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坂門

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裏通りの薬剤師

連鎖

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 顔を上げたハルさんに代わり、私も真下から覗き込みました。真っ赤に血濡れていた大きな子宮は、それを吸い取った砂糖のおかげで桃色を取り戻しています。垂れ下がる子宮を下から覗くと、ドクっと、まるで心音に合わせるかの様に血が噴き出していました。
 パックリと割れた指の長さ程の傷。その傷から流れ落ちる血を見つめ、ハルさんもモモさんも難しい顔で逡巡をしています。その姿からこの出血が簡単では無いのだと伝わって来ました。
 それでも、子宮の大きさは浮腫みが取れただけで、目視でも分かる程小さくなっています。とは言え、血をポタポタと落とすこの子宮を単純に押し込む分けには行かないでしょう。

「ハルさん、取り敢えず傷を縫いましょう」
「そうね。エレナ、針と糸を準備して」
「はい」

 針と糸を手に、小さなハルさんが子宮の下へと潜り込み、素早い手つきで縫い合わせて行きます。その間も出血は止まりません。ハルさんの表情は優れず、汗を拭う額はべっとりと血で汚れて行きました。

「ハルさん、どう?」
「良くない。外側だけじゃなくて、中も裂けている」
「代わる?」
「大丈夫。モモ、エレナ、両側から傷が塞がる様に押さえて貰える」
「分かりました」

 私とモモさんで、子宮を両脇から押さえて行きます。
 ヌルっとした手触りに思う様に力が入らなくて、ひとりバタバタとまごついてしまいます。
 ハルさんはまず内側の裂傷を、素早く縫い合わせて行きました。内側が縫い終わると、次は外側です。ハルさんの手が止まる事はありません、傷口は見る見る閉じて行きました。

「エレナ、ゴーグルを拭いて」
「はい」

 ポタポタと垂れる血が、視界を塞ぎます。それでも止まる事の無いハルさんの施術。
 クスさん達も固唾を飲んで見守っていました。
 空気は否が応にも緊張をして行きます。鎮静剤が効いて大人しくしていますが、またいつ暴れ出してもおかしくは無いのです。それを承知のうえで、危険な施術を自ら行っているハルさん。下に潜り込んで施術している所を踏み潰されでもしたら、大怪我だけでは済まないでしょう。
 通常であれば、麻酔を打って眠らせてから行うべき施術です。でも、体力の落ちているこの仔に、麻酔は危険と判断しての素早い行動。時間が掛かれば掛かる程、この仔の状態は危険に晒されてしまうのです。
 だけど、時間は簡単に過ぎて行きます。
 ジリジリした緊張に、現場は押し潰されそうです。そんな中、ハルさんも、モモさんも、冷静でした。
 モモさんは母熊の表情を見つめ少しだけ逡巡の素振りを見せますが、すぐに顔を上げます。

「エレナ、鎮静剤を0.5単位だけ入れよう。ハルさんの援護をするわよ」
「分かりました。すぐに準備します」

 小さな注射器シリンジに0.5単位。
 モモさんは砂時計を確認して、私が手渡すと同時にブスリと背中に突き刺しました。
 このまま暴れないでいてねと祈りながら、私はハルさんのゴーグルをまた拭いて行きます。

「ありがとう」

 ハルさんの冷静な声色が、現場に落ち着きを与えて行きます。張り詰めた空気は相変わらずですが、ハルさんとモモさんの冷静な姿にパニックになる事はありませんでした。

「よし! 終わったよ! 押し込むから手伝って。行くよ、せーの!」

 ハルさんは起き上がると同時に、垂れ下がった子宮を持ち上げます。さすが、ドワーフの血を引く力、軽々と持ち上げて見せました。私達もそれに倣って持ち上げてみますが⋯⋯。
 重い!
 垂れ下がった子宮がこんなに重いなんて。私もモモさんも、すぐに額から汗が噴き出ます。

「もう一回! 行くよ、せーの!」

 ハルさんの掛け声に合わせ押し込みます。ハルさんが持ち上げて、モモさんと私で押し込んで行くのですが、なかなか思うように入ってはくれません。
 ブヨブヨと柔らかい感触に、ヌメっとした手触り。すぐにズルリと腕から零れ落ちてしまい、思うように入ってはくれません。
 それでも何度となく押し込んで行くと、子宮が体内へズズっと少しずつ戻り始めました。
 腕がプルプルと震えて来ます。歯を食いしばってモモさんと力を合わせて行きます。

「いいよ! このまま! 頑張って!」

 入れ⋯⋯入って。
 垂れ下がっていた子宮が見る見る小さくなって行きます。
 もうちょい⋯⋯。
 腕の力はほとんど残っていません。それでも、最後の一滴まで力を振り絞ります。
 
「「「せーの!」」」

 みんなで声を合わせます。ズズっと子宮が体内に戻って行きます。
 もう少し。

「よし! 入った! みんな頑張ったね」

 ハルさんが笑顔を見せ、上手く行ったのだとホッと胸を撫で下ろしました。
 あんなに大きな物がお腹に納まっているなんて、生物の体というのは全く持って不思議です。
 モモさんが、膣部から腕を突っ込んでちゃんと入っているか、捻じれていないか確認を取ります。腕がまるまる飲み込まれ、腕全体を使って確認していました。

「エレナ、おいで。あなたも確認するの」
「わ、私ですか? 分からないですよ」
「今、正しい位置に納まっている。この感触を覚えなさい」
「は、はい⋯⋯」

 モモさんに言われて、恐る恐る腕を差し込みます。

「大丈夫だから、グッと行きなさい」
「は、はい」

 ヌルっと飲み込まれる腕にビクビクしながら、触診の感触を頭に刻んで行きます。

「管が腕に均等に当たっているでしょう。捻じれている場所があると、キツイ所と緩い所があったり、管の捻じれが酷いと、奥まで手が入らなかったりするの。覚えておいて」
「はい」

 そうか。
 現場で勉強をさせる為にハルさんは私を連れて来てくれたのだ。
 百聞は一見に如かず。実地での体験に勝るものはありません。
 とは言え、終わった安堵と使い切った体力から私はへたり込んでしまいました。知識と一緒に体力も付けないとですね。元気なハルさんとモモさんの姿を見るにつけ、トホホな気持ちになってしまうのです。

「クス。取り敢えずは大丈夫だと思うけど、膣部から出血が止まらないと繁殖は諦めないとかもね。ザックリとかなりいっていたから、楽観的な事は言えないわ」
「まあ、それは仕方ない。コイツが助かっただけでも御の字だ。ハル、ありがとう。あんた達も助かったよ」

 クスさんと助手さんに頭を深々と下げられて、どうしていいのかドギマギしちゃいます。ハルさんとモモさんは軽く頷いて見せるだけですが、私は深々とお辞儀を返していました。

『クス! こっちヤバイ! 体温が急激に下がって、息が弱い!』

 伝声管から緊迫を伝える女性の声。その切迫した声色に私達も一瞬固まってしまいます。

「もしかして、子供?」
「⋯⋯ぁぁ⋯⋯」

 ハルさんが茫然と佇むクスさんを一瞥。安堵の表情から一転また険しい表情を見せます。

「モモは引き続きこの仔の様子を診てあげて。エレナ、火山石ウルカニスラピスの織布とたらい、点滴と薬液の準備。それと、あなた、お湯をたくさん沸かして。さぁ! 急いで、急いで! 時間は掛けてられないよ! クス、子供はどこ?」
「向かいの小屋だ」
「エレナ、急ぐよ!」
「はい!」

 ハルさんの掛け声に一斉に動き始めます。疲れていた体の事など、吹き飛んでしまう程の衝撃。私はハルさんの後を追い、無我夢中にまた走り始めました。
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