が面倒くさい事を押し付けられて終わりとはちょっと考えにくいわ。
 

「今日は一日、臨時休診にします。こんな時ですがのんびり過ごして下さい」
 
 朝食が終わった所で、父ヒルガが切り出した。
 護衛兵ガードが出入りする中、診察するのも落ち着かないか。
 事務長がいなくなって、運営は大丈夫なのかな?
 
「運営は大丈夫ですか? やはりクックが昇進って形になるのかしら?」
「そうですね、私どもに運営は正直出来ると思えないので……」

 ハルヲの問いに次兄のクルガが答えると、キルロがお茶をすすりながらそこに割って入ってきた。

「その事なんだけどちょっと考えがあってさ、皆にも協力をお願いしたいんだけど⋯⋯いいかな?」
 
 キルロは家族ではなくメンバーの方を見て告げた。
 私達?

「治療院の運営面でのお手伝いですか? 団長の頼みですからやぶさかではないですが、私達に出来る事なんてありますか?」

 キルロの言葉にネインは小首を傾げる。ネインがメンバーの気持ちを代弁してくれていた。

「具体的に協力って何をすればいいの?」

 ハルヲもキルロに向かって尋ねる。
 運営面で出来る事なんて思いつかない。
 キルロはおもむろに立ち上がると皆を見渡しニヤリと笑う。

「【ヴィトーロインメディシナ(治療院)】をスミテマアルバレギオ、ウチのソシエタスに入れちまう」

『へ?』

 皆が一様に呆気に取られ、目が点になった。
 
「えええ?! ちょっと! えー!? ウチの傘下にするって事? ちょっと待ってギルドにメディシナの登録ってしてあるの?」
「鍛冶屋がダメだったら小さい治療院でもしようと思っていたんで、ギルドに登録の時、念のため記載しといた。まさかこんな形で役立つとはな」

 ハルヲの困惑にキルロは笑顔で答える。
 家族の面々はニコニコと笑みを湛えているだけで、反対とか、意見とか、全く出て来ない。

「こちらの治療院を傘下に入れる事でのメリットとは、なんでしょうか?」

 ネインが困惑した表情を浮かべながらも、キルロに質問を投げかけた。

「ウチの傘下に入れちまえば、信用出来る人間に運営をまかす事が出来る。ウチの家族にも給料を払い、今回あったような事を防ぐ。あとはハルヲンテイムを見習ってぼったくれるとこからは、しっかり取ってその金で裏通りに治療院を作る。こんな所かな」
「ぼったくるって何よ」
「取れるとこから取る。それを取れない所に回す。だろ」

 指を折りながら得意満面に言い放つキルロに、ハルヲはまなじりを掻きながら軽く睨んでおく。
 そんなやり取りを聞いていたマッシュが突然顔上げた。

「団長、それグッジョブだ。事務長はクックか?」
「いや、正直オレはアイツを信用仕切れていない。誰か信用出来る人間を紹介して欲しいんだ。後で相談いいか?」

 マッシュはキルロの言葉に大きく頷きながら口元に笑みを湛えた。

「という事で親爺もお袋も兄貴達も今まで通りで頼む。運営の方はこちらでしっかりやるから心配すんな。ウチのメンバーは優秀だからさ」

 キルロの言葉に家族は顔を互いに見渡し、笑みを湛え各々大きく頷いて見せた。

「心配なんかしてないよ。お前に任す」

 父ヒルガの言葉が家族の気持ちを代弁していた。




 ハルヲは休診となった治療院の廊下を歩いていた、雨も降っているし食後の散歩って所だ。
 当直のスタッフとたまにすれ違うが、事務長が亡くなったというのにバタついている感じはしなかった。
 
(みんな元気かな?)

 ハルヲンテイムの事を考えたりしながら、スタッフの様子を見つめ歩く。静かな廊下に建物を叩く雨音が響いている。

「こんにちは」

 振り返るとクックが書類を抱え佇んでいた。

「こんにちは、あなた大変ね。シバトフとは知り合いだったのでしょ? ショックよね」
 
 ハルヲは淡々とクックに語った。ウチの動きはまだ言わない方が賢明か。
 視線が泳がないように気をつけよう。

「いえ、個人的には親しい関係ではなかったので、びっくりはしましたが正直それだけです」
「そう」

 正直ね。落ち込むほどの関係性じゃなかった、右腕だったのに⋯⋯。
 それだけ言ってハルヲは去ろうとするとクックが呼び止めた。

「あの、今後こちらはどうなってしまうのでしょう?」

 落ち着いたトーンで話しかけられる。クックの言葉からは、少し期待が混じっているように感じられた。
 
「さあ? でも、患者さんがいるから、今まで通り治療して行くんじゃないかしら。落ち着けば告知があるんじゃない」
「そうですか。ありがとうございます」

 自分の求める答えではなかったのだろう。クックは少しばかり目を伏せて、去って行った。
 

「バタバタしている所悪いね」

 キルロはダイニングに家族とメンバー、クックに執事のヴァージまで集めた。

「メンバーと家族には伝えてあるが、【ヴィトーロインメディシナ(治療院)】はウチのソシエタス傘下に入る事になった」

 ヴァージは表情も変えず軽く頷く。クックは一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐにいつもの薄い笑みを湛える。
 マッシュはクックの一瞬を見逃さなかった。

「ヴァージ。仕事増えて申し訳ないが、引き継ぎ終わるまで治療院の事務方を仕切って貰えないかな?」
「問題ありません。仰せのままに」

 胸に手をやり、キルロに頭を下げた。
 クックから薄い笑みが消える。事務長に自分が抜擢されると疑っていなかったのだ。

「私はどうしたら宜しいでしょう?」

 クックはキルロを見つめ問いかける。キルロは宙を仰ぎ、頭を掻く。
 それが何を意味しているのか、気がつかない程鈍いヤツではないだろ。
 マッシュがキルロの肩に手をやるとキルロが目配せし、マッシュが一歩前に出た。

「クック、あんたは優秀だから給料は維持するんで、引き続き事務仕事頑張って貰えないか? 経営陣はウチの傘下に入れるついでに刷新する。ウチの団長がトップになるんだ、付き合いある人間じゃないとこれだけの規模回していくのは骨折れるんだよ。優秀なあんたなら分かるよな」

 マッシュは直接的に信用に足らないとクックに告げ、降格を伝えた。
 クックは大きく溜め息をつき冷静さを保ち続ける。
 腹の中は煮えくり返っているのを、表に出さぬよう努めているのがひしひしと伝わってきた。

「わかりました。そうですよね。私もいい経験を積ませて頂けたので、これを機に新しい世界へ踏み出そうかと思います。いろいろとありがとうございました」

 クックは家族の方を向き一礼すると、部屋から出て行った。
 あれは相当にイラ立っていたわね。
 ま、キルロにしてはいい判断ね。

「ぷはぁ~、どうなるかと思ったよ。残るって言われたらどうしようかと思った」

 キルロが大きく息を吐き出しながら安堵を浮かべる。

「残ったら適当に仕事させておけばいいだけだ。油断出来ないけどな」

 マッシュはクックの出て行った扉を見つめ笑顔を見せる。

「それでさ、新しい事務長なんだけど、誰か知らない? 紹介して欲しいんだけど」

 キルロはメンバーの方を向いて懇願する。

「誰かって言ってもね……ちょっと考える」
「マッシュ、事務の出来る曲者いない? また狙われたらイヤなんで、裏に精通している人間をひとりは欲しいんだよなぁ」
「なかなか難しいなそれ」

 ハルヲとマッシュが眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。
 フェインがおずおずと手を上げた。

「あのー、アルフェンさん周りにも相談してみては如何でしょうか? 私達よりも顔広そうですと思いますです」

『おおー! それいい』

 確かに中央セントラルが絡んでくれれば、おかしなヤツらも手を出しづらい。
 それに信用に値する人を紹介して貰えるに違いない。メンバー一同、フェインの言葉に感嘆の声を上げた。
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