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坂門

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宣言と祭り(フィエスタ)

意外な来訪といらない来訪

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 客間でぼんやりと佇むヤクロウの姿に、ハルは苦笑いを浮かべた。ただぼんやりと要らない思考を巡らすくらいなら、体を動かして少し頭を切り替えた方がいいのではないかと思う。と言うか、自分ならそうだ。
 ハルは嘆息しながら、ヤクロウにひとつ提案を試みた。

「ねえ、あんた薬剤師でしょう? 暇なら少し手伝ってくれない」
「ああ? ⋯⋯まぁ、そうだな。動物モンスターも薬は同じか?」
「同じよ」
「よし! んじゃ、薬棚を見せてくれ」
「こっちよ」

 ふたりは長い廊下を淡々と歩き、処置室へと向かう。
 中に入るとすぐに整理された薬棚を見つけ、ヤクロウは端から端までゆっくりと覗いて行く。その後ろ姿からは、俯いていた覇気の無さは消え、どこか生き生きとしていた。

「⋯⋯随分、きっちりと管理しているな⋯⋯お嬢はこれから学んだのか⋯⋯」
「うん? 何?」
「いや、何でも無い。物は十分に揃っている。何をすればいい?」
「そうね。良く出るのは⋯⋯ファリンとかアギニンかな、あと何気にクロラも出るわね。この辺りの準備をして貰っていい」
「問題ない。なぁ、ローブルの葉とマワヒの茎はないか?」
「マワヒは無いわ。ローブルなら、下の開き戸に無いかしら? でも、そんなものどうするの?」

 ローブルの葉は、筋肉を捻ってしまった時の鎮痛に使えるが、動物モンスターに使う事は少ない。どちらかと言えば、足を捻ったりした自分達用にと少しばかり常備している。マワヒの茎は、疲労を軽減させる作用があると言われているが、ここハルヲンテイムではアルギンを使っているので、常備の必要性は感じていなかった。
 ヤクロウは直ぐに開き戸を覗き、ゴソゴソと中を漁り始めた。開き戸の中に顔を突っ込みながら、ヤクロウは答える。開き戸の中から少しくぐもったヤクロウの声が、ハルの耳へと届いた。

「ローブルの葉はな、ファリンの効能を上げる。マワヒの茎は、アギニンの効能が上がる。混ぜて使えば、今までの三分の二の容量で同じ効果が期待出来るんだよ⋯⋯お! あった、あった」

 ローブルの葉を手にしながら、ヤクロウは顔を上げた。そこには無邪気で、屈託の無い微笑を称えるヤクロウの姿。そんな無邪気なヤクロウとは正反対に、ハルは怪訝な表情で首を傾げていた。

「そんな話聞いた事無いわよ? 混ぜるだけで効能が三割も上がるって? 本当?」
「そりゃあそうだ。言った事ねえもの」
「はぁ? どういう事?」
「だから、言ったじゃねえか。お偉いさんのすぐ側に居たって。お偉いさんの側で、ずっと薬の研究をしていたんだよ」
「言ってないわよ! 側に居たって言っただけじゃない! これ本当に効能上がるの?」
「ああ。保証する。混ぜる量を間違えなければ、間違い無く上がる」
「ちょっと、それって凄いじゃない。ローブルとマワヒなんて、そこら辺にいっぱい生えているのよ⋯⋯ヤバ⋯⋯原価がめちゃくちゃ下がる⋯⋯他にもあるなら教えてよ⋯⋯ちょっと! ラーサ! 処置室に来て!」

 ハルは悪い笑みと共に、直ぐ伝声管へと向かった。
 ヤクロウは顎に手を置きながら、黙ってその様子を見つめている。その表情には、少し得意気な笑みを見せていた。

「どうしたの? ハルさん? あれ? ヤクロウさん?」

 ハルの切迫した声。緊急事態と思い飛び込んだラーサは、処置室に流れる空気が緊迫したものじゃない事に首を捻った。

「ラーサ、ヤクロウから調剤を教わって」
「調剤? 今さら?」
「まぁまぁ、ヤクロウの話を聞いて、しっかり頭に入れてちょうだい」
「宜しく頼むぞ、猫娘」
「猫⋯⋯娘⋯⋯って!? お前も猫だろう!!」

 いい笑顔のヤクロウに、ラーサは食って掛かって行った。ハルはそんなふたりを残し、ラーサの仕事を引き継ぐ為に受付へと向かう。

(はぁ?! 何言ってんの? そんな事あるか!)
(あるんだよ)
(聞いた事無いぞ)
(言った事ねえもの)

 ハルはどっかで聞いたやり取りを扉越しに感じながら、受付へと急ぐ。
 ヤクロウの雰囲気が穏やかになって良かった、ずっと張り詰めていたものね。
 チラっと処置室へ振り返り、あらためて受付へと急いだ。

◇◇◇◇

「エレナ、ちょっと頼まれてくれない」


 ハルさんのその一言で、私はミドラスの獣人街に足を運び入れています。集合住宅の一室、目的の扉をノックしました。
 ⋯⋯返事は無いですね。不在でしょうか?
 もう一度ノックすると、扉の向こうから人の気配を感じます。扉が少しだけ開き、鋭い視線が私に向きました。でも、次の瞬間には、鋭かった瞳が大きく見開き、驚きを見せます。

「突然すいません、マッシュさん」
「なに、構わないさ。少し驚いただけだ。ちょっと待ってくれ」

 一度開いた扉が一旦閉じます。
 いやぁ、完璧に寝ていましたね。寝ぐせで髪が明後日の方向を向いていましたよ。いつもの鋭いマッシュさんからは想像のつかない、貴重な姿を見てしまいました。

「すまんな。散らかっているが、入ってくれ」
「お邪魔します」

 確かにいろいろと見た事の無い物が、棚や机の上に転がっています。物に溢れていますが、汚い感じはありませんね。
 私がキョロキョロしていると、カップに入ったお茶を出してくれました。

「まさか、エレナがここに来るなんて思ってもいなかったな。で、何があった?」

 流石です。私が伺っただけで、何かが起こったと分かってしまうのですね。
 少し眠そうな眼をこすりながら、マッシュさんも熱いお茶に口をつけて行きます。私は、ハルさんから託された手紙をマッシュさんの前に差し出しました。

「ハルさんからです。ヴィトリアの裏通りスラムで、不穏な動きがあります」
「⋯⋯なるほど」

 寝ぐせはついたままですが、いつ間にか瞳に鋭さが戻っています。ハルさんの手紙に目を通し、ひとつ納得して見せました。

◇◇◇◇

 何事も無い日常など、直ぐに壊れてしまう。たった数日でまた望まぬ日常が、足音も無く忍び寄った。待合に佇むキルロは、ニウダにそっと告げる。

「ニウダ、キノと二階に隠れていろ」

 開院準備の整った【キルロメディシナ】。朝一番に訪れた望まぬ来客に、キルロは盛大に肩を落として見せた。

「何だ、どこか調子でも悪いのか? それともこの間の修理代を弁償に来たのか?」

 睨み合う眼前の小男は、前を隠す青いマントからキンと金貨を指で弾いた。表情は無く、ただキルロを淡々と見下している。
 床をコロコロと転がる金貨が、キルロの足元で止まった。ゆっくりと腰を曲げ、その金貨を拾い上げる。

「いやぁ~、感心、感心。ちゃんと払いに来るなんてな。でも、お金はもっと大事に扱わなきゃダメだぞ。んじゃ、回れ右して帰れ」

 シッシッと手で払う仕草を見せると、小男から不敵な笑みが零れて行く。ふたりの獣人は小男の前に立ち、外には十名ほどの獣人が、治療院メディシナの入口を塞ぐように立っていた。
 今日は多いな。
 キルロの焦りを読み取ったのか、小男の笑みは深まって行く。

「弁償か⋯⋯確かにそうだな。ただしこれは、これから壊す物に対しての弁償だ。先払いってやつだ⋯⋯やれ」

 静かな号令と共に、ふたりの獣人が待合の長椅子を蹴り上げた。裂けた木片が舞い上がり、長椅子は見るも無残な姿に変形してしまう。
 この間直したばかりなのに。
 やり切れない思いと怒りが、爆発する。キルロの切っ先は、ふたりの獣人に向き、狭い待合で激しく切り結んで行った。
 金属がぶつかり合い火花と甲高い金属音が、何度と無く響き渡る。

「かはっつ!」

 吹き飛ぶキルロが背もたれに激しく背中を打ち付ければ、迫る獣人の顎をキルロはそのまま蹴り上げた。
 圧倒的な不利な状況。それでもキルロは、折れる事無く抗い続けた。
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